残尿からの……
[桐島昌弘の場合]
残尿。
出したはずの尿が残っていて、漏らしてしまうこと。
10代20代の頃は、この症状を笑っていた。
しかし、45歳になった今は笑いものにしていた残尿と対峙している。
「おっと」
木曜日の朝7時8分。これから出勤しようって時に、玄関でチビっと残尿が出てしまった。
「どうしたの?」
「パパ、大丈夫?」
見送ろうとしてくれている妻と小学生の娘が心配そうに聞いてくる。
自慢ではないが、俺は夫としても父としてもキチンとしてきた。威厳を保つために、ここは間違っても「残尿が出ちった。テヘッ」とは言えない。
「大丈夫。行ってくるよ」
颯爽と外に出る。でも漏らしている。
電車でスマホを開き、最新のニュースをインプットする。でも漏らしている。
会社で部下の相談に乗り、感謝される。でも漏らしている。
休憩中、女子社員が「桐山部長って格好いいよねー」と話しているのが聞こえた。でも漏らしている。
定時に仕事を終えて、愛する家族に迎えられて帰宅する。でも漏らしている。
「‥‥‥ふむ」
風呂に入りながら、声が出てしまう。
我ながら順風満帆な1日だった。イケてるオヤジとは俺のような男を言うのだろうと思える。
しかし、もう1人の意地悪な自分が「それはそうと漏らしてるじゃん」とヤボなツッコミを入れてくる。ボケたつもりもないのにだ。
40代に入ってから、この思考から逃れられていない。
基本的に楽しいのだが、魚の小骨がずっと喉に引っかかっているかのような違和感が俺につきまとう。
最近は、以前は安らぐ場所だったはずのトイレに行く度に緊張してしまう。
風呂から上がる。妻が夕飯までにもう少しかかると言うので、スマホに手が伸びる。スマホ依存症は若者の特権ではないのだ。
『ダヨーン』で野球中継でも観るかと思っていたが、指が無意識に検索画面を表示する。
そして、考えるよりも前にこう入力した。
「残尿 対処法」
\
1週間後。
「行ってきます」
ジワっ。
どうやら俺は、朝家を出る時に残尿をする癖があるようだ。
しかし、今は「おっと」なんて情けない声は出ない。
「「いってらっしゃい」」
家族に爽やかな笑みを浮かべながらドアを開ける。
これも、『誰にも気づかれない! 男性用尿漏れパンツ』のおかげだ。
あの日、ネットを漁っていて見つけた代物だ。
見た目は普通のボクサーパンツだ。
あの、女性支持率No.1のボクサーパンツだ。しかも黒。
ガッツリしたオムツをしていたら、確実に妻に不審に思われる。娘にバレた日には羞恥で家出をするかもしれない。俺が。
そんな中年のワガママを叶えてくれる素敵な商品に出会ったのだ。
さすがに大量に漏らしたらアウトだが、俺のようなチビっとの残尿なら問題なく吸収してくれる優れものだ。
値段は4500円とお高いが、心の中の引っかかりが無くなったのだ。安い買い物だろう。
これがあれば、少し漏らしたとしても自己嫌悪せずに済む。
「部長! おはようございます!」
「あぁ。おはよう」
会社に着き、いつも俺を格好いいと言ってくれている女子社員に堂々とする余裕まで出てきた。
今てはトイレも行くのも怖くない。
仕事もこれまで以上に順調だ。やはり、俺の人生は完璧なのだ。
\
と、思っていたのだが。
「ママ〜。ママ〜。おっぱい」
「はいはい。昌弘ちゃんはおっぱい大ちゅきでちゅね〜」
45にして、性癖が曲がった。
見た目は分からないとはいえ、オムツを身に纏って生活していると、今までに無かった劣情を覚えることになってしまった。
一か八か、妻に赤ちゃんプレイを提案してみたら受け入れられて、こちらがビックリした。
今までノーマルだった分、この愛され方には戸惑いもある。
残尿の問題が片付いたと思ったら、また別の問題に発展してしまった。
まあ、人生ってそんなもんか。
トイレ協奏曲 ガビ @adatitosimamura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。トイレ協奏曲の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます