どうせすぐに後悔する。でも、今だけは……。

[沼津慎二の場合]


 騙される方が悪い。

 これを最初に言い出した奴は、相当に性格が悪いのだろう。詐欺という最低な犯罪をしたくせに、何を開き直っているのだ。騙す方が悪いに決まってるだろう。


 そう、キラキラな青春を送っていた俺は思っていた。しかし、現在29歳の俺は、その言葉に縋っている。


「そうだ。騙される方が悪い。あの婆さん、年金もらってんだろ? だったら少しくらい高い布団を売っても良いじゃねーか。こっちは未来ある若者なんだ」


 阿佐ヶ谷駅のトイレにこもって、ぶつぶつ呟く俺。

 早く自分を肯定してやらなきゃ、頭がおかしくなる。だが、しぶとく残っている理性が邪魔をする。


「‥‥‥若者じゃあ、ねーよな」


 もうそんな歳ではないことは分かっている。同年代には立派に子供を育てている奴らだっている。もう、若くはない。10代からしたら、俺なんかおっさんだろう。


「‥‥‥あの頃は楽しかったなぁ」


 現実から目を背けて、俺が最も輝いていた時代の記憶に逃げ込む。

\



 高校生の頃はサッカー部のキャプテンだった。そこまで強いチームではなかったが、キャプテンという肩書きは強い。卒業まで彼女が途切れたことはなく、理想的な青春を送っていた

 そんな環境にいた俺は、進路先を盛大に間違えた。


「俺、アイドルになる!」


 あの頃に戻れるのなら、当時の俺を殴ってでも止めたい。


 やめろやめろやめろ!


 鏡をよく見てみろ! サッカー部キャプテンのハッシュタグを失ったお前に感心を寄せてくれるほど、大した面じゃねーぞ!


 オールバックも似合わないから、無難な髪型にしとけ。ああいうのは本物のイケメンがやるから様になるんだ。顔面点数68点のお前がやっても、イキってる若者にしか見られない。


 もちろん、教師や親は止めてくれた。でも、勘違いヤローこと俺の勢いは止まらなかった。善意で止めてくれた大人達に「長く生きてるくせに見る目の無い奴らだ」と見下してさえいた。

 見る目の無いのはお前だ。沼津慎二。


 卒業後、何の魅力も偉そうなガキを拾ってくれる事務所は見つからず、フリーで活動することになる。

 この場合、フリーと書いて無職と書く。


 一応、バイトは何度かしてみたが、どれも続かなかった。

 社会で働くということは、何かを我慢する必要がある。俺にはその能力が決定的に欠けていた。


 コンビニのバイトでの、店長との会話を思い出す。



「沼津君さぁ、そろそろ検品くらいできるようになってくれない?」


「‥‥‥チッ」


「え? 今舌打ちした?」


「えぇ。コンビニのバイトなんて、レジに立ってりゃ良いでしょ。それ以上の仕事させるとかありえないから」


「‥‥‥あのねぇ、君の代わりに残業してる、こっちの身にもなってよ」


「知らねーよ。こんな狭い世界でしか偉そうにできねーダセー奴の気持ちなんて。俺はもっとデカい世界に行くんだ」


「‥‥‥そっか。じゃあ、こんなところにいちゃいけないね。天才の沼津くんの時間を奪っちゃ申し訳ない。もう辞めて良いよ」


「え? でも、生活費が‥‥‥」


「知らねーよ」



 思い出すだけでも、恥ずかしくて泣けてくる。綺麗な「知らねーよ」返しをされているお前の方が圧倒的にダセーじゃねーか。


 芸能人などの世の中に名前の残る仕事こそが正義と思い込み、名は残せないが、社会を成立させるために不可欠なコンビニ店長や福祉職の一般の方々を軽んじていた。


 そんな奴がアイドルになれるわけがない。

 だって、俺が目指していたアイドルはそういう人達を元気付ける職業なのだから。


 歌って踊って、ドラマや映画に出てみたりして、ファンの人生に潤いを与える難しい仕事だ。決して馬鹿では務まらない。

 故に、俺には務まらなかった。


 すぐに金は尽きた。

 今まで稼ぎの多い両親の元で暮らしていたので、金ってこんなにも早く無くなるのかと衝撃を受けた。どこまでも舐めた奴だ。


 ボロアパートの家賃さえ払えない状況で、ようやく自分がマズい状況にいることを理解した。


 金。


 金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金。


 何でも良い。とにかく金だ。


 食べるものが食パンくらいしかなくなっていたある日、SNSでこんなポストを見た。


[短期間で高収入! 先払いで10万円お支払いします! 詳しい情報はこちらから!]


 闇バイトの存在すら知らなかった俺は、すぐに食いつき、その結果、老人から金をむしり取ることに成功した。

 いや、成功してしまった。

\



 時は戻り、阿佐ヶ谷駅のトイレ。

 右手には、50万円の札束。


「‥‥‥」


(何を一丁前に悩んでいるんだ)


 脳内の自分が話しかけてくる。


(お前はもう、一線を越えちまったんだ)

 うるさい。


(他人を騙してでも金が欲しかったんだろ? その金で回らない寿司でも食いに行けよ)

 うるさい。


(女もご無沙汰だろ? 高級風俗にも行けるぜ)

 うるさい。


(なに。心配することはない。金が尽きたら、また詐欺をすれば良いんだよ。善良な人から騙し取るんだ)

「うるさい!!!!!」


 俺は叫ぶ。


「分かっんてんだよ! 俺はクズで馬鹿だ! そうやって生きていくしかねぇ!! だから、この金を使う度胸すらねぇ!」


 その勢いのまま、50万円をトイレにぶち込み、流しボタンを押した。

 水が渦を巻き、金を吸い込んでいく。

 その水は、今までに見たどんな海や川よりも美しく目に映った。


 きっとすぐに後悔する。

 でも、今この瞬間は今までの人生で最も気持ちよかった。

 

 

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