アレの名前

[鍵山れんの場合]


「誰かトイレ詰まらせやがった!」


 清掃員さんを雇う余裕も無い、崖っぶちの会社で働く俺は、毎日16時半頃にトイレ掃除をしていた。


「はぁ‥‥‥」


 自分の家のトイレの掃除ですら憂鬱なのに、他人がおしっこやクソをしまくった場合は、その憂鬱度は格段に上がる。


 クソもデカいが、こんなにトイレットペーパーを使ったら、そりゃ詰まるだろうに。

 溢れんばかりの水。これはアレがないと無理だ。


 ラバーカップ。


 棒の先に半球型のゴミ製カップがついている、アレだ。


 トイレ用具入れを確認してみたが、無い。


(この事態をラバーカップ抜きで乗り越えられるわけがないだろう!)


 若干キレ気味で事務所へ向かう。


「あの〜。ラバーカップってどこにありますか?」


 しかし、実際にその怒りを事務員さんにぶつけるわけにもいかない。彼らだって忙しいのだ。


「ラバーカップ? 何それ?」


 勤務歴20年超えのベテランさんの土田さん。もう50も近いはずだが、衰えとは縁のない格好いい女性だ。

 そんな彼女の頭の上にクエスチョンマークが踊っている。


「トイレが詰まった時に使うアレです」


「あぁ! カッポンね!」


「カッポン‥‥‥?」


 確かに、ラバーカップを使う時の擬音はそんな感じだが。


「ごめんごめん。カッポンは今女子トイレにあんのよ。えっと、何階のだったかな」


 そう言って立ち上がり、土田さんは近くを通りかかった女性プラグラマー、有川さんに質問する。


「ねぇ、カッポン何階の女子トイレにあるか分かる?」


「ぽっぽんですか? たぶん2階ですよ」


(ぽっぽん)


 顔には出さないが、俺は驚いてしまった。


 仕事にストイックで、流行りのアイドルやスイーツにも興味ないらしい有川さんから、「ポッポン」という謎に可愛らしい音が漏れたのだ。

 そのギャップに、少しグッときた。変な恋の始まり方になってしまいそうじゃないか。


「ハハ。有川ちゃん。ぽっぽんってなんだよ」


 我々の会話を聞いていたのか、部長が笑いながら言う。


「アレはゴッポンだろ?」


「いえ、ぽっぽんです」


「いやいや、カッポンですって」


 3人とも、半笑いで言い合っている。

 普段、共に雑談をしてないメンバーが盛り上がっていた。

 性格が良いとは言えない俺だが、流石にここで「正式名称はラバーカップっていうですよ。(ドヤッ)」とは言えない。


 カッポン。

 ぽっぽん。

 ゴッポン。


 この人達がそう呼んでいるのだから、それで良いじゃないか。

 そう思った時、さっきまでの苛立ちが治っているのに気づいた。

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