物語の途中

[藤本京介の場合]


 ネットの発達により、規模が縮小されていく業界は数知れない。


 現金を持ち歩かなくても、カードで買い物ができる。

 本屋さんに行かなくても、話題の漫画や小説は電子で読める。

 遠くに住んでいる人の元へ新幹線を乗り継いで会いに行かなくても、テレビ電話で顔を見ながら会話することができる。


 便利になるのは良いことだ。仕事を奪われた人々の1部が「ネットには心がない! やはり生身の人間が動かすことに意味がある!」と言い出す流れがある。

 気持ちは分からないでもないが、俺は最近、こう思い始めてしまっている。


(その論争、もう飽きたよ)


 ワイドショーやSNSなどで、福祉業界にAIを導入するか否かについて長らく議論されている。これも「心」があるかないかの問題だ。


 反対派のお偉いさんいわく、「利用者さんが1番求めているのは心である。確かにAIはミスをしないかもしれないが、プログラム通りに動く機械には利用者さんの気持ちに寄り添えない」

 実際に福祉業界の障がい者支援の仕事をしている俺は、その意見の視野の狭さに驚愕した。


 心。


 それは、良い面もあれば悪い面もある概念だ。優しさだけではなく、悪意も心に含まれる。

 忙しくて頭が回らない中、人間なんて不完全な生き物の心。この場合は悪意によって危害を加えてきた事件の数々を、このお偉いさんは知らないのだろうか。


 先日、俺が働いている施設でも似たようなことが起きた。

 加害者は、俺が入職したばかりの頃に指導してくれていた先輩だった。

 俺なんかより優しくて、思いやりがある人だったのにも関わらず、心のバグによって一線を超えてしまうのだ。

 そこそこ仲が良かった俺に相談をすることも無かった。


 あんな悲劇が起こるくらいなら、心なんて無い方が良い。



\

 事件があり、ウチの職場は潰れた。今は無職のプータロウだ。

 状況が状況だ。少しくらいゆっくりしたうもバチは当たらないだろうだろうと、3日間、何をするでもなくダラダラ過ごした。

 しかし、休んでいるはずなのに、元気が出ない。


「‥‥‥外に出てみるか」


 行くべき場所などない。しかし、このまま家にひきこもり続けるのはマズいことくらいは分かっていた。


 フラフラと歩いていたら、映画館が目についた。


(‥‥‥確か先輩、映画好きだったっけ)


 事件を起こしてしまった先輩との会話を思い出す。


<竹本、休みの日とか何してんの?>


<ずっと寝てます>


<そりゃあダメだぜ。忙しくてもリフレッシュしなきゃ。映画とか良いぞ>


<あー‥‥‥。でも、長いじゃないですか>


<そんなのを吹き飛ばすほど、面白い映画はたくさんあるんだぜ! よし! 今度一緒に行こう!>


<はぁ。まあ、そのうちに>


<言ったな! 絶対だぞ!>


 結果的に、その機会に巡り合わないまま、先輩は去っていった。

 映画なんて、結局は先輩を狂気の世界から救い出せなかったコンテンツだ。今更観る必要もない。


 でも‥‥‥。

 俺は自分の感情とは裏腹に、映画館へと入店した。

\



 映画のチケットだって、スマホで予約するのが当たり前な時代だ。当日にいきなり行って、人気作の席が空いているか心配だったが、それなりに良い席を確保できた。

 何故か考えてみたが、理由は簡単。今日が平日だからだ。


(無職の特権だな)


 平日の昼間っから映画を観る。なんて贅沢な時間なんだろう。


 久しぶりにきた映画館は、まあ、悪くはなかった。

 ポップコーンが謎に巧く感じるし、ちょっとした非日常感もある。上映する時に照明が暗くなる瞬間もワクワク感を増してくれる。


 映画自体も、話題になっているだけのことはあり、普通に面白かった。しかし、順調に楽しむ俺に映画館の最大の敵であるあいつが牙を向く。


 尿意だ。

 おしっこに行きたすぎて、内容に集中できない。今、謎が多い主人公の過去が明らかになるという重要なシーンなのだが、尿意に耐えきれず、俺は席をだった。


 小走りでトイレに向かう。

 ずいぶんと広いが、俺以外に誰もいない。なんだが、世界に1人取り残されたような不安を感じる。

 急いで個室に入る。俺は小であっても便座に座ってすることを決めている。立ってやると、どうやったって飛び散るから。


 ジョロジョロジョロジョロ‥‥‥。


 さあ、出すものは出した。

 急いで戻ろう。こうしている間も、映画は進んでいる。


「‥‥‥?」


 足は動かない。

 どうした? 早くしないと物語についていけなくなるぞ。

 そこまで考えて、ふと思う。


(俺は先輩の物語にも、ついていけなかったんだよなぁ)


 いつの間にか闇に落ちていて、いつの間にか暴力を振るっていて、いつの間にかいなくなっていた。


 そうだ。

 俺はあの人の物語をキチンと見ていなかった。

 スマホを見ながらだったり、途中で寝てしまったり、トイレで席を立ったりしてばかりだった。

 マナーのなってない客だ。そりゃあ、先輩も相談なんかしてくれねぇよ。


 気づいたら、涙が出てきた。

 良い大人が恥ずかしい。でも、ここはトイレの個室。誰も見ていない。

 そして、誰も聞いていない。


「‥‥‥先輩、ごめん」


 被害者がいるのに、加害者に同情するのは褒められたことではないだろう。

 でも、俺は知っているんだ。あの人は悪いだけの人間ではないことを。


「‥‥‥ふぅ」


 たっぷり5分は泣いた。もう十分だ。

 個室から出る。

 これから、俺に何ができるかは分からない。

 だがまあ、とりあえず。

 今は映画を結末まで見届けようと思った。

 

 

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