第一章② 『どうやら宇宙人というものは実在するらしい』

 隼人はハッと目を開けた。

 しかし寝覚めは最悪だ。怪物に襲われて幽閉される悪夢により、物凄い寝汗を搔いている。


 それが単なる悪夢だったら良かったのだが――


「ここは……」


 分け目一つ無い丸い部屋に、ぽつんと隼人がいる状況。まるでボールに閉じ込められたモンスターのようだ。


 髪の毛から汗が滴り落ちた。拭おうとしたらが右手の自由が効かない。結束バンドのような物で隼人は磔にされていた。引っ張ってもビクともせず、手首に線の後がつく。


 焦りと不安で顔が歪んでいく中―――


「コンニチハ」


 突然目の前に異物が現れた。


「うわぁ!?」


 全体像は分からないが明らかな異形。カブトムシの甲羅の中に歯と脳を入れ込んだようなフォルム。それに部屋を満たすほどの尻尾を備えている。特徴的には先程会った怪物で間違いないのだが、今の隼人にはより大きく攻撃的に見える。


 隼人の顔が恐怖に染まると同時に、怪物はうねうねと八足で寄ってきた。


「アナタガ、エターナルドラグーンデスカ。アンガイカワイイノデスネ」


 怪物から舌らしきものが生えてきて、顔面を舐めようとする。当然隼人は身を引くが、磔の身では回避不可能。


「ひぃぃぃ――!!」


 冷たくザラザラの舌が隼人を一舐めし、蛍光緑の粘液がべっとり付着した。

 隼人が思わず唾を吐くと、むしろ粘液が口内に入ってしまった。一瞬甘味がした後、生ゴミのような味がし、顔を冷え上がらせる。


「ヤハリヨワイデスネ。ショセンアナタハシッコクノリュウノミコノオマケニスギマセン。オマエニハモウヨウハアリマセンノデ、ショブンシマス」


「うわあ゛あ゛あ゛あ゛ぁ!!」


 甲羅部分が開いて鋭利な金属が顔を覗かせ、生ゴミのような臭いが漂う。


 隼人は目を瞑って自分の無事を祈りながら、叫ぶ―――


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……」


 金属が首に差し掛かり、血が垂れかかった時――怪物は吹っ飛んで壁にめり込んだ。


 全く音がしなかった為、隼人は困惑して目を見開いた。

 怪物の触手は痙攣し、鋭利な金属はしまわれ、ブクブクと顔らしき所から粘液が漏れ出す。


 そして怪物をいなした主が、仁王立ちしているではないか。


不滅の龍騎士エターナルドラグーンでありながら、何という有り様。見損なったぞ」


 舞は腰の柄を撫で、黒髪を靡かせる。その姿は救世主そのものだ。


「…あぁ」


 隼人は久しぶりに見た人間に安堵し、顔を緩める。


 一方舞は隼人の股間に冷ややかな目を向けているではないか。

 なんと隼人のズボンの色は紺から黒に変化していた。慌てて隠そうとするも、動かない手足では隠蔽は不可能。

 今更隼人がどうしたところで失禁した事実が揺らぐことはないのだが……


 ふと、怪物は舞を目掛けて体を振り下ろした。先程まで舞が居たはずの場所は楕円形に一人分めり込む。驚くべきことに部屋は瓦礫を排出せず、粘土のように形を変えただけである。


 ぺちゃんこになったかと思われた舞は、いつの間にか怪物の背後に回り込み妖刀を抜く。

 怪物は視覚という概念が無いのか体の向き的には回避不可能と思われた太刀筋を、白刃取りした。しかし取ったところから紫炎が顔を覗かせ、触手を焼く。


「ヴヴヴゥ!」


 怪物は煮えたぎって唸る。


 すぐさま撃ち合いに発展した。妖剣の太刀筋が部屋を満たしていく。怪物は紫炎に焼かれながらも抵抗し、身体がみるみるうちに焦げる。燃え盛る怪物によって煙が立ち込め、磔にされていた隼人はなすすべなく煙に呑まれて咳き込んだ。


 ――尚も隼人の双眸は舞を捉えて逃さない。


 今までこんなヤツにお目にかかったことはない。舞の俊敏な動きは人外まで達しており、ただ感嘆するしかない。


 一手、また一手と怪物に迫る舞の演舞は壮観だ。煙の中で輝く妖刀ムラマサ。まさに花火の煙中で輝くロケット花火。


 怪物の触手が切り刻まれ蛍光の粘液がばら撒かれて焼ける。しかし一瞬で伸びてくる。止まらない回復をものともせず、舞は斬りかかる。


 舞が創り出す世界に、いつしか隼人は恋い焦がれていた。身を乗り出して世界を体感しようとすると―――


 怪物から悍ましい目玉が生え、隼人の方を向いた。その目は死を誘うかのような赤銅色をしていたが、パッと粘液に飲まれて消えた。

 隼人は電気が走ったかのような刺激を受け、ここが入ろうとした世界との隔たりを痛感する。


 舞はその瞬間を見逃さなかった。

 ―――眼帯を引きちぎり、露わにした瞳。本来白目であるところが漆黒となっており、瞳孔は月のように発光する黄金。正に隼人が思い描いていた龍の瞳そのものであった。

 そこから閃光が発射され、視界が真っ白になり爆風が響めく。


 しかし、隼人の瞼は閉じることを知らず、そこにいるであろう舞を見つめたままだ。


 光が止むと上半分が無い怪物が顕になった。もうタコの頭を包んでいた部分は跡形も無くなり、残ったのは触手のみ。回復機能は殆ど失われ、ピクピクと震えて紫炎に焼かれるがままとなっている。


 隼人が、舞が、勝利をもぎ取ったと思った最中―――怪物も勝利を確信する。


「うっ……!」


 怪物は死角から出した触手で隼人の首を締め上げた。そして触手で囲い込み、硬質化。隼人が触手に爪を立て脚をばたつかせるも、びくともしない。


 舞は一瞬だが、隼人に気を取られた。


 怪人は舞の隙に勘づく。

 衝撃波がどよめき、舞は触手に吹き飛ばさる。舞は壁にめり込んだ後、鮮血と共にずり落ちた。


 力なく倒れ込むその姿を、隼人は鼓膜から血を垂らしながらも理解してしまった。舞は負けたのだ…と。


 隼人へと、舞へと、怪物により再び生成された鋭利な刃が突き刺さろうとする――


 しかし舞は闘志を失っていなかった。両眼を駆使し、龍のごとく怪人を睨みつける。


 息が絶えつつあり、視界が赤く染まる隼人も、まだ生への執着はある。隼人の脳裏には、家族でもなく、友人でもなく、舞が映っていたのだ。


 舞と隼人の目線が繋がった瞬間―――

 隼人の右腕が破け、蛇のようなものが現れた。蛇は口を肥大化させ、龍のようになって怪物の頭部を飲み込んだ。ぶくぶくと泡立ち、頭部が液体へと帰っていく。触手からは力が抜け、スライムのようになってしまった。

 代わりに隼人の右腕は青い血管が浮かび、沸騰する。

 しかし変な腕はそのままで、痛みが来ることはない。自分の腕であるのに他人の腕であるかのような感覚だ。


 それでも怪物は諦めない。一つの触手へと全神経を注ぎ込み、獲物へと迫る。

 隼人はそれに合わせて、頭突きした。


「――――ッ!」


 頭突きとは思えない衝撃が怪物へ伝わり、触手が爆ぜて粘液が散らばる。

 代償として隼人には意識を失うほどの痛みが来るが、隼人の頭部は依然として付いたままである。


「流石不滅の龍騎士エターナルドラグーン!秘めていた力をこの窮地解き放つとは。妾が見込んだかいがあった」


 先程までのことは無かったかのように、舞は大興奮だ。しかし出血は依然として止まっていない。舞は血を滴らせながら隼人へ近づく。


「こいつは…死んだのか?」


 怪物の身体は溶けてきていて、褐色の肌が蛍光緑の粘液へと帰る。驚異的な回復力を誇っていた怪物としては、呆気ない最期である。


「死んだな。核の損傷を確認した」


 舞は粘液を脚で突っつき、興味なさげに言い切った。

 これまでも舞は怪物に対して一切の感情を抱いていない。本当に興味がないからだ。故に舞が見ていたのは戦況で、怪物ではない。隼人はそれを不思議に思うも声には出さない。


 溶け切ったアイスのようになってしまった怪物の前を、磔になっていた隼人は見つめ続ける。自分がトドメを刺したのに、どこか他人事だ。


 舞は妖剣で隼人を拘束していた金具を消し炭にした。驚くべきことにその紫炎は、隼人を焼くことは無かった。それがこの剣を妖剣たらしめる原因であろうか。


 無論隼人は苦痛を感じていないので、気づかすに顔面から床に落っこちた。


「―――!?」


 大の字になって全体に粘液を喰らう。しかし粘液がクッションの役割をした為、これといった怪我はしていない。

 以前とは違い生ゴミのような味はしなかった、無味無臭のただの液体だ。間違いなくこの液体は生きていない。そう思うと切なさが込み上げて来る。


 程なくして顔を起こすと、眼前ではしかめっ面の舞が腕組みしているではないか。


「何をしておるのじゃ。生態反応を新たに感知した。早く行かんと今度こそ食糧になるわい」


「うぉ!?」


 舞は隼人をボールのように蹴って腕に収めた。丁度鳩尾を蹴られた為咳き込むも、抗議する間もなく舞は隼人を抱えて走り出す。


 物凄い風圧で、隼人の口は風を含んで靡く。

 球体の側面で弧を描く舞は、物理を無視して宙を駆ける。


「口を閉じろ」


「へ?」


 舞は静かにそう言うと、ドロップキックで壁を突破する。しかし壁は瓦礫を排出せず、二人は吸い込まれてどこかにこぼれ落ちた。おかしなことに二人が出てきたのは地面の方だったようで、突然の天変地異によって重力に殴られる。


 ハッと目を開けると、煌びやかだが無機質な宇宙船の通路が、延々と続いているではないか。側面では配線やライトが絶え間なく動いている。しかし、それら全ての色は純白でクリスマスツリーのような煌びやかな感じではしない。


 舞の忠告に反応できた筈はなく……舌を噛んだ隼人は口を抑えている。血が口内で飽和し、鉄臭い。耐えきれず血を吐いた。純白が汚され、壁が泣くように唸った。


「やめろ。見苦しい。すぐそこまで敵が来ているのだぞ。気を引き締めろ」


 舞はふらつきながらも凛々しく前を向いた。瞳は通路の先ではなく、未来を見据えているように思える。隼人はこの時彼女を信じるとの決心がついた。根拠はないが、自分の運命を預けられそうなほどの強大な力を感じたのだ。


 信じると決めた途端に、脳の質問が溢れた。言語化が間に合わない質問もあり、脳が渋滞する。

 少し安心した故に、頭に血が巡ってきたからだろうか。


 舞が言う“敵”とは何なのだ。先に戦ったアイツ。隼人と舞に明らかな敵意を向けていた点において敵であることは確かだ。しかし狙いは分からない。アジトに連れてこられたと思ったら殺されかけたのだからな。ここまで行き着く暇もなかった為、考えを放棄してことが仇となっている。ならばこの有識者に質問しようではないか。


「何を考えておるのじゃ。そなたは妾のみを考えておればよい」


 隼人の考えなどお見通しなのか、舞は厳しい目つきを向けた。

 そして今度は鳩尾ではなく、地面を強く蹴って、バウンドした隼人を抱きかかえる。まるでトランポリンをしているようだ。


「ちょ、まっ……」


 そして凄まじいGがかかり、舞という名のジェットコースターは発進する。


 どこまで行っても変わらない空間を感じながら、二人はあらゆる法則を無視して突き進む。目や口をビロビロさせて風圧を体感している隼人は、全て夢のように思えて仕方がない。首を回すと舞の横顔が視界に入った。


 舞は確かに口角を上げていた。

 しかし隼人は舞の笑顔の所以を知らないため、狂人なのかと先程の信頼を捨てかける。


 不意に前から閃光が飛んできた。舞は腰を屈めたり、飛んだりして回避していく。その忍のような動きに一般人が耐えられるはずもなく……隼人は胃が浮くような感覚がした後、目の焦点が合わなくなった。


「「「「タイショウヲカクニン。ゲイゲキスル」」」」


 先刻相対した怪物のクローンが増殖し、道を塞いでいるではないか。


「振り落とされるなよ!」


「!?」


 舞が地面を強く蹴ると重力が反転し、先程まで天井だった場所を二人は駆ける。怪物たちには重力反転は適応されず、隼人からしたら彼らが逆さまになったようだ。

 怪物の頭部の間を二人は器用に抜けた。その間も迸る閃光を躱し続ける舞。当たらなかった閃光は壁に吸い込まれて、配線の光が増殖していく。


 怪物の鉄壁を突破した二人は、今度は重力の法則に則り落下。舞は猫のように体を使い、見事に着地。

 隼人は目まぐるしく変化する状況についていけずに、嘔吐してしまう。あまりの速さに吐瀉物は置いてけぼりなって、怪物へ降りかかった。しかし怪物はものともせず、吐瀉物を取り込んだではないか。


 怪物たちは逃すまいと触手を迸らせる。舞は逆に自身に向かう触手にノールックで飛び乗り、触手と共に加速した。

 怪物の閃光の量は増していき、最後の猛攻であることを隼人は悟る。

 そしてこの不思議な現象が終わって欲しいのに、終わって欲しくない…矛盾した感情を抱いた。


 舞は蛇行して閃光を見事に避け、さらなる触手へ飛び乗り、


「出るぞ!」


 とマジックミラーになっていた通路に突進した。

 延々と続いていたように思えた通路に終わりがあったことに気づくこともなく――隼人は目を瞑った。



 次の瞬間二人は全てを突き抜けた。


 ―――宇宙船から放出され、久方ぶりの外気に飲まれる。浮遊感に襲われ頭がぐわんぐわんする。


 更に目下には水面が―――


「うわぁぁぁぁぁぁぁ―――!!」


 隼人は舞の腕から開放され頭から入水した。体のあらゆる穴から水が入り沈み、絶え間なく苦痛が来る。

 そのままに目を開けると、そこには同じくして入水した舞が苦しそうな顔をして藻掻いているではないか。


 隼人は無意識に足と手を円を描くように回し、水面に顔を出した。初めて水泳をやっていた自分に感謝することとなった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 息を整えながら、視界を遮断していた前髪をかきあげると、ここは現実世界の夜の川であった。

 土手には草木が生い茂り、建設中の護岸ブロックが見える。

 ここは今朝、新生活を夢見て歩いていた地であり、一旦安心だ。


「あ、あいつは……」


 見回しても舞の顔はどこにも見当たらない。それどころか、怪物の巣と思われる宇宙船?も見当たらない。


「まさか…」


 隼人が再び潜ると、薄っすらと人影が――

 そこには目をカッぴらいて悶える舞がいた。


 隼人は全力で潜水し、舞の腕を掴み引き上げる。


「大丈夫か!?」


「かはっ!げほげほげほげほ……」


 空気を取り込んだ舞は咳き込んで、更なる酸素を求める。隼人は驚くほど軽い舞を、草むらに押し上げた。舞は力なく転がって呼吸をする。

 隼人は大心配して顔を覗き込んだ。今まで前例がないほどに、舞の顔は青ざめていた。


 あたふたしている隼人を向いて――舞は、

「大義であった」

 それだけを口に出した。


 隼人はその言葉が遺言にしか聞こえない。


「大丈夫かよ!」


 もう一度しっかりと見つめた。舞は虚ろな目でも、しっかりと隼人を捉えている。そして荒々しい呼吸が伝わってきた。


「心配せずとも妾もそなたも生きておる。安心せい。そなたは世界を救ったのだ」


 舞はいつもの調子だが、笑顔で答えた。


「……よかった」


 隼人は素直に舞の言葉を受け入れ、舞の手を掴み頬に当てた。冷たいけど、確かな温もりを感じる、不思議な手だ。


 突然舞は股間目掛けて脚を振り下ろした。隼人は「あ゛!?」と言って股間を押さえる。


「たわけ、誰が妾の美しき手を堪能して良いと申した」


 舞は怒っている訳でなく、むしろ歯を輝かせて笑っていた。どこか満足気な表情が隼人の何かを満たしていく。


 そしてどこか抜けている舞がおかしくて、隼人はゲラゲラと笑った。今まで誰にも見せたことのなかったこの笑いは、止まることを知らない。


 そして舞の手をとって、これでもかと頬に押し付けた。今度は舞が手を振り払わせることはなかった。その手はまるで妻の手のように繊細である。


「何か分かんないけど面白いな。何でだろう。死にそうだったのに」


 隼人は笑いをそのままに話す。


「妾と命運を共にする者が、これごときのことで死ぬわけなかろう。妾の力を、そしてそなたの力を過小評価するでない」


「お前が死にそうだったんですけど――?溺れてましたよね?」


 隼人はニヤニヤと舞の手を小突いた。

 舞は堪らず振り切り、そっぽを向いた。


「あれは溺れていた訳ではない。隼人の助けを待っておったのじゃ。だから言ったであろう?『大義であった』と」


 明らかに強がった回答に隼人は、大口を開けて笑った。


「こんなことってあるんだな。俺ら宇宙人に会っちゃったぞ?」


「あれは宇宙人などではない。秘密結社ギラ・ユニオンの戦闘員である」


 真顔で言い切る舞が、隼人は面白くて堪らない。どこか酔っているような感覚だ。


「よく分からなかったけど、楽しかった…な?」


 隼人は舞と同じくして八重歯を見せた。


「そうであろう。妾といるだけで充実した時間を過ごしているのである」


 舞らしい素直じゃない物言いが、隼人には温かく感じられた。


「……ありがとな」


 隼人はぼそっと呟いて、夜空を見上げた。先程まで暗闇だったこの地が、満月によって神々しく照らされる。隼人には満月が自分たちの為だけに顔を出してくれたと思えた。


 隼人のつまらなかった日常が、色づいていく―――



















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