第一章④ 『遅刻の言い訳って何がいいと思う?』

「遅れてすみません!」


 隼人と舞が教室に駆け込むと、数学の授業が展開されていた。教師は書きかけの数式をそのままに、隼人たちを見定める。生徒たちも舞と隼人を見つめる。そのまま沈黙となり、隼人はどうしてよいのか分からず下を向いた。


「けしからん!」


 すぐさま教団に立っていたハゲに怒鳴られたのはありがたい。

 隼人はビクッとして「はい!」と返事をした。それを皮切りにして説教が始まる。


「何が『はい!』だ。みんなの時間を止めている自覚はあるのか!」


 生徒らは数学に飽き飽きしていたのが一変。楽しそうだ。説教の中で『ラブラブ夫婦〜』『重役出勤〜』『朝からデートですか〜』と囁いてくるので、隼人は恥ずかしくて堪らない。どうやら隼人と舞は夫婦判定らしい。


 隼人の学校生活はお先真っ暗だと思われたが、変な意味で充実したものになるかもしれない。友達?とともに遅刻し、先生に怒られ、クラスメイトから話しかけられ……文面だけ見ると、楽しそうではないか。だが、隼人は思っちゃいない。新品のブレザーで手汗を拭う。

 舞は疲れたのかカバンを下ろした。


「…お前らのためを思って言ってるんだぞ!聞いているのか!特にそこのお前!」


 ハゲは鬼の形相で舞を指さした。


「はい?」


 興味なさそうにツインテールを指に巻き付けていた舞は、舐めた顔ではげ頭を見た。癪に触ったのか口調がヒートアップしていく。


「だからだな―――」


 ハゲの熱弁は舞には全く響かない。舞は掃除用具入れにもたれかかった。オンボロのペンキが少し剥げて、舞のブレザーを汚した。


「で?何じゃ?妾の貴重な時間を割いてやっておるのだから、もっと妾を楽しませろ、凡愚」


 舞の生意気であり得ない物言いに、ハゲは顔を真っ赤にし、クラスメイトは歓喜した。


 ―――やがて反省の意を示さない舞に疲れたのか、怒りの矛先が他の者に向かう。


「何をニヤニヤしとるんじゃお前ら!この問題は彼らのみへの問題ではない、クラスの問題じゃ!」


「なんですか〜。僕ら何も悪いことしてませんけど〜」「理不尽じゃないですか。PTAに言っちゃいますよ〜」「先生も人のこと言えないんじゃないですか〜。今日授業に遅刻しましたよね?」


 舞に同調したのか、恐れを知らない少年少女らは舐めた口で教師に歯向かっていく。


 そのまま授業は延長戦となり―――気がつけば午前が終わっていた。今日は午前で学校が終わる予定だったのだが……全員疲れ切っているが、誰も引かない面倒な事態となっている。このクラスには頑固者しかいないのか。

 教室外では心配気に担任が見守っている。殆どのものがその眼差しに申し訳なさを感じる。


 そんな中、終止符が打たれた。


「この度は申し訳ありませんでした。先生だけでなく多くの仲間に迷惑をかけてしまったことを痛感いたしました。これからは全てのことを他人事ではなく自分ごとのように考え、学業に勤しむ故、この場は僕達が悪かったということで謝罪させていただき、授業を締めくくりたいと思います。この度は、大変申し訳御座いませんでした!」


 そう言いながら隼人は舞の頭を掴み、一五〇度の礼をした。舞はすぐさま手を振り払うも、礼をしてしまった事実は変わらない。


「お〜」と説教にげんなりしていた生徒らから、拍手がおくられた。


 隼人の長々とした謝罪により、説教は半ば強引に閉じられた。ハゲはまだなにか言いたいことがあったようだが―――教室外からの視線を感じ、断念する。


「……お前たち、仲間を大切にしなさい!」


 ハゲは置土産を残してそそくさと立ち去った。さり際に落としたボールペンを誰も指摘しないのは、もう説教はうんざりだという一同の思いの現れだ。こうして遅刻の是正から始まった論は意味不明な集結をした。



 そして斉藤が入れ替わりで入ってきて、隼人と舞を連れて行った。


「帰りのホームルームは副担任の方がしてくださいます。少し待っていてください」


 いつの間にか外の教員が増えており、皆このクラスは厄介そうだとため息をつく。既に授業をした他クラスよりも圧倒的に鼻っ柱の強いクラスだ。そんなクラスを受け持つことななった斉藤の心労はいかがなものか。


 邪魔がいなくなった教室で、クラスメイトたちの憶測が飛び交う。昨日もこのような論争はありはしたが、二人で重役出勤とは判断材料として十分だ。もちろんのことクラスメイトは今朝の二人の活躍を知り得ない為、いちゃこらしてきたと思っている。


「あいつら夫婦揃って遅刻とか仲良すぎだろ」

「夫婦って本当なの?まだ結婚できる歳じゃなくない?」

「キスしてたんだから間違いないだろ!」



「―――静かにしろ」


 一瞬で空気が凍りついた。扉を静かに開いて入ってきたのは、猟師のような男。二メートル程の巨漢で、顔には深い皺が刻まれている。その唯ならぬ雰囲気に生徒らは本能的に勝てないと感じた。一斉に口を慎み、背筋を伸ばす。


「俺は学年主任の井の頭だ。今日は午前中のみだったが、明日は午後もあるから弁当を忘れぬように……」


 無駄を嫌う井の頭はいつものように業務連絡を滞りなく遂行する。ただ業務連絡をしているだけなのに、この威圧感は何なのだろう。本当に誰か殺してそうな目をしている。


(目を合わせたらお終いだ…)

 そう思いつつも話を聞くときは話者の顔を見なくてはならないのも事実。生徒らは井の頭の背後の黒板を見つめてやり過ごす。その間も姿勢に手を抜く者はいない。


 怯えながら話を聞くにつれ、もう隼人と舞のことは頭から薄れていった。


 井の頭が一分程度話した後、退出した。生徒らは井の頭が十分遠くに行ったのを悟ると、一斉に肩を撫で下ろす。時間にしては一分でも、体感としては十分だった。殆どの生徒がそう感じる。


 こうして一年一組の帰りのホームルームは終了した。


 ◇◇◇


 一方、ことを起こした主犯らは教師に連行されていた。舞は最初は抵抗していたが、斉藤に敵わないと知ると大人しくなった。あの怪物と渡り合った女を大人しくさせるとは…斉藤は強いと称えたい。しかしどういうことか、舞は戦場以外では女子高生程度の動きしか出来ない。もとより女子高生なのだが……隼人は不審に思って尋ねようとしたが、斉藤のいる場ではことが拗れそうなので口をつぐむ。変身ヒーローの中身が一般人であることのような感じだろう。


 やがて辿り着いたのは生徒指導室。古ぼけた表札からは、この学校の歴史が伺える。

 その中に入れられ、斉藤と対峙する二人。大型のテーブルが中央にあり、それを囲うように棚が設置されていて圧迫感がある。

 隼人は生徒指導のお世話になったことがないので、ソワソワして手を摩る。舞はこれまた生意気で、中に入った途端手前の椅子にどすんと座った。注意されるかと思いきや……斉藤は気に留めることはなく、隼人にも着席を促した。


 これからこの優しい先生が顔を顰めるのを見るのだろうか…隼人は黙りしてその時を待つ。


 そして斉藤は口を開いて――


「あなたたち…大丈夫?」


 と心配から入った。


 てっきり叱責を喰らうと思っていた隼人は、拍子抜けだ。


「どうして遅刻しちゃったの?」


「それはギラ・ユニ……」


 隼人は慌てて舞の口を塞ぎ、代弁する。


「ちょっと田んぼで転んじゃいました!」


「怪我はない?」


「はい!」


 実の所怪我はしていた。しかしよく分からないが、一時間もしたら傷がすっかりなくなっていたのだ。実際隼人のグロテスクだった右腕はサラサラ艶々で、傷一つない。一昨日あった切り傷も、綺麗さっぱり。そのことについて舞が言及しない為、原因は分かりやしない。隼人は思いたくもないが、魔法であると推測している。


「米農家の方から、田んぼを荒らしたと連絡があったのだけど……」


「……」


 ここは米荒らしとした方が都合が良いかもしれないが、心象は悪くなる。実際隼人たちは米荒らしなんてしちゃいない。と言っても信憑性に欠けるが。


「妾はやっておらん」


 舞は腕と脚を組み言い張った。どこまでいっても尊大な態度は変わらない。


「…私もあなたたちのこと信じたい。けど、農家の方から連絡があったのよ。後日、先生と正式に謝罪に行きましょう」


「だから、妾はやっておらん。むしろあの農民を助けたのだ。それなのに妾たちを責めるとは浅はか極まりないな。教師というものは、皆こうなのか?」


 斉藤は流石に頭に来たようだが、大人の理性で抑え込む。


「「……」」


 もう斉藤は舞に構うのはやめ、隼人の方を向き直した。


「それと、数学の柳田先生に無礼を働いた件については、ここで反省文を書いて頂いて罰とすることとなりました。さあ、書いてください」


 二人に原稿用紙と筆記用具が配られた。反省文など書いたことない隼人は頭を悩ませる。一方の舞は慣れた手つきで筆を滑らせ、名前と題名を書いた。

“『反省文』 新保舞”と。

 横目で見ていた隼人は舞の慣れた手つきに感嘆すると共に、どれだけ反省文を書かされたんだと驚く。


「さあ、早く書き終えて帰りましょう。お腹、空いているでしょう?」


 時刻は既に午後一時を回っており、三人は腹ペコだ。本当なら今頃家であったかいご飯を食べていたはずなのに……と隼人は悲しく思う。

 一方斉藤は、家に帰っても一人で寂しい思いをするだけなので、ずっと反省文を書いていてほしいとさえ思う。三十路を過ぎた未婚の女は、幾度となく寂しさを味わっても慣れることはないらしい。


 それから隼人も舞を見習って文章を進める。意外なことに、舞は文章内では素直で優しい生徒を貫き通している。筆跡はいい加減だが。

 道徳だのを書き連ねている舞の顔は、どう見ても反省していない。

 舞のを書き写してもしょうがないので、隼人は筆が止まった。それらしい言葉が思いつかない。


「…自分の申し訳ない気持ちを、素直に書けばいいのよ」


 そうは言ってもなぁと隼人は内心ほざく。反省文など一時の謝罪にしかならないと邪心が湧いて、もう何も思いつかなくなった。


 舞ももうネタ切れなのか、既に書いていた漢字を平仮名に直し、字数稼ぎをする。


「そうは言っても…反省って難しいわよね。先生も、昔沢山書いたから、知ってる」


「先生が?!」


 隼人はヤンチャだった先生を想像しようとするも、出来ない。先生の優しい顔が、瞼に染み付いてしまっているのだ。


「そうよ。私はどうしようもない子だった。…けど、あの時は楽しかったわ。あなたたちもそうなんじゃない?」


 斉藤は生徒らに子供みたいな笑みを見せた。


「戸塚君も、新保さんも、今を大切にね。高校生活は人生で一度きりなんだから。目一杯楽しまないと」


 先生の目に憂いがあることに、隼人は気づくも何も言わない。しみじみと人生の先輩からの言葉を噛み締めた。


「…厨二病ってかかっている時は楽しいわよね」


 斉藤は反応してくれない舞を遊ぶように言った。言葉の真意に気づいた者はいない。斉藤は少し寂しくなった。


 挑発に乗ったのか、舞は――


「妾がそんな安い病気に罹っているとでも?生徒の健康状態も測れないとは…教師としてどうなのじゃ?」


 どうやら舞は自覚のないタイプの厨二病だったらしく、ダメージゼロ。しかし斉藤は舞の反応が嬉しくて、「ふふっ」と笑った。  

 この時斉藤はこれだから生徒は大好きなの、と心の底から感じた。自分の持ち得ないものばかりを持っている彼らが、羨ましく、誇らしい。


「今しか味わえないことを、しっかり噛みしめることね」


 そう言う斎藤は、どこか切なそうにしていた。


 三人の貴重な時間は、鉛筆のすり減りと共に過ぎ去って行くのだった。


















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