第二章 『元?厨二病の集い』

プロローグ 『私を私たらしめるもの』


 私はいつしか、【本当の自分】というものを見失ってしまった。

 いや、【本当の自分】ははなから存在しないのかもしれない。ただ私は、あの時だけは【本当の自分】なんだって思い込むことが出来ていた。それだけのことだった。



 ◇◇◇



 私は小さい頃、自信が全くなかった。それを体現するかのように、俯きがちで猫背だった。猫ちゃんと呼ばれていたこともあったなぁ。

 だから、他人の目を気にして、良い子であろうと努力していた。そうするとパパやママが褒めてくれる。それ自体は喜ばしいことだった。


 でも、どこか自分を押し殺してたと思う。最後の一つは必ず誰かに譲っていたし、遊具の順番は必ず最後だった。でも、不満に思うことはなかった。別にどうでもよかったから。……つまらない日々を繰り返していた。


 ―――変わったきっかけは、ほんの些細なことだった。でも、鮮明に覚えている。


 ある日の夜、私は眠れなかった。なんとなく目が冴えていた。今思うとそこが転機だった。

 することもないので、両親が寝静まったのを見計らってリビングに行った。始めは真っ暗で何も許さないような部屋が怖かった。昼間は私を暖かく包んでくれるのに。電気を付けてもよかったのだが、お利口さんなので二人を起こさないようにと付けることはかなかった。

 私は暗黒と同化するように、暗がりで本を読んだ。殆ど見えなかった。見えたとしても、私は文字を読まなかっただろう。ただお利口さんとしての、建前が欲しかっただけだった。お利口さんは、いつでも利口でなくてはならない。

 読んでいたのは、子供向けのつまらない童話集だった。何度読んでも内容は頭に入って来なかった。


 しばらくして寝床に行こうとした時、リモコンを踏んづけてしまった。チカっとテレビが発光し、私の瞳を刺激する。


 そのテレビに映し出されたのは―――私の英雄だった。


『妾は大瀑布から至った、世界を終焉へと導く悪魔、リリアンじゃ。妾と相対したからには、死んでもらうぞ。たわけ』


 露出の多すぎる服を着た、ナイスバディのお姉さん。トレードマークは十字架の入った眼帯だ。そこにリリアンという私によく似た名前――運命を感じた。


「かっこいい……」


 私はそれからテレビに齧り付いた。

 彼女は人間とは比にならない知識量と美貌を兼ね備えながらも、傲ることはなかった。どこまでも謙虚で、誠実だった。憧れを抱くのには十分だった。


 馬鹿な私は、彼女のマネをしたら彼女のようになれると錯覚していた。それからは良い子をやめ、リリアンになろうとした。毎日リリアンを見て、リリアンを学んだ。十字架の眼帯を付け、包帯を巻いて、武器を持った。そうしている時だけ、生きているようだった。

 ―――そして本当に楽しかった。最高だった。満たされていた。やがて自分に自信が持てるようになった。その頃には、あんなに酷かった猫背は、反り腰にまで到達していた。


 学校では当然浮いた。興味を持って近づいてくる輩もいたが、私が芯からおかしいことを知ると離れて行った。これでも、私は自分がおかしいことに気づけなかった。

 誰にも認められずとも、リリアンになろうとし続けた。やがて、リリアンになってきたと錯覚し始めた。言動はどんどん不可思議になっていき、自分はかっこいいと本当に思っていた。

 ―――でも、この時が一番幸せだった。




 次なる転機が訪れたのは、中学一年生の時。桜が咲く季節だった。


 私は浮かれていた。リリアンの他に、好きな人が出来た。隣のクラスの早川君。如何にもなイケメンで、いつも周りに人がいる学校随一の人気者だ。彼のことを好きな子はわんさかいた。私は彼が羨ましかった。しかしそんなことは口には出さなかった。リリアンは他人を羨まない。

 羨む代わりに、私は早川君が好きになった。なぜ好きになったのかと言われると困る。自分でも説明が付かないのだ。


 程なくして私は告白し、振られた。そして心の底から涙を流した。リリアンの眼帯は、ボロボロになった。私は彼は私を選んでくれる、自分は他とは違う、かっこいいんだという自信を、リリアンから得てしまっていたのだ。


 振られた時の言葉を、今でも覚えている。


『ごめんね…そんな変な子とは、付き合えないや。……そろそろ現実見た方が良いんじゃない?』


 今思うとなんて無神経なやつなんだろう。しかしこの言葉は今後の私を形作る重要なピースとなった。


 私は【リリアン】を、きっぱりやめた。リリアンに関するものは、全て処分した。心が悲鳴を上げた。毎日が苦しかった。

 苦しい日々を終わらせるべく、私は【優等生 如月梨々花】になった。こうしていると、皆が良くしてくれた。私にあまり構わなかった両親も、私に興味を示すようになった。

 揃って『昔の梨々花に戻ってくれたんだね。嬉しい』と言った。私はそれのどこが嬉しいのかさっぱり分からなかった。


 皆『ありがとう』とか、『嬉しい』とか、私に言ってくれるようになった。早川君も、私に『可愛い』と言ってくれた。でも、嬉しくなかった。

 皆が好きなのは【私】じゃなくって【優等生 如月梨々花】だと分かったから。私は心にぽっかり開いた穴を塞ぐことが出来ずに、無駄な日々を過ごしていった。


 その中で多くの人々に告白された。その時に、【優等生 如月梨々花】って可愛いんだなぁ、と密かに思った。しかし嬉しくはない。相変わらず、私は好意が向けられてるのは自分じゃないと思っている。このことは金輪際変わらないだろう。


『好きです。付き合ってください!』


 私に好意を向けてくれていること自体は良いことだと思う。しかし【優等生 如月梨々花】は誰かのみに肩入れすることは出来ない。常に誰かの手を握れる状況でなくてはならないのだ。そして私は彼を好きではない。正確には何の感情も抱いちゃいない。興味が湧かないのだ。

 私自身、なんで早川君に興味を持ったのか分からない。恋ってそういうものであろう。


『ありがとう……でも、ごめんね。君とは友達でいたいな。私は皆と仲良くしたいから』


 常套句で華麗に切り上げ、颯爽と立ち去る。背後からは声を殺して泣く声が聞こえる。聞きたくもないことまで拾う、この都合の悪い耳をどうにかして欲しい。


 このように、私は皆と仲良くしたいからという名目の下、何人もの男を振ってきた。


 どれも純粋に私に好意を向けてくれる、当たり障りのない人だった。残念なことなのか、私はそいつらのことをあまり覚えていない。心に残らないんだ。

 思えば、リリアンと別れてからは、好奇心が鳴りを潜めてしまった。楽しい、ということが分からなくなってしまった。そういう時は決まって、告白してきた人たちを、思い浮かべてみる。そして好きになろうとする。でも出来ない。彼らのことを、頭が覚えていないから。


 でも―――だだ一人、鮮明に残っているやつがいる。


 そいつは、十字架が描かれた眼帯、右腕には包帯とハンドカバー、腰には刀をすえていた。その十字架はリリアンがしてたのに似ていた。忘却させていた記憶が、微かに蘇る。


『我の名は漆黒の執行人、戸塚隼人。そなた――如月梨々花は温厚で、誠実。そして麗しい』


 隼人は私の顎を掴み、目と鼻の先まで引き寄せる。瞳には自信が満ち溢れている。私はそれが酷く気に食わなかった。

 その反面、肌が荒れていて目やにが付きっぱなしだ。――なんてブサイクで、カッコ悪いんだろう。


『―――よって我の奥方に相応しい。受け取ってくれないか?』


 なんと渡されたのはチープな指輪。ご丁寧に私のイニシャルが彫ってある。これは最早プロポーズでは?

 悍ましい。そして恥ずかしい。まるで昔の私を見ているようだった。その反面、私は彼が羨ましかった。自分のやりたいことをやっていて、ズルい。誰にも認められなくたって、自分を貫いている。


 ―――だから、言ってやった。


『ごめんね…そんな変な子とは、付き合えないや。そろそろ現実見た方が良いんじゃない?』


 無意識に、早川君と同じことを言った。それ程彼の言葉は私の芯に届いていた。


 隼人は意気消沈する。自分の持っていた根拠のない自信を、一瞬で失ったんだ。

 灯火が消えた瞳は、それでも尚私を写し続ける。

 隼人は死んだ顔をしていた。世界に否定されたと思っているようだった。

 ああ、私もあの時、こんな顔してたんだろうな。

 ああ、心が苦しいな。こんな気持ちになるのは初めてだ。男を振ってやるせない気持ちになったことなんてなかったのに。

 早川君も、苦しかったのかなぁ?


 ―――私は背を向け、歩き出す。去り際にあの指輪を踏んづけた。


『さようなら、過去の記憶―――』


 こうして私はリリアンに、隼人に、本当の意味で蓋をした。




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