第一章③ 『掃除機の吸引力って案外弱いんだね』

 昨日は長い夢を見ていたような気分だった。


 戦いの勲章であった右腕の傷は跡形もなくなって、ついでにニキビも消えた気がする。龍が出てきたことはウソではなかろうか。


 舞からことの説明なんてなく、疑問でいっぱいのはずなのに……隼人は満たされた気分である。ずっと何かを渇望していた心が、一気に充足した。


 そして普通人に戻った隼人は、いつぞや振りの清々しい朝を迎えていた。目覚まし時計にも、母親にも起こされることもなく、目はパッチリしている。


 カーテンを開けると、いつもは図々しく感じていた太陽が迎えてくれた。


「おはよう太陽!」


 ルンルンの隼人がリビングに向かうと、いつものように、父は新聞を読みつつコーヒーを嗜み、母は洗濯物を畳んでいる。流しっぱなしのニュースは、春の陽気到来と意気揚々に謳っている。



 そう、隼人というたった一人の人間が変わったとしても、世界は変わらず回り続けるのだ。


 しかし一人の人間が世界に確変をもたらすことだってある。昨日隼人は人類を脅威から救ったのだ。

 そのことを両親に言わないのは、心配させぬ為でもなく、恥ずかしい為でもなく……いいことは逆に秘密にしたほうがカッコいいという、こじらせている自我の為だ。この自我は封印した筈なのに、なぜ漏れ出してしまったのだろうか。

 理由は明白。

 舞だ。隼人は自然と舞をカッコいいと思ってしまった、いや思わずにはいられなかった。彼女は素晴らしき恩人なのだ。そしてカッコいい者を無意識に真似するのは人間の性。


「おはよう父さん!母さん!」


 久しぶりに挨拶をされた両親は信じられない様子だ。


「世界を救うのって気持ちいな〜」


 微かに漏れた呟きを、両親は見逃さない。そして厨二病の再発を心配する。


 隼人は両親の焦心を知ることなくテーブルに着くと、そこには淹れたてのコーヒーが。いつもは砂糖マシマシで飲むのだが……意気揚々としている隼人は、それを一飲み――


“ピンポーン、ピンポーン!”


 突如背後で鳴った爆音のチャチムにより、吹き出す。父の顔面がコーヒー漬けになり、メガネが熱気で曇った。そして無言で固まった。


 この家のチャイムは壊れていて爆音なのをすっかり忘れていた。 隼人は父の心配なんてせず、口周りのコーヒーを拭った。


 その間も爆音はけたたましく家を攻撃する。


“ピンポーン、ピンポンピンポンピンポンピンポン―――”


 一回押せば良いものを、尋ね人は相当急いでいるのか、イタズラがしたいだけなのか……


「うるせー!」


 隼人がインターホンに怒鳴ると、見かねた母が面倒そうに会話ボタンを押した。


「出てきなさい。不滅の龍騎士!この生体反応が目に入らぬか!」


 甲高い怒号が飛び出し、全員耳を塞ぐ。インターホンの画面には、瞳を充血させた少女が。その間もチャイムは鳴り止まない。


「隼人、お客様がお呼びだから出てちょうだい」


 母は頬を引きつらせながら言った。


 少女の見た目だけで、隼人の厨二病仲間だと思い込んだのである。なにせ本日も舞は十字架が描かれた眼帯、右腕には包帯とハンドカバー、腰には妖刀を着用している。まさしく両親が見てきた厨二病の制服だ。

 まあ、同じアニメや漫画に影響されたのだろう。


 厨二病だとしても、隼人に友達が出来たことを母は喜ばしく思っている。

 朝っぱらから訪ねてくるのは止めてほしいが。


 ――隼人がインターホンを確認する頃には、舞はインターホンをぶん殴っていた。画面が揺れ、振動が音となって家に響く。


「はあ……」


 舞は何がしたいのだろうか。

 そもそも舞が人間かすら隼人の中では怪しい。なにせ昨日の舞は、隼人にキスして、怪物を切り刻み、宙を駆け、川で溺れたんだからな。

 隼人は口づけの感触を思い出し、顔が赤くする。あの柔らかさといったらもう…


 振り払うようにもう一度画面を覗くと――


「聞こえておるのか!早く出てこい!」


 再び怒号が来た。しかし隼人は外に出たくない。なんたって寝間着の上、盛大な寝癖があるのだからな。誰かに見られたら溜まったもんじゃない。寝癖を撫でてみたが、ピーンと逆だったままだ。


「隼人!そこにいるのは分かっているのだぞ。早く出てこい!さもなくばこの家を消し炭にしてやる」


 本当のこととは思えないが、宇宙人を焼き殺した経験のある女なので侮れない。あのけたたましい紫炎は、美しく、時に凶暴であった。今でも瞼の裏にはあの時の輝きが残っている。


 舞は始めから訳のわからない生き物だが、嘘を一切つかないのだ。ギラ・ユニオンは実在した。

(ということは、俺はコイツの良人なのか……?)

 隼人は嘘を一切つかないと思ったことを訂正し、多分嘘をつかないに格下げしておいた。


「早く出てもらっていいかしら……」


 母はいい加減面倒に感じたのか、隼人を追いやった。父は止まぬインターホンに耐えかねてトイレに避難する。


「……分かったよ」


 そして隼人はインターホンに向かって―――


「今から行くから待ってろ。くれぐれも俺の生家を焼かないでくれよ?」


 これはフリなんかじゃない。本気の忠告だ。


「全く何を惚気ておるのじゃ!こうしている間にも、どこかで被害が出ているのかも―――」


 隼人はうるさかった舞を終了ボタンを押して断った。

 そして申し訳ばかりのコートを着て、玄関に立つ。当然寝癖はついたままだ。


「「いってらっしゃい」」


 両親は隼人を忘れずにいつも通り見送った。隼人もいつも通り無視して飛び出して行った。




「……なんだか楽しそうね」


 母は玄関ドアを見つめて嬉しそうに言った。


「そうだな」


 父も頷く。


「昨日隼人がずぶ濡れなのに、満足気に帰って来たの覚えてる?」


「もちろん。隼人があんなに嬉しそうだったのは下手すると幼稚園以来じゃないか?」


「そうかもね。しかも今日も楽しそうな顔してたの。その理由はあのお客様じゃないかしら?」


「そうだろう。インターホンに写った彼女の顔を見た時、隼人は口角を上げたからな」


「さすが、隼人の父さんね」


「そういうお前も、さすが、隼人の母さんだよ。分かって言ってるんだろう?」


「さあさあ、朝の用意に戻りましょう。会社行く時間になっちゃう」


 母はニンマリとした後、玄関に背を向けた。父もコーヒーでずぶ濡れのまま続く。


「そうだ、コーヒーちゃんと拭いてよね?」


「あえて記念に取っておくのもどうかなって、隼人に友達が出来た証にね」


 二人は顔を合わせて笑った。


 その後も、おしどり夫婦の日常は平常運転で進んでいく―――



 ◇◇◇



「遅いぞ」


 舞は眉毛を吊り上げ、隼人を小突いた。


「朝っぱらから呼び出しておいて、どうしてそんなに大きい態度でいられるんだよ……」


「いくぞ」


 隼人はまた抱き抱えられると思い身構えたが、舞は普通にランニングし始めた。


「…普通に走るんですか?」


「たわけ、妾がいつでも手を余しているとは思うな」 


「はあ…」


 しかしランニングといっても結構なハイペース。運動不足の隼人はなんとか舞についていくだけで息が辛い。

 なのに従順に走っているのは、面倒くさがりながらも内心ワクワクしているから。昨夜の興奮が、まだ色濃く残っている。


 寝間着の少年に厨二病チックな少女は、傍目から見たらどんな風に映るのだろうか。今のところ散歩中の犬に吠えられ、中学生には笑われた。要するに二人は変人の類なのだ。


 五分ほど走ったであろうか。隼人が汗だくなのに対し、舞は爽やかに汗一つ掻いていない。前髪はガチガチで、風を許さない。


 もう隼人の体力の限界と思われた時―――舞は急ブレーキを掛けた。


「いたぞ!」


「ふぇ?」


 隼人は間抜けな声を出して、舞の見据える方を向いた。


 その田んぼには、黒サギに紛れて大きな木のような物体があった。木に大きな手を生やしたような物体に口が付いているといった具合だ。


「なんだ?」


 すると怪物は隼人の方を向いて、吸引を開始した。舞の前髪が崩れる程の風圧に晒される。これだけだと風が弱く取れるかもしれない。しかし舞の前髪は、そんじょそこらのことでは動かない鉄壁だ。


 怪物は手始めにコンバインを吸い込んだ。口で支えると思いきや、真っ二つに割れて見事に収納された。同時に胴が膨れ上がった。

 そして怪人の腹部が波打つ。コンバインは木っ端微塵となって、とてつもない破壊音が鳴り響く。


「うわぁぁぁぁぁ!!」


 命の危機を感じた隼人は覚束ない足取りで、逃げ出した。

 そこで吸引は再開される。お気に入りのコートが吹き飛んで、パジャマの青年が露わになる。


 隼人は吸い込まれつつも電柱にしがみついて耐える。


「なんなんだよ!」


『……シュショクヤゴ』


「主食ヤゴ!?」


 突然隼人の脳にぼそっと言葉が贈らた。それが他でもない怪人の名であったことを、知る由もない。隼人はびっくりして手を離してしまった。


「あ」


 隼人が吸い込まれるコンマ一秒―――舞は動いた。


 自ら吸引に身を投じ、怪物へと迫る。そして妖剣を怪物の吸引口に突き刺した。怪人に紫炎が立ち込める。

 強風が突如止み、宙にいた隼人は田んぼにめり込んだ。植えたての稲が根本から折れ、悲鳴を上げる。

 舞は突き刺した妖剣を抜こうとするも出来ない。怪物は刀を歯で受け止めたのだ。ギリギリと刀が音を立て、必死の攻防が紡がれる。


 結果的に舞が競り勝ち、もう一段階深く紫炎が沈んだ。

 耐えかねた怪人は、指を自在に操り舞を吹き飛ばす。尚も紫炎は刻々と怪物を焼く。身体を捩らせて悶えた。

 吹っ飛ばされた舞は水切りのごとく水面を駆け、電柱に激突する。


 電柱が傾く程の衝撃に、舞の骨は粉々になったかと思いきや――隼人が顔を起こすころには、舞はしっかりと地面を踏みしめていた。


「お前も戦え」


 舞は胸部あたりから武器を二つ取り出した。そして一つを隼人に投げた。投げられたのは大型の斧。思わず手に取るがあまりの重量で地面に突き刺さった。引き抜こうにもビクともしない。


「あの…持てないんですけど?」


 舞は隼人の言葉に答えることはなく、もう一方の武器である短刀を持ち、足場の悪い田んぼに入った。


 そこで吸引の開始とともに舞は短刀を振り抜く。

 空中で身を翻したり、敢えて風に乗ったり―――


 片や隼人は斧の握りにしがみつき、吹き飛ばされまいと頑張っている。しかし斧が地面から抜けかかるとともに、隼人の握力も限界に近づいていく。


 頼みの綱である舞はリーチと攻撃力が足りず、中々やり切れない。妖刀ムラマサという一級品を失った今、舞の真価が試されている。残念ながら、怪物は段々と舞の剣技に慣れてしまっている。戦況は膠着状態であっても、舞にとっては負けに近づいてきているのである。

 そこで新たな戦力を鼓舞する。


「戦え!」


 舞はこれ以外出せる言葉がないのだ。真実のみを紡ぐ存在であるから。


「だから持てないんだよ!重い!」


 こんなのを持ち上げられたとしても、どうすればいいのだ。まして隼人を地面に繋ぎ止めてるこいつが居なくなったら、コンバインのように木っ端微塵ルート。想像するだけで身の毛がよだつ。


「自分の血に従え!持てると思えば持てる!」


「はぁ?」


 なんか根性論のようなことを説かれたのだが……隼人には理解不能だ。


 そうしている間にも、舞は吹き飛ばされて水面を駆けてはを繰り返す。水しぶきが隼人にまでも降りかかり、次は隼人だと暗示しているようだ。


 舞は尚も立ち上がり攻撃を再開―――全身泥だらけだが、瞳の迷いは一切無く闘志を燃やしている。


 次に飛ばされた時には、舞の左腕が軋轢音を立ててあり得ない方に曲がった。舞は何喰わぬ顔で腕を一振りし、外れた関節を戻す。しかし完全には戻っていない。手首の折れが残ったままだ。


 隼人はこのままでは舞の身体が持たないと思った。同時に舞はそれでも突き進んでしまうことを知る。


「舞……!」


 返答はない。舞は完全に自分の世界に入ってしまっている



 非力な隼人は戦ってれている舞の言い分を信じることとした。斧は『持てると思えば持てる』らしい。


「持てる持てる持てる持てる持てる持てる持てる持てる……」


 しかし斧はビクともしない。まるで大きなカブだ。

 そこで隼人は斧を持っている自分を想像してみた。この大型の斧を軽々と持ち、ドヤ顔をしている自分を―――


「…ドヤ顔は余計だっ―――!?」


 斧は質量を殆ど失い、田んぼのあぜ道から引っこ抜かれた。あまりの重量のなさに手を離してしまいそうだ。しかし隼人と地面を繋ぎ止めていた物が無くなった今――隼人は風に揺られる洗濯物のように斧と共に、怪物へ吸い込まれようとする。


「わぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 もう隼人の眼前には、怪物がいた。


「今だ!」


 隼人は無我夢中で斧を振り回した。するとあんなに軽かった斧で怪物が切り刻まれた。

 指を全て失った怪物は枯れていく。烈風が止んで地面に倒れた隼人は未だにフンフンと斧を振るっていたが―――


 突如斧の重量が戻ったことで、斧に身体が持っていかれて隼人は我に返った。舞は見計らって斧を身体のどこかに取り込んだ。


「……生きてる?」


 隼人の背後には枯れかけている怪物が―――朽ちゆく身体の中に水晶のようなものが見えた。朝の光を目一杯吸い込んで、紫紺の輝きを放っている。しかしほんの触っただけでも割れてしまうような繊細さを持ち合わせている。


 隼人は取り込まれるようにそれに手を伸ばした時――同じくしてそれを欲しているものが割り込んだ。


 隼人の腕からまたもや龍が現れ、水晶を飲み込んだのだ。腕が脈打ち、龍の帰還を求める。隼人は訳が分からず腕を押さえた。青黒血が漏れ出し、視覚は痛いと言っている。しかし痛みは感じていない。


 そして龍は水晶を飲みこんだ後――隼人の腕へ還った。傷口は見事に塞がったが、血管が強く脈打つ。


「これは…なんなんだ?」


 隼人は右腕を擦ってみた。先程の龍が出てこれるような容積は持ち合わせていない、か細い腕だ。


「何をやっておるのじゃ学校に行くぞ」


「はあ!?」


 何事もなかったかのように、舞はあぜ道に立っていた。しかし身なりは泥まみれのままである。隼人は泥に足を取られながらもあぜ道に上陸した。


(これまでのことは、全部嘘なんじゃ……)


 振り返ってみても、そこには怪物なんていない。しかし荒らされた新芽や、電柱についた隼人の手形、舞の傷は依然としてある。


「どういうことなんだ?……昨日からそうだが、説明とかないのかよ。毎度死にかけてんだぞ。主にお前が」


「説明など不要である。身体が証明してくれるのじゃ。傷を負うのは、あの時からの妾とそなたの宿命であろう。妾とて全てを知り得る訳ではない」


「要するにお前も知らないってだけじゃねーか」


 そんな問答を繰り返していると――向かいからかわいそうな人物が現れた。こんがりとした肌に麦わら帽子と首のタオルがよく似合う米農家だ。すれ違いざまに、二人を頭の先からつま先までじっくりと見つめた。なんたって隼人は泥だらけの寝間着、舞は血みどろJKときたものだからな。


 しかし農家にとってははその先の光景のほうが大変だ。なんと自身の所有している田んぼの一角が嵐に遭ったかのようにハゲ、周りの草木もそこを取り巻くかのように曲がっている。極め付けは、そこにあったはずの愛車が見当たらない。


「……え?」


 農家は立ち尽くした。


 しばらくして、自分が育てたであろう稲の端くれを手にとり涙を流す。


 本当に訳が分からない。大事にしていた我が子を一夜にして失った。しかし竜巻などに遭った覚えはない。


 だとすると―――


「お前たちか!俺の田んぼを荒らしたのは!」


 原因として考えられるのは先の二人組―――


 こうして隼人たちは、農家の説教を聞く羽目となった。

 途中舞が反論しようとしても、隼人が泥だらけの手で塞ぐ。睨まれたとしても、やめない。隼人は農家のどうしようもない気持ちを受け止めるしかない。

 それらしい言い訳が思いつかないんだ。舞に何か言わせたら自体が拗れるのは明白。


 田んぼでは生き残ったヤゴが、二人を面白おかしく笑っていた。

















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