第一章① 『厨二病は虚言癖ではない』
四月、桜は満開を通り越して咲き乱れ、散り行く花びらは人々を門出に誘う。殆どの人間が桜を見上げて感動する中、黒髪をたなびかせ、俯きながら歩く少年が一人。
少年の名は戸塚隼人。
ピカピカの高校一年生で、入学式へと向かっている。糊がきいた新品のブレザーに着られネクタイは曲がってしまっているが、それもまた新入生らしくて良かろう。
しかし隼人の顔はこれから入学する身としてはあまりにも覇気がない。
隼人は学校が嫌いだ。人間が嫌いだ。
人間関係ほど厄介な事はない。中学時代の隼人はいわゆるボッチであった。しかしいじめられていた訳ではない。ただ隼人がいないかのように回るあの中学校が、本当にしんどかったのだ。いっそ弄りでもいいから誰か隼人に関わって欲しかった。
けれども溜まったボッチの鬱憤を晴らす方法は、友達を得るしかない。
高校では何としてでも友達を作る!そのためには初動が大切。
中学校では自己紹介で盛大にこけたからな―――何て言ったと思う?
「俺は大瀑布にて生まれし騎士、隼人!」
これを聞いてどんな反応をするのが正解だろうか?困惑した元クラスメイトの顔を、隼人はしっかりと覚えてしまっている。今にも思い出して悶えそうだ。
消せない記憶は上書きするしかなかろう。今回の自己紹介は絶対に同じ轍は踏まない。素晴らしく普通なヤツをやってやる!
その為に隼人は、自己紹介を何百回も練習してきた。
「僕の名前は戸塚隼人です第二中出身です好きな食べ物はカレーです……」
早口で暗唱していく。もう噛むことは無くなった。
代わりに両親からは新手の厨二病に罹ったのでは、と思われてしまている。何年も息子の厨二病に付き合って来た身としては、再発したら気が気ではない。厨二病の後遺症(発病中の自分の痛さを思い出して煩悶する)と戦ってきた息子の姿を信じて、今日は送り出したのだ。
そんな両親の心配を知ることはなく――隼人は盲目に練習を続ける。
「僕の名前は戸塚隼人です第二中出身です好きな食べ物はカレーです。僕の名前は戸塚隼人です第二中出身です好きな食べ物はカレーです。僕の名前は……」
タイルの道に散りばめられたガムを見つめながら、角に差し掛かると―――
「「!!」」
同じく角に差し掛かっていた少女と額を合わせた。力が拮抗して、二人とも尻餅をつく。
これは運命の出会いってやつ―――?!
まだ隼人は酔が覚めていないのか、厨二病的思考で期待を膨らませる。
――本日初めて前を向くと、そこには…美少女が一人。きめ細やかな肌に、映える艶やかな黒のツインテールと弁柄色の瞳。豊富な胸に柔らかそうな唇。間違いなく誰もが羨むルックスだ。
しかし隼人は彼女を単なる美少女とは決定できない。
――確かに美少女ではあるんだが、おかしな点が一つ、いや二つ、いやいや三つ。十字架が描かれた眼帯、右腕には包帯とハンドカバー、腰には刀をすえている。
中でも十字架の眼帯に動揺させられた。それは隼人が厨二病時代に愛用していたものであった。
だとすれば―――
「あ、あなたは…
間違いなく彼女は―――厨二病だ。
「…大丈夫ですか?」
咄嗟に出たこのセリフは怪我が無いかというニュアンスに、厨二病ですが良いんですかというのも含まれてしまっていた。
少女はきょとんと固まった。しかし長いツインテールは揺れたままである。
彼女の服装は赤のネクタイに、紺色のブレザーとチェックのスカート。これから隼人が通う、私立元亀高校の制服だ。まだ自己紹介もしていないのに嫌われてしまっては、学園生活お先真っ暗かもしれない。
しょうがなく隼人は立ち上がり、手を差し出した。その手が汗でビショビショなことには気づいていない。
少女は手を握ると、なんと思い切り引き寄せた。ぶつかる間近で止まり、眼前には少女の顔のどアップが……
「心配せずとも、妾はそなたとの龍の盟約を覚えている。今こそ秘密結社ギラ・ユニオンに立ち向かえということか」
少女は片眼で隼人の顔を覗き込んで、言い切った。
隼人は女の子の顔をこんなに間近に見たことがなかったので、茹で上がってしまってうった上、訳の分からない物の言いように困惑する。残念なことに、この時の顔は中学で隼人の痛い自己紹介を聞いたクラスメイトそのものであった。
隼人は自分がされていやだったことを相手にしてしまったことに気づいて、申し訳なくなった。厨二病の気持ちは、自分がよく分かっているではないか。
今彼女にどんな反応をしたら良いのだろうか。
①話を合わせてみる
――厨二病仲間になっちゃって終わりだ。
②何となく相槌を打つ
――別に隼人は普通の人なんだから大丈夫そうだ。しかし彼女といるだけで、隼人も厨二病であると勘違いされてしまうかもしれない。なにせ彼女の風貌は厨二病そのものなのだからな。
「あらやだ〜朝からお盛んね」
ふと、通りすがりのおばさんに肩を叩かれた。おばさんは隼人の注意が自分に向いたことを悟ると、なんと下手くそなウインクをした。通常なら嫌悪感を覚えるところだが、隼人はおばさんに感謝する。
お陰で妙案を思いついた。
③逃げる だ!
女との関係があると思われる前に、逃げてしまえば良いんだ!
おばさんのおかげ?で隼人は、一目散に逃げ出した。
◇◇◇
だが――――
「最悪だ……」
大通りをダッシュする隼人は、入学式に向かう生徒達を掻き分けていた。
生徒達は隼人に驚いた後、間に合わないのかと不安になって腕時計を確認する。時刻は八時きっかり。まだ始業までは三十分。ここから学校まで十分程だから全然大丈夫ではないか。
隼人がこんなに急いでいるのには理由がある。
厨二病に追いかけられているからだ。
振り返ると、ツインテールをたなびかせ少女がよく分からない言葉を吐きつつ猛ダッシュしている。限界まで折られたスカートが靡き、何とは言わないが見えそうだ。少女は身の回りに意識を裂けないほどに必死であった。証拠に物凄い眼圧で隼人を見据えている。
先ほど隼人に追い越された生徒達は、二人がただならぬ関係であることを感じ取る。
「まてぇい!
おまけに少女の方は厨二病と来たものだから、生徒達は厨二病らの遊びだと解釈してしまった。
「何がなんだか俺にはさっぱりなんだ。頼むからどこか行ってくれ…」
願いとは裏腹に、少女は無尽の体力でみるみるうちに隼人へ迫る。とうとう前の生徒がいなくなり道が分からなくなっても、隼人は無我夢中で走った。
気がつくと隼人は住宅街に突っ込んでいた。
そして後ろから喧しい戯言が飛んでくることも無くなっていた。少女を巻くことができたようで一安心と肩を撫で下ろす。
しかし、新たな問題が発生した。
「……ここ、どこだ?」
全く見覚えのない住宅街。先程から同じ区間を歩き続けている気がする。右手の松の木は延々と絶えず、同じ集合住宅がズラリと並んでいる。
加えて行き止まりから引き返してしまったこで、何が何だか分からなくなった。
「スッ、スマホ!」
連絡をする相手がいなくて全く必要性を感じていなかったスマホが、こんなところで役に立つとは。隼人はドヤ顔でポケットからスマホを取り出した。
「嘘だろ!?」
電源ボタンを一回押すと、赤い充電切れマークが表示され、ブラックアウトしてしまったではないか。
使わないと思って充電を怠っていたのが仇となった。
「本当についていない」
思えば今日の始まりは災難続きだ。厨二病に追いかけられ、迷って、頼みの綱のスマホは役立たず…
このつかないスマホも、厨二病のせいにさえ思えてくる。
しかし事の発端は、前方不注意でぶつかった隼人である。
そんなことは眼中にない隼人は手元の時計を見た。時刻は八時二十分を回った。始業まであと十分。
道を訪ねようにも、ここは住宅街らしからぬ閑散で聞こえるのは小鳥の囀りのみ。
見れば集合住宅はどこも空き家で、二十部屋に一つほどしか洗濯物が見当たらない。
「なんだか泣きたくなってきた……」
隼人は涙を浮かべて無我夢中で走るのだった。
◇◇◇
「遅れてすみません!」
入学初日の独特な雰囲気の教室に、隼人は駆け込んだ。
すぐにクラスメイトからの妙な視線に殺られると思いきや……
一人の少女と目があった。少女はニンマリとしている。
「お前は…」
言いかけたところで前の扉が開き、担任と思しき女性が入場した。緩い茶髪を後ろで留めてて、丸い眼鏡をかけている。見るからに優しそうな先生だ。
隼人は彼女にクラスメイトが意識を持って行かれている内に、席にこっそり座った。
その席は神様のいたずらか、厨二病の少女の隣。隼人が気になって少女をチラリと見ると、少女は隼人のことをガン見していた。
そこで先生の話が始まった。
「初めまして。一年一組の担任になりました、斉藤雅美です。よろしくお願いします」
先生が笑顔で語りかけると、自然と拍手が起こった。隼人も釣られて拍手をする。一方少女は隼人をじーっと見ている。それに気づいている隼人ではあるが、変に動くことが出来ない。彼女に口を開かせたらどんな言葉が飛び出るか。
彼女とは無関係で通したい隼人は、汗を浮かべつつも先生を見る。
「不安なことも多いと思いますが、クラス一眼となって頑張りましょうね。まずは自己紹介といきましょうか。私は先程も名乗りましたが、斉藤雅美です。担当は国語科。文芸部と華道部の顧問をしています。特技はピアノです。よろしくお願いします」
おおらかな見た目そのものの自己紹介であった。生徒は次の自己紹介は誰なのかと体を縮こませている。学生にとって最初の自己紹介は今後を決める最重要任務。ここでへまを犯したら、ボッチ確定に陥ることさえあるのだ。
「では、席順にいきましょうか。名前と出身中学校、特技を言ってくださいね」
すると眼鏡に縮毛のインキャっぽい奴が立ち上がった。背筋が伸びきっていて、もはや仰け反ってしまっている。いくら何でも緊張しすぎだ。
「阿部拓也です!西中です!タイピングが得意です!」
阿部は黒板に向けて早口で言い放った。
「――阿部君、みんなの方を見て言ってくれるかな?」
「す、すみません!」
わははと温かい笑い声が響き、優しいクラスだなと隼人は思う。
そしてナイス阿部君!これなら自己紹介を難なく終われそうだな。隼人の周りもほっとした顔をしている。ごあいにくなのか分からないが、彼以上のインパクトを残すのは後続では無理そうだ。ただ一人を除いて……
次々と自己紹介が成されていく。相変わらず阿部君以上のインパクトを残す者はいない。気づいたら隼人は聞き入っており、自分の番となっていた。一気に緊張で身体が冷え上がった。自分はこれといった特徴も無く、クラスメイトも期待などしていないと思い込むことで平然を装う。
息を一気に吸って、大一番を開始した。
「初めまして、戸塚隼人です。第二中出身です。特技は水泳です。これからよろしくお願いします」
頭を下げると、クラスメイトは拍手で迎えてくれた。ほっと一息して着席する。練習よりもずっといい出来に、隼人は内申ガッツポーズをとった。
額に浮かんだ汗が、隼人の功績を表す。
学校生活におけるターニングポイントを通過した隼人が、後続に注目すると―――
「妾は大瀑布にて生まれし漆黒の龍の巫女、舞!訳あって下界に降り立っているが、以前は戦士と共に前線に出ていた。この右眼がその証。刺激すると、暗黒龍が飛び出す故、注意してほしい」
舞は顔を下げた後に、眼帯にピースを据え手を突き出した。そしてキメ顔でクラスメイトを一瞥した。
『厨二病だ――!!』
クラス全員が一眼となった瞬間だった。
前々からその見た目で只ならぬ感じはしかが、実際に厨二病だったとは。元厨二病らは昔の自分を思い出して苦しみ、その他は混迷するしかない。先生も厨二病の生徒は初めてなのか、固まってしまっている。
しかし舞は構わず続ける。
「先に名乗った
隼人の夢見たアオハルが、潰えた瞬間だった。
「なんだって!?」
隼人は近年一番の大声を上げながら起立した。
クラスメイトは舞と隼人を交互に見る。
「どうした我が良人、隼人よ」
「どうしたもなにも、龍騎士やら良人やら訳が分からない!下らない妄想なら一人でしてくれよ!」
隼人は鬼の形相で言い切った。
今彼女との関係を誤れば、一生懸命練習した自己紹介も、妄想に耽っていたアオハルも水の泡となってしまう。
「下らない妄想などでは無い。妾と隼人は確かに龍の盟約を交わした仲であろう」
「そんなの知らない!」
先生が止めに入ろうとする。
その時、舞が動いた。近づいてくる舞に仰け反る隼人。気にせず舞は隼人の頭へと手を回し、顔を引き寄せた。二人は再び鼻を合わせる。
「覚えてないのなら、思い出させてみせよう」
次の瞬間、驚くほど柔らかい唇が重なった。
そして、時が止まった。誰もが固まって呼吸すら忘れた。
止まっていた時間が動き出して、隼人は唇を押さえて腰を抜かした。
ファーストキスだった。
しかしキス以上に驚いたことがあった。舞の弁柄色の瞳孔に龍を見たのだ。
舞は小悪魔的な笑みを浮かべている。
「な―――」
可愛く決めたのも束の間、舞はしゃがみ込んでしまった。
「う、うぅ……右眼が、右眼が疼く」
厨二病の典型的なセリフを吐きながら、右眼に爪を立てる。
「これは…四天王級の反応。今すぐに対処しなければ、暗黒龍が飛び出してしまう…ってなことで下民ども、妾は四天王と対峙してくる故、精々妾の武運を祈っておるのだな」
舞は一目散にクラスから抜け出し、行ってしまった。残された面々は互いに顔を見合わせる。
その後旋風が起こった。
「お前あいつと結婚してんのか!?」「人前でキスなんて…ラブラブすぎだよ!」「破滅しろー!」
各々好きなように隼人に怒号を浴びせて行く。隼人は耳を塞いで現実逃避。
「静かに!…突然の事で困惑しているは分かりますが、武を弁えてください。戸塚君、大丈夫ですか?」
生徒達は先生の鶴の一声で正気を取り戻した。先生もとてつもなく混乱していたのに、この冷静さは素晴らしい。
しかし、隼人は先生の気遣いについていけるほど余裕が無かった。ずっと頭を抱えて何かブツブツと言っている。
見かねた先生に肩を叩かれると、隼人は『うおっ』と言って跳ねた。笑いが起こって和やかに……とはいかない。先生の顔にはからかいの色は全くなく、ただ心配していたのだ。隼人は椅子に座り直して、前を向いた。
「では、次の方お願いします」
何事も無かったかのように進んでいく自己紹介。
隼人はここからのことはあまり覚えていない。自己紹介が終わったら質問攻めに遭って、入学式を受けて……大まかには把握出来ていても、詳細は分からないのだ。
余程の醜態を晒していたに違いない。
隼人が悶々している間にも噂は独り歩きし、隼人と舞は結婚しているということになってしまった。
それを修正する気さえ起きないのは、諦めムードが隼人に漂っているから。これから隼人は行く先々で正体がバレると奇妙な目を向けられるんだ……
家路をトボトボと辿る隼人は、残業明けの社畜のように生気がない。
上の空でふらふらする隼人を、通行人は気に留めては離して去って行く。
隼人はこの時ばかりは無視してくれて嬉しいと思った。気づいて欲しいのに気づかれなかった寂しい日々のことは、もう思い出したくない。しかしその二の舞いとなってしまいそうな現状に、絶望はしている。
「あー。俺の学校生活真っ暗だ。――何なんだよあの厨二病!全てあいつのせいだ!」
転がっていた缶コーラを蹴ると、勢い余って対向者の足元に転がった。
「すみませ―――」
前を見ると…そこには、二メートル強あるタコみたいな怪物がいた。表皮は沸騰したようにブクブクしていて、触手らしき褐色のモールがうねうねと動いている。
「エターナルドラグーン、ハッケン、ホカクヘウツル」
怪物は粘着性の緑色の液体を垂らしながら、隼人に迫る。
視界が褐色に飲まれたその瞬間、隼人の意識は消え失せた。
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