後編

悪魔の手元に残されたキャンバスには、彼女の別の姿が美しくも異様に描かれていた。現実の彼女と幻想の彼女が交わり、二人の間に不協和音が響いているような、そんな奇妙な雰囲気が漂っていた。


「これは…本当に私?」彼女は自分の姿を見つめ、言葉を失った。


「そうさ。君が見えていない一面だろう。だが、これも間違いなく君の一部だ。」悪魔は低い声で答えた。


彼女は再び歌い始めた。けれども今度の歌声は、先ほどのような整った美しさではなく、どこか切なく、深く、内側に秘めた感情を吐き出すような響きに変わっていた。その音色に合わせて、悪魔もまた絵の中の彼女を少しずつ変えていく。彼の筆先で、彼女の姿は次第に荒々しく、心の奥に潜む本能的な欲望を映し出していった。


彼女の歌が終わると、部屋の中は静寂に包まれた。悪魔は彼女を見つめ、その顔に初めて戸惑いを見せた。彼自身もまた、彼女の歌声に心を揺さぶられていたのだ。


「どうして…私にこんな絵を描かせるのか、自分でもわからない。」悪魔は、彼女に正直に告げた。


彼女は静かに微笑んだ。「あなたの中にも、私の中にも、まだ気づいていない何かがあるのかもしれないわね。私たちは、たまたま出会ったわけじゃないのかも…」


悪魔は彼女の言葉に、一瞬、何かを見つけたような目をした。その瞳には、単なる興味や好奇心を超えた何かが宿っていた。彼はもう一度、彼女の姿を描くために筆を取ろうとしたが、手が震えて動かなかった。


「もう…描けないのかもしれない。君が本物の美を見せすぎたからだ。」


その言葉に、彼女は再び微笑んだ。そして、彼の目をまっすぐに見つめ、そっと言った。「それなら、私の歌はもう、あなたの絵筆には届かないかもしれないわね。でも…私はあなたの心に響いている。そうでしょう?」


悪魔は答えなかった。ただ、彼女の言葉に深く頷くのみだった。そして、二人は無言で見つめ合い、カラオケボックスの狭い空間で、奇妙に満たされた静寂が流れた。


夜が明ける頃、悪魔はキャンバスをそっと片付けた。彼の手元に残されたのは、幻想の中で彼女を映し出した絵画。そして彼女の歌声は、いつまでも彼の中に響き続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱の中の美女と悪魔〜不協和音な絵画ショー 星咲 紗和(ほしざき さわ) @bosanezaki92

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画