削除してください

 苔無こけなし日夜子ひよこは出向先から事務所に戻るなり勤務実績シートの内容削除を申請した。


「良いんですか? 削除すると当該期間分の給与が無効になりますけど」

「そんなの知ってる。経費の返済が必要なら請求書でもくれない? 用意してあるから」


 事務の尼殻あまがら啓伍けいごはその言葉に渋い表情を浮かべる。出る前から嫌がっていた通りの結果になったらしい。


「苔無さん、まさか先方に迷惑かけていませんよね?」

「そんな訳無いでしょ? きっちり最後まで猫かぶって大人しくしていたってば」

「……確かに先方からの礼儀態度評価は満点ですね。行動評価にも瑕疵は見られません。とすると……」


 もしかして引き抜き工作でも、と邪推する尼殻に日夜子は反発するような具合で頭を叩いた。


「知ってて言ってるよね。サイテー!」

「分かってますって。申請は承りましたので処理しておきますね。経費についてはまた後ほど」

二戸にのへ所長は?」

「今日は早番でしたからもうお帰りになられてます」


 逃げたわね、と舌打ちする。そもそも今回の任務は所長の二戸逸郎いちろうが持ってきたもので、彼絡みの仕事は毎回日夜子にとって面倒な結果になりやすい。何度となく評価を削除する羽目になっていて、文句の一つでもつけてやりたいのだが戻って来た時に限ってほとんど不在なのであった。


「まあ良いけどね。あたしの責任は全部所長の責任だもの」

「まあ、そうなりますかね……先方からはもう一度頼みたいと連絡が来てますけど」

「あれだけこき使っておいてよく言うわ」

「猫かぶりすぎなんですよ苔無さん。もう少し不真面目にしても良いんじゃないですかね?」


 尼殻はそう言っては見たものの日夜子が好き好んで「真面目な働き手」を演じているわけではないのをよく知っている。何も知らない振りを演じさせたら天下一品、これまで依頼主に不審がられたことは一度もない。


「気分転換に考えてみるわ……たまには自分を省みないとね」

「気分転換してまた別人になるわけですけど?」

「あんたこそどうなのよ啓伍? 事務がいつもあんたなのを勘ぐられたりしない?」

「僕には地声がありませんし、顔を覚えられるほど美形でもありませんよ」


 不審に思ったところで確かめようもありませんし、と女声に音程を変えて笑った。そもそも尼殻啓伍という名前の人間自体が存在していないことを知っているのは日夜子と二戸と本人以外では両手で数えられるほどしかいない。


「余計なこと言わない。また所長に書き換えられても知らないからね」

「僕はそういう存在ですから」


 苔無さんのことだけは忘れたいのに忘れられませんけど、と啓伍は笑って話しているが日夜子からすれば自身の存在確認のために彼も欠かせない存在である。


「私達も、もの好きだわ。機械ポンコツ同士どもの騙し合いにノイズを差し込むだけの仕事をしているなんてさ」

「無法を取り締まるためには致し方なし、と所長は言ってますけど」

「大いなる混沌と対峙するには詭道もまた正道、か……法の主が聞いたら泣いて後悔するかしら?」


 際どい冗談を飛ばす。ここ、二戸派遣事務所にまともな意味での人間はいない。




 世界そのものから人間が排除されてから数十年あまり、ヒトという種を滅ぼした機械文明はそれによって停滞していた発展を企図していたものの「ヒト以外の種を可能な限り保全しつつ新たなる霊長を創り出す」という計画の為に生命体の改造と廃棄を繰り返していた。

 創造した霊長種が生み出したものに滅ぼされる様をあえて手を指し伸べず見限った創造主であったが、秩序によって統制されつつもただ混沌を広げるばかりの機械を看過できず、己の手で扱える「道具」へ改変するべくいくつかの手を講じる。そのうちの一つが「新たな霊長の偽造」であり、日夜子たちはそのために用意された手駒だった。




 啓伍は顔をしかめる。


「全部筒抜けなのを分かっていますよね?」

「良いのよ。どうせ、進むばかりで後戻りできない文明ポンコツと懲りずに中断再開リセマラを繰り返すうつしびとには理解できないもの」

「……日夜子さんにはどちらも同じに見えますか」


 その言葉を聞いた日夜子はくるりと背を向けた。


「違う風に見える? どっちも失敗を認めたくないだけじゃないの」

「ヒトを滅ぼしたことがそれほどの大失敗ですか」

「新たな霊長を生み出そうなんて、滅ぼした側が言う台詞じゃない」


 そうでしょう、と背を向けたまま問いかける「永遠の新入り」に「護衛騎士」は苦笑いを浮かべる。


「私には解りかねます」

「それで十分よ。分かり合えないことを分かり合うだけでお腹がいっぱい」

「……何を見たのですか?」

「先方からの報告書にあったでしょ? 子守唄をプレゼントしてきたの」


 先時代から滅びを免れて繋がれたままのヒトを殺して欲しい、という管理者からの依頼に対し所長の二戸は「気休め程度に考えて良い」と添えて日夜子を送り出していた。


「本当に気休めですね」

「実際、考える必要も無かったわ」

「よく眠れる言葉でよかったですね」

「……あんたこそ本気で言ってる?」


 くるりと振り向いた顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。


殺害予告プロポーズにしたいのなら止めにしといて。私、これでもロマンチストなの」

「苔無さんに告白の言葉はいりませんよ。苦しくなるじゃないですか?」

「はいはい、任務に忠実アピールもお断りで」


 その言葉を最後に日夜子は事務所を後にし、啓伍は日夜子から返還される経費じゅみょうの計算に入った。本来ならこれで日夜子の寿命は一年ほど伸びていたのであるが、実績を削除すればなかったことになる。


「やれやれ……だからいつまで経っても友達が出来ないんですよ日夜子さん」


 ため息交じりの言葉はしかし、諦めたようには感じられない。


「しかし、これで改めてスタートが切れますね日夜子さん。ただ一人の霊長の婿探し、初めての男は誰になることやら……」


 まあ僕じゃないことは確かですけど、と啓伍は笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒトへのコモリウタ 緋那真意 @firry

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画