ヒトへのコモリウタ

緋那真意

被検体001の思考解析結果<×124/07/21>

 彼は差し出された食事をさっさと食べ終えた。味わうほどの味付けもない。野菜も肉も食えなくなって久しいが、穀物だけでも食べられるだけマシと言うしかない。食べ終えたらさっさと目を閉じる。収監されてから百年目になったが、窓の外から人の気配はまるで感じられない。食事の供給は配膳ロボットが行っていて、人の姿を最後に見たのは刑の執行前の話だった。


 

 百年前、彼は反体制組織に所属して自爆テロに加担し逮捕された。ロボットやAIの普及に伴い人間は中枢指示を担うだけになりながらもそのための費用を捻出するだけで青息吐息、仮に揃えられなければあらゆるサービスから取り残されて更なる貧困を招くという負のスパイラルが世に蔓延、世界中で「節度ある後退」を掲げるデモが頻発していた頃である。



 荒れた世の中で若年層が格差への不満から犯罪に手を染めるケースも著しい上昇を示していたから、当時の彼もその片棒を担いでいたにすぎない。愚かなことをしているのは分かっていたが、惨めな暮らしのまま人生を終えるよりも元気なうちに馬鹿を演じて死にたいと考えて、噓八百のバイト募集と知りながら連合政府の住民データサーバーに対する同時多発テロに参加したのである。結果としてテロ自体は成功したものの彼は爆発の中心にいながら即死を免れて病院に運び込まれた。

 政府が管轄するデータベースの物理サーバに大きな打撃を与えたテロであったものの皮肉なことに彼以外の実行犯たちが死んだ以外に直接の人的被害は発生せず、組織の上層部が間を置かずに逮捕されて事件の実相が早々に解明されたことから、ただ利用されただけの生き残りは死刑を求刑されるも延命措置を兼ねた人体実験に体を提供することを条件に減刑が認められ、永年禁錮の判決が言い渡された。彼に取り、この時に死ねなかったことに対しては今でも悔いしか感じられない。



 施された処置については暗示によって刷り込みをされている。爆発によって損傷を受けていた臓器の大部分は処置前から人工物へと置き換えられていたが、それを更に低温作動型のものに切り替え低心拍式人工心臓を新たに移植することで生命活動を遅滞させる。この段階で既に真っ当な人間ではなくなっていると思うのであるが、この他にも脳細胞の老化を防ぐためのナノマシンの定時投与や心理更生プログラム実施の上で必要な五感の低周波刺激処理等々が施されてようやく完了となり、全身麻酔を受けて朦朧とした意識が目覚めた時にいたのは病室と大差がない殺風景な牢獄だった。



 そこから今に至るまで大した記憶は残っていない。一定の周期で目と耳に入ってくる融和的教誨プログラムを感じて意識を覚醒させ、給仕ロボットから差し出されたわずかな食事を食べて老廃物を排出し、それが終わったらゆっくりと目を閉じて次を待つ。教誨プログラムはAIによって自動生成されているのかほぼ毎回どこかしら内容が異なっていて、大した面白みもないことから間違い探しの要領で遊び道具にしていた。それすらも執行側の狙い通りなのだとは思うが、そんなことを気にしても無駄なのは一か月も経たずに理解させられている。何しろ体を動かすことが億劫で仕方がないのに、見たくも聞きたくもない映像が勝手に流され続けているのだから。

 刷り込まれた知識によると経過次第で永年禁錮から更に減刑し出所もあり得るとされていたが、刑が始まってから百年が過ぎた今となってもそうした動きはない。



 まあ、彼にも事情は何となく察しが付く。要するに一人の人間を更生させるのにはコストが悪すぎるのだ。だからと言って措置を止めても社会復帰は絶望的であり、止めたことで死んだら執行責任が問われかねない。宙ぶらりんの状態で生かさず殺さずなるべく長持ちさせるしかなかったのだろう。



 変化のない日々を過ごしている中で、二十五年を過ぎた頃に一度だけ部屋が揺れたことがある。その日は終日プログラムの上映が中止され食事の配給も途絶えたことからようやく死ねるのかと冷めていた心が少し沸き立ったものの、あと少しで意識が心地良い闇へと落ちていこうかというタイミングでシステムが復旧されてしまい、またしても死ぬことは出来なかった。以降、同じ出来事は起きていない。原因が何であったのかが伝えられる訳も無いし、追求する気も起きなかった。



 そして百年という時間が過ぎるに至り、教誨プログラムで目立つように使われ始めた言葉がある。



「あなたは生きられる。生きた屍ではない、心優しい人間として」



 それを最初に聞いたとき、彼はあまりの滑稽さに息が苦しくなってしまうほどせき込んでしまった。もう笑うことすら忘れてしまっている、人間と名乗ることすらおこがましいものに何を言い出すのかと思えば、これ以上ないくらいに白々しい建前であった。



 人を生きた屍としたのは、誰のせいだ。



 今日も今日とて流れてくる美しい言葉を聞きながら目を閉じる。その言葉は子守歌のように甘くとろけ、生きた屍と化した哀れな囚人を励まし続けていた。



 おやすみなさい、明日が良い日でありますように。



 その女の声が彼に届かなくなったのは、それから一週間後のことである。

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