この宇宙のどこかで

@akahara_rin

この宇宙のどこかで

「父さん、ロケットって何?」


 僕がそう問いかけると、父さんは驚いたような顔をした。


「それ、どこで……お母さんに……あぁ、書斎に入ったのか」


 普段、書斎には勝手に入らないように言われている。

 責めるような声ではなかったが、責められたような気がしてバツが悪くなり、僕は目を逸らした。


「あぁいや、責めたわけじゃないんだ。書斎に入らないように言ってたのは、汚れたりすると困るものが多いからだからね。レンはもう七歳だからそんなことしないだろうし、入っても構わないよ」

「ほ、本当?」

「うん。でも、悪いと自覚していることをしたのは良くないことだ。それは反省しないといけないよ」


 それに関しては何も言い返すことはできなかったから、素直に頷いた。ただそれ以上に、書斎に入ることを認められたのは、なんだか大人になったような気がして嬉しかった。


「それで、ロケットの話だったね。うん、話すのは構わないよ。ただ、ちょっと長くなるから、先に歯を磨いて寝る準備をしてきなさい」

「はーい」



「ロケットっていうのは、簡単に言うと宇宙に行くための乗り物のことだよ」

「宇宙?」

「……あぁ、ごめん。そこから話さないとだったか」


 父さんがバツの悪そうな顔をして、スッと空を指さした。


「宇宙っていうのは、あの空のずっと向こうにある、星のある場所のことだよ」


 せっかくだから、そう言って父さんは大きな望遠鏡の位置を調整し始めた。

 僕が生まれる前に父さんが作った、世界で一番遠くが一番きれいに見えるすごいものなのだと、母さんが昔言っていた。


「ん、これでよし。覗いてごらん」


 促されるまま望遠鏡を覗くと、そこにはいくつかの青く大きく輝く星が見えた。


「何が見えた?」

「なんか、青い星」

「その青い星たちはね、プレアデス星団っていうんだよ。すばるなんて呼ばれたりもする」


 まあ、確証があるわけじゃないんだけどね。そう続けて、父さんは寂しそうに笑った。


「お父さんはね、そのプレアデス星団……の近くにある場所に行きたくてロケットを作っていたんだ」

「近く?」

「……うん、あそこの近くにね、天の川銀河って場所があるはずなんだ」


 じっと望遠鏡の先を見つめる父さんに釣られるように、僕も空を見上げる。

 望遠鏡ではくっきり見えていたプレアデス星団は、直接だとさっぱり見えなかった。


「どうして、そこに行きたかったの?」


 僕がそう訊くと、父さんは感情を感じさせない声で言った。


「あそこには、俺の家族がいるんだ」

「……? 僕も母さんもここにいるけど?」


 僕の言葉を聞いた父さんは目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。


「うん、そうだね、そうだった。ありがとう、レン」


 よく分からなかったが、嬉しそうならそれで良いかと思った。


「でも、本当に家族が、お父さんのお父さんやお母さんがあそこにはいるんだ」

「そうなんだ」

「うん、だから、会いに行きたくてロケットを作った」

「ちゃんと会えた?」


 父さんはゆるゆると首を横に振った。


「会えなかった。星ってさ、見た目よりずっと遠いんだ」

「遠いって、どのくらい?」

「さぁ、実際どのくらいなんだろうな……まぁ、肉眼でプレアデス星団が見えないくらいだから『千光年』くらいはある……いやもっとだろうなぁ。あの距離だと『三角測量』とか使えないし、明るさで求められるらしいけどやり方なんか覚えてないんだよねぇ」


 時々、父さんはこういうわけの分からない独り言が多くなる。自分の世界に入っている、と母さんは言っていた。

 ただ、なんとなく分かるところだけを聞くに、よく分からないのだろう。


「……まぁ、ともかく、あそこは遠すぎてさ、ロケットじゃあ何万年かかるか分からないんだよ」

「何万年!?」

「ん? あぁ、宇宙だとそれくらいの距離は珍しくないんだ。むしろ、お父さんが作れる程度のロケットがその時間で着くならかなり近い方だよ。外宇宙は魔境だからなぁ……」


 最後の方は小さくてよく聞こえなかったが、僕は驚いていて、そんなこと気にしていなかった。


「で、でも、海の向こうだって見えないけど、向こう岸まで一年もかからないって」

「あー、そうだな。簡単に言うとさ、星ってめちゃくちゃ大きいんだよ」

「どれくらい?」

「えー、確かアルキオネが一番でかいんだっけ。こっちの太陽はあっちと変わらないくらいだったから……プレアデス星団に一番光ってる星があるだろう? あれの大きさが大体1400万キロくらいだな。で、明るさは太陽の千倍くらいだ」

「……よく分かんない」

「ははっ、そうだろうな。お父さんも数字以上のことはよく分かってないし。要は、海の向こうの大陸なんかとは比べ物にならないくらい大きくて明るいから、ここからでも見えるんだよ」


 ぐりぐりと僕の頭を撫でながらそう言った父さんに、よく分からないことがあるなんて思えなかった。だって、訊けば大抵のことは教えてくれるのだから。


「じゃあ、転移の魔術は? 父さんは使えるんだから、それで会えなかったの?」

「あぁ、転移か。あれ、星の直径までの距離ならそこそこ効率よく移動できるんだけど、それ以上になると『指数関数的』に……あー、倍々に必要魔力量が増えていくから、星間を直で移動するにはあんまり向いてないんだよ。それでも『エンジン』で移動するよりは効率良いんだけど」

「えっと……転移じゃだめってこと?」

「ダメってわけじゃないよ。転移は『慣性』が残せるし位置や角度なんかも調整できる。宇宙間の移動には必須なくらいだ。実際、今お父さんが研究してるのは空間干渉の魔術だからね」


 そういえば、書斎に置いてあった紙は読めないものが殆どだったが、ロケットが描かれているものは少なかった気がする。


「それを続けたら、会えそう?」

「……いや、ちょっと難しそう、かな。研究はしてるけど、どうにも行き詰まっててね。転移を今以外の形式で構築できそうにないんだ。だから、うん、難しい」


 深く溜息を吐いて、苦しそうに父さんは言った。


「……じゃあ、諦めちゃうの?」

「そうだなぁ……」


 埃を拭うように、望遠鏡に触れる。

 毎日のように母さんが磨いているから、そんなものが付いているはずもないのだけれど。


「諦めるっていうか、もう、諦めてるんだ」

「え?」

「昔は、もっと必死だった。人と喋ってる暇があるなら、一秒でも長く研究して、一瞬でも早く帰りたかった。子供をつくるどころか、結婚する気も無かったし、友達を作る気もサラサラ無かった」


 苦しそうな姿から一転して、呆れたように、苦笑しながら父さんは話し続ける。


「プレアデス星団を見つけて、物理的に繋がってるなら帰れると思ったから観測用の望遠鏡とロケットを作り始めた。魔術があればできると思ったし、実際、帰るだけならできるんだよ。少なくとも試作の有人機で月までは行けた。『ホムンクルス』と『コールドスリープ』の魔術も開発はできてるから、時間をかけて良いなら可能だ。まぁ、俺にとっては意味ないからやってないんだけど」


 一息に語られたそれは、殆ど意味が分からなかった。


「けど、流石に俺のロケットじゃあ『光速』は出せないし、出せても『焼け石に水』だ。だから空間干渉魔術の研究に重点を置いたけど、結果が出なかった。その過程で空間拡張だとか、転移距離の増加はできた。色々できることは増えたけど、肝心の転移の『燃費』向上だけは、どれだけ考えてもできなかったんだ」


 いつもの独り言と似ていたけれど、どこか違うような気がした。


「どうしようもなくなって、何もできなくなった時に、研究を手伝ってもらっていたシャル……お母さんに絆されて、結婚して、で、まぁなんやかんやあってお前が生まれたんだ」

「……でも、まだ研究は続けてるんでしょ?」


 語られ尽くした父の昔話。

 理解しきれなかった部分が殆どで、ただ諦めたということ以上は把握できなかった。

 そうして出たのが、その言葉。


「続けてはいるんだけどね。もう惰性みたいなものかな。机に向かって考えるのが癖になってるから、そうしてる。帰りたい気持ちが無くなったわけでもないから、別に苦痛でもない。それに何より、お母さんは俺が研究してる姿が好きらしいからね。辞める理由も無いさ」

「……どうして、帰りたいの?」

「……会いたいから、かな。昔は、これって理由もなく、ただ会いたかった。でも今は、シャルやレンを紹介したいって気持ちもある」


 そう言われて、なんだか僕は誇らしくなった。

 僕は、父さんにとって、父さんの父さんや母さんに自慢できる人らしいと分かったからだ。


「なんか、ロケットの話じゃあ無くなっちゃったな」

「うん、でも、良いよ」

「そうかい? なら良いんだけどね」


 父さんは僕の頭を撫でて、恥ずかしそうに笑った。


「ねぇ、父さん。転移の魔術、教えてよ」

「……? どうして?」

「僕も研究する。研究して、いつか父さんを父さんの父さんや母さんに会わせてあげる」


 父さんは目を丸くして、それから大きく笑った。

 それはもう笑いすぎて涙を流すほどに。

 笑われているのだから、僕は不快になりそうなものだったが、何故だかそうはならなかった。


「そうか、そうか。うん、分かった。構わないよ。けど、転移は色々難しいから、普通の魔術から勉強しよう」

「分かった、任せて!」

「そうか。うん、任せるよ。期待してる。ありがとう」


 これは僕が魔術の勉強を始めた、なんてことないきっかけの話だ。

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