Tダム 【初回】

 ◇


「すみませんっ!! お待たせしてしまいました。環さん、行きましょうか」


 支部最上階の廊下で環ちゃんを抱えて立っていた僕を当然のように無視して、早足で来た巫弥さんは環ちゃんに挨拶をした。


『……許可、下りたんだ』


 サラッと同行する旨を伝えた巫弥さんに、彼女の後ろを歩く僕の腕の中からひょこっと顔を出した環ちゃんは、複雑そうな声で声をかけていた。


「そんな風に怪我をした環さんが、特級相手に倒れる。または……暴走することを、神羅さんは危惧していましたよ。しばらく担当地域から離れるということで申請書類の手続きには時間がかかりましたが、許可は結構すぐに下りましたね」


 それに対して、巫弥さんが笑顔で返事をする。


 巫弥さんの瞳に僕は一切映っておらず、それを認識しているのかどうかわからないが、環ちゃんの巫弥さんへの態度が気持ち冷たい気がする。

 一言で言うと……めちゃくちゃ気まずかった。


 ……何故こんな事になっているかというと、話は約三日前。

 巫弥さんと初めて出会った時に遡る。


 ◇


「僕は、貴方がなんと言おうが環ちゃんの隣にいます。今力が足りなくても、呪いを使えるようになって相応しい力を得られるように努力します。少なくとも、環ちゃんから拒否されない限りは今の立ち位置を誰かに譲るつもりはありません」


 巫弥さんに向かって口を開いた僕は、そう言った。

 情けないことに手は震えているが、それでも真っ直ぐと巫弥さんと目を合わせる。


 心の中で、「僕の目標は、環ちゃんの期待に応えられる力を身につけて特級獄卒になり、願いを叶えることだから」と付け足しながら。

 少しでも、巫弥さんに覚悟が伝わって欲しいという思いゆえの行動だった。


「あ〜、もうっ。環さんが次に行く場所って、特二級のTダムでしょう? 私も一緒に行きます」


 震える手を机の下で組んで隠しながらも目線だけは外さない僕を見て、呻いた巫弥さんが……唐突に、環ちゃんに向かってそう宣言する。


『いや、なんで……』


「その状態の環さんを、他の特級のサポートなしで心霊スポットに行かせられる訳がないでしょうっ!? 

 ……あと、盾さんがちゃんと相棒として相応しいのか見定めます。

 環さんが隣にいることを許しても、無能だったらすぐ神羅さんに直訴しますから」


 突然の話に困惑しながら問いかけた環ちゃんに、巫弥さんは当然のことだというように言葉を続け……その後、前半も嘘ではないだろうけど絶対そっちの方が本題だろと言いたくなるような声のトーンで、僕の審査を告げた。


 その言葉を受けてチラッと僕の方を見た環ちゃんと、目を丸くして思わず環ちゃんの方を見てしまった僕が目線で交わした意見は、どうやら一致しているようだった。


『はぁ……担当地域を離れるんだから、神羅さんに許可もらえよ』


 これは、一度受けないと折れない。

 ……だったら、早めに受け入れて終わらせた方がいい。


 そういう気持ちと前半の言葉に一理あるという考えが混ざって、実に複雑な響きになった環ちゃんの言葉を受けた巫弥さんは、嬉しそうに笑って扉の方へと走った。


「……はいっ、すぐ許可取ってきます!! それまでゆっくり休んでて下さい!!」


 そんな言葉を、環ちゃんへと残して。


 ◇


 それが、僕が獄卒になって初めて夜明けを迎えた日にして今から三日前。


 あの後……僕は環ちゃんから自分の部屋は隣だと教えてもらい、精神的に疲弊してフラフラとなりながら自分に割り当てられた部屋に行った。

 そして、その部屋の広さや綺麗さに感動する間もなく爆睡した。


 後で聞いたら、本来霊は生者のようには睡眠を必要としないらしい。

 ただ、環ちゃんが以前エネルギーと表現していた霊の力––––霊力の回復の為に眠りが必要になる場合はあるので、おそらくそれだろうと言われた。


 怒濤の心霊スポット巡りは、どうやら思ったよりも負担になっていたらしい。


 眠って無駄にしてしまった時間を取り戻すように、仁平さんから獄卒の知識を仕入れたり、T湖の霊……腐朽不屈御前に呪いについて詳しく訊いたり、環ちゃんに協力してもらって呪いが使えるか試したり、環ちゃんから預かり物をしたり。


 巫弥さんから環ちゃんにTダムに一緒に行こうという連絡が来たのは、そんな風に二日間を過ごした今日の朝だった。


「連絡もしておきましたが……許可申請中に一度近くまで様子を見に行ったから条件を満たしていますし、裏口から出たところで地獄道を使いますね」


『わかった』


 一人気まずい思いをして二人の会話を聞きながら裏口から支部の外に出ると、そこは逢魔時おうまがとき……つまり日没くらいの時間だった。

 霊の活動が活発になる時間、そして地獄道を使うことを考えるとベストな時間だ。


「Tダムへと繋がれ––––開門」


 僕がここ三日で仕入れた知識を反復しながらのんびりと思考を巡らせている間に、巫弥さんが地獄道を開門する。

 僕に向かって無言のまま、視線だけで入るように促してから巫弥さんは例の真っ黒い空間へと入っていった。


「環ちゃん、大丈夫?」


『ん? うん』


 三回目ともなれば、地獄道にも慣れたものだ。

 環ちゃんに確認だけして、僕は真っ黒い空間へと足を踏み出した。


 ◇


「––––閉門」


 という巫弥さんの事務的な声を背中に聞きながら、僕は地獄道を抜けた先の景色に首を傾げる。


『盾くん、どうしたの?』


「いや……なんというか、普通だなって」


 そう、普通なのだ。

 特級の心霊スポットだと聞いて内心、遠目でもわかるくらいヤバいところなのかと思っていたが……見えるダムは、普通だ。

 前回感じた嫌な感じの寒気もしなければ、見た目が不穏な感じもない。


『特一級くらいになると、目に見えて危険とわかるんだけど……特二級って、一目で危険とわかるところと一切危険を感じないところに二極化するんだよね。

 でも、安心して? ちゃんとSトンネルやT湖よりも危ないからさ』


「ひぇ〜、マジか」


 ついさっきまで、巫弥さんがいることと初めての特級心霊スポットということ。

 その二つで緊張していて……正直全然いつものワクワク感がなかったのだが、環ちゃんと話すうちに段々胸のドキドキが高まっていく。


『さて……じゃあ、の話をしますか』


 腕の中の環ちゃんは、三回目にして既にこのセリフに笑みを含ませるようになっていた。

 それに少し悔しさを覚えながらも、僕は新しい心霊スポットのいわくという誘惑に勝てずに……。


「うんっ」


 環ちゃんの言葉に、満面の笑みで頷く。


 確かに巫弥さんがいるのは緊張はするけど……初の特級心霊スポットなんて、もう目いっぱい楽しまなきゃ損だろっ!!

 意識を切り替えた僕は、SトンネルやT湖の時のように……ただ純粋に怪談に目を輝かせた。

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観測係は我が道を逝く!! ❄️風宮 翠霞❄️ @7320

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