第19話 2番Bメロ 2
雪崩混むように電車内に押し込まれ、人の多さに車窓の向こうを窺うことができない。そうこうしているうちに電車が動き出し、私から離れることのできないカズフミは強制的にこちらへと引き戻される。すぐ隣に現れたカズフミの存在に、ほっとして息を吐いた。
一人になるとこんなにも不安になるなんて、思いもしなかった。
周囲には見えないカズフミと電車内で会話するのは難しくて、社の最寄り駅に降り立つまで我慢した。
「どんな奴だった?」
「多分、夏奈と変わらねぇくらいの年齢だと思う。よれたチノパンの、冴えない男だったぞ。ジッと夏奈を見てたから間違いねぇ。夏奈のことを見失って、向こうのホームに出たんだろうな」
「風貌は?」
「身長は、一七〇センチ強。黒髪で耳が隠れるくらいの長さだな。銀縁の眼鏡をかけてた」
そんな知り合い、友達にも社にも。まして、営業先にだっていない。だとしたら、ここのところずっとあとをつけ回していたのは、その男に違いない。
「警察に届けた方がいいかな」
「でも、本当にそいつかどうか、はっきりとしてねぇしな。それに、警察は被害が出ないと、動かないんだろ」
「そうだけど。私が死んじゃってからじゃ遅いのよ。折角、交通事故でもむち打ちで済んだっていうのに、ストーカーに殺害なんてされたら、私どれだけついてないのよ」
カズフミにあたっても仕方ないのだけれど、この恐怖と憤りをどうすればいいのか解らず、つい強い口調になってしまった。
ストーカーの正体を薄っすら知ってから、心がざわついてしかたない。どう考えても知り合いではない相手が、ずっと自分のことを付け回しているのだ。安心して暮らすことなどできやしない。
落ち着かない気持ちのまま、社に戻り机に向かった。幸い、忙しくしている間は、ストーカーの不安に悩まされることは少なかった。それでも、時折思い出しては恐怖を覚えずにいられない。
夕方を迎え、退社時刻になった。
「帰ることがこんなに憂鬱になるなんて、そうそうあるものじゃないよね」
独り言のような呟きでカズフミに話しかけると、俺がそばにいるから大丈夫だ。なんて、頼もしいことを言ってくれるのはいいのだけれど。その幽体で、どうやってストーカーと対峙するのかと考えると苦笑いが浮かぶ。
「おっ。澤木。今帰りか?」
珍しく定時に社に戻ってきた宮沢が声をかけてきた。
「ああ、うん……」
宮沢の明るい口調とは裏腹に、つい声が沈んでしまった。
「どうした。元気ないな」
「ちょっとね……」
忙しい宮沢を巻き込むのも気が引けて、バッグを手に取り席を立つ。
「お先。お疲れさま」
「ちょっと待てって。なんだよ、話聞くぞ」
振り切るように立った私の手を取り、宮沢が引き留めた。社にはまだまだ人がいて、手を掴まれたことに驚くも、下手にリアクションをすれば注目を浴びそうでおとなしく立ち止まる。
「宮沢、忙しいじゃん」
うまく笑えていたかどうかわからないけれど、笑みを貼り付けて掴む手から逃れようとした。いつもと違う私の様子に引っ掛かりを感じたのか、宮沢が更に引き留める。
「あー、あと。三十分。いやっ、二十分だ。待っててくれ。すぐに片付けるから」
自席へと急いで戻りながら、宮沢は休憩室で待つよう私に言った。
定時を過ぎた休憩室には誰もおらず、宮沢を待ちながら窓際のカウンター席に座ってコーヒーを飲んでいた。地上二十階建ての丁度真ん中。十階にあるオフィスからの景色は、周囲が自然なら見晴らしもいいだろうけれど、残念ながら目に映るのはこのビルと同じ高い建物や雑居ビルばかりだ。エコプロジェクトに参加し助成金を得ているのか、新しいビルの屋上にはポツリポツリと緑が見えるがそれだけだ。
「あいつに相談すんのか?」
カズフミに訊ねられたけれど、実は迷っていた。宮沢は昔から面倒見がいい。私だけではなく、周囲の人の手助けを当たり前のようにしている。それは、当然仕事のことが主になのだけれど、時には恋愛相談なんていうのもあるらしい。私は、同僚や戦友という立場で宮沢を見てきたし。相談というよりも、どちらかと言えば愚痴を言う相手という認識でいた。けれど、今回に関して言えば、愚痴というレベルの話ではない。もしかしたら、危険なことだってあるかもしれないのだ。そんな相談を宮沢にしていいものだろうか。一介のサラリーマンである宮沢に、ストーカーにつけ回されているかもしれないなんて相談したところで困るに決まっている。相手が探偵や弁護士や、はたまた警察の知り合いや屈強な格闘家なら、私もすぐに相談にのってもらうのだけれど。宮沢を見る限り、体はそれなりに鍛えてはいるだろうけれど、格闘技の心得があるようには見えない。
「俺もついてるし、宮沢なんていなくても平気だぞ」
どこぞの芸人のように胸を張り、根拠のない自信を見せるカズフミに、そうだねと力なく返して時刻を確認した。宮沢が待っていて欲しいと言っていた二十分が経とうとしていた。
カップに手を添えたまま、背後にある休憩室の入り口を振り返る。その向こうの気配は静かなもので、宮沢の姿はまだない。待っててくれなんて咄嗟に言ったはいいが、忙しくしているのだろう。そんな時に、ストーカーの相談なんてやはり迷惑なだけだ。
「帰ろっか」
隣の椅子にちょこんと腰かけていたカズフミが、待たなくていいのか? なんて顔をする。俺がいるから平気だと言ったのに矛盾している。
「宮沢は、忙しいから。もういいよ。カズフミが何とかしてくれるんでしょ?」
けしかけるようにからかうと、どうしてかまた根拠のない自信のある笑みを見せて「おーよ」なんて得意気だ。
「もしも私に何かあったら、相手にリモコン投げつけるくらいしなさいよね」
「リモコンは、持って来てねーぞ」
冗談が通じないのか、まったく。
「臨機応変て言葉、知ってる?」
休憩室を出てエレベーターの中で文句をぶつけると、馬鹿にすんじゃねぇよ。なんて膨れてしまった。その姿が可笑しくて、なんだか笑えてきた。さっきまでは、誰かにつけ狙われている恐怖や不安。忙しくしている宮沢に相談してもいいのかという迷いや戸惑いに表情も浮かなくなっていけれど。このちょっととぼけた幽霊のおかげで、少しだけど笑うことができた。
「ありがと」
「あん? なにがだよ」
「気持ちが塞いでる時だから、カズフミの可笑しな態度に気持ちが救われた」
「褒められている気がしねぇんだけど。まーいーや」
カズフミと社を出る。念のため辺りを窺い。昼間にカズフミが見たという、よれたチノパンの銀縁メガネ男がいないか探してみたが、今のところ見当たらない。
「見つけたら、すぐに教えてよ」
「おー。まかせておけっ」
社から駅までは十分にも満たない。人目の多い大通りを行き、辺りに気を配る。昼間感じたような付けられている感覚は、今のところない。カツカツとヒールが地面を響かせる。その音にストーカーが気付く気がして、なるべく静かに足を繰り出した。バッグの持ち手をしっかりと握り、カズフミがすぐ隣にいることを確認する。大丈夫。怪しい人物は見当たらない。
駅の入り口が見えてきた。自然と歩調が速くなる。ヒールのリズムが四分音符から二分音符に変わってから、ほんのわずかのことだった。荒い呼吸と共に、突然肩にかけていたバッグが後ろに引っ張られた。ひっという悲鳴にならない声が漏れ、心臓が一気に跳ねあがる。
油断していたわけではない。けど、カズフミもいるし、駅だって目の前だし。怪しい人物だって見当たらなかった。そう思っていたのは確かだ。
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君との透明な時間 花岡 柊 @hiiragi9
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