第18話 2番Bメロ 1
翔太君の一件から、数日が経っていた。今度は二人で出かけたいと言っていた宮沢だけれど、仕事が忙しいのもあってか、うんともすんとも声はかからない。そんな宮沢に対し、期待しているのかと言われればそれほどでもなく。早く誘って欲しいというわけではない。それは、女が涸れているというわけではけしてなく。仕事に復帰したことに関係していた。
入院中に他の人が回してくれていた得意先が私の元に戻ってきて、留守にしていた謝罪もかねて忙しく動き回っていたのだ。事故のことを知っている先方は、気遣ってくれたり、励ましてくれたり。いいお客様に恵まれているなとしみじみ実感している。
「いやぁ、ホント、無事でよかったですよね。宮沢さんから話を聞いた時は、本当に驚きましたよ。澤木さんとは、このまま末永くお付き合い願いたいので、元気なお顔を見られて安心しました」
「こちらこそです。これからも、よろしくお願いします。で、ですね。新しい商品がこれなんですが」
「おっ。さっそく売り込みですね」
先方が笑いながらも、自社から持ってきたサンプルの商品を手に取り眺めた。
「ここにあるボタンを押すとですね。ほらっ」
新しく発売する予定の可愛らしくも仕掛けのある筆箱を開いて見せると、担当の石川さんが「おおっ」なんて言って顔を綻ばせてくれた。
「こんなところに消しゴムが隠れているなんて、面白い仕掛けですね。こういうの、子供は好きですからねぇ」
「石川さんもそう感じましたか」
応接室で商品の説明をしている時、自分は本当に生き生きしているなと実感していた。私はこの仕事が好きだ。文房具も好きだし。それを手に取る子供を想像すると、自然と笑顔になる。ホント。生きていて、よかった。
営業先を出て、社に向かうために駅へと足を向けた。当然、カズフミも一緒にいる。今日もフワフワゆらゆらと、私の傍を浮遊していた。
六月に入って間もないせいか、まだ雨の確率はそれほど高くない。それでも、五月に比べれば湿度はしっかりと上がっていた。時刻は、まだ陽のある三時だ。空を見上げると、遠くに少し重たそうな雲が見えていた。夕方に雨がパラつくかもしれない。
カズフミと行動を共にしていると、まるでバディのようだと思うことがある。とは言っても、何か仕事で役に立つわけではない。ただ一緒にいる。それだけ。そう、それだけのことなのだけれど、今の私にはそれがとても心地よく感じられていた。
除霊することも考えたけれど。今はまだ、しばらくこのままでもいいかな。ずっと一人暮らしを続けていたせいか、人恋しいのかもしれない。あ、いや。人ではないのだけれど。
私の独り言にさえ、カズフミは打てば響くように面白おかしく返してくれる。たまに料理をすれば。へぇ、やればできるんだな。なんてまじまじとした顔で腕を組んで見せるから当然睨みつける。真剣な表情で仕事をしている時は、まじめな顔はおっかねぇなぁ、なんて茶化されるけど。それでも、流石夏奈だな、なんて褒められれば悪い気はしない。仕事というものを理解しているような気はしないけれど、褒められるのは嬉しい。テレビを観れば、お笑い芸人のネタに一緒になって笑い。買い物に行けば、こっちの服の方が夏奈っぽいな、なんて口を出すこともある。周りには一切見えないし、声も聞こえないけれど。私にだけ見えるカズフミの存在は、生活の一部となり始めていた。
本当なら、あの場所でどんな事故に巻き込まれて亡くなったのか、調べてあげるべきなのだろう。カズフミが抱える本人も知らない無念を晴らしてあげるべきなのだ。そうすればカズフミは、現世に縛られることなく成仏できるはず。それがカズフミにとっていいことなのだと思っても、自分の心がカズフミの存在を引き留めていた。
あと少しだけ。もう少しだけ……。
我儘な子供のように大事なことから目を背けて、今あるこの時間だけに寄り添っていたいと思ってしまう。
そんな中。ここのところ、カズフミ以外の気配を感じることがよくあった。それは、幽霊のカズフミにも感じたことのない独特の嫌な気配。いつの頃からかははっきりしないけれど、付かず離れずあとを付けられている気がしてならないのだ。
例えば、社を出て帰宅する時や、週末に出かけた時。私が外に出るのを見計らうようにして、あとをつけてくる気配がしていた。昼間はまだいいとしても、灯りの乏しい帰宅時は気が気ではない。いくらカズフミがいるとはいえ、相手をやっつけるなんてことはできないだろう。リモコンを使ったり携帯を操作したりしているからどうにかしてくれるのではないかとも思うが、現実としてその期待はしない方がいいように思っていた。もしも何か起きた時には、自分でどうにかしなくてはいけない。今のところ、外に出た時に誰かにつけられている気はするものの、いたずら電話やポストの手紙を盗まれ勝手に開封さるなどという被害は出ていない。会社におかしな電話が掛かってくることもないし、変なファックスやメールが流れてきてもいない。けれど、誰かがあとをつけてきているのは確かで。そう感じるだけで不安になっていた。
人は、目に見えない物に恐怖や不安を覚える。手で触り、目で確認し、音を聴いて安心したいと思ってしまう生き物だからだ。カズフミに触れることはできないけれど、この目に映りいつでもそばにいると思うだけで安心することはできた。
「ねぇ。今日もどこかから視線を感じるんだけど……」
営業先から帰社するために、駅への道を歩いていた時だった。背中に感じる得も言われぬ気配に、私はビクビクとしていた。変にエスカレートしないためにも、つけられていることを悟られない方がいいような気がして、なるべく歩調を変えず前だけ向いてカズフミに話しかけた。
周囲は雑多な音やもので溢れていて、私と同じように仕事に勤しんでいるサラリーマンやОLに、子供を連れた母親や学生もいた。街頭モニターでは、最近人気のあるアニメ声優が、コンサートの告知をしている。その画面を一瞥しながら、周囲の気配に神経を尖らせた。
カズフミは、私の代わりにキョロキョロと辺りを窺ってくれている。
「特に変な奴は見当たらねぇけどな」
「私の気にし過ぎってことはないように思うけど……。これってさ、ストーカーだよね……」
口にすると、なんとおぞましい単語だろう。ぷより始めたアラサー女をつけ狙ったところで、面白くもなんともないだろうに。何が楽しくて、監視するみたいにつけてくるのだろう。
強張る表情のまま、不安な気持ちを押し殺す。普段ならそれほど気にもしない地下鉄までの距離がもどかしいくらいに遠い気がした。漸く入り口が見えたことで、少しだけ足早になる。
「ストーカーか。ニュースで見たぞ。あれは、ひっでぇな。警察も、事が起こってからじゃないと動いてくれねぇんだろ? 理不尽な話だぜ」
私よりも憤慨した様子で話すカズフミの言葉を聞きつつも、やはり薄っすらと感じる誰かの気配や視線が気になって仕方ない。まだ昼間の明るいうちだからと安心しきっていることもできず、どうしたって背後に感じる気配に背筋が寒くなり、気がつけば小走りになっていた。
ヒールを鳴らして走る私のあとに続き、カズフミもスーッとついてくる。
「ストーカーには困るけど、痩せそうだな」
ピタリと傍についてきながら空気の読めない冗談を言うものだから、笑えないと睨みつけつつ地下鉄の階段を駆け下りた。幸い人が多い場所のおかげで、縫うように駆けていくと、付けてくる気配が薄れた気がした。それでも、改札を抜けてホームで電車を待つ時間はもどかしい。普段それほど気にもしていないのだけれど、付けられている気がしている今は、電車が来ないことに焦りと苛立ちが募る。
「あっ」
カズフミが突然声を上げた。向かい側のホームを見ているカズフミの視線を追おうとしたところで、丁度電車が滑り込んで視界が遮られた。
「あいつかもしれねぇぞ」
カズフミの目が向かい側のホームに据えられ、細く鋭くなった。見つけたストーカーを追いかけようと、カズフミが私から離れる。その瞬間、正体がわかるかもしれないという思いよりも一人になる不安の方が大きくなり、離れていくカズフミを掴もうと思わず手を伸ばす。当然、私の手はすり抜け、カズフミは向かい側のホームへと電車を通り抜け行ってしまった。私の視界は電車に遮られ、人に遮られ、カズフミが向かった場所を確認できない。
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