第17話 2番Aメロ 4
動物園に来た時と同じように、翔太君を間に挟み三人で手を繋いで歩いた。そのまま園内にある飲食スペースに向かったけれど、満席でなかなか空きそうにない。
「しょうがない、出るか。いいか、翔太」
確認すると、キリンを見て満足したこともあってか、動物よりご飯がいいとはしゃいだ。子供の現金さに、宮沢が苦笑いを浮かべている。
ハンバーグが食べたいという翔太君の希望をかなえるべく、動物園を出て少し歩いた先にあったファミレスに入った。窓際のテーブル席に案内されると、翔太君は迷うことなく私の隣に腰かけ、宮沢が向かい側に腰を下ろす。
因みに、カズフミは宮沢の隣にわざと座るものだから、二人に気がつかれないように睨みつけると「ケーチ」と言って席を外した。
全く、油断も隙もないんだから。目の前に座ってヘタに話しかけられたら、反応しちゃうじゃない。
席を追い払われたカズフミは、店内をフラフラ探索中のようだ。ドリンクマシーンの前にある多種類の飲み物を見て感動している。
宣言通り、翔太君はわき目もふらずお子様メニューのハンバーグを指さした。宮沢はステーキセットを頼み、私は和食御膳にした。
「かつ丼喰いてぇ~」
いつの間に店内探索から戻っていたのか、メニューを覗きこんだカズフミが背後で漏らした。その言葉に反応しそうになって、慌てて平常心を装ったら頬が引き攣った。
全く、いちいち口に出さないでもらいたい。
注文を終えると、店員さんがお子様セットについてきた車の玩具を翔太君にくれた。
「開けていい?」
ビニール袋に収まった玩具に、目を輝かせて訊ねる翔太君に宮沢と頷いた。
「家族みたいだな」
玩具に気を取られている翔太君を眺めながら、不意に宮沢が言った。その言葉に動物園で同じように感じていたことを思い出していた。
「宮沢は、まだまだ結婚しそうにないよね」
家族というワードに反応しそうになりながらも冷静さを装って返答する。
「仕事に夢中でしょ?」
「それは、澤木だろ。というか、俺はつい最近他にも夢中なものに気がついたんだけどな」
含みを持たせるような言い方をしながら私を見てくるから、つい目が泳ぎ、お冷やのグラスに手を伸ばした。
何? なんて訊くのは、無粋だろう。私の思っていることが宮沢の考えていることと然程ずれていない気がするからだ。無言のまま笑みだけで反応をせずにいると、なぜか翔太君が訊いてきた。
「何に夢中なの?」
テーブルの上でおもちゃの車を走らせながら訊ねる翔太君に宮沢が笑う。
「翔太が訊くなよ」
翔太君は、よく意味の分からないまま、えー。なんて批判の声を上げた。場の空気を和らげてくれた彼にほっとして笑みを見せる。
ハンバーグを美味しそうに頬張る翔太君を眺めながら、この後どうする? と訊ねるとアニメ映画でもどうだ? と宮沢が提案した。
「僕、ポ〇モンが観たいっ!」
口いっぱいにハンバーグを入れながらはしゃぐ。翔太君の楽しそうな笑顔に、早速宮沢が近くのシネマコンプレックスを検索しネット予約した。
「このあとは、二時から上映だな」
それに合わせて食事を済ませ、ファミレスを出た。
「アニメ映画なんて、記憶にないくらい久しぶりだよ」
電車で移動したあと、翔太君と手を繋ぎながらシネコンに入り、飲み物とポップコーンを手に席に着いた。
翔太君は映画が始まるまでの間、宮沢と私に楽しそうにキャラクターの説明をしてくれた。カッコイイね。凄いね。と返すと、得意気な顔をするから可愛くてならない。
映画の中では可愛らしくも強いキャラクターや、一緒に行動する子供たちの愛情溢れる行動に涙や笑いを誘われつつ夢中になった。気がつけば、ポップコーンを手に持ったまま見入っている時もあったくらいだ。
子供ができたら、こんな風に家族で映画っていうのもあるんだろうな。
ぼんやりとそんなことも考えつつ、空いている私の左隣に座ったカズフミのキラキラした目をみて頬が緩んだ。ここにも一人、子供みたいのがいた。
このままずっとこうしてそばにいるのか、それともある時突然消えてしまうのか解らないカズフミだけれど。この世にいる間だけでも、楽しいと思えることに巡り会わせてあげられたらいいな。ちょっと感情移入し過ぎにも思うけれど、常に一緒にいると情の一つもわくというもの。
世間のことを何も知らないカズフミの瞳は、気がつけば少しずつ私の心を掴んでいた。おどろおどろしいところの一つもないその姿に、まるで一人の生きている人間として対峙してしまいそうになる。けれど、薄っすらと透けている足元のイギリスブーツを目にするたびに、心の奥がキシキシと音を立てる。カズフミとは、冗談を言って肩を叩くことも、美味しいものを見つけても一緒に食べることもできない。その事実に、館内の暗闇と心が同調していくようだった。
映画を観終わり、宮沢にあれもこれもとグッズをねだった翔太君は、キャラクターのイラストがついたショッピングバッグを手に持ち、ホクホクとした表情をしている。
「宮沢のおじちゃんがたくさん買ってくれてよかったね」
わざとおじちゃんを強調すると、まいったな、なんて笑っている。どうやら、まだおじちゃんという言葉に慣れていないようだ。
翔太君は帰りの電車ですっかり寝入ってしまった。宮沢に抱っこされたまま、すやすやと無垢な寝顔を見せている。慣れない人や場所もそうだし、朝から出かけていたから疲れてしまったのだろう。
「お姉さんは、いつお迎えに来るの?」
「明日の午前中って言ってた」
「じゃあ、宮沢にはまだまだおじさんとしての試練が残っているわけね」
からかうように笑った。
「澤木が帰ったあと、どうなるのか不安しかないよ。泊っていって欲しいくらいだ」
深い意味もなく出た言葉なのかもしれないけれど、私ときたら過剰に反応してしまい、宮沢を見たまま硬直してしまった。それに気がついた宮沢は、可笑しそうに口元をほころばせる。
「固まるなよ」
宮沢がクツクツと笑うと、電車が最寄り駅に着いた。ぐっすり寝入ってしまった翔太君を宮沢が背負いマンションに戻る。
散々暴れてグチャグチャにしていたベッドを整えて翔太君を寝かせた。
「夜飯食ってないけど、平気だよな。ポップコーン食ってるしな」
大の字のようにして手足を投げ出し、スヤスヤとベッドの上で寝息を立てている翔太君を宮沢が振り返った。
「お腹が空いて起きた時のために、おにぎりでも作っておこうか?」
時刻はまだ五時だ。このあと起き出しても不思議ではない。
「そうしてもらえると、助かる。自炊はあまり得意じゃないんだ」
なんでもそつなくこなす宮沢の不得意を聞くのは、今日でいくつ目だろう。
「お米は?」
「ない」
「そこからですか」
不得意どころではないと呆れて笑うと、ちょっと買ってくると財布片手に部屋を出ていく。
宮沢がいなくなったあとの室内を眺めた。今朝は急に呼び出されて慌てていたのもあったから余裕などなかったけれど。改めてみてみると、部屋の中は社にある宮沢のデスク周りと同じで、きれいに掃除され整っていた。自炊は得意ではないみたいだけれど、整理整頓は得意のようだ。
書棚には仕事関連の本がいくつも並び、デスクにはパソコンがあった。食器棚にあるのは、あまり使われることのない食器の類のようで、出し入れした形跡は少ないように見えた。よく使うのだろう、シンプルな藍色のマグカップが取り出しやすいよう手前に置かれている。
キッチンにはコーヒーメーカーがあるから、コーヒーを飲みながら仕事をしているのかもしれない。
「女の痕跡は、ないみたいだな」
カップを覗き見ていると、さっきまで姿を見せず静かにしていたカズフミが、不意に耳元で話しかけるから、驚きに悲鳴を上げそうになった。
「ちょっと、急に出てきて話しかけないでよっ」
翔太君を起こさないよう静かに、でも怒りながら抗議した。
「わりい。わりい。これでも二人の邪魔しちゃあいけねぇと思って、身を潜めてたんだぜ」
得意気に言うその顔にグーパンしたい。
「身を潜めているなら、もう少し姿消しててよ。まったく」
「そう言うなって。カップも一個だし、風呂場の方も見てきたけど、歯ブラシも一本だったぞ」
「頼んでもいない情報を、ありがとう」
厭味ったらしく礼を言ったけれど、そんなことなど気にもしていなかった。
あんな風に宮沢に抱き締められたり見つめられたりしたけれど、感情は今ひとつ盛り上がりに欠けていた。相手が同僚の宮沢とは言え、久しぶりに女性扱いされているわけだから、少なからず浮かれている部分はある。けれどそれは、本当に浮かれているという言葉が当てはまるように、できの悪い子が褒められて有頂天になっているのと大して変わらない。
近所のスーパーから戻った宮沢の手には、二キロの米と具になりそうなほぐし鮭の瓶詰とたらこの瓶詰。それから、翔太君が好みそうなオレンジジュースとリンゴジュース。卵にウインナー、食パンまであった。
「よく解らないから、色々買ったよ」
そう言ってキッチンに食品を置いていく。
「これで二、三日は、翔太君と暮らせるじゃん」
冗談を言う私に。
「どうせなら、澤木も一緒がいいな」と笑う。
スーパーの袋からお米を取り出しながら、サラリと返された言葉に驚いて動きが止まった。
「だから、固まるなって」
ケタケタと笑う宮沢を見ていれば、暫く彼氏のいない私を面白がって、単にからかってでもいるのかとさえ思えてしまう。
「ふざけないで」
同じようになんとか笑みを浮かべて返すと宮沢が肩を竦めた。
お米を炊いて、小さめのおにぎりをいくつか作った。明日の朝のために、サンドイッチも作っておく。
「ウインナーくらいは、炒められるでしょ?」
「まかせろ」
得意気に返すから、可笑しくてならない。
食事の準備を整えると、時刻は八時近くになっていた。
「じゃあ、私はこの辺で」
バッグを手にして、玄関へと向かう。
「休日なのに付き合わせて悪かったな。澤木がいて本当に助かったよ。ありがとな」
「どういたしまして。翔太君は可愛いし、私も久しぶりに動物園やアニメ映画を観られて、楽しかったよ」
「送っていけないけど、大丈夫か?」
眠ってしまっているとはいえ、翔太君を一人にするわけにはいかないのだから当然だ。
「平気よ。じゃあ、また会社で」
「ああ。あー、あと。今度は二人で出かけるっていうのは、どうだ?」
玄関ドアに手をかけたところで言われて振り返る。
「俺としては、二人で出かけたいと思ってるんだけど」
突然の誘いに、断る理由も思いつかず首を縦に振った。満足げな表情をした宮沢に見送られてマンションを出た。
「さっきのって、そういう意味だよね?」
ふわりと現れたカズフミは「だろ~な」なんて、気のない返事をして寄越す。
隣に並び、スーッとついてくるカズフミの表情を窺うと、少し不満気に見えた。その表情に、どこか満足している自分がいる。
「なんか言いたいことでもあるの?」
わざとそんな風に返す。
「別に~」と含みを持たせたまま、フワフワとカズフミは私のあとをついてくる。
「言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「別にねえって」
「そっ。じゃあ、そんな顔しないでよ」
「そんな顔ってなんだよ。男前だろ?」
「どんだけ自分に自信があるのよ。この似非ミュージシャンが」
「おいっ、夏奈。俺は、似非じゃねぇぞ。ギター弾いてやろーか?」
あんっ? とわざとらしく顎を突き出して凄む姿に、二人で笑ってしまった。
カズフミが笑う。それだけのことに幸せを感じていた。
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