第6話 さらに山奥へ

   

 京都市内が一望できる場所であり、ちょうど「大」一画目の横棒に相当する場所であり、『日本では毎年約10万人が行方不明になると言われている』の作中では「山頂広場」という言葉で表現した場所であり……。

 そんな開けた場所まで来ると「山の上に登った」という満足感もあります。

 遠くまで開けた視界の上側では、青い空が広がり、白い雲がポツポツと浮いている。そんな良い天気でした。


 平日の昼間なので、ほとんど誰もいないだろう。私はそう思っていたのですが、大間違いでした。

 まずは、幼稚園だか保育園だかのグループがひとつ。遠足なのでしょうか、あるいは、普通に「近くの公園まで遊びに行く」の感覚でここまで来ている? いずれにせよ、引率の大人も含めれば、十数人か20人くらいの集団でした。

 他にも十数人の人たちが、座って休んで――眼下の景色を眺めて――いたり、歩いていたり。その中には、外国人らしき男性も混じっていました。


 とりあえず私は、京都駅のコンビニで買ったおにぎりを食べ始めます。『日本では毎年約10万人が行方不明になると言われている』の冒頭部分は、


>「ここに来ると、来るだけで何だか清々しい気持ちになるなあ……」

> 眼下に広がるのは、京都の街並み。人々で賑わう市内の様子を眺めながら、私は大自然の空気を味わうと同時に、用意してきたおにぎりを頬張っていた。


 となっているので、その主人公に自分を重ね合わせる格好です。

 ただし「市内の様子を眺めながら」だけでなく、私の場合「音声AR肝試し」の音声コンテンツを聴きながらでした。

 この場所がコンテンツのスタート地点。六つある音声スポットの一番目となっており、物語の最初の部分だけをここで聴ける仕様になっています。

 厳密に物語に場所を合わせるならば、続きは山奥で聴く格好になるのが最善ですが……。スマホが繋がらない可能性があったり、山奥は危険と判断されたりでしょうか。音声スポットの位置表示を見ると、ここから下山しながら聴く形になっていました。

 とはいえ、せっかく来た大文字山です。前々回のところでも書いたように「もう二度と訪れる機会もないかもしれない」と思うくらいなので、音声コンテンツの続きを聴くのは後回し。さらに上を目指すことにしました。


 広場から上がっていくと、最初は火床に沿って石段もあります。8月16日には炎で描かれた「大」の文字全体が京都市内から見えるのですから、「大」二画目の上端までは開けた場所であり、見晴らしが良いのも当然ですね。

 そこから先は、また木々に囲まれた、いかにも山中といった感じの山道に変わります。真の山頂への登山道です。

 その入り口のところに、また立札がありました。「傷害事故等が多発しています。特に夜間の登山を禁止します」と書かれています。

 学生時代には、それこそ夜中に通った山道ですが……。当時もあったけれど見落としていたのか、あるいは、時代が変わったからこのような注意が掲示されるようになったのか。いずれにせよ、これも物珍しく感じました。


 その立札をスマホで撮ったのが12:09。そこからの山道は、念のため地図を見ながら歩きたいくらいでしたが、ネットで見つけてプリントアウトしてきた地図は、山歩きに慣れていない私には見にくいものばかり。

 むしろスマホのアプリ、「音声AR肝試し」の地図が役に立ちました。音声スポットだけでなく、近隣の地名なども記載されていますし、その「近隣の地名」の中には「大文字山」という表記もあります。しかも位置的に、それが山頂っぽい。

 また、自分自身の現在地も表示されるので、アプリの地図を見ながら歩けば、現在地を示す点も動いてくれます。これならば、迷う心配もありませんね!

 こうして「音声AR肝試し」アプリを頼りに、山頂への道を歩き……。

 山頂に到着したのは12:29。広場というには少し手狭な気もしますが、少し開けた場所です。高い木々に囲まれているので――完全に囲まれているわけではないものの――、「大」一画目に相当する広場ほど視界は開けていません。だから「京都市内が一望できる」にはなりませんが、それでも一応、ある程度は市内の様子が見えていました。

 そんな山頂にも、思った以上の登山者が来ていました。まずは、先ほど「大」一画目の広場にいた幼稚園だか保育園だかのグループが、いつのまにかこちらまで来ていました。また、他にも数人以上は、座って休んでいる人たちが。


 私は特に休憩する気分でもなく、ある意味、目的地までは来たということで、すぐに引き返しても良かったのですが……。

 まだ12時半ならば、もう少し先まで行けるのではないか。さすがに滋賀まで抜けたら時間かかるからそれは無理として、どこかキリの良いところまでは行ってみたい。

 そう考えて「音声AR肝試し」アプリの地図を改めて確認すると、少しだけ先に「如意ヶ嶽城跡」という地名があります。

「えっ、大文字の山中にお城の跡がある……?」

 場所的には学生時代にとおったことがあるはずなのに、城跡なんて見たことも聞いたこともありません。これは興味を惹かれて、そこまでは行ってみようと歩き始めました。


 アプリの地図に表示される現在地が、その「如意ヶ嶽城跡」と重なったのは12:36。周りを見回しても、城跡なんて見当たりませんが……。

「ああ、ここか!」

 思わず心の中で叫びたくなりました。何もないくせに、見覚えだけはある場所だったのです。

 開けた場所……というには微妙に開けていないけれど、木々の生えていないエリアが少しある。周りの木々も間隔がまばらになっています。

 学生時代にここを通った時も「何かありそうで、何もない?」と少し奇妙に感じたものでした。なるほど、今は何もなくても、昔々この辺りに山城や砦のたぐいが作られていたのでしょうね。

 まあ「昔々この辺りに」というのも面白いですが、この場所の大きな問題は「周りの木々も間隔がまばら」という点。木と木の間が通行可能なので、それらも普通に山道のように見えてしまうのですよ。

 前回のところで「大文字山の山頂を越えた先で、道を間違えたことがある」と書きましたが、おそらくここだったのでしょうね!

 手元の「音声AR肝試し」アプリの地図では、ここで道が二つに分岐しているように書かれていますが、実際に立ってみると、どれがその二つの山道なのか、よくわかりません。

 今回の場合は、アプリの地図に現在地が表示される分、道から外れたらすぐに気づくし、迷う心配もないでしょう。でも昔の私のように、地図のたぐいの準備が何もなければ、なるほど、ここで道を間違えてもおかしくない。

 ひょんなことから「おそらく昔はここで迷ったんだ!」というのがわかり、少しスッキリしました。


 スッキリしたところで、今回は引き返します。「アプリの地図があるから今回は大丈夫」とはいえ、かつて迷った場所ならば、やっぱりこの先は心配ですし、そもそもこれ以上奥へ行くのもキリがない。

 そんなわけで、再び「大」の横棒の広場――私が勝手に「山頂広場」と呼んでいる場所――まで戻ってきたのが12:57。

 なお、戻る途中で先ほどの幼稚園だか保育園だかのグループは追い抜いたのですが、この「山頂広場」まで戻ると、また別の幼稚園だか保育園だかのグループが遊んでいました。

 この近辺の幼稚園や保育園にしてみれば、大文字山はそれほど気軽に登れる山なのでしょうか。

 まあ私自身、学生時代は「気軽に登れる」と思っていましたし、今回の登山で「思ったより険しいぞ」と考えを改めてのは、ただ単に年をとった証拠だったのでしょうね。

   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

秋の日帰り京都旅行 烏川 ハル @haru_karasugawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画