(9)呼び名

「隊長代行の副官が、野盗と手を結んで横領を働くなんて……」

「よくある話だ。軍事物資というのは量が膨大だし、帳簿で適切に管理されていないことが多いからね。我が隊の備品はクロルが管理していたが、隊長代行が経理に明るいという触れ込みの副官殿に物資調達と管理を任せるようになったのでこのザマだ」

 翌朝、マリトはリリエラに朝食を運んだついでに、昨夜の一連の出来事について話していた。

「副官を個人的に雇っていた隊長代行の責任は免れない。本日付けで辞職するが、どこまで責任を追及するかは自警団組織を所管するログラム市参事会の判断になる。それと、我がパランディル隊は半分帝国軍の管轄とも言える組織だから、帝国は今回の一件に懲りて、我が隊の編成に関する権限の多くを市参事会から取り上げるはずだ」

マリトは椅子に背をもたせかけて脚を伸ばしつつ、窓の外に目を向けた。「我々隊員にとっては悪くは無い話だ。君にとってもね」

 どういう意味か分からず顔を上げたリリエラに、マリトは微笑みかけた。

「あの隊長代行が辞任すれば、隊長職はザイラフ副隊長が代行する。少なくとも、また市参事会から魔族討伐の素人が送り込まれてくることは無いだろう。となれば、君を我が隊に迎えることに反対したり、迎える理由を書類にまとめて提出しろなどと言われる可能性が無くなったということだ」

「ありがとうございます!」

 リリエラは椅子から立ち止まって勢いよく頭を下げた。が、顔を上げた時はやや緊張した面持ちでマリトを見詰めてきた。彼女の言いたいことを察したマリトは、少女の視線を受け止めながら、柔らかな口調で問うた。

「昨日の質問の答えは出たかな?」

 マリトの問いに、リリエラは背筋を伸ばし、迷いなく決然とした口調で答えた。

「はい、一晩考えました。もし隊の任務か敵討ちか、どちらかを選ばなければならなくなったら、隊の任務を優先します」

 マリトは表情を変えずに、リリエラの琥珀色の瞳をのぞき込んだ。「いいのか?」

「構いません。私にとって父の仇を討つことは、生きる目的そのものです……ですが、仇を討っても父は帰ってきません。敵討ちというのは、生きている者のための行為ですから」

 リリエラの瞳が僅かにゆらめいたが、彼女はそのまま続けた。「そのために、他の人を危険にさらすようなことはできません」

 マリトは数瞬目を閉じ、そして開いた。「よく分かった。君に私の剣を教えよう」

 リリエラの顔が、ぱっと明るく輝いた。が、すぐに表情を引き締め、深々とマリトに一礼した。

「よろしくお願いいたします」

「いい返事だ。だがまず、最初のうちは基礎的な体力作りから始める。それも隊の仕事の合間にな。君の入隊はまだ少し先だが、剣の修業は早速今日から始めるぞ」

「望むところだ。さっさと私を使いこなせるよう、小娘をしごき倒せ」

 リリエラの口調と表情ががらりと変わる。マリトは肩を落とすと、ベッドの脇に立てかけられている剣に向けて大きくため息をついた。

「いきなり彼女を乗っ取らないでください。それと言っておきますが、訓練の邪魔はしないでくださいよ」

「分かっている。だが一つ教えろ。貴様も敵討ちの経験があるな?」

 質問と言うより断定だった。マリトは一瞬表情をこわばらせたが、すぐに緩めた。

「ご想像におまかせしますよ。それより、こちらも質問があります」

「ふん、こちらの問いには答えずに質問をよこすのか? まあいい、言え」

「あなたのことは何とお呼びすれば? テルフェンタリスという銘はいささか長すぎる。『魔剣』ですか? それとも『呪われた鉄の棒』?」

 剣に憑依されたリリエラは、鼻であしらった。

「くだらん。が、確かに呼び名が無いと不便やも知れぬな。まともな呼び名なら認めてくれよう」

「では、銘の一部を取って『タリス』ではいかがでしょう?」

 マリトの提案に、リリエラの顔が引きつった。「いやに俗っぽい響きだな。詩的さがかけらも感じられん。誰が喜ぶというのだ?」

「リリエラにそんな凶悪な表情をさせないでください。いい呼び名だと思いますがね」

 マリトがなだめるように言っても、リリエラはむすっとした表情のままだった。マリトは仕方ないという感じで肩をすくめ、「では、所有者であるリリエラの意見も聞いてみましょう。持ち主の意向を最大限尊重するということでよろしいですね?」

「好きにしろ。小娘なら貴様よりはましな名前を考えそうだしな」言うなり、リリエラの体がぐらりと揺れる。マリトが彼女の体を抱きとめると、リリエラはすぐに目覚めた。

「あ……また、私……」

「気にしなくていい。それより、君の東方剣だが」マリトはリリエラを椅子に座らせながら、さり気ない調子で尋ねた。「君は何と呼んでいる?」

 リリエラはちょっと首を傾げて、ベッドの傍らに立てかけた東方剣に目を移したが、すぐにマリトに笑顔を向けた。

「テルフェンタリスという銘は長いので、私は心の中ではいつも『タリス』と呼んでいます」

「ありがとう。では決まりだ、その剣はタリスと呼ぶことにしよう」

 マリトはそう言ってから、「いい響きだ。俗っぽさなどない、この剣によく似合う詩的な呼び名だ。この良さが理解できない奴がいるとは思えないがね」と、剣に向かって思い切り意地の悪い笑みを向けた。

                               (第1章 了)

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魔剣はもっと冷酷な 倉馬 あおい @KurabeAoi

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