(8)捕縛

 夜の北方地域は、この季節でもそれなりに冷える。天頂の月が澄んだ夜空を蒼く照らす中、マリトとザイラフは砦の中庭の南に位置する厩舎の陰に身を潜めていた。

「お前さんの見立ては、確かに筋は通ってる。今回の襲撃の理由のな」

 口元を動かすことで少しでも暖を取ろうとするかのように、副隊長は低く小さくつぶやいた。

「言われたとおり、あの後隊長代行に『襲撃の前にログラムから帝国軍の伝令が来て、査察の日程が明日に繰り上がった』と伝えておいた。だが、こんな嘘だけで奴が動くのか?」

「おそらく動かざるを得ないでしょう。野盗の襲撃が失敗したところに、期限が明日と切られたわけですからね」

 副隊長は低く唸ってうなずいた。「動くなら今夜しかないな。今この砦は手薄だ」

「ええ。クロル、ジュリシア、ルーリクは避難民の収容の手伝いのためログラム市に、副隊長と私は帝国軍への報告のためログラム城塞にいることになっています。これでトルバイア兄弟とフルグが夜間巡視に出れば、砦には隊長代行と副官しか残りません。行動を起こすなら嫌でも今しかない」

「しかし、あのリリエラとかいう娘さんはどうする?」

「隊長代行には、彼女はログラムに避難したと言ってあります。実際は、私の隣の空き部屋で寝ていますよ」

 マリトはそう言ってから、居館別棟の二階にいるリリエラは寝ているだろうかとふと思ったが、その時ザイラフ副隊長がマリトに「おっ、見ろ」と注意を促した。マリトは厩舎のの壁の暗がりに身を寄せつつ、砦の西棟の扉がゆっくりと開くのを目にした。黒い外套で全身を隠した人物が、周囲の様子を窺いながらそっと砦の中庭に出てくるのが見える。その人物の顔はフードに覆われていて見えなかったが、右手にランタンを、左手に小さな壺を抱えているのはマリト達のところからも良く見て取れた。

 外套の人物は扉の陰から中庭の方を見渡し、誰もいないことを確認すると、小走りで倉庫のある砦の西の外壁に駆け寄ってきた。そして倉庫の前に立つと、用心深く左右を見回してからランタンを地面に置き、左手で抱えていた樽を両手に持ち変える。そのまま樽を傾けて静かに中身の液体を倉庫の壁や戸口に撒きはじめるのを、マリトと副隊長は無言で見つめていた。

 やがて樽の中身が空になると、外套の人物は一歩下がって倉庫を眺め、それから再度周囲を見回す。しばらく砦の中の気配に神経を集中させていたようだが、わずかな風の音しか聞こえないことを確信すると、懐中から木片を取り出し、地面に置いていたランタンの火に近づけた。そして火が燃え移った木片を、撒いた油溜りにそっと投げた――。

「こんばんは」

 マリトが物陰から出て声をかけるのと、木片の火が倉庫の扉の手前の液体溜りに落ちたのが同時だった。木片の行方に気を取られていた外套の人物は、文字どおり飛び上がってからマリトに顔を向ける。

「こんな時間に何をしているのです? 私には、倉庫に火を付けようとしているようにしか見えませんが」

「もっとも、火は付かねえぜ。夕方に馬鹿兄弟が司令棟の油樽を補充した時にすり替えておいたんだ。表面だけ油が浮くようにして、あとは全部水を入れた樽とな」

 ザイラフ副隊長がマリトの脇から歩み出た。

「今、お前さんのしたことは立派な放火未遂だ。おとなしく――」

 外套の人物は、足元に置いてあったランタンを副隊長目がけて蹴り上げた。ザイラフが咄嗟に払い落とした隙に、その人物は身をひるがえして猛然と逃げ出した。不運なことに、ザイラフが払い落としたランタンが足元に落ちたせいで、マリトが追うのが数瞬遅れる。外套の人物は、中庭を駆け抜けて正門か東門から外に出ようとしているのは明らかだった。

 が、その中庭には人影があった。ちょうど雲が切れて月が顔をのぞかせ、その人影を月光で蒼く照らす。それは剣を手にした少女の姿――リリエラだった。

「殺すな!」

 リリエラが例のテルフェンタリスとかいう得体のしれない剣に意識と体を乗っ取られていることを即座に感じ取ったマリトは、今日二度目の叫びを口にした。が、そのときリリエラはすでに無造作に歩き出し、必死の勢いで向かってくる外套の人物に平然と向き合っていた。外套は足を止めず、そのまま少女を突き倒そうと突進するが、少女が剣をすらりと抜いたことに気付いて咄嗟に進路を変え、彼女の左側を走り抜けようとする。だが矢のように飛び出したリリエラの、流れるような斬撃をかわすことは出来なかった。

 外套の人物は爬虫類の断末魔を思わせる呻き声を上げ、走ってきた勢いのまま数歩進んだところでばったり倒れた。ようやく追いつき、駆け寄ったマリトがかがんで確かめると、息はある。

「峰打ちという奴だ」リリエラは――正確にはその体に憑依している剣は――小さく笑うと、ふっとその場にくずおれた。マリトは外套の男を放り出し、素早くリリエラの体を抱きとめた。

「どうなってる?」

 わずかに遅れてきたザイラフが、困惑気味に尋ねた。マリトはリリエラを肩に担ぎながら、平静そのものの表情で答える。

「リリエラ嬢が剣の冴えを見せてくれただけです。東方剣の峰の部分で強打しただけなので、切れてはいません。鋼鉄の棒で殴られたのと同じですから無事ではないでしょうが」

 その外套の男がうめき声を上げたので、ザイラフは用意していた縄で手早く縛り上げた。「観念しろ。お前が何でこんなことしようとしたのかは分かってる」

「副隊長、そいつをお願いします。私はリリエラを休ませてから行きます」

 マリトがそう言った時、ザイラフは外套の男のフードをはぎ取って、隊長代行付き副官兼秘書のラツィマー氏の顔を月光にさらした。



「そんな話が信じられるか! ラツィマーが賊の仲間だと? こんな夜遅くにたたき起こして……」

 マリトが隊長室に入ると、ゲラーズ隊長代行はザイラフに向けていた罵声を止めて彼女をじっと睨みつけた。マリトは涼しい顔で視線を受け流すと、副隊長が小さくうなずいたのを見てから口を開いた。

「事実です。あなたの秘書兼副官のラツィマー氏は、先ほど砦の倉庫に放火を試みました。私とザイラフ副隊長の二人に現場を目撃されています。まだ現場もそのままですので、よろしければご検分を」

「いや、それはいい」

 隊長代行は、こんな夜中に外に出られるかというように首を振ってから、それ以上に重要なことだといった感じで重々しく続けた。

「……むろん放火は重罪だ。だがだからといって、野盗山賊の類と通じていたということにはなるまい?」

「確かに放火と野盗は直接はつながりません。しかしそれでは何故放火をしようとしていたのでしょうか? 昼間の賊も同じことを目論んでいましたが」

 隊長代行はむっという表情で言葉を詰まらせた。

「ラツィマー氏は以前、闇賭博に熱を入れあげてかなりの額の借金をされていたそうですね。しかしここ数か月、返済に困っていた様子は無い。金銭面では全く不自由していない様子で、着る物にも何気に金がかかっていました」

「……それはわしも気付いていた」

「おかしいとは思いませんでしたか? それまで借金に苦しんでいたのに、この砦に着任してから急に金回りが良くなった。彼は隊員ではないので、給与はあなたの私費からしか支払われていない。にもかかわらず、自弁であなたが身に着けているような高価な防具や軍装を揃えられるほど給料が良かったのでしょうか?」

 マリトの皮肉な口調を無視して、ゲラーズは「要点を言え」と促した。マリトは小さくうなずいて、それならと答えを口にした。

「彼は我が隊で使用している銀を盗み出し、盗賊に横流ししていたのです」

 マリトの言葉に、隊長代行は絶句し、呻き、反論しようと口を開けたが、人語は出てこなかった。代わりにマリトの冷静な声が響く。

「リブルデインのノルダーレント侵攻以来、魔族に怯える金持ち連中が魔除けに銀を買い求めるせいで、大陸北部の銀の値段は急騰しています。そして我がパランディル隊には、魔族討伐の武器に使用するまとまった量の銀がある――ろくに施錠もされていない倉庫の中に、無造作に箱詰めされた状態で、です。隊長代行の副官として着任したラツィマー氏が、誘惑に駆られたのも無理はない」

 マリトが静かな口調で述べた後を、ザイラフ副隊長が引き取って続けた。

「で、銀をくすねたのはいいが、顔が知れてるログラムでは売れねえ。おそらく賭場を立ててるジガンテス団に借金返済を迫られて提案したんだろう、盗賊団に売れば足はつかないし、賊も安全に金を稼げて双方満足ってことだ」

「我が隊においては銀は消耗品です。同量のラステリウムと混ぜて出来るラステラム弾は、不死者をはじめとする魔法生物に効果がありますからね。戦いが重なれば、銀が減っていっても気付かれる可能性は低い。しかし、彼は銀しか盗まないという間違いを犯した」

 顔赤くしたり青くしたりしている隊長代行に向かって、マリトは整然と説明した。

「我々の銀の使用目的は、ラステリウムと一対一の割合で混ぜることだけです。従って、銀の使用量とラステリウムのそれとは全く同じでなければならないはずですが、銀だけが大きく減っている。隊で一番ラステラム弾を消費するフルグが、『最近ラステリウムが余っている』と言っていましたが、それはラステリウムが余っているのではなく、銀が減り過ぎていたということです」

 隊長代行の息は今にも止まりそうだったが、マリトは構わず続ける。

「そんなときに、帝国軍の査察が入るとの知らせが来た。我が隊はログラム市の自警団ですが、魔族退治という特性上、消耗品は帝国軍から支給されています。となると査察で消耗品の量を厳しく検査されることは間違いないが、それでは横領が発覚してしまう」

 横領、という単語が隊長代行の小太りの体に刺さって苦悶の呻きを上げるのを、マリトは副隊長と共に冷たく眺めた。

「帳簿類の数字を改竄することも当然考えたでしょうが、砦で管理している物資台帳の在庫数を変えたとしても、帝国軍に提出している物資購入記録と突き合わせればたちまち矛盾がばれてしまう。この破滅を回避する手段は一つ、ラステリウムと銀が保管されている倉庫を燃やして現物の量を分からなくすることです」

「で、賊に話をつけて襲撃させたってわけか。普段の砦なら賊もためらうだろうが、昨夜の避難民を保護する関係で今日の砦はほとんど空だ。だからラツィマーの野郎はもっけの幸いと、今朝急いで砦を出て賊に話をつけに行ったんだな」

「あ、あれはそういうことか」ザイラフの指摘に、隊長代行は唸った。

「おそらく。砦の内部の様子、特に倉庫の位置を教えて放火するように言ったのでしょう。自分や隊長代行が砦にいる時に放火したのでは、隊長代行の責任になって自分も職を失ってしまう。しかし自分たちの不在時に、砦が賊に襲撃されて倉庫が焼け落ちたのであれば、自分の責任はそれほどは追及されないと踏んだのでしょう」

「だがマリトが残ることになって襲撃は失敗した。そして俺たちは、さらに罠をしかけた」

「ええ。留守中にログラムから帝国軍の伝令が来たと嘘をつき、査察が明日に繰り上げになったと伝えたのです」

「あ、あれは嘘か」いつもなら怒り出すはずの隊長代行は、泣きそうな声を上げた。

「副官殿としては、もう時間がない。今夜中に横領の証拠を消さなければ身の破滅です。ちょうど折よく砦の人数の大半はログラムに行くことになり、夜の哨戒に人員が出ればこの砦は隊長代行と自分だけになる。なら、自分で倉庫に火を付ける絶好の、そして最後の機会だと彼は考え、指揮棟の照明用の油樽を手に放火を目論んだということです」

 マリトの説明に、ザイラフ副隊長は、どうだという視線を隊長代行の丸顔に投げつけた。直属の部下の犯罪に怒りと恥辱で顔を真っ赤にしていた隊長代行だったが、最後の抵抗を試みた。

「……そういう可能性もあるかも知れん。だが奴が賊とつながっているなど……本人が認めたわけではないだろう?」

「いえ、本人は認めています」マリトは追及の手を緩めず、ぴしりと否定した。

「隊長代行もお聞きになったはずです。今日、信号火矢を見て砦に駆け戻った皆さんは、砦を襲ったのは魔族だと思っていた。パランディル砦の性質を考えれば当然ですが、しかしラツィマー氏は私に『狙いは何だったのでしょう?』と聞いてきています。彼がこの問いを発したのは砦の中に入る前でしたが、砦の門は閉まっていましたから、賊の死体を見ることはできなかった。にもかかわらず、何故襲撃したのが、魔族でも他国の軍勢でもなく、盗賊だと分かったのでしょう?」

 隊長代行は言葉を失い、口を開けたまま呆然とマリトの指摘を聞いていた。マリトは構わず続ける。

「さらにその後、貴方が生け捕りにした賊を尋問すると息巻いた時、ラツィマー氏は賊が放火しようとしたことに触れました。しかし私は、賊の狙いが倉庫だったらしいとは言いましたが、火を付けようとしたとは一言も言っていません。普通盗賊が倉庫を狙うと言えば、中の物を盗むと考えるのが普通ですから、放火などと言うのは、実際に盗賊がそうすることを知っていたという場合以外考えられませんね」

 マリトの整然とした説明に、ゲラーズ隊長代行は一言も反論せずにがくりと頭を垂れた。

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