彼女を孤独から救うのは(完全版)

「いーけないんだ」


 死神シックルが黒いTシャツ姿でぼんやりとビルの屋上の縁に腰掛けていると、からかいの言葉が背中に投げつけられた。振り向けば、神々しい金髪を団子にしたモデル体型の美少女がいる。

 姿は女子高生でありながら、外見に似合わぬ不遜な態度の彼女は、気安い様子でシックルの隣に座った。


「サボりかい」

「サボってません」


 シックルはムスッとした。今は業務時間外なのでプライベートな姿でぼうっとしていようと問題はないというのに、失礼な。シックルはじろりと美少女を睨んだ。


「天使様が、何の用ですか?」


 この天下あましたミヤネという少女が、天使の転生体であることをシックルは知っていた。天使がわざわざ人の身となっているのにはそれなりの理由があるらしいのだが、シックルは良く知らない。片や死神、片や天使。管轄が違うので、互いの職務の詳細はそうそう耳に入ってこない。秘匿義務もあるので、互いに尋ねることもしない。

 まあ、それはどうでも良い。


 膝を抱えた天使は、面白がっている様子でシックルの顔を覗き込んだ。


「ぼんやりした若い死神を見かけたからさ、気になって」


 まあ確かに、シックルが惚けていることはあまりないかもしれない。勤務態度は真面目だし、休みのときは人間の文化に夢中になっているので、常に〝何かをしている状態〟と言ってもいい。

 だが、最近シックルには気にかかることがあって。その所為でつい物思いに耽ることは多くなっていた。


「天使様なら分かりますよね」


 シックルは眼下の人混みを指さす。うんざりするほどの人が行き交う中に、一人の少女がいた。周囲と比べて特に目立つところのない、思春期真っ只中の少女だが、飄々としていた天使もすぐに彼女を認知し、その整った眉を顰めた。


「死に付き纏われているな。……呪いか。でも、同時に守られてもいる」


 シックルは重々しく頷く。まさにミヤネの言う通り。彼女はどす黒い邪念と眩い慈愛の、相反する二つのオーラを纏っているのだ。


「呪いのほうは、我々は無関係ですよ」


 人に死を齎す死神だが、あんな、ひと一人に付き纏い手当たり次第に命を奪うような呪いを使うことはない。あれは人によるもの――神をも出し抜く外法の類いだ。

 そんなものが一人の少女に掛けられているという事実に、シックルの胸中は暗くなる。


「彼女、ずっとひとりぼっちなんですよ。それがもう、可哀想で」


 死神記録によれば、彼女――天倉あまくら芽芽音めがねは呪いで両親を失っている。そればかりか親代わりや友人までも。彼女はそれを気に病んで、他人を避けて過ごしているのだ。まだ保護者だって必要な年齢。それなのに孤独に生きているのが、あまりにも哀れで。


「君ねぇ、そんなんだからいつまでも半人前シックルなんだよ」


 頬杖を突いた天使が苦笑いするのを見て、シックルは溜め息を吐いた。


「本当……天使様のほうが向いてそうですよね」


 ミヤネは天国最終層守護者。神の領域を犯さんとした者をバッタバッタと切り倒してきた。悪・即・斬の行いに、天の住民の誰もが心奪われていたとか。

 羨ましい。その決断力は、シックルにはない。


「どうやったらあなたみたいに非情になれるんだろう……」


 百年近く死神業を熟しているシックルは、対象の人間につい肩入れしてしまい、見逃してしまうことが多々あるのだ。だから今でも半人前なんて言われている。


「君、僕を殺人マシン呼ばわりしないでくれないか」


 ミヤネはふてくされた声を出すが、自らを憂うシックルはスルーした。


 ともあれ彼女のことである。


「どうにかしてあげられませんかねぇ……」

「いっそ殺してあげるのも、一つの救済かもね」


 君にできるのはそれくらいだろう。それこそ天使というより殺人マシンにお似合いの発言だが、死神に対する助言としては正しいものだった。シックルにできるのは、死を齎すことだけ。死神は指定された人物の命を奪うのが仕事だが、ときに独断で慈悲を施すこともある。……でも。


「嫌ですよ。あの加護、彼女のお母さんのものですよ。あんなに綺麗なのに無駄にするなんて」


〝守られている〟。先程ミヤネが認めたように、少女は呪いに対する加護も掛けられていた。それがまた、星が弾けたように美しくて。


「そうだね。〝リリー・ポッター〟に劣らない美しい愛だ」


 ミヤネもまたそれを認めた。慈悲の父である神に仕える彼女は、愛というものへの関心が強い。だから彼女も、シックルの気持ちは分かってくれたようで。


「しかしそれなら、君が友達になったらどうだ?」


 馬鹿にされないのは良いけれど、予想外のことを言ってくるものだから、シックルは凍りついた。

 確かにシックルは死神なので、あの呪いが効くことはないけれども。死神と人間が友人になるということは、狼が羊と友達になるというくらい珍妙なことで。シックルは全く考えつかなかったし、そもそも死神的に許されることなのかと悩む。

 しかし天使は今更だと笑う。


「人間に紛れてヲタ活してるくらいなんだしさ。人間の友達増やしてもさほど問題ないだろう」

「無理ですよ! ヲタクのコミュ障ナメないでくださいよ!」


 推し声優の出ているイベントでもペンライトを振るのが関の山なのに、知り合いでもない女の子を突然ナンパするなんて、できるはずがない。


「人間界に染まりすぎてやしないか、君」

「英雄オルタントゥ・ダスト様の地上での生活ぶりを、天界に吹聴してあげましょうか?」


 死神として、また友人として、天下ミヤネの人間界での生活ぶりをシックルはよく知っている。コンビニスイーツに目の色を変えて、母親から貰った昼食代を使い果たしてしまうこととか。人助けの見返りに甘味を要求していることとか。

 シックルの脅しに、ミヤネは焦りも怒りもせず、ふ、と笑う。


「その気概があるならば、彼女に声を掛けるくらいのことはできるだろう。行ってきたまえよ。ある意味死神にしかできない、君の好きな人助けだ」


 私も何か手立てを探してみるよ。そう言って彼女は立ち上がると、くるりと身体を反転させた。地上に繋がる階段に向かって歩き出し、後ろ手にシックルに別れを告げる。

 その背を見送ったシックルは、しばらく唇を引き結び考え込んでいたが、決意の色を黒い瞳に宿すと、拳を固めて立ち上がった。




「えっと、あの、すみません……」


 善は急げ、とばかりに地上に下りたシックルは、早速問題の少女の後をつけた。彼女が全国チェーン展開している喫茶店に入ったのを絶好の機会と捉えた彼は、勇気を振り絞って芽芽音に声を掛けてみたのだが。

 ……まあ、そこはやはりコミュ障のあるヲタクというべきか。うまい言葉が出てこない。死神のときはうまくできるのに……いや、あれは一応それなりの〝文句〟があるからか。


「……なんですか?」


 怪訝そうな芽芽音。ミステリアスな風貌もあって凄みがあり、シックルはただの小娘に気圧された。


「え、あ、その……えっと……」


 言い淀んだシックルはあちこちに視線を走らせ、ふと彼女の手元に気がついた。彼女は机に本を広げている。マスの中に文字。クロスワードだ。会話の糸口にならないかと、開いたページを素早く読み取って、ほとんど書き込まれている言葉の中で、まだ埋まっていない箇所を見つけた。


「そこ、分からないんですか?」

「え? まあ……」


 芽芽音は、疑いを抱きつつも本に視線を落とす。

 タテのかぎの五番。ヒントは『明けの明星』、マスは五つ。シックルにはピンと来た。伊達に〝神〟の付く存在をやっていない。


「『ルシフェル』ですよ。『ルシファー』の呼び方のほうが有名でしょうけど、下のワードからして『ルシフェル』ですね。かの有名な魔王が実は明けの明星だったなんて、日本じゃ知る人なかなかいないんじゃないですか?」


 話題ができたことが嬉しくて、シックルの口はつい軽くなる。前のめりになってしまうのは、やはりヲタクのサガというべきか。


「……詳しいんですね」

「え、まあ……僕、〝メガテン〟とか好きなので!」


 本当は死神としての知識によるものだが、悪魔合体で有名なゲームにはまっていたのもまた事実。つまり嘘は言っていない。

 芽芽音は答えを書き込み、それからまた不審な目でシックルを見た。


「それで、なんですか?」


 限りなくドライな反応に、シックルは項垂れそうになった。もう少し『すごいですね』とか『ここ分かりますか?』とか、話題が広がると思ったのだけれど。


「その、お話しをしたくて……」

「すみません。そういうのは」


 軽蔑の目を向けられる。ナンパかなにかだと思われているのだろう。心折れそうになるが、天使の言葉を思い出して、再び勇気を振り絞る。曲がり気味の背を伸ばし、腹に力を入れて一言。


「僕と、お友達になりませんか!」


 道場破りに乗り込むような心構えで、シックルは頭を下げた。

 芽芽音は、珍妙な生き物を見るような目をこちらに向けている。


「信じてくれないと思いますけど、僕、死神でして!」

「死神……?」

「あなたに掛けられた呪いは効かないんです! だから――」


 シックルの言葉がすぼまる。シックルが言葉を重ねる度に、芽芽音の眉間の皺が深くなるのだ。やはり死神とか呪いとか、そう簡単には信じてもらえないかと肩を落としていると。


「あなたの言葉を信じるとして」


 芽芽音がこちらを見上げる目は暗く、シックルは息を飲んだ。


「お父さんとお母さんを連れていったのは、あなたなんですか?」


 さ、とシックルの頭から血の気が引いた。それはそうだ。両親の死に直面した人間が、死神の存在を前にその可能性を思い浮かべないはずがない。


「違います!」


 シックルは必死に否定した。彼女に親の仇と思われたくない一心だった。せっかくお近づきになれたのに、憎まれてしまったら、それこそシックルは打ちひしがれる。


「僕は感知していないので確かなことは言えませんけども、あなたのその呪いは、死神でも容認できないものでして!」


 死神の死は、人間からしてみれば理不尽なものも、きちんとそれなりの理由がある。すべては秩序を守るため。死神なりの道理に則っているのだ。

 しかし、彼女の呪いは、限りなく理不尽なもの。無差別に人を狙い、絶望に叩き落とすことを目的としたものだった。そんなもの死神の道理にもとる。


「……だから僕は、死神としても、あなたを独りにした人を許せない」


 死は命あるものにとって、悲しく恐ろしい事象なのかもしれない。けれども、凶器でも人を不幸に突き落とす玩具でもない。

 半人前の死神でも、自分の仕事には誇りを持っている。死とは尊くあるべきだ。


「僕はあなたの助けになる。そして、僕は死にません。だから、僕とお友達になりませんか」


 シックルの話を聞き終えた芽芽音は、半信半疑といった様子だった。それは死神云々の話が受け入れ難いというのもあるし――自らの孤独な境遇が終わりを迎えることへの戸惑いもあるのかもしれなかった。

 躊躇していた彼女が、口を開きかけたとき。


「なりたまえよ」


 思いがけず第三者が入り込んできて、シックルも芽芽音もそちらを振り返った。


「天使様!?」


 そこのは先ほど別れた天使が居て、シックルは目を丸くする。


「天倉芽芽音君、その男の手を取ると良い。彼は間違いなく君の助けになるよ。その呪いも効かないしね」


 まさかの後押し。なんて頼もしいんだとシックルの目頭が熱くなる。


「そして、魔法訓練校へ入るといい」


 ……涙が引っ込んだ。


「魔法訓練校……?」


 芽芽音だけでなく、シックルもミヤネの言葉に首を傾げた。……なんだか風向きがおかしい。


「さっき〝ハリー・ポッター〟を引用して気づいたんだがね、芽芽音君、君の母親には魔法の素質があったと推測される。ということは、君にもその素質が引き継がれている可能性が高い」

「私が、魔法を……?」


 死神、呪い、天使と続いて、自らも魔法使いと知って、芽芽音は困惑していた。彼女の反応には無理もないと思うし、ミヤネの目の付け所にシックルもすごく感心するのだが。

 それはそれとして、気になることがある。


「あの、天使様、」 


 今、自分が勇気を振り絞って掴もうとした芽芽音に対するポジションを、この天使に横取りされそうになっているのは気の所為だろうか。

 シックルの心配を余所に、ミヤネは芽芽音の肩に手を置き、実に頼もしい笑みを彼女に向けた。


「安心するといい。僕も君の友人となってサポートしよう。人間が良いというのなら、男だが愉快な友人も紹介してやる。一応私の恋人だから信用もできるぞ。楽しい学校生活が期待できる。そしてその中で、いつか君をその呪いから解放してあげようじゃないか」

「……本当に?」


 おずおずとミヤネの顔を覗き込む芽芽音の瞳には、期待の色が宿っていて。


「天使様ぁ!」


 芽芽音は完全にシックルを忘れ、全意識をミヤネに向けている。常に陰が落とされていた彼女の目には、光が宿っていて。確実にミヤネに心惹かれているのが分かった。

 はじめに声を掛けたシックルに、ではなくて。

 今自分は、彼女の中で外野の人間になっている。ナンパ男以下になっている。友人どころではない。

 その事実に、シックルは非常に焦った。このままでは本当に、芽芽音の隣をミヤネに横奪されてしまう。

 せっかく自分が彼女を助けようとしたのに。

 ずっと見ていたのは、シックルのほうなのに。

 盗られてたまるか、とシックルは意地になる。


「僕も、僕も入りますよ! その魔法訓練校!」


 はいはい、と挙手して、芽芽音とミヤネの注意を引き付けて。シックルは密かに対抗心を燃やす。まずは、芽芽音の同窓生という立場を確保して。

 ――いずれ彼女を助けるのは、僕だ。




※解説

『リリー・ポッター』

 J・K・ローリング作「ハリー・ポッター」シリーズの主人公ハリーの母親。ハリーが赤ん坊の頃に亡くなる。邪悪な魔法使いの死の魔法から〝愛〟でもって息子を守った。ミヤネも一般教養として一通り読んでいる。


『メガテン』

 アトラス社制作のRPG「真・女神転生」シリーズの略称。世界中の神や悪魔、妖精などを全て「悪魔」と呼称し、主人公の仲間や敵として登場する。当然その中に死神もいる。シックルの推しはアリス。「死んでくれる?」は憧れの台詞。

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