過ぎ去りし日々

SSS(隠れ里)

過ぎ去りし日々

【過ぎ去りし日】


 魔術士は戦争において最前線へと投入される。剣や弓よりも、圧倒的な破壊力があるからだ。僕たちは、資源も使わない低コストな兵器である。


 今日も、その火力で集落を一つ陥落させた。木材の焼けた臭いが、喉をいぶし、ただれた臭気が気力を削ぐ。


 戦いが終わった後は、消費した精神力を回復させる暇もなく、哨戒や残党狩りに捕虜の収容または拠点の確保などに動員される。


 僕も例外ではなく、残党狩りに派遣された。一番、精神が疲弊させられる任務だ。


「術士カルケル、報告を」


 捕虜を拒絶した敵兵をファイアボール《火球》で焼却し、心が動かなくなっていた僕に上官の声。


 炭化して行く有機物が、放つ嗅覚を粉々にする臭いに耐え、上官に敵の排除を報告した。


 上官は、顔色一つ変えずに「よし、休憩を許可する」とだけ発して別の魔術士のところへ向かう。


 僕は、燃えカスとなった有機物を見下ろしながら嗚咽に耐えた。苦い胃液が、口の中に広がっていく。滞留する思いは飲み込もう。今は、精神力の回復に努めるべきだ。


 休憩用のテントの中は、うなだれた魔術士たちであふれていて、空気が淀んでいた。精神の消耗は、外見には分かりにくい。だから、僕らは限界まで使役される。


 僕は、空いている隅の方に座った。マニュス王国が、メガロス帝国に侵攻してから何日が過ぎただろう。


 この戦いに参加させられて以来、時間の感覚がない。今は、いつの何時なのだろう。生ける屍のように行軍し、指定された場所を攻撃する。


 何かを食べても塵紙の味しかしない。さらに悪いことに、メガロス帝国には魔術士の養成機関がない。主戦力は、重装騎兵だ。進軍速度は順調そのもの。


 マニュス王国軍としては、メガロス帝国が体制を立て直す前に帝都近郊までの制圧を目的にしている。そのため、魔術士が酷使されているのだ。


「カルケル……無事かい?」


 かすえた声が、僕の名前を呼ぶ。声の正体は、初陣からの付き合いであるヌムルだ。


「もう、駄目だ。……カルケル、逃げないか?」


 ヌムルの痩せた瞳孔が、本気だと告げていた。


 僕は、周囲を見る。この会話を聞いてるものはいない。誰もが、精神力を回復させることで手一杯だ。戦場で生き残るために。


 答えが出せない。誰かが炊いた香木の匂いが、僕の思考を停止させる。


 ヌムルの提案は、拒否すべきだ。そして、止めるのが正解である。ようやく、動きはじめた思考で結論付ける。


 戦いの中で死ぬか、逃亡して死ぬかは、同じ死であってもぜんぜん違う。前者は、名誉。後者は、汚名。さらに、ヌムルには妹がいたはずだ。


「ヌムル……。逃げたりしたら、妹さんは無事では済まなくなるよ」


 僕は、ささやき声で言った。皆、精神力の回復に終止しているとはいえ、この中にスパイがいる可能性がある。


 最悪の場合、上官を呼ばれてしまう。その場で殺されても文句は言えないのだ。


「そ、そんなのどうでもいい。この地獄から抜け出したい」


 ヌムルの瞳に暗い影が揺れていた。


 僕は、この瞳を見たことがある。戦場で、妻と子供を置き去りにした男の目も今のヌムルと瓜二つであった。


「敵襲、帝国ではない魔物だ。数は、およそ3000」


「あはは、もう終わりだ。もう、もう、もう、戦いたくない」


 ヌムルは、自分の頭を叩きながら。──親の敵にあったように取り乱し、テントを出ていく。その目に僕は、映ってはいなかった。


 他の魔術士たちも騒ぎ出す。ヌムルを追いかけるべきだろうか。


「魔術士隊、休憩は終わりだ。魔物への対処を開始せよ」


 上官の声が、様々な場所から聞こえてくる。テントの中では、怯えて貸与された羽毛布団で身を隠すものもいた。

 

 僕は、外に出る決意を固め、テントから出る列へと加わる。


 テントの外は燃えさかる緋色の世界だった。耳をつんざく怒号、断末魔、魔物の叫声。


 上官の指示も聞こえず、隊列の乱れた魔術士や騎士たちが、餌食となっていく。咀嚼音だけは、耳にこびりつくほどに聞こえてくる。一際、大きな唸り声が背後から聞こえてきた。


 僕が振り返ると、鼻を刺すような獣臭と湿り気のある温風が。──グリーディウルフだ。人の腕ほどある鋭利な牙には、ネチャっとした唾液が滴っていた。「サンダーボルト《電撃》」僕の腕が、粘液まみれの赤黒い舌に触れると同時に雷撃が放たれた。


 グリーディウルフの体毛が逆立ち、目玉からは火花が飛び散る。喉奥から黒煙と内臓の焼ける匂いが、僕の心をすりつぶしていく。


 砂のように消滅していく餓狼の背後には、生に飢えたアンデッドの姿があった。


「隊列を乱すな!! 二人一組で背中合わせになり、魔物を迎撃せよ」


 上官の喉を潰すような絞り出す声。──アンデッドの雄叫びが上書きしていく。


 僕は、錆びた剣に貫かれた魔術士を盾に「ファイアボール《火球》」で、アンデッドが焼滅。焼香のような匂いに煽られむせ返る。


 僕は、蠢動する骨の軍靴と対峙する。先ほどまで、仲間だった魔術士たちの亡骸を盾にしながら。また魔術を唱え、亡骸を盾に、魔術を唱え──精神力も底をつき、上官の激さえも聞こえなくなる。


疲 れ果てた僕は、武器庫の樽のそばで体を横たえた。今日も月だけが、変わらずに──かすれていく。


 僕は、目を覚ます。柔らかな大地の上、青く澄み渡った空が無限の彼方に続く。頬をくすぐるのは、黄色の絨毯。忙しそうに飛び回るミツバチたちが、僕の顔を横切った。


 鼻が蕩けそうな甘い匂いが、鼻腔を優しく撫でる。ここは、見覚えがある。


 幼い頃、まだ戦争も魔物も世界の残酷さも知らなかった──幼い頃、親友と遊んだ菜の花畑だ。そうだ。あのときにお互いの宝物を菜の花畑の何処かに埋めたはず。


 僕は立ち上がると、暖かな陽の光を受けた菜の花が優しい光を反射していた。


「大丈夫か、意識はあるか?」

 菜の花畑の先、あの丘の先、そこから見える海が、僕らの宝だった。


 海風に交じる異国からの匂い。僕らは常に一緒──目の前に大きな人の顔。高貴な身分を思わせる鋭角なヒゲ。甘いファリナの香りが半覚醒の頭をくすぐった。


「ここは……」

 僕が目を覚ましたのは、心安らぐ菜の花畑ではなく焼け野原となった拠点だった。


 絶望を押し込めいたテントもなく、黒ずんだ布が、風に煽られて揺らめいているだけ。


 騎士たちが、死体のようなモノを積み上げている。


「君を除いて全滅だ」


 どれほど間、呆然としていただろう。時間の感覚がなくなり、目の前の人物の輪郭がぼやける。


 僕は、地面に爪をたてる。爪先がヒリヒリと痛む。仲の良かった魔術士たちは、あの黒山の一部となってしまったのだろうか。


「カルケルよ。君は、英雄だ。たった一人で、帝国征伐の橋頭堡を守りきったのだ」


 立派なヒゲの人物の言葉が、耳に入ってこない。皆、戦争を嫌っていた。こんなふうに死んでいい人たちではなかったのだ。


「戦争の習いだ。カルケル、君の名は識別タグで知ったが、これからは違う。君の名を知らないものはいなくなるぞ」


 僕は、立派なヒゲの人物が、誰なのかを思い出した。出陣式で訓示をしていた将軍だ。酷くつまらなくどうでもいい訓示だったのを覚えている。


「あと少しだ。君の力を貸して欲しい」


 将軍は、にこやかに微笑む。しかし、瞳の奥には、殺戮に飢えた捕食者の念がこもっていた。


「ここも、昔はな。王国領だったのだ。それはそれは、立派な菜の花畑だった」


 僕の背筋は、氷を押しつけたように痛みと冷たさが交互に息をした。


 思い出は、儚くも消え去る。風に乗って鮮血の臭いが、嗅覚も記憶も消し去った。今は、遠い過去の光景とともに……。完。


 【過ぎ去りし日】完。

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