Extra

 夜、手をついた堤防の手摺りはヒンヤリとしていた。

 僕は川の堤防の上に居た。

 あの後、しばらく警察に拘束されていた。拘束――と言っても、パラドクスを使えば簡単に抜け出せるのだが、それをしたら信用が無くなってしまうのでおとなしくしていた。

 その経緯は家族には説明されたようだが、知佳には知らされていないはずだ。今日になってようやく連絡と少しばかりの外出が許されたのでここに来た。

「ごめん、待った?」

 背後から聞きなれた声が掛かる。

「ああ、だいたい8分ぐらいかな?」

 振り返ると、知佳が居た。

 良かった、元気そうだ。あの時の頬の傷も大丈夫だったようだ。

「もう……そういう時は、嘘でも『今来たところだ』って言うものでしょ?」

「はは……そうかもな」

 僕は力なく笑った。

 それから、しばらく二人とも無言だった。

「遠くに……行くことになった」

 どう切り出そうか迷った挙句、そう言った。

「それって……逃げるってこと?」

「いや、どちらかといえば逆だな」

 僕はパラドクス特別対策本部に入ることになった経緯を説明した。

「じゃあ、優治は他のパラドクスと戦うの?」

「ああ、まずは訓練を受けるが、そうなる……何人も殺すだろうな。いや、自分が殺されるかも」

 今、僕はどんな表情をしているのだろう。堤防の下の川は遠すぎて顔は映っていない。

「それって、酷くない? 自分たちでできないから、押し付けるなんて……」

「ああ、最低だな」

 僕はそこで一呼吸おいた。

「だけど……それを拒否できない僕も、最低だ」

「優治……」

「自分が殺されたくないから、別の誰かを殺す。それを『仕方ない』で済ますんだから」

「でも……」

「気休めはいい! 僕は人殺しになる! そのための訓練を受けて、この国の各地を巡って殺す!」

 そうだ。いくら取り繕っても結局はそうでしかない。

 知佳はうつむいて何も言わない。

「何年かかるか分からないけど、全部終わったら……戻って来るよ。けど……」

「けど、何?」

 顔を上げた彼女は今にも泣きそうにしていた。

「もし、生きて帰ってこられても……それは前の僕と同じと言えるんだろうか? 大勢の仲間たちを殺して、人殺しに慣れて……中身は殺人鬼になっているかもしれない」

 その可能性は否定できない。人は変わる。

「そんなこと……」

「え?」

「そんなことないよ! 優治はきっと前と同じように帰ってくる! 前と同じで、優しいままで!」

 彼女は泣いていた。泣きながら、こちらをにらみつけている。

「そうだと……良いな」

 素直な感想だった。

「うん……きっとそうだよ」

 僕は泣きじゃくる彼女の頭を軽く撫でた。

「それじゃあ、もう行くから」

 僕は一度も振り返らずに立ち去った。

 彼女の泣く声がいつまでも頭の中に残っていた。

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Paradox 異端者 @itansya

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