後編

「よお、遅かったな」

 案の定、クラスのクズ共が5人。全員男だ。

 中央に知佳があの写真の姿のまま転がされていた。

 こいつらが彼女を無理やり連れ込んで服を……そう思うと、怒りが込み上げてくる。

「待つ必要なかったんじゃね? さっさとヤッちまえば?」

 別の男が言った。

「そうは言っても、大事な大事な人質様だからなあ」

 別の男が折り畳み式のナイフを取り出して、知佳に近付ける。

「やめろ!」

 僕はとっさに叫んだ。

「『やめろ』? やめてください……だろお?」

 5人の中でも一際体格のいい男が僕の前に立った。

 腹部に衝撃が走る、一瞬吐き気がしたが吐く物がなかった。

 殴られたのだ。僕はうめき声を上げてしゃがみ込んだ。

「優治!」

 知佳が転がされたままの体勢で叫んだ。

「だ、大丈……うっ!」

 また腹部に衝撃が走る。今度は蹴られたようだ。

 僕はしゃがみ込みながらも相手を睨みつけた。

「オイオイィ! そんな生意気な目をしていると、この女をヤッちまうよぉ!」

 ナイフの刃が知佳の頬を撫でる。薄らとではあるが、赤い線がひかれ、にじみだした。

「やめろおおおおおおおっ!」

 僕は目の前の男に体当たりをした。

 男は弾け飛ばされて、一気に体育館倉庫の壁まで叩きつけられた。能力者特有の身体能力の向上だ。本来の能力の副次的なものだが、使えなくはない。

 あっけにとられたナイフの男にも蹴りをくらわす。知佳に合わせてしゃがんでいたので顔面にクリティカルヒットした。そのまま仰向けに倒れ込む。

 残りの3人は、既に戦意喪失したのか襲ってこない。

 これで良し。一応は手加減したから、死んではいない。だが……

「優治! ……ここで見せたら……!」

「良いんだ! 今はお前が優先だ!」

 能力者特有の身体能力向上だと気付かれたかもしれない。……だから、なんだ?

「知佳を返してもらうぞ」

 僕はそう言って、知佳を縛っているロープに手を伸ばした。

 ロープはさらさらと粉末状になって崩れ落ちる。

 これが僕のパラドクス――「浸食」だ。

 生物非生物問わず、接触するか一定範囲内の物体は浸食、分解される。

 この能力は、固形物ならほぼ全ての物が浸食できる。強固な金属板等は当然のこと、ダイヤモンドでも可能だろう。つまりは装甲車や戦車相手でも使い方次第で勝てる。

「さ、早く服を……」

「う、うん……でも……」

 なんだ? 何かがおかしい?

 僕は違和感を覚えた。

 振り返ると、さっき倒したナイフの男が立ち上がっていた。

 その目は焦点を結んでおらず、意識があるとも思えない状態だ。

 何時の間にか体当たりをくらわした男も起き上がっており、他の3人もよく見るとよく見ると様子がおかしい。

 これは……

「パラドクスか!?」

 人間を操ることのできるパラドクス。

「お前、居るんだろ!?」

 僕は物陰に向かって叫んだ。

「あ~あ、分かっちゃった」

 特に焦った様子もなく、そこから黒部が現れた。

「これは……お前のパラドクスなんだな?」

「そう。異性を意のままに操れる能力……それが、私のパラドクス。同性と他のパラドクスには効果が無いからこうしたけど」

 彼女は悪びれる様子もなくそう言った。

「こんなことして、どういうつもりだ?」

「分からないの?」

 彼女の口元が不気味に歪む。人形のような整った顔だからこそ歪みがより強調される。

「実を言うと、かなり前からあなたのことは調べてたの。あなたには、私たちの仲間になってもらおうと思って。いくら今まで隠していても、能力を使って人を殺したらそうするしかなくなるでしょ?」

「ひ、酷い……」

 上半身を起こした知佳が言った。

「酷い? どうして? どうせパラドクスは早かれ遅かれ処分されるんだから、私たちと一緒に行った方が幸せだって」

「仲間になって、人を殺せというのか?」

「ええ、そう。元々、私たちはそのために生まれたんだから」

 黒部はなんでもないことのように言った。

「何を……言ってるんだ?」

「分からないの? あの夢を見たでしょ? 人類を滅ぼすのこそ、私たちの使命」

 彼女は語り出した。


 本来は、202X年に流行したウイルスによって人類は滅ぶはずだった。

 しかし、ある情報によってそれは回避された。

 ある情報――滅亡寸前の未来からのワクチンの断片的なデータ。未来では、タイムトラベルこそ不可能なものの、ごくわずかのデータなら過去に送ることが可能となっていた。もっとも、膨大なエネルギーを消費する上に送れるデータ量も制限があるため、あくまで非常時の切り札としてしか使えないらしいが。

 だが、そのデータによって開発されたワクチンにより、人類は滅亡を回避。その結果、本来の歴史と異なる未来へと進み始めた。

 こうして、滅亡は回避されたかに見えた……が、そうではなかった。

 人類は知らなかった。大幅な歴史改変をすれば、本来の道筋へと戻そうとする「強制力」がはたらくことを。伸ばしたバネが元に戻ろうとするかのように。

 その矛盾した歴史を正そうとする強制力こそ、パラドクス。本来、「パラドクス」という名称自体が「矛盾」によって生まれた存在という意味であり、能力の特異性から付けられたものではない。これは一般には伏せられているが。

 つまりパラドクスは、人類を滅ぼし本来の歴史に戻そうとする神の意志。


「そんなの嘘だ!」

 僕は思わず叫んでいた。

「まだ認めないの? 夢を、見るんでしょ……殺せ、殺せ、と聞こえる夢を。あなたがどう考えようが、私たちは人類の天敵なの。神によって、人類を滅ぼすことを定められた存在」

 黒部はうっとりしている。使命感に酔っているようだ。

「じゃあ、国がパラドクスを異様に取り締まるのは――」

 知佳が呆然としながら言う。

「そう、それを知っているから。ついでに言うならば、パラドクスに対する執拗ないじめとかも生物として本能的に忌み嫌っているからという説もあるわ」

「そんな……」

 僕は呆然とした。

 信じられない。信じたくない。それなのに、全てに辻褄が合っている。

「分かったら、私と来て……こんな所に居たって、しょうがないでしょ?」

 黒部が手を差し出す。

 僕はその手を――跳ね除けた。

「嫌だ!」

「ここまで話して、まだ拒絶するの? ここに居たら、そのうち捕まえ……いえ、あなたの能力的に拘束は不可能だから殺されるわ」

「それでも、断る!」


「そこまでだ!」


 突然体育館倉庫の扉が開けられ、完全武装の一団が現れた。全員銃を手にしている。それも拳銃のような小型のものではない。アサルトライフルだろうか。

「撃て!」

「またの機会にしましょ」

 黒部は操った男たちを盾にするつもりか武装集団に突っ込ませた。

「危ない!」

 僕はとっさに知佳に覆いかぶさった。

 絶え間なく鳴り響く銃声。銃弾の雨が降り注ぐ。

 操られていた5人は穴だらけになって倒れ込む。

 ――クソッ……一般人が巻き込まれても、容赦なしか!?

 僕の体に触れた銃弾は浸食によって粉々になるからダメージはなかった。その下に居た知佳も無傷のはずだ。

「撃ち方やめ!」

 銃声が止むと、既に黒部の姿はなかった。

 武装集団の隊長らしき男が僕に近付いてきて言った。

「銃が効かない君は……パラドクスだな。一緒に来てもらおう」

「断ったら、どうなります?」

「確かに君には銃は効かない……だが、お友達はどうかな?」

 男がいやらしげに笑みを浮かべる。

 能力者に対しては、手段を選ばず……か。

「優治! 聞いちゃ駄目!」

「分かりました。行きます」

 政府の人間だろうが……結局することは同じだ。黒部たちも滅ぼそうとする訳だ。


「なるほど、そう言われてパラドクスの組織から誘いを受けた、と」

 武装集団の隊長、私服に戻った岡本は説明を聞いてそう言った。

 僕は彼と一緒に取調室に居た。今やパラドクス犯罪を取り締まるのも警察の仕事だった。彼らは黒部たちの組織を追っていて、射殺するつもりだったようだ。

「本当……なんですか?」

 僕はその疑問を口にした。

「ん~、そうだな……」

 彼はさっきとうって変わって軽い調子で言った。おそらく、こちらの方が本来の性分なのだろう。

「君自身は、どう思う?」

「どうって、信じたくないですよ。でも……あまりにも辻褄が合い過ぎている」

 そうだ。そう考えれば全てが納得できてしまう。

「君自身はどうしたい?」

「は?」

「だからさ……使命がどうこうよりも、君自身がどうしたいかじゃないかな?」

 確かにそうだ……が、何ができる?

「僕は……人を殺すために生きたくはない」

 素直な気持ちだった。

 思い出す、あの夢。瓦礫と死体の山。

「だったら、それが答えなんじゃないかな?」

 彼はなんでもないことのように言った。

「いや、でも……このままでは……」

「そうなんだよなあ……連中は、また来るだろうし。君のその能力、『浸食』だっけ? かなり強力な力みたいだし、なんとかして手に入れようとするだろうな」

 沈黙。取調室に気まずい空気が流れる。

 先に口を開いたのは岡本だった。

「でもまあ、手が無い訳じゃないんだ」

 彼は少し躊躇ためらうように言った。

「手……というと?」

「君にパラドクス特別対策本部に所属してもらう」

「それで、どうなるんです?」

「端的に言えば、対策本部は危険と認定されたパラドクスを殺すところだ。つまり、君には同類殺しをしてもうらうことになるが……」

 岡本が躊躇った理由が分かった気がした。

「仲間殺し……ですか?」

「そうだ。手錠や拘束具で捕らえられたり、銃で殺せる能力者ならまだいい。だが、実際のところ君みたいなタイプの能力者にはどちらも難しい」

 だから、同類に殺させる、か。

「結局のところ、強力なパラドクスにはパラドクスをぶつけるしかない。苦肉の策だよ」

 そう言うと自嘲気味に笑った。

 矛盾には矛盾を……か。

「仲間を、殺す……」

 口に出してその意味を反芻はんすうする。

 その中には、望んでそうしているのではない人間も含まれるだろう。

 あの夢を毎夜のように見て、精神に異常をきたした人間もいるだろう。

 そんな人間の屍を、踏み越えて行くしかない。自身が生き残るために。

 それは、彼らとどう違う? ……いや、無差別に大量虐殺することに比べれば……それでも、結局は「どちらがマシか」という選択でしかない。

「どうする? 君が断るなら、警察が保護――」

「分かりました。対策本部に入りたいです」

 はっきりとそう言った。

 この決断は、間違っているかもしれない。

 自分は人類の天敵で、敵対するパラドクスを全て処分したら、今度はこちらがそうなるかもしれない。見逃してもらえるという保証はない。

 それでも――


 それでも、僕はその道を選ぶ。

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