Paradox
異端者
前編
殺せ、殺せ――。
声が僕の頭の中に響く。
足元には
無事に残っている建物も、生きている人間も……ない。
無事なのは僕自身だけだ。
殺せ、殺せ――。
頭の中に、その声が続いている。
その声は耳障りだが、どこか懐かしいような、自身が求めている物ではないかと錯覚する。
それは本当に錯覚か……?
歩けど歩けど死体ばかりが続く。死体の山の上を歩いていく。
それはとても自然なことで、そうなるのが当然のような……。
違う!
僕は頭を振って必死に否定する。
こんな世界、僕は望んでいない。
ふと、死体の中に見知った顔を見つける……嘘だ!
そこで目が覚めた。
僕、
外は少し明るかった。夜明けが近いのだろう。
――また、あの夢か。
僕はベッドを降りると、冷蔵庫に向かう。
スポーツドリンクのペットボトルを取り出すと、コップに注いで一気にあおった。
近頃、あの夢を見る頻度が増えてきた気がする。まるで、何かを告げるように。
まだ学校までは時間があるが、眠れそうになかった。
203X年――。
202X年に大流行を引き起こしたあるウイルスによって、人類は滅亡するとさえ囁かれたが――そんなことは全くなく、ワクチンが開発され感染拡大は止まった。
しかし、その後奇妙なことが起こった。
異能者、どう考えても辻褄の合わない能力を有した人間が現れたのである。矛盾した彼らの存在とその能力の総称として「パラドクス」と呼ばれるようになった。
彼らの多くは、人に敵対する攻撃性を有しており、世界各国の政府は彼らを捕らえることに躍起になっている。増え続けるパラドクスと止めようとする政府――いたちごっこが延々と続いて、現在に至る。
そして、まだ14歳の僕、相原優治もパラドクスの一人だった。
「おはよう、優治。……よく、眠れなかったみたいね?」
通学中の僕に幼馴染の
「あ、ああ……」
僕はぎこちない声で答えた。あの夢の死体は――
「また、あの夢?」
「……そうだよ」
――確かに知佳だった。
「夢は夢なんだから、気にしない方が良いよ」
知佳はそう言って笑う。
彼女だけには能力や夢のことは話してあった。
何度も見る、滅亡の夢……そして、声。
話すと、それは夢に過ぎないと笑って言ってくれた。
「それより、僕なんか気に掛けない方が――」
そうだ。知佳は人気者だ。隣のクラスの僕と違って。
僕は……いや、いい。
「そんなこと、気にしない。私にとっては、大事な幼馴染なんだから」
そう言ってくれるのは彼女だけだ。
「もう、いっそのことやり返しちゃえば?」
「下手に何かして、ボロを出したらその方が困る」
そうだ。感情に任せて行動してもしパラドクスを使ってしまったら……取り返しのつかないことになってしまう。そもそも、能力者は身体能力も向上するから、普通に殴り合うにしても手加減は必須だ。
「大丈夫! あなたはそんな無茶する人間じゃないって!」
全く、その自信はどこから来るんだか……そう言おうとした時に校門が見えてきた。
「じゃあ、近くなってきたから……別々に」
「そんなこと、しなくて良いんじゃない?」
彼女はわざとらしく不機嫌な表情を浮かべる。
「駄目だ! 巻き込みたくない!」
そう。これは、僕の問題だ。僕だけが耐えれば良いだけなんだ。
「……うん。分かった、先に行くね」
「ああ、頼む」
これで何度目だろうか? 自分でも情けないと思わなくはないが……。
僕は知佳が校門に入っていくのを見送ってから、後に続いた。
「死ね」
「来るな」
「自殺しろ」
今日も心のこもった言葉が教室の机には書き込まれている。皆の誠心誠意の寄せ書き。
最初の頃は消していたが、今では面倒になってそのままにしている。
僕に対するいじめが始まったのは、いつの頃からだったか……もう覚えていないし、思い出したくもない。
「お~い、皆! HRだから席に着けよ!」
担任の佐藤がそう言いながら入ってくる。
佐藤は事なかれ主義で、僕に対するいじめは黙認している。あまりに酷いので知佳が詰め寄ったこともあるが、それ以降も何も変わっていない。子どもとの口約束など、どうでも良いのだろう。
適当に仕事をこなして、給料さえもらえればそれで良い。ある意味分かり易い人間だ。
クラスメートは、渋々といった様子で席に着く。
「今日は転校生を紹介する。入ってきて――」
その言葉に一部がどよめく。
黒髪長身の女の子。西洋人形のような整った容姿。……男子が騒ぐ訳だ。
「
人形のような女の子、黒部はぺこりと頭を下げた。
「席は、え~と……相原の隣が空いてたか?」
今度は違う意味のどよめきが起こる。
なんでアイツなんかの隣に……そう言わんばかりだ。
黒部が佐藤の指さした席に着く時、一瞬だけ目が合う。
彼女はニヤリと笑った気がした。それは先程のイメージと違って、獲物を見つけた肉食獣を思わせるものだった。
どうして、こうなった?
「じゃあ、その特別教室まで一緒に行かない?」
転校生の黒部はことあるごとに僕に話しかけてきた。
そのせいか、いつも嫌がらせしてくる連中も遠巻きに見ている。
「あのさ……僕にあんまり構わない方が――」
「どうして? 良いじゃない?」
駄目だ――と言いそうになって飲み込む。有無を言わさぬ威圧感があった。
「関わるのは勝手だけど、もっと他の連中にした方が得だと思うよ」
それでも、なんとか絞り出すようにそう言う。
「そうかな? 私は相原君のことがもっと知りたいな!」
おいおい、どうなってるんだか?
昼休み、僕が暑苦しい中庭のベンチで昼食を食べようとしていると黒部が近付いてきた。
「あ、お昼一緒に食べない?」
「こんな暑苦しい所で食べなくていいだろ」
僕は可能な限りそっけなく答えた。
「え~! 相原君は食べてるでしょ?」
「僕は……教室に居るとロクなことがないからな」
前に弁当の上にビショビショに濡れた雑巾を乗せられた時は酷かった。
「もしかして、相原君っていじめられてるの?」
「だったら?」
おいおい、今まで気付いてなかったのか?
「あのさ……あなたってアレだよね?」
不意に彼女は声を潜めていった。
「アレ?」
パ・ラ・ド・ク・ス――彼女は口の動きだけでそう言った。
「分かるのか?」
僕は顔をしかめて言った。
「ある程度慣れてる同類には分かるんだよね」
つまりは、黒部も……
「聞こえるんでしょ? 声?」
「あの夢の中の声か?」
「うん、そう」
彼女は目を細めてそう言った。
「従おうとは思わないの? ……あなたは随分と、おとなしいみたいだけど」
「僕に大量虐殺をしろ、と?」
馬鹿げている――そう思ったが、言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。
「そ……自分の気持ちに素直になれば良いのに」
「あんなもの、妄想だ。そもそも力を使った時点で警察沙汰だ。人権もクソもない」
そうだ。だからパラドクスたちの多くは能力を隠して生きているはずだ。
政府は、その善悪に関わらず、能力の有無が判明した時点で捕まえるか、逃げようとしたら射殺する。人権団体が抗議しようとお構いなしだ。これはこの国に関わらず、あらゆる国で行われている。
「だったら、戦えば良いのに。自身の生存権のために戦うのは正当なことよ」
「正当か……その根拠がどこにあるのか、知りたいな」
僕は空を見上げた。
昼休みはどんどん過ぎていっていたが、とうに食欲は失せている。
「それなら、私たちと一緒に来ない?」
彼女の目が鋭くなった。
「私……たち?」
「そ……私たちのための、私たちの組織」
それが狙いか。僕は彼女が「勧誘」に来たのだと悟った。
「それで? 潰そうとしてくる者は殺せ、と?」
「ええ、そう……私たちにはその権利がある」
「権利?」
「そう、権利」
僕はこの時、初めて黒部のことを怖いと思った。
この女は信じている――自分が生きるためには他人を殺すのは正しいのだ、と。
ふいに、あの夢で見た滅亡の景色が思い出された。
あれは……パラドクスたちの反乱により潰された社会の予知夢ではないのか?
とっさに首を振って否定する。しかし、その否定は弱々しかった。
「そんなのは幻想だ。人を殺しても良い権利なんて無いよ」
本当に、そうだろうか? 正直、自信がなかった。
「そんなことを言っているから、あいつらが付け上がる。殺せば、良いのに……」
その一言を最後に、昼休みの会話は終わった。
放課後、とぼとぼと下校しているとスマホにメールがあった。
知佳からだ。
僕はメールの添付された画像を見て一瞬息が止まった。
下着姿の知佳が、縛られて床に転がされている。辺りには、無理矢理脱がされたと思える破れかけの制服が散らばっている。
その直後に電話が掛かってくる。
「お~い! お前が黒部さんを独り占めしてるのが悪いんだからな! 体育館倉庫に居るから、早く来ないと皆でこの女をヤッちまうぞ!」
クラスの馬鹿野郎どもだ! アイツら、気に入らないから知佳に手を出しやがった!
僕は久々に怒りが湧き上がってくるのを感じた。
何をされても気にしない、そう思っていたにも関わらずだ。
僕は踵を返すと体育館倉庫を目指した。
あの力を使ってしまうかもしれない。パラドクスの中でも、最低最悪のあの力を。
抑えられる自信がなかった。
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