風の前の塵に同じ

 イジメもそうだし、紛争もそう。

 今度のアメリカ大統領選も。

 ブラック企業、闇バイトも。

 マウント、テイカー、サイコパスが日常語になったり。


 人を人として見ていない、人が人を軽く扱う現場が次々と見せつけられる昨今ですが、その哀しみにどう向き合うのか、それを作品に反映しようとしたら気が遠くなります。


 そういったニュースに背を向けて逃げる、無視するのは、心が侵食されないための自己防衛の一つなので、僕はあえて否定はしないおこうと思います。


 ただ、捨て置けない僕は逆に何か抱え込むものが増えていく一方で、なかなか明るい気分になれなくなっています。


 気晴らしを挟みながら、こういった人類の課題を見つめていくのが良いような気もします。

 その気晴らしを作品づくりで行うのも手でしょう。

 その一方で、僕の半分は書物でできていると言ってもいいくらい、拙いながらも感受性のもとがそこから来ています。

 あとはロックと身近な人間関係かな。


 今、断捨離が進んでいるせいか、頭の中がこれでもだいぶスマートになりましたが、昭和がこの国にとって、そして僕にとって何だったのか、数万年単位で見たとき僕らはいったいどんな存在なのか、という縦軸と、この瞬間世界で息づくものという横軸に思いを寄せています。


 僕はそうしているうちに燃え尽きてしまう人間なのかな、とまで考えたりして。


 十代のころからしばしば恋に目が眩む中、時折いわゆる義憤にかられることが多かったのですが、限られた時間と気力・体力をどう振り向けていくか、きちんとコントロールできるようになりたいです。


 先日、久々に都心部の人波の中を歩きましたが、自分はこれに漫然と流されてはいけない。

 そういう思いを強くして帰ってきました。


 まあ、流されるのも人、流されないのも人です。それを見て何か考えるのも人。

 語弊のないように書くなら、そういうことです。

 だから、僕は人を見ていると何かしらのパワーを得ます。

 それが、社会という場でしか生きられない人間らしい生き方なんですね。


 ということで、少年のような心細さと、先が長くない予感のするロッカーや鉄砲玉のような思いきりのあいだで揺れながら、僕は物ごとを進めていきたいと思います。


 風の前の塵に同じ。


 祇園精舎云々に始まる古典の日本一有名なフレーズですが、これは虚無というよりは、警句に感じることが大事ですね。




20241104

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