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半面、紳士的であろうとすると、他人の悪意を引き出してしまう。
ちなみに、外交の例に戻しますが、反撃能力を持たなかった国は滅ぼされてしまうのが歴史の定石のようです。だから文面上非武装中立をうたう日本国憲法は、アメリカの警戒心から来ていた庇護があったうちだけの暫定的な法に留めるべきだったと僕は解釈しています。
あと、平和を唱えていたら平和が守られると信じている左派系の人々がいますが、平和には経済的、人的コストがかかるのは歴然としています。
搾取や悪意にさらされて、ただ眺めているだけではあかんよなー、と思うのですが、その身体的、精神的被害こそが社会と関与していく中では必要なコストだとどこまで割り切るべきなのか、ちょっとまだ明確な答えが出せません。
やられたら、やられた分、やり返すのかフェアなのかどうか。
無自覚な相手に学習させるのは悪くない考えだと思いますが、それが宗教でも容認している態度なのかな。
僕は無宗教ですが、格言とか人生論として参考にはしています。
仕事上いらいらさせられても、それは自分の立場もあるのである時を境に飲み込むようにしてきました。
自分より不慣れな人間や、自分の敷いたルール下でやっている人間は不利だから、そこは寛容であるべきだと理解しています。
一方、ルールを守らないで誠実な仲間が害を被るような悪意にたいしては毅然と対応してきました。
自分以外に他人を守るという大義があると強く出られましたね。
もう一度やったらその後はどんなにスキルがある人間でも仕事から外す、と職場では明言していたかな。
裁量もあったし、それ以前に最悪オレ一人になっても仕事回してやるという覚悟があったからこその態度ですね。
これに近い気概があれば、怒りの沸点に行くまでもなく対処できてしまえるような気がします。
なんか自分一人だけのために騒ぐのが、どうもカッコ悪いことに思えてならないので、放置が人のため世のためにならないと思ったら、それを理由に動くべきなのかな。
義憤ってやつですね。
怒りは自分の視野を狭めますが、変に理解あるふりして悪意が簡単に通るようになると、そういうのがはびこるようになります。
自分の正義に酔ってはいけないと戒めながら、他人の過ちが悪意、怠慢によるものか嗅ぎ分け、覚悟決めて行動することに尽きるのでしょう。
万が一僕の信じる正義に誤りがあったなら、まもなく自分が他によって正されることになるとも信じて。
20241022
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