『最愛の娘へ
突然こんな手紙が届いてさぞや驚いていることだろうと思います。だってママは、私は、りっちゃんが9歳になるまでにはがんで死んでしまうのですから。
天国からの手紙だと思った?
うふふ、8歳のりっちゃんだったらきっと無邪気にそう信じてくれるでしょうね。でもこの手紙を読むりっちゃんは18歳。いつまでも子ども扱いしないでよとむくれる顔が簡単に想像できますから、ちゃんと種明かしをしておきましょう。
答えは「タイムカプセル郵便」。10年を限度に、手紙を未来の指定した日の指定した場所に届けてくれるサービス。ママはそれをめいっぱい使って、10年後のりっちゃんに手紙を送ることにしたのです。
いつのまに書いてたのって驚くかな。でも入院生活ってけっこう暇なのよ。りっちゃんは元気に小学校に行ってるし。しょっちゅう人が訪ねてくるわけでもないし。
だから自由気ままに書いていくね。
さて何より気になるのは、18歳のりっちゃんについて。
りっちゃんはママ似だからきっととびきりのべっぴんさんになっていることでしょう。
髪の毛は長いかしら、短いかしら。今はポニーテールを元気に揺らしてるけど、きっとどちらも似合うわね。好きな方にしなさい。
好きな人はいるかしら。あるいはもう恋人がいるのかしら。……いけない、失恋して泣く夜にそばにいてあげられないのは残念だわ。でもりっちゃんのことだからきっとふられるよりふる側なんでしょう。ママにはわかるわ。
ご飯はちゃんと食べてる? まだ8時間睡眠してる? りっちゃんの誕生日は冬まっただ中だから、ちゃんとあったかくしなきゃだめよ。この前あげたマフラー、まだ大事に使ってくれてるかな。使ってくれてたらいいな。
それから……聞こうか迷ったけど、やっぱり気になってしまうのはピアノのこと。
りっちゃんはよく頑張ってるけど、最近ちょっと無理してるように見える。
ピアノの先生の娘だからピアノが上手じゃなきゃなんて思わなくていいからね。やめたければやめればいいし、続けたければ続ければいい。そこにママが口を出す余地はない。何にもしばられずに、のびのびと生きてほしい。
そうそうピアノといえば、
今は私が好きな曲だからってみんなして幻想即興曲を極めているね。素敵な曲だからわかるけど、偏食家になっちゃだめだよ。音楽はいろんな経験の積み重ねなんだから。
そういえば病棟の共有スペースにもアップライトピアノがあるの。
弾き始めるとついつい夢中になってほかの弾きたい人が弾けなくなってしまうから、なるべく弾かないようにしてたんだけど、この前声をかけられてね。
ささやかなコンサートをやらないかって。みんな私のピアノを楽しみにしてるんだよって。
まさか思いもよらないことだったから驚いてしまったけど、とても嬉しかった。りっちゃんや拓人や奏良も招待しようと思う。久しぶりの演奏会、腕が鳴るなあ。
10年経っても覚えててもらえるような演奏にしよう。
覚えててくれてるかな?
最後に格言を。
「人生は山あり谷あり平地あり」!
もちろんそんな単純なものじゃないけれど、それでもこのことを胸に留めておくだけで幾分か楽に生きていける。
私はそう信じてる。
ママは天国に行ってもりっちゃんの味方です。胸を張って生きてください。
それでは、さようなら。
母より』
少女は読み終えたその手紙を膝の上に下ろすと、しばらくの間仏壇の前に座っていた。
時を越えて届いた便箋は塩味の水滴で温かく湿っている。
誰もいない家の中は水を打ったように静かだ。
口の中で渦巻くたくさんの言葉を出せずにいながら、顔を上げた。
三人分の位牌。
薄く細い煙を上げる線香。
揺らめく小さな蝋燭の火。
少女は深く息を吸い、一寸止めてから、長く吐き出す。肩がゆっくりと上下する。
そうして吐き終えると手紙を膝の上から左にどかし、右に置いていた新しい手紙を手に取った。
蝋燭の火に近づけるときれいに折り畳まれた便箋に火が移る。
端から光りながらじりじりと苦しむように黒く縮んでいく紙。それを香炉灰の上、一本立てた線香の隣に置いた。
線香は既に半分以上が焼けていて、灰白と深緑をほのかな光の輪が隔てている。
りんを鳴らして手を合わす。念仏は喉の奥に詰まって気道を圧迫している。
少女は合掌したまま祈り続ける。
穏やかな冬の日。線香の香りがいつまでも空虚を染めていた。
葬送曲 藤堂こゆ @Koyu_tomato
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