最終話 ひみつきち
朝晩に、少しの肌寒さを感じるようになった初秋の候────
僕は、正式に家族として夏子ちゃんの三崎家に住まうことになった。
もっとも、名字は二人とも同じ三崎のままだし僕の実家は歩いて三十秒の隣家。そんな訳で、入籍も住所変更も、未だ済ませていないままではあった。しかし、そんなのは些細なこと。
僕らにとっては、新たな生活の基盤をこの家で作り始めたという事実のほうが重要だ。僕の仕事は以前のままだが、夏子ちゃんとお義母さんは少しずつ収入になりそうな仕事を日々模索していく予定だそうだ。もちろん、僕の実家の支援もあるし、なんなら仕事だっていくらか工面はできる。
でも、穏やかな暮らしを第一に考える僕ら家族は、一般の価値観からは軸足を離して考え、なるべく心の豊かさを重視して生きていくことを大切にしようと話し合っていた。
一緒に住むにあたっては、少し古びていた彼女の家に本格的にリフォームの手を入れることにした。
元々、水回りがくたびれてきていたので、お風呂と台所周りを新しくすることにした。そして、和室の奥座敷部分も新たに改装、そこを洋室に造り変えて僕たち二人の部屋ということにしたのだ。
それに、古めの日本家屋なので広い和室はどうしても耐震強度が低い。そこで、新たに耐力壁を増やして洋間とし、台所とお義母さんの寝室のリフォームも併せて施し、家の真ん中に残った仏間を周囲から強い構造で挟み込んで家全体を補強しようというのである。
この家はもともと中古物件で、夏子ちゃん家族が最初に住み始めたときでさえ築二〇年ほどが経っていた。時期的にもそろそろ補修の必要性を感じていたので丁度良かったことでもある。
いっそ、取り壊して新たに立て直したらいいのではないかという意見もそれなりにあったのだが、やはり完全新築というのは様々な面で費用が高く付いてしまう。それに、かつてお義父さんと一緒に暮らした家の面影を残しておきたいという、家族の希望もあってのことだった。そのため、居間と仏間は最小限の耐震補強を施すだけに留め、間取り自体は元のまま残すこととした。
そんな工事の途中経過を見た僕の父は、
「うちもそろそろ、和室の耐震工事しないとなぁ……」
などと、刷新されていく僕らの家を羨ましそうに眺めながら感想を述べていた。
外観も殆ど変わらないままの家だが、僕らは普段から台所に集まってお話ししていることが多い。一番滞在する部屋が新しくなるので、家の印象は随分と様変わりすることだろう。家の前にある家庭菜園へのアクセス性も考慮して、台所の勝手口は少し広めに作り直しておいた。これからは、花の他に食べられるお野菜も多めに作付して食卓に貢献してもらおうと思っている。
一緒に暮らし始めた夏子ちゃんは、お義母さんの美春さんと一緒に毎朝仏壇の前で手を合わせている。再び、そこに収まった敏弥さんの位牌に向かって……。
そんな二人の表情は、以前と違って明るいものだ。きっと、再びお父さんと安らかに向き合える日々が戻ってきたことが嬉しいのだろう。そして、もしかしたら僕と一緒に暮らす日々が訪れたことを喜んでくれている…………そう思ってしまうのは、少しご都合に過ぎるだろうか。
「────じゃあ夏子ちゃん、今日もお部屋の続き作ろうか?」
「うん」
……今、僕らは新しく出来た自室である洋間の内装をしているところだ。
前述の通り、もともと家の西側部分にあった奥座敷と云う名の和室は、今は洋室に作り変えて僕らの部屋として新たに使う。そしてそこは特別に、施工してくれた大工さんにお願いして、内装などはせずにボードの打ちっぱなしのままの状態での引き渡しにしてもらっていたのだ。
僕たちは、まだ一緒に暮らし始めたばかり。
夫婦の生活スタイルも、これから色々と擦り合わせていかなければならない。
もちろん、お互いを尊重しあえる間柄ではあるが、それでも細かなところで勝手が違う部分もあるだろう。これから二人でそこを見極めつつ、最適な部屋の作りを生活しながら模索していく予定なのだ。
そのため部屋の設備は最小限、壁の造りも自分たちで考えて後から付け足しながら構築していくつもりであった。今は、フロアだけ貼られて無機質な石膏ボードの表面がむき出しの作りかけのままの壁。部屋の中には内装に使う予定の資材までもが無造作に積んである状態だ。そこに安物のベッドを申し訳程度に、ぽんと二つ置いただけの、部屋とも呼べない物置のような状態。
でも僕らは、この何も無い未完成の部屋がとても気に入っていた。
まるで、子供の頃に二人でダンボールを使って夢中で作った……あの秘密基地を、再び作り始めたようで────
「ご苦労さま、休憩にしたら?」
作業をしていた僕たちに、お義母さんがお茶とカステラを持って声をかけてくれた。
「あ、ありがと。玲弥くん、休憩にしよう?」
「そうだね」
僕らは作業の手を休め、洋間の戸を開け縁側に出る。現代風の設えの部屋の外は、昔のままの縁側のある和造りの日本家屋の景色。きっと、他人が見たら酷くちぐはぐな造りの家に見えるだろうが、僕らにとってはこれこそが望んだ家の姿なんだ。
掃き出し戸を開け、よく晴れた温かい日だまりの縁側に腰を下ろす僕達。
目の前には、花の終わったカサブランカの茎が、茶色く色褪せながらもそこに並んで立っていた。
「そういえば────そろそろ、お花の冬じまいの支度もしないと、ですね」
僕はお茶をいただきながら、何気なくそんな事を言う。
カサブランカは地中に大きな球根があり、冬になる前にそれを掘り上げて、春まで家の中に仕舞って冬越しするのである。
すると、驚いたように二人が僕の顔を見ていた。
「……え。な、なんか変なこと言いました? 僕?」
ちょっと慌てて聞き返すと、やがて二人は顔を見合わせてから表情を柔げ、
「あの人みたい……だったの」
そう言って美春さんが、微笑む。
「うん、お父さんも、よくここでお茶を飲みながらお庭を眺めててね……『あー、そろそろ花の仕舞いをしないとなぁ……』って」
夏子ちゃんもそんな事を言った。
そんな縁側から見える花畑の隣……以前、この家と僕の実家の間にあった屋敷林は今はもう無い。じいちゃんが伐り倒した切り株が、痕跡として点々と残るだけだ。人目を避け、あまり表通りを歩きたくない夏子ちゃんと美春さんは、縁側の前からその拓けた跡地を通って、直接僕の実家へと足を運んでいる。そこは、特に使う目的の無いままなので、少し殺風景な空き地のまま放置されていた。
ならばいっそ────
「あの屋敷林の跡……お花畑にしようかな?」
僕は、ふとそんな事を思いついて二人に話した。
「あら、いいわねぇ」
「うん! たのしそう」
二人の歩くところがお花で囲まれていたら、きっと素敵なことだろう。その花畑を手入れするのが、お義母さんの新しい暮らしの営みになってくれれば……きっと心も癒やされるのではないか。
土に触れる暮らしは、心身の健康のためにもいいだろう。
そして、そこで出来た花を周りの人に還元していく……そんな暮らしができたなら、僕の家族も本望だろう。きっと、じいちゃんばあちゃんも応援してくれる。
そして……きっと、敏弥さんも────
………………………………………
年は明けて春彼岸……
僕たちは、毎年恒例のお墓参りに訪れていた。
去年までは一人で訪れていたこの場所も、今では二人一緒。
溶け始めた雪の間からは福寿草の花が蕾のまま顔をのぞかせていたが、このあたりのこの時期は、まだまだ肌寒いし雪もちらついている。そんな中、寒くないように二人とも、もこもこと厚着をして手を繋いで、墓石の間を歩き敏弥さんのお墓の前に立つ。
今日のお墓参りは、ある報告をするためでもあった。
僕たちの……家族での暮らしは平穏そのものではあったのだが、やはり一緒に暮らすとお互い色んな面が見えてくるものだ。もちろん、深刻になるような事件などは無かったのだが────最近ちょっとだけ、僕らはすれ違い気味でもあった。
思いがけず僕の仕事が忙しくなり、彼女も美春さんと新しい事業を始める準備をしているところだった。忙しくなると、どうしてもお互いを顧みる機会も減ってしまう。
その頃の僕は、残業続きで事業所に寝泊まりすることもしばしばだったのだが、ある日……僕の洗濯物から女物のハンカチと長い髪が検出されたことで彼女が酷く疑いだしてしまったのだ。折り悪く、その時は忙しい上に疲れていたので、僕の方もいい加減な受け答えをしてしまったのも良くなかった。
僕は全くモテる方では無かったし、事実今も女っ気は全く無い。ハンカチは残業で怪我した時に事務の女の子から譲り受けたものだったし、髪の毛はその時にでも付着したものだったのだろう。しかし、外泊のタイミングと重なっていたことで彼女は確信的な疑惑を持ってしまったようなのだ。
僕は必死に説明したし、お義母さんも笑いながらも僕に味方してくれた。しかし、彼女にはそれも疎外感の原因になってしまったのだろう。酷く憤慨し、悲しみ……ついに、夜は別々の部屋で寝るという有り様になってしまっていたのだ。いわるゆる家庭内別居というやつである。
朝晩のご飯もお風呂も滞り無く済ませているし、表立って非難してくることもなかったが、一緒に寝る事が普通になった身には、一人寝というのは存外淋しいもので、僕はなんとか彼女に機嫌を直してもらおうと三日三晩、彼女とお義母さんが暫定的に一緒に寝ている部屋に通い詰めて話し合った。睡眠を妨げられたお義母さんは、さぞご迷惑だったことだろう。……申し訳ありませんでした。
……いや、後で聞いたらこの『機嫌』という言い方も実は彼女は不満だったらしいのだが───。気分の問題などではなく、疑いを持たせたり不安にさせたりしないで欲しい、ちゃんとした理由があるなら最初からそう言って欲しい、というのが彼女の言であった。
お姉ちゃん、というスタンスは昔から変わっていなかったが、彼女は案外寂しがり屋で嫉妬深い女性でもあったらしい。苦心の末、ようやく彼女と仲直りを果たせて……彼女の口から出てきたのは────子供ができた、というものだった。
以前は、あれだけ子宝に恵まれなかったのに、随分あっさりと授かったものだと不思議ではあったが……。もちろん僕らにとっても喜ばしい事だし、これもなにかの巡り逢わせだろうと家族共々喜んだ。なんとなく、最初からこうなることが定めであったかのようで────。
「お父さん、私ね……子供できたんだよ。玲弥くんとの子どもだよ……」
夏子ちゃんは、敏也さんの墓石を撫でながら嬉しそうにそう語って聞かせていた。なんだか照れくさかったが、もうそんな事も言ってられない。僕は父になる、そのことをちゃんと考えなければいけないのだ。でも幸いなことに、僕には家族がいる。心強い家族たちが……。
「また家族が増えますよ、お義父さん」
こんな田舎ですら、もう珍しくなってしまった、三世代同居家族。
でも、そこで育まれるのは、今では失われてしまった大切なものがたくさんあることだろう。生まれてくる子供が双方の両親から愛され、大切にされることが僕たちの望みでもある。
僕たちがそうしてもらったように、今度は僕たちの子供にその恩を贈る番なのだ。
しばらく墓前に手を合わせ、お祈りを済ませた僕たちはその場を後にした。
小高い墓地の丘からは、村の景色が広がっている。
小さい頃から見慣れた景色。
そんな大好きだった村の景色は、大人になるにつれて暗い印象を色濃くしていってしまった。だが、去年まで抱いていたそんな印象は、今はもう無い。
見る者の気持ちが移ろえば、そこに感じる色もまた違って見えるものなのだろう。
冬の気配を残す灰色の雲の隙間からは柔らかな日差しが差し始めていたが、同時に東の空からは雪もちらつき始めていた。
この季節にはよくある、こんな空。
暖かい格好をしていたが、そうっと流れる風はやはり冷たい。
隣を歩く彼女が少し肩を持ち上げ、僕に寄り添った。
そして……上着のポケットに入れていた、僕の手に自分の手を重ねてきた。
僕は、ポケットの中でその手をそっと握り返す。
「寒い……?」
僕が尋ねると、
「少しだけ」
彼女は微笑んでそう答えた。
これから、いろんな日があるだろう。
これまでもそうだった。
晴れた日も、雪の日も……。
「じゃあ、帰ろうか。ぼくらの
「うん」
柔らかな日差しと、静かに降り積もる雪。
その空の下で、二人の足跡はどこまでも続いていく
縁側のカサブランカ・完
縁側のカサブランカ【完編・連載版】 天川 @amakawa808
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