カメムシと傲慢

さっこ

カメムシと傲慢

※ATTENTION※

タイトル通りこのお話はカメムシがこじゃんと出てきます。

気持ち悪い表現もありますので、虫が嫌いな人も好きな人も閲覧注意。


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 ブブブ……という羽音がしたかと思うと間もなく頭上からカァン、カァンという音がする。

 嫌な予感がしつつ、無視するわけにもいかず天井を仰ぎ見る。予想通りホーロー製の電気傘の中でカメムシが右へ左へと体をぶつけていた。

「げ」

 向かいの席でご飯を食べていた翔真が顔を顰める。

「飯時に……最、悪、なんだけど。りこぉ、早く取って取って」

 頭上の傘の元から逃れ、ちゃっかりと茶碗と共にリビングへと避難していく。

「止まらないと無理だよ」

 答えながらも見失わないように、私はカメムシを目で追い続ける。

「ちゃんと洗濯物確認していれた?」

 ご飯を口にしながら不満そうに翔真は言う。

「三度見したよ。この時期は仕方ないよ」

「はやく取ってよー、梨子唯一の特技じゃん!」

 カメムシはまだけたたましく音を立て飛び続けている。私は目線を外さないように、ペットボトルで作った捕獲器を玄関から取ってくる。ペットボトルの上部を切り取り中に洗剤と水を入れ、上部をひっくり返してテープで固定した簡易なもの。テレビで見たままに作ったものだが、不思議と一度落ちたカメムシは這い出てくることがてきない。

 ピタリ、と電気よこの天井ついたところでイスに登り捕獲器でカメムシを覆い少し横にずらせばコロリ、と逆さになった飲み口から下の水へ吸い込まれていく。

「取れたよー」

「げ、そのペットボトルめっちゃ気持ち悪いからこっちみせんな。」

「翔真、ほんと苦手だよね」

 男のくせに、心中で呟き玄関の土間にカメムシ捕獲器を置いて食事に戻る。

 翔真はスマホに夢中になり、そのままリビングで食事を取りこちらに戻ってくることはなかった。



 翔真とは付き合って三年と数ヶ月。なんと言うことはない合コンで出会い、一年付き合って同棲した。工場勤務で夜勤のある私と翔真はなかなか時間が合わず、なら一緒に住んだ方が効率的だと翔真が言ってくれたからだった。

 夜勤明け、一人きりのリビングをフローリングワイパーで拭く。疲れてるし掃除機だけで済ませたいのだが、この作業を怠ると安物の掃除機の吸引口に長い髪の毛はすぐに絡まってしまう。

 住宅しかない一帯で、出勤時間も終わった午前。静かで、微かに車の通る音や小さな子供の笑い声が聞こえる。

 ブブブブ、と音がする。いつもの……と警戒すれば自分のスマホのバイブが鳴っていて思わず笑ってしまった。

「もしもし?」

『あ、梨子?』

 外なのだろう、騒音に混じって翔真の声がする。

『あのさ、弁当忘れてきちゃったから。お前昼にそれ食って』

「また?」

『だってお前の弁当地味だし、冷凍多いし』

 翔真からどんなのでもいいから作ってと言われて作っていた。持っていくのは三回に一回か。いい加減作るのを辞めればいいのだけど、無ければ無いとで不機嫌になるのだ。

『あ、あと今日飲み会入ったから、めんどくさいし帰らないわ』

「ちょ」

 ぷつり、と通話は切れた。明日は久々に休みが重なったから出かけよう、そんな話しは無かったことになっているらしい。いや、明日の朝早く帰ってくるなら……でも、そうはならないだろう。きっと夕方にごめんの一言もなく帰ってくるのだ。

 ブブブ。

 ぼうっと電話を握ったままの耳元に、今度こそバイブでない音がした。


 なんで人を殺しちゃいけないと思う?


 いつだったか、ニヤニヤしながら翔真は私に聞いてきた。私はあの時なんと答えたか思い出せない。翔真はドラマの受け売りの高説を自慢げに、さも自分の考えたかのようにうたっていた。

 最後に、やっぱばかだなぁ梨子は、そう笑った顔はよく覚えてる。

 カリ、コロリ、ぽちゃん。

 細い針金のような六本の足を上にしてもがく、もがく。六本の足はバラバラに動いているようでまるで規則正しく動く。洗剤の混じった青く透き通った水面の下には同胞の亡骸が何十匹と降り積り茶黒い層を作っている。

 ツンとする青臭くなんとも言えない独特の香りがする。最後の足掻きだ。

「なんで、カメムシは殺してもいいんだろう」

 私は誰もいない部屋で独りつぶやく。


 いつか私たちに、知らない何か、カメムシ達からしたら理不尽な人間のような存在ができたとして。私たちもこの水の底に何十体と重なる時が来るかもしれない。まだ誰も知らないだけで。

 ぴくりと足をひくつかせ事切れて沈んでいく一匹を見ながらそう思った。


 橙色の光が目をさす。気がつけば部屋が明るく染まっていた。学校帰りの子供の晴れやかな声がする。外に出れば少し冷たくなった空気は澄んでいて、思考がクリアになったような気がした。

 マフラーにはまだ早いけれど首もとがヒヤリとしてパーカーの襟口を手でつめる。

 仕事でインナーキャップを被るのに楽だから、もう何年もショートカットだった。久々に伸ばしてみようかな、そんな事を考えながら私は近くのホームセンターへ向かった。



 遅番を終え玄関前に着いた時、時計は午後9時を少し過ぎたところだった。鍵を静かに開け足音を極力消して中に進む。薄暗いリビングには食い散らかしたピザの箱と缶ビールが数本、テーブルだけではなく床にまで転がっていた。

 リビングに続く寝室のドアは半開きで光が漏れている。そこから男女の乱れた声が聞こえてくる。

 冷えたリビングとは対照的にドアからは熱気と水気を帯びた空気が漏れ出ている。

 私は寝室から死角になる床に腰を下ろし、しばらくの時間、わざとらしくツヤをはらんだ女の叫聲と聞き慣れた息遣いに耳を傾ける。

 ああ、鼻につく、嫌な匂いがする。


 終わったのか、休憩なのか、二人はしばし静かになった後話をはじめる。

「やっぱさ、女の子はロングの方がいいなぁ、俺」

「えー、長いと大変なんだよ」

「うちに居るのさ、ずーっと短いの。女捨ててるんだよ」

 初めて会った時はショート好きって言ってた。

「もうそろそろ捨てどきかなー。収入だってそこまでだし、ゆりかちゃんくらい可愛かったら全然養うんだけど」

 女は満更でもなさそうに笑っている。

「もうあいつには価値ないねー、出会った時より歳とったし」

 当たり前だろう、加齢は全人類共通だよ。

 そのまま私をネタに二人は笑い続ける。静かに立ち上がり棚の隙間からホームセンターの袋を取り出す。袋の中には鉈や黒い大きなゴミ袋、鋸などない知識でそれっぽいものをかき集めたものが入っている。

 ブブブ、と聞きなれた音がする。持ち上げた鉈のさきに止まったカメムシと何処が目かも分からないけど視線を交わした気がした。

 自分のそんな感覚に笑いが込み上げてきたが、声を出さないようにと口元を結び耐える。

 玄関へ行き二本になったペットボトルのテープを慎重に剥がし、地獄への滑り台と化していた飲み口の方を外す。

 寝室の漏れ出たわずかな光に翳すと、相変わらず青い透き通った水と茶黒の層。


 両手で二つのペットボトルを持ったまま足で寝室のドアを蹴飛ばす。

「り、莉子?!」

 下半身に軽く布団をかけて肩を寄せ合っている二人。翔真は慌てた声をあげ、女は軽い悲鳴をあげた。

 すぅ、と大きく息を吸う。青臭い、ツンとした香りがする。勢いよくダブルベットの上に乗り上げる。

「ばぁあああああか!!!!!!!」

 二人の目の前に立ちペットボトルの半身を逆さにした。重力に逆らうことなく二人の頭に、半裸の体に中身が綺麗に落ちていく。

 ポカンとした二人をそのままに私はベットから勢いよく降り寝室をでる。直後、二人のものすごい悲鳴が部屋中に響きわたった。


 置いてあったホームセンターの袋と仕事帰りの荷物をそのまま引っ掴みアパートを出る。

 袋を見ると鉈にはまだカメムシがくっついたままだった。

「バイバイ」

 袋を軽く揺さぶれば簡単に飛び立っていく。

 宵闇に飛び立っていく姿を見送って私も足早にアパートを後にした。

 また一段寒くなった気がする。

 彼らが大人しくなるまで、あともう少し。

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カメムシと傲慢 さっこ @sacco_k

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