妙子踊り

飯田太朗

たえこ踊り

「日本列島を縦断している」

 僕はルイボスティーを勧めながら話を聞いた。

「それはつまり、感染する?」

 僕が訊ねると、東京都日野市で精神科医を務める石黒いしぐろ央治おうじ氏は静かに頷いた。

「ある意味では民俗学的観点でも考察はできそうだと考えて、飯田先生に」

 僕も大きく買われたものだ。

『幸田一路は認めない』。僕が書いている伝奇風推理小説だ。民俗学者幸田一路が日本各地で出会う民俗学的謎を解決していく……。

「どんな症状なんです」

 僕は応接間のソファに身を沈めながら訊ねた。

 石黒氏は答えた。

「罹患者は数日間にわたり、昏睡状態に陥ったと主張します」

「……主張?」

 僕は首を傾げた。

「と、いうことは客観的事実と異なる?」

「ええ」石黒氏は頷いた。

「患者の近親者によると、罹患者は数日間にわたり失踪します」

「失踪」

 僕は繰り返した。

「……解離性遁走?」

 これは精神病の一種だ。

 ある時を境に記憶を失い、気づくと全くの別人として、全く知らない場所で目を覚ます。症状は数時間だけの場合もあれば、数カ月、あるいは数年の場合さえある。目の前の医師が精神科の医師であることからそんな病を連想した。すると氏は頷いた。

「その一種とも考えられます」石黒氏は真剣だった。

「患者は記憶を喪失。近隣の、人口が少ない村や集落に赴いては、奇抜な格好で演舞を披露し、去っていくそうです」

「……いくそう、とは」

「間接的な目撃証言しか得られず、またその奇抜な格好、というのが化粧を含む変身であるため患者当人であると照合が不可能なためです」

「なるほど」

 僕は身を起こすと応接間の机にあるルイボスティーを口にした。

「そしてこの病気の稀有な特徴が二つ」

 石黒氏は指を二本立てた。

「一つ。患者は症状の落ち着きと共に、女性に対し柔和な態度を取るようになります」

 僕は首を傾げた。

「女性に対してのみ?」

 石黒氏は答えた。

「ええ。女性に対してのみです。さらに言うなら、患者は多くの場合ミソジニー、いわゆる女性嫌悪者であることが多く、そして市長や村長、政治家、あるいは企業のトップなど、人を率いる立場にいることが多い」

 僕はいよいよ眉根を寄せる。

 変な病気だ。本当にあるのかさえ怪しい。もしかして目の前のこの、石黒氏自身が精神病の患者でありもしないことを言っているないか? そんな疑問さえ湧いてきた。

 しかし氏の続く証言が、僕の好奇心を堪らなく惹き付けた。

「そして先程の通り、この病気は伝染します」

 僕は目を見開いた。

「それが気になるのです」

 僕は体を前方に傾けた。

「感染する……しかも話を聞く限り、それは……」

 精神病。

 僕はそうつぶやいた。

「ええ」

 石黒氏は頷いた。

「まさしく、奇病」

 さらに気になることがあった。

「しかもそれは……」

「ええ」氏はまた頷いた。

「日本列島を縦断している」



 ウェンディゴ憑きという精神病がある。

 この病気に罹ると、患者は自身が「自分はやがてウェンディゴになる」という不安妄想に取り憑かれる。ウェンディゴとは、カナダからアメリカにかけて原住民族の間で信仰されている精霊のことである。罹患すると意欲の減退、食欲不振などが起こった後、先程述べたような妄想が始まり、やがて周囲の人間が食料のように見え始め、猛烈に人肉が食べたくなる。

 これは深刻な栄養不足によって起こる症状で、稀にだが複数の人間間で伝染する。問題の病気も、この手の文化依存的症候群の一種ではないか。

 石黒氏によると、症例は三十年前に北海道で確認されたことを最後に息を潜めているそうである。この症例に最初に気づいたのが、他でもない石黒氏の先祖、石黒いしぐろ千治せんじ氏だった。

「千治はとある村人から話を聞いたのだそうです」

 石黒氏は、僕を乗せたフォルクスワーゲンを運転しながら告げた。

「千治が症例を確認したのは沖縄県那覇市、それから福岡県内で複数。広島県広島市、大阪府内で複数、そして愛知県名古屋市……」

 本当に、彼の言う通りだ。

 日本列島を縦断している。

「各地で見られた症状は、いずれも先日説明した通りです」

 石黒氏が僕の元を訪れた週の、土曜日と日曜日。

 僕たちは泊りがけで調査に出ることにしていた。

「たえこ踊り、というそうです」

 石黒氏がハンドルを切った。

「患者が踊る演舞です」

「たえこ踊り」

 僕はリピートした。

「症例が確認された村々で、患者が口にしていたそうです。『これよりお目にしますのは、たえこ踊り、たえこ踊りにございます』」

 石黒氏は、軽快な売り文句だがしかし沈着に告げた。

「千治はそのたえこ踊りをビデオに撮影することができた村人から実際の舞踊を見せてもらったそうです。当時の日記に、そのことが子細に書かれています」

 氏は胸ポケットから手帳を取り出した。随分古い。これが……。

「最後のページです」

 石黒氏はちらりと僕の方を見た。

「千治の感想は」

 僕はそのページを見た。

 曰く。

〈珍妙な踊りだった……齢三十、高齢なものだと五十を過ぎているらしい。演舞の前に軽い自己紹介のようなものがあった。そして彼らが踊るのは、みな一様に、女踊りなのである〉

 女踊り。僕は想像した。体をくねらせ、柔らかい、品のある雰囲気をまとった踊り……。

患者クランケは三日間にわたりその舞踊を演じ、そしてどこへともなく去っていく。患者が目を覚ますのは、その後、村の外、森や山の中であることが多い〉

 僕は手帳を閉じた。これは何か、大きな問題である気がする。



 岐阜県は高山市、その小さなビジネスホテルに辿り着いたのは午後三時のことだった。荷物を置き、ホテルから出ると氏は告げた。

「飛騨市との境目にある山中の、集落です」

 石黒氏は、何かに取り憑かれたような目をしていた。

「祖父がビデオを確認したのは」

 それからフォルクスワーゲンは山間の道をくねくねと進んだ。

 問題の集落、女間おなま村に着いたのは午後五時のことだった。

「ああ、あのビデオのことですか」

 村役場の、住田さんという職員は石黒氏の話を聞くなりうんうんと頷いた。

「石田さんのお宅から寄贈されたものですな。何でも学問的価値があるだとか……村の図書館にあると思います。問い合わせましょうか?」

「お願いします」

 それから二十分くらい経った頃だろうか。住田職員がようやくやってきた。

「図書館の稲川さんが見つけたって」

 住田さんの手には地図があった。

「これから教えるところに図書館がありますんで」

 それから住田さんは丁寧に図書館の場所を教えてくれた。



 古びた建物だった。

 レンガ造り……なのだろうか。白茶けたブロックでできたそれは、どこかにまだ赤い色合いを残してはいた。僕と石黒氏は静かにその建物に入った。それから、受付らしきところを見つけると、そこで欠伸をしていた女性職員に声をかけた。

「あ」

 女性職員は目を丸くした。

「たえこ踊りのビデオが見たいっていうお客さんで」

 石黒氏が頷く。

「ええ」

「ほんじゃ、早速」

 女性職員……察するに稲川さんは、カウンターテーブルの中からとことこ歩いてきた。

「会議室を準備していますから」

 僕たちは案内されるままに会議室へ赴いた。

 そこで早速問題のビデオを見る。

 ……奇妙な踊りだった。

 口元を覆い、柔らかい腰つきで座り込んだかと思えば、被り物……おそらくかつらの髪を撫で、それから大きくそれを振るう。そんなことを五回、繰り返す。やや不細工な石の上でしゃがんだり立ち上がったりする男の膝は、痛そうだった。

「当時の飛騨市市長さんだそうです」

 稲川さんが解説を入れてくれる。

「何でもこの二日前にいきなり失踪していたとかで」

 話に聞く症状はそのまま石黒氏が話してくれた通りだった。

「この病気の後、市長は女性社会進出推進条例案を出したそうです。おかげで、ほら」

 稲川氏は自身を指した。

「出産後の私も、こうして図書館の司書っていう仕事に就けたわけで」

 なるほど。僕は頷く。

「一つ、お訊きしたいのですが」

 僕は静かに告げる。

「この辺りに神社は?」



 稲川さんの教えてくれた通りに、村の端にある神社に行くと、やはり僕が睨んだ通り、それは特殊な神社だった。鳥居がない。代わりに二つの大きな岩が神社の入り口と思しき参道の両脇に置かれている。

「岩は、場合によっては女性の象徴になることがあります」

 僕は続けた。

「ある土地の信仰では、世界で最初の命は岩に眩い光が当たったことで生まれた、とされています」

 僕は参道両脇の岩に手をやる。

「これを仝神おなかみ信仰と呼びます」

「仝神」

 石黒氏が僕に続く。

「おそらく『女』+『神』です」

 僕は岩と岩の間を歩く。

「参道、この場合は産道でもあります」

 石黒氏が僕に続いて歩いてきた。

「きっとこの先に答えが」

 僕の言葉に、石黒氏ははたと首を傾げた。

 果たして神社の、本殿の前。

 そこには舞台と思しき、石の祭壇があった。おそらくだが、ビデオで見た患者の、踊っていた場所と一致する。

 僕はおそるおそる本殿に近づいた。少しの間、お賽銭箱や柱を見て回る。

 やがてそれは、本殿入り口前の石壇、舞台の裏にあった。僕はそれを読んだ。

「元より、おなは神であった。神はいま、ちにおちている」

 随分と昔に彫られた、なかなか読みにくい字だったが、民俗学の調査を重ねていく内に身に着けた解読力で僕はそう読み下した。石黒氏が訊いてきた。

「それはどういう意味です?」

「そのままの意味でしょうな」

 僕は解説した。

「『女は元々神だった。その神は今、地に落ちている』」

「……女性蔑視」

 石黒氏がそうつぶやいた。

「でしょうな。この地にはそういう文化があった……あるいは流れ込んできた」

 ここで僕は一つ提案をした。

「患者が確認された地域で、同じような文化がなかったか調べてください」

 僕は顎に手を当てた。

「あるいは、江戸時代など、武士の文化、ひいては儒学思想が流れてきていないか、そういったことを」



 後日。

 僕の仕事場にて。

 石黒氏の調査によると。

 患者が確認された地域にはいずれも、韓国や中国から流入した儒教思想が根強く残っていたそうである。これにはやはり、女性蔑視の思想がある。

「これは例えば、の話ですが」

 僕はやはりルイボスティーを勧めながら進言した。

「女性蔑視の思想がある社会の中で、抑圧された女性たち。その思想、思念が形になったとしたら。それらの考えが生活の奥底に強く残って、日常生活の様々な場面で発露していたとしたら」

 石黒氏が目を見開く。

「あるいは、心の奥底にある、女性蔑視への後ろ暗さが潜在的に男性の中にあったとしたら」

 僕もルイボスティーを一口飲む。

「男性が女性になり舞う。性転換。すなわち『代えっこ』。この現象が日本各地で連続的に発生するのも、まぁ頷けなくはない。強い権力を持った男性自身が女性になり、その権利、立場を主張する」

 僕は続ける。

「かえっこ踊り。かえこ踊り。たえこ踊り」

 文化依存症候群。

 僕はそうまとめた。

「女性への申し訳のなさが生む奇病」

 僕の言葉に、石黒氏が反応した。

「女性の権利運動は、僕たちが思っていたのより昔から、あったのかもしれませんね」

「ええ」

 僕は応じた。

「男は女に弱いもんです。それはきっと、今も昔も」

 ルイボスティーの水面に僕の顔が映った。それは揺蕩たゆたうからか、どこか柔和だった。


 了

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妙子踊り 飯田太朗 @taroIda

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