教室の中の天の川

音愛トオル

教室の中の天の川

 ああ、理不尽だなって思う。

 あたしにはどうにもならない力のせいで、少なくともこの5月から夏休みまでの間の毎日の色彩は褪せてしまった。黒板に無慈悲に書かれた数列を見る、それはほとんど凶報に等しい。

 たかだか教室の数メートルが、あたしには越えがたい壁のように感じられたのだ。


「席、遠くなっちゃったね。まろち」


 マシュマロが好きだから、まろち。

 クラス替えをしてすぐ、友達がいない教室の隣の席。優しく話しかけてくれたりりがつけてくれたあたしのあだ名。

 楽しそうに、幸せそうにマシュマロを食べてくれたりりとの時間が、あたしは好きだったのに。


「うん……寂しい」

「ん?何か言った?」

「あ、いや――ひとりごと、だけど」


 りりにはこのクラスに1年生の時の友人も多く、あたしと隣の席で過ごす時間はそんなに多くなかった。お昼だって、他の子と食べる方が多かったし。

 何より、名簿順で並んだ最初の数週間の席だ。

 きっと、席が離れてしまったら――


「――ねえまろち。私もね、寂しいんだ」

「……っ!?」


 次々と机を運んでいくクラスメイト達の喧騒の隙間、あたしとりりだけがまだ座ったままのほんの数十秒。雑音に掻き消されそうなほどの小さい声は、けれどあたしの耳を掴んで離さない。

 あたしの全てが、りりの言葉に絡まってゆく。


「私ってさ。なんか、空回りすることが多くて。グループとかでもちょっとノリを間違えたりして」

「りり?」

「でもね、まろちはいつも私とお喋りしてくれた。いっつも、あげる側だった私に初めて――マシュマロ、くれたでしょ?」

「――あ」


 りりの頬に差した影、その深さをあたしは知らない。

 けれどたぶん、まだ知らないりりの葛藤がそこにはあって、淡泊な関係ばかりだったあたしにはそれが見えていなかったのだ。きっとあの時間は――


――おいしいね、マシュマロ。


 冷たい仮面を被らなくてもいい、時間だったのだ。


「私、まろちが食べてるの、可愛くて好き」

「――なっ、どぅ、ええっ!?」

「ちょっと待ってて。うん、よし……はい、これ。席がえ終わったら開けてね」


 りりはノートの紙きれを雑にちぎって何かを書き込むと、丁寧に畳んで渡して来た。あたしが何か返すよりも先に、いそいそと遠くへ行ってしまった。

 りりから貰った紙きれと言葉の整理が付かないまま、あたしは気づくと席替え後の場所に居を落ち着けていた。全く、自分がどう動いたか記憶がない。


「二日酔いとかってこんな感じなのかな」


 などとつぶやいてみる。

 しかしそれは半分は正解で、あたしはりりの「好き」「可愛くて」「好き」「まろちが」という言葉に、酔っていたのだと思う。でないとこんなに頬が熱いのに説明が付かない。

あたしが教室の廊下側の後ろの角、りりは窓側の角。

起こりうる限り一番離れた場所に来て、あたしは何となく、隣の席の子に隠れて紙きれを開いた。


――まろちが好き。恋人になって欲しい。Yesなら2回瞬きして。


「……りり」


 急いでいたから、雑に。

 急いでいても、丁寧に。

 

 あたしの返事は、りりのその文字を見た瞬間に決まった。ただの紙きれを、大切に大切に折ってポケットにしまって、あたしは深く息を吸った。

 深呼吸をしようと思ったのに、火照る身体のせいど吐くのを忘れ、つま先で床をとんとん叩きまくった。音が出ないように軽く、声が出ないように早く。

 やっと吐き出した息の勢いのまま、あたしは窓へと――りりへと、視線を投げた。


――ああ、天の川みたいだ。


 狭い教室の中の、遠いこの距離はまるで天の川で、そう言ってみればあたしたちは織姫と織姫で。

 まあ、そんな七夕があってもいいよね、りり。


「りり」


 口の中で名前を転がして、あたしは目を2回、ゆっくりと閉じたのだった。


 席順を示す数字が凶報であることに変わりはないし、席替えがあたしにとって理不尽であることもそう。

 でも、教室の一番遠い場所で星よりも何倍もきらめいて見える笑顔をあたしに向けてくれるりりを見つめるこの時間も、そう悪くはない。


 なんて、夏休みが来るまでには思いたいと、嬉しい寂しさにあたしは蓋をした。

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教室の中の天の川 音愛トオル @ayf0114

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