彼女の失踪にまつわる実習日誌

宵すがら

【読み切り】第1話

 10日間だけの付き合いの子だった。

 ふらふらと誰もいない教室に入って大きく息を吐く。固い教室の椅子に座ると、慣れない緊張感の中で心臓が忙しなく動いた反動がどっと押し寄せてくる。



 教職を目指している私は、昨日までこの高校で教育実習をしていた。


 お互いの進路に敏感になっている大学3年生。なぜ教師なの?と当たり障りのない世間話として、または敵情視察として頻繁に投げかけられる質問。

気持ちが上がっているときの私は「若者の進路に関わる大事な時期に関わりたい」

気持ちが下がっているときの私は「転勤なしで安定した環境にいたい」と答えるだろう。

別に熱量がないわけではないが、他者貢献の志が特別高いわけでもない。

 その時のテンションや周囲に左右されるような、どこにでもいる大学生だという自覚はある。


 それでも実習期間の2週間、並に頑張って並に失敗して、良い感じに色紙なんかももらったりして、それなりの達成感を得た。

大学時代の思い出のひとつとしてアルバムにしまわれていく些細な思い出。

 それが綺麗にしまわれる前に乱暴に引っ張り出したのが、今日の朝家を鳴らしたチャイムだった。


 チャイムの主である警察の言うところによると、教育実習で担当したクラスの女子生徒の1人が失踪したらしい。

 しかも2週間、休日を抜いたらたった10日の、私の教育実習期間最終日の翌日に。

名前は安川真奈美、出席番号32番。

 今朝安川真奈美の親から娘が3日ほど帰ってきていないと通報があり、警察が事件性の調査をしている段階のようだ。


 「ご家族も心当たりがないようで。まあ、一般的な家出だとは思うんですけどね」

 年頃ですよねえ、と警察の中年男性は既に決まっている結論に対して答えを求めるかのように教育実習中の出来事を聞いた。


 何があったかと聞かれても特に何もない。

程よく仲が良い「良いクラス」だった。

 そもそも1ヶ月ほど付きっきりになり交流も多い小学校の実習ならまだしも、2週間足らずの高校の教育実習生に見える問題があるならば、そのクラスはかなり末期の状態なのではないだろうか。


 更に安川さんはクラスの中でも目立つわけでもなく、極端に静かな訳でもない普通の子だったように思う。

 警察に安川さんの顔写真とのにらめっこを強要されて思い出したことといえば、

一回授業前に教材を取りに来てくれたので会話したことはあったはず。

 教育実習生の義務である教育実習日誌にもそう書いてあったから、その時の私の記憶の方が正確だ。


 「何してようかな」

 今は一通り実習中の出来事を質問された後、一応学校関係者の聴取が終わるまでと学校で待機を依頼されている。

別に任意同行でもないし強制力はないんだろうけど、教師として戻って来たい場所に変に波風を立てるのも嫌だ。


 自販機で買ったカップのホットコーヒーのマドラーを回しながら、休日がつぶれた疲労感でぼーっと教室からの夕日を眺めていた。



「教育実習日誌、今お持ちですか?」

 ふと遠くから軽やかな声がする。

のろのろと声のした先に頭を向けると、教室の入り口に見知らぬ男子生徒が立っていた。

「......えっ」

 親しげに話しかけてくる心当たりが見当たらず固まってしまう私を見つめながら、男子生徒が不思議そうに近付いてくる。

「...先生?」

「あーーー、うんうん!教育実習日誌ね!持ってるよ。警察がコピー取ってたしそんな大層なことは書いてないけど...」


 『先生』と呼ばれたことで自分のミスに気付いてしまい、わざとらしく顔を背けてカバンを漁る。

私のごまかすような声色で気づいたのか、男子生徒が申し訳なさそうな顔をする。


「あ、すみません。そうですよね、覚えてもらってるかと思って」

「...ごめん。多分2Bの生徒だよね。実習中に結局全員は覚えられなくて...」

 苦笑いしながら申告すると、彼はそりゃそうですよね、と角の立たない相槌を返してくれながら

「安川さんと一緒に日直だったんです。おかげで休日に呼び出されました」とため息をついた。

「私も。お互い災難だったね」

 男子生徒は軽くうなずきながら、苦笑いと柔らかい口調を崩さず滑らかに話を続ける。

「お互い待ってる身ですし、ちょっと確かめたいことがあって。実習日誌を見せてもらえませんか?」

特に断る理由もないので「もちろん」と頷くと、彼はありがとうございます、と少し笑って隣の椅子に座った。

何気なく隣を見た視線が、そのまま釘付けになってしまう。


 クラスにこんな子がいただろうか。

身長はそこまで高くないのでぱっと見は目立たないが、近くで見るとすごく綺麗な顔をしている。

 長い睫毛とすっと通った鼻筋、まだ幼さの残るぱっちりとして綺麗な目。

一つ一つが手作業で彫ったように整っていて、黒目のゆっくりとしたまばたきに色を感じてしまうような怪しい魅力をたたえた子だった。


 思わずまじまじと見つめてしまった間をごまかすように机に教育実習日誌を広げると、彼は同じような冊子を鞄から出して同じく机に広げた。

 日直日誌、日直が書くルールになっているその日の出来事を記したもの。

教師の業務過多によってハンコを押すだけの形骸化しているクラスも多いが、彼と安川さんは真面目に空欄を埋めていたらしい。

担当欄を見ると「日直:安川真奈美、柳瀬怜」と書かれている。


 ということは、この子の名前は柳瀬怜なのだろう。

安川さんよりは印象に残りそうな名前だが、クラス36人名前が並んでいれば注目するのも難しい。

大学のゼミのメンバーの顔と名前を覚えるのにも1か月近くかかったのだから、と開き直って新しく柳瀬という名前を覚えた。

 日直は週替わりで出席番号順に回しているという話を聞いたのでそろそろ一周するのだろう。

最近はタブレットで授業を行うので、プリントがない分日直の仕事も私の学生時代より少ない。随分便利になったなあ、と感動したものだ。

柳瀬くんは実習日誌と日直日誌を交互に見ながら、

「実習日誌ってこんな風に書くんですね。日直日誌と結構違います」と細長い指でページをめくっていく。


 私も日直日誌をよく見たことがなかったので改めて内容を見ると、

実習日誌には「授業内容と学び」「生徒との交流」「終了時刻」

日直日誌には「その日の遅刻欠席者」「クラスの清掃状況」それぞれ独自の記載欄がある。

 時間割を記載するのは同じだが、日直の学生と実習生では求められている役割が当然異なるためだ。


 横目で柳瀬くんを見やると、真剣な顔で2つの日誌を1日ずつじっと確認している。

 授業で失敗してメンタル落ちてた時の反省文とかも書いてあるんだけどな。

お世辞にも綺麗とは言えない字で書かれた実習日誌をまじまじと見られている居心地の悪さを、現実離れした柳瀬くんの端正な顔が合わさると余計に感じる。

実習生といっても私はまだ大学三年生なのだ。柳瀬くんを意識しすぎないように必死に日誌の方に目を向けるが、おかしなところはないように見える。


「...これだ」

一方柳瀬くんは何かを見つけたようで、ある日の実習日誌を指さした。


「今週の木曜に「安川さん」が教材を取りに来たと書かれていますね。」私が頷いたのを見届けてから、今度は柳瀬くんの指が日直日誌をさす。

「でも、同じ日の日直日誌を見てください」

 示された日直日誌のページを目で追うと、木曜、曇り、遅刻者なし。そして欠席者ーーー

「欠席、安川真奈美...」

「はい。今週の木曜と金曜、安川さんは学校を休んでいます。」

 でも、そしたら木曜に話したあの子は。

「先生の所に教材を取りに来たのは本当に「安川さん」でした?」


 事実を確認したいだけです、と柳瀬くんの口調は変わらず落ち着いている。

「うん、細かくは覚えてないけど、名乗ってくれたから日誌に書いたことは覚えてる」

 それは間違いない。生物の授業の前に模型を教室に運んでくれた子だ。

電子化が進んでいるとはいえ、実物を見せて授業をしたほうが早い場合はいくらでもある。

これは大学の教育学の教授の受け売りの言葉だけど実習中にそれを実感する場面も多くて、模型を運ぼうとした時に通りがかった子が助けてくれたんだ。

さっきの警察の聴取で日誌を見ながら思い返したことで、「B組の安川です。先生、みんなの名前を覚えるの大変ですよね」と話した記憶も戻ってきた。


 では、欠席したはずの安川さんが私の前に現れたのはどういうことなんだろう。

 考えたことがそのまま口に出ていたようで、柳瀬くんが会話を進める。

「これについての可能性は、先生の記憶間違いでないなら、もしくは...最初から先生の前でだけ、別の女子が安川と名乗っていた、とか。」

ありえない、とは言い切れなかった。

「髪型やメイクでいくらでも印象は変えられますからね。それに安川さん、もしくはクラスの誰でも良いです。先生はクラスの女子の名前からパッと顔が思い浮かびますか?」

「うーん、無理だな!」

「ふふっ、正直」

「...え」

「あ、ごめんなさい。笑うつもりでは...」

こんな風に笑うんだ。

返事に困ってしまった私を見て、柳瀬くんは笑ったのが失礼だと思ったのか半笑いで謝罪を口にする。

でも違う、思わず吹き出した、と笑った顔があまりにも可愛らしくて目を奪われてしまったのだ。

何だかペースを持っていかれる。愛嬌と色気があって掴みどころがなくて、同じクラスの女子はもちろん年上にも放っておかれないだろうな。庇護欲、というやつだ。


「で、安川さんが欠席だった木曜と金曜は、別の女子が私の前でだけ安川と名乗っていた」

甘ったるい空気になってしまった間を誤魔化すように続きを促すと、柳瀬くんが頷きながら言葉を繋ぐ。

「もしかしたら先生の前では、木曜以前から安川さんと誰かは事前に入れ替わっていたのかもしれません。

うちは自称進学校なので、授業中の回答や質問も挙手制ですからね。先生に覚えられずに過ごす、というのはそんなに難しいことではなかったと思います。

しかも、先生は生徒の名前を細かく覚えるタイプではなかった」


 確かに、実習生が私のようなタイプでなくとも切り抜けることは出来そうだ。

じゃあ私の前でだけ誰かが安川さんを名乗ったとして、疑問は別のところにある。

「でも、なんでそんなすぐばれることを?友達とか他の先生に覚えられてないわけはないよね」

「分かりませんが...おっしゃる通り、クラスメイトや他の先生に聞かれればすぐにバレてしまう嘘だ。

 これでだまされるのは先生だけですよね?であれば、最初から先生だけをだましたかったのでは」

「私だけ?うーん、何か良いことあるかなあ、それ」

「先生をだまして得をするのは..恥をかかせようとした、からかっていた、もしくは教育実習の先生だけがやっていることはありますか?」

「うーん...実習生だけの朝礼、担任との打ち合わせ、教育実習日誌を書く...あ、だから?」

「はい、僕も教育実習日誌に書いてもらうことを目的としたのではと考えました。」


ーーー教育実習日誌、今お持ちですか?

柳瀬くんが最初にかけてきた言葉を思い出す。彼は最初からある程度のアタリをつけてここに来たのだ。


「確かに教育実習中に起こった失踪だから、まずは教育実習日誌を確認するかも。でも、日直日誌とか教員室のデータを見ればすぐバレることだよね?」


「そうですよね。生まれるのは少しの混乱と、裏取りのための時間。

時間を稼げればよかった、のではないでしょうか。捜査が長引くと、捜索開始までの時間が稼げる。」

「遠くへ逃げたかった、ってこと?」

「家出、ならばそうなんでしょうね。

僕はあまり親しくなかったので事情は分かりませんが、事前に相談されて協力する友達がいてもおかしくない」

 まあ家出だと事件性がないと判断されて捜査されないことも多いですけどね、と柳瀬くんはサラッと補足する。

 確かに、数いる家出学生をいちいち探していたらキリがないのか。妙に詳しいが、柳瀬くんなら知っていそう、というおかしな納得感がある。今日初めて会ったのに、そう思わせてしまう得体の知れない雰囲気があるのだ。


 それなら私の前で入れ替わった努力は無駄になるよな、と若気の至りを感じながら大きく伸びをする。

「そこまでして、何かから逃げたかったのかなあ」

柳瀬くんは曖昧に首を傾げながら日誌を閉じる。

「僕たちが考えることが出来るのはここまでですね。

先生がこのことを証言して、安川さんを名乗った女子が誰なのか分かればすぐに事情が明らかになるのでは?」


 ここまですらすら推理を話していた柳瀬くんは小説の主人公みたいで、何気なく口に出す。

「すごいな。探偵みたいだね、柳瀬くんは」

 一回。

 不自然な間があった。

 返答に困ったような一瞬の間があって、しかし私が不自然に思う前には会話が続けられる。

「ふふ、ホームズに憧れているせいですかね?僕が早く帰りたかっただけなのに、長々と付き合わせてしまって...」

「いやいや!私も早く帰りたいし、楽しかったよ」

「すみません、お気遣いを。先生、近いうちにまた会えますね」

「ええ!来年にはここに先生になって戻ってくるからね」


 柳瀬くんはふっと笑い、ひとつお辞儀をして教室を出ていった。

教室をオレンジに照らしていた夕日は既に傾きかけ、窓から見える校門には部活帰りらしき生徒が数人集まっている。

 夕日の傾きかけた誰もいない教室という場所も相まってなんだか記憶が薄れるほど夢か疑ってしまうような時間だったが、手元に残っている日直日誌だけが妙に現実を感じさせる。


 その後、色々聞いて回ったのかさっきよりもくたびれて見える警官に日誌を見せながらさっき話したことを一通り説明すると、

その女子を当たってみますね、今日はもう遅いので帰って構いません、と解放された。


 私に出来ることはもう終わった。

 早く落着して、あとは安川さんが生きやすい環境にいれば良いなあ、と思いをはせる。

一日が潰れたけど、柳瀬くんという不思議な男の子と小説みたいな現実感のない時間を過ごせたから良しとするかな。

 まだ自分も推理小説の相棒のような気持ちでふわふわと校門に向かうと、同じく校門に向かっていた男子生徒がこちらに気づいて先生、と声をかけてきた。

ぱっとしない、見覚えのあるようなないような特徴の薄い子だ。


「先生、先生も聴取でしたか。休日に災難でしたね。」

 名前を覚えるって大事なんだな...。本日二度目の居心地の悪さに反応を返さないこちらを疑問に思ったのか、その男子生徒は首を傾げながら言葉を続けて。


「柳瀬です、日直の。覚えてませんか?」



 次の日の朝、私は安川さんが無残な姿で発見されたことを知ることになる。


 「柳瀬」を名乗った彼の『近いうちにまた会えますね』の意味を、私はまだ知らない。

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