第10話 アーサーと教団の距離
隔離された世界の中にいれば、自然と仲良くなる人も出てくる。吊り橋効果に近いもので、これが世に解き放たれたら名前すら合致せずにそれぞれの人生が交わらないだろう。
アーサーという男は几帳面に見えて大雑把、逆もまた然り。選ばれた予備生の中では中間に位置する生徒だった。教団側につくほど信仰深くはなく、生徒からも一線引いている。けれど困っている生徒には手を差し伸べる。優しさよりも彼の気質のように、クリスは思えた。曲げない何かが根っこにあり、それはクリスにも備わっているものだ。
「よう、お疲れ」
「お疲れ様」
廊下で会い、片手を上げて答えた。
五月に入ったが、これで予備生全員が儀式を体験したことになる。病院に運ばれた者や、数日経過しても絶望的な表情を無口で過ごす者、アーサーのように何も変わらないものと様々だ。
二階のロビーにあるソファーに座り、窓から眺める。
東区は予備生と寮長や守衛が住んでいるため他の生徒が足を踏み入れるのは稀だ。
「温泉にでも行かないか?」
にっこりと嫌みのない笑顔を見ていると、暗黒の道を突き進んでいる人生に光が差し込んだ。同時に、なぜこの人は平常心でいられるのだと疑いたくもなる。
疑惑の目を向けて後悔した。ナイトであるリチャードに守ってもらっている立場で、彼を疑うなど不徳の態度だ。
「行く? 行かない? ちなみに行った方がいいと思うけど」
「なぜ?」
「馬のにおいがする」
はは、とアーサーは屈託なく笑う。臭いと言わないだけ、見えない心にある優しさが顔を出した。
「行こう。ここへ来てからまだ行ったことがないんだ」
男同士とはいえ、裸になる行為は抵抗がある。そんな思春期真っ只中の理由で大浴場へは足を踏み入れたことがなかった。
「悪い、臭かったよな。エマと戯れていたんだ」
「エマ? 飼ってる馬の名前?」
「そう。いろいろあってストレスたまってて、ずっとエマに愚痴を聞いてもらってた」
「クラブを休部させられた件か?」
「まさにその件だよ」
防犯カメラという名の監視カメラがあるせいで、生徒同士の会話もままならない。これはリチャードに教えてもらった。ネズミが紛れていないか、生徒同士で儀式の話をしていないか、など掟を破っていないか監視するためだ。ネズミというのは、神の御子に選ばれたのに隠し通そうとする人のことだ。極刑一択しかない。
「休部も一年だけだろ? 大学部へ行ったらまたできるって」
ばんばんと背中を叩いてくる彼の手には嫌みがない。
大浴場には誰もいなかった。後ろではドアの閉じる音が聞こえる。
「けっこう硫黄の匂いが強いな……」
振り返ると、アーサーはじっとこちらを見ていた。むしろ他を見向きもしない。
「なあ……、クリス」
「な、なに?」
「お前、儀式についてどう思う?」
「は?」
「神だの悪魔だの、非現実的なものがバンバン出てきて、俺たちは半ば無理やり運命に巻き込まれてる」
「ちょっと待て、」
クリスは辺りを見回し、身振り手振り首を振った。
「儀式の話は禁止だったはずだ。掟を破ることになる」
「知らないのか? ここ、防犯カメラがないんだぜ」
天井や壁を見やるが、言われたとおり黒い悪魔はない。
「しょせん精密機械だからな。湿気でやられるから設置できなかったんだろ」
「よく気づいたな……」
「まあね。それで、俺たちは儀式一回目を終えたが、お前の相手は誰だった?」
「そ、そういうのは言えないことになってる。話しちゃだめだ」
できることなら話したかった。神の御子に選ばれてしまい、頽れそうになる自分を誰かに話して、聞いてほしかった。
けれどもしアーサーが教団の犬だったら? スパイだったら? 可能性がほんの少しでもあるなら話すわけにはいかない。
「悪魔の話は聞いたよ。夢物語すぎてなんとも」
クリスはか細い声で当たり障りのないことを答えるしかなかった。
「だよな。実際にそうなったわけじゃないし」
嘘をついているようにも見えず、一回目の儀式ではアーサーの元へ悪魔が現れなかった。そもそもクリスの元へやってきたのだから、彼の元へ出現しなくて当然だ。
「アーサー、一つ聞きたい」
「なんなりと」
アーサーはわざとかしこまった言い方で恭しく頭を下げる。
「なんで俺に話したんだ? 予備生は他にもいるし、俺がもし教団の犬ならデメリットしかないだろう? 今日のことを他の誰かに話すかもしれない」
「でも話さない。違うか?」
「……違わない」
「まずお前を選んだのは、アメデオの取り巻きに目をつけられた生徒がいただろ? すぐに駆け寄って助けようとしたからだ。普通はできない。現に他の生徒は見て見ぬ振りを決め込んだ。二つ目は、何かしらの情報を共有できる仲間がほしかった」
「……それだけ?」
「ははっ……まあ他にもいろいろだな」
「俺の気持ちを言うと、予備生の中で一番話が通じるだろう人を上げると、アーサーだ。柔軟な考えと行動力を持っていて、なおかつ宗教にのめり込んでなさそうだし」
「その点は同意。ほかの奴らは神の御子になりたくてギラギラしてるから」
「手を組めるかどうかはまだはっきり言えない。ごめん。でもたまにはこうして温泉に入りたいとも思う」
「OK。それだけで充分さ。なんでもかんでも仲間って思わなくていい。話せば自分にメリットがあるときだけでもいい。協定ってやつだな」
メリットしかない協定。うまみがありすぎて裏があり、さらにひっくり返ったかのような内容だ。裏を読んでも、アーサーという人物がスパイだとも思えない。
温泉は心地良く、二人で話さなくていいことまで話した。
初恋、授業、将来の夢、スポーツ大会。ちなみにアーサーは初恋が継続中なのだと。きっと永遠に続くと彼は話した。頬が赤いのは、お湯のせいだと決定づけることにした。
「ってことがあったんだよ」
五月の一週目に差し掛かろうとした日、クリスは守衛所へ赴き寮長であるリチャードへ面会を求めた。
予備生であると融通がきき、彼はすぐに部屋へ通した。
「リチャードと協定を組んでる以上、アーサーのことは話すべきだと思って」
「そうだな。人間関係の洗濯にもなるし、きちんと通してもらえると助かる」
「そっち側だとアーサーってどんな立ち位置なんだ? ちなみに僕とリチャードがこういう関係を結んでいることは一言も話してない」
「どうもこうも、ただの生徒だ」
「でも三つのクラスがあってごく少数に選ばれたんだから、理由はあるんだろ」
「家柄と、性格」
「え? 家柄?」
「教団は教祖側へついている家系と、反対勢力でひしめき合っている。悪い意味ではない。そうやって人が増加しているのも事実なんだ。教祖側は子や孫へと立場を受け継いでほしいというのが至極当然な考えで、反対側は自分の家系がトップに立つべきだと願っている」
リチャードにじっと見られている。何かついているのかと思い、クリスは窓に映る自分の顔を見た。
「性格っていうのは?」
「悪魔に喰われる可能性があるため、自分の意思がしっかりある生徒が選ばれる傾向にある。自分の意思を持って交合を行い、悪魔が何を求めているのかを我々に伝える義務があるからな。気持ちが負けてしまい『判らない』ではただのやられ損だ」
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