第12話 赤紙とナイト
クリスは唇を噤んだ。ばれていた。無意識にポケットに手を当て、上から強く掴んだ。
「ただのラヴレターのやりとりってわけじゃないよね? そのわりにはずいぶんと深刻そうで絶望感漂わせていたし」
「僕もまだ見ていない」
「なら一緒に見ようか」
「……サイラスは笑顔でいればなんでも思い通りになると思ってるタイプか?」
「笑顔は人を傷つけないよ?」
クリスは息を吐き、ポケットを弄った。
一枚、二つ折りになった紙があった。開くと、紙の切れ端が宙を舞った。
赤い切れ端──。
「なにこれ?」
「……っ……アメデオ…………!」
「ちょっとストップ。落ち着いて」
目の前が真っ白になり、頭がぐねぐねとねじ曲がって言うことをきかない。勝ち誇ったアメデオの顔が浮かぶ。
「状況を判るように説明して」
「赤紙だ! アメデオがノアに渡したんだ!」
「赤紙? この切れ端のこと?」
「本当は紙に貢ぎ物が書いてあるんだ。貢ぎ物を持って行かなかったらひどいいじめに合う。でもノアは貢ぎ物の内容を僕に教えなかった」
「教えられなかった、教えたくなかったとも言うね。これは例の薔薇の階級?」
「それだよ。どうせあなたたちに言ってもどうにもならないんだろ? 僕が一人でなんとかする。ノアはサイラスに赤紙を見せず、僕に渡したのが信頼の差だ」
「待て待て。どうにもならないってなぜ決めつけるんだ?」
「教団連中もグルなんだろう? リチャードが言ってた。神の御子を見つけた経験があるから、教団も放置してるって」
「教団はおとぼけさんになっちゃってるけど、教団イコール僕じゃないでしょ?」
クリスははっと気づく。教団に属しているからといって、リチャードのような人間もいる。
「あなたがノアを助けて、うまみはあるのか?」
「うーん……ほぼないだろうね。でも君を助けることにうまみはあるよ。闇雲に突っ込もうとする君より、大人を頼った方がいいと思わないかい?」
「それは全然思わない。ただ一人でアメデオに勝てるかといえば、なかなか難しいと思う。くそ、せめて貢ぎ物の内容を教えてもらったら、一時しのぎでも助けられるのに」
「言えないから困ってるんだろうね。こんな切れ端渡すくらいだし。それで、手紙の内容は?」
「ヘルプ。それだけだ」
「OK、充分じゃないか。彼の置かれている状況を理解できた」
リチャードにも話は伝わるだろう。
「寄宿舎まで送るから、君はもうおとなしくしてて」
崖だろうが荒波だろうが、愛するノアのためならどこまでも飛んでいける気がした。
消灯時間まで残り一時間──クリスは窓の鍵を開け、繋げたカーテンをロープ代わりにして壁伝いに下りた。
東区は守衛と予備生しかほとんど立ち入らないため、抜け出すのはたやすい。
建物を死角にしながら、目的の聖堂までたどり着いた。
開いている扉に身をねじ込み、大きな柱の後ろへ隠れる。
左胸に手を当てるが、わりと落ち着いている。幼少の頃から抜け出すなんて慣れていた。ウィルと待ち合わせをし、抜け出して二人の時間を楽しんでいたものだ。
三十分が経過したところ、複数の足音が近づいてくる。
クリスは柱の陰から身を起こし、彼らの前に躍り出た。
「アメデオ」
振り絞った声は、どすの聞いた声になった。
落ち着け、落ち着けと、心臓に何度も言い聞かせる。落ち着かなければ、掴みかかって地面に押し倒してしまいそうだ。
「こんばんは。予備生の方もこちらへいらっしゃるのですね」
アメデオの声は不思議だ。鈴を鳴らしたような可憐な音で、ゆったりと心に響いてくる。相手が相手でなければ、もっと近づきたいし知りたくもなる。
「彼と二人で話します」
アメデオは彼の後ろで待機していた命じ、自然と二人きりになった。
「ノアは結論を出したようですね。まさかあなたを選ぶとは、友情とは脆く儚いものです。人が孤独を感じたとき、差し出された手は天使に見える。たとえそれが悪魔の手であろうとも」
「お前の詩を聞きたいわけじゃない」
「ノアは私の手を取った。すがった手は小さく震える手でしたが、彼の気持ちを受け止め貢ぎ物を有り難く頂戴致しましょう」
「貢ぎ物?」
アメデオは一歩近づく。クリスは一歩後ろへ下がった。
アメデオは悪魔の微笑みで口角を上げた。
「あなた自身ですよ、予備生のクリストファー様」
「………………は?」
「貢ぎ物を本人に何も伝えず、私の元へ行くように仕向けられたようですね。名前もつけられない感情のまま、あなたは私のものになるでしょう。さあ、この者をとらえなさい」
外にいた付き人たちはみな一斉に入ってきた。
出口へ向かうにはアメデオたちを倒さなければならない。
今できることを考えてみる──暴力行為は御法度だ。たとえ向こうからの暴力に対抗したとしても、薔薇の女王と予備生のどちらが立場が上か悩むところだ。六人をなんとかできるかと言われれば、自信がない。
「離せっ…………!」
腕を掴まれ必死に暴れるが、力が入らない。それどころか頭からノアの顔が消えていく。
ハンカチで口元を覆われ、何か薬を嗅がされたと気づいても起き上がれなかった。
腕も足も力が入らない。薬のせいで、今日の夕食も思い出せないほどに思考が鈍っている。
寒さが身体を棘のように刺さり、全裸であると気づいた。
目だけを動かし、辺りを見回す。
薄暗い明かりは蝋燭のものだ。それ以外、ヒントになり得そうなものはない。どこへ連れて来られたのかも判らない。
「目が覚めましたか?」
アメデオだ。妖美で官能的で、不快になる声。
「可愛い私の貢ぎ物……。今すぐに食べてしまいたいですが、もう少しの辛抱です」
アメデオの背後で、細長い鉄の棒を蝋燭に近づけている男がいる。棒の端は焼印だ。
こんな身体では、逃げようにも逃げられない。
「身体に焼印を入れて差し上げようとしているのですよ。痛くて泣き叫ぶあなたの声を聞きながら、聖堂でダンスでも踊り明かしたいですね。大丈夫……薬で鈍った身体では気絶するほど痛みは感じないはずです」
「ふざ、けるな……」
「いつだって私は真面目です。そしてほしいと思ったものは手に入れる。それだけの美しさがあり、手入れをしようともしないあなたには心底呆れておりました。それならば私のものになり、私が愛でるべきだと考えたのです」
話の通じない人間は一定数存在する。それが最悪な状況で目の前にいるというだけだ。
出入口は一つ、身体は動かない、頭も働かない。
「さあ……そろそろ準備はよろしいですか」
焼き印は真っ赤に燃え上がっている。
予備生になり、神の御子に選ばれ、なんたる人生だったと悪魔を怨む。呪いだけを残し、消えてしまえたらどんなに楽だろうか。
リチャード。助けると行ったのだ。ナイトになると。守ると。あれはすべて虚言だったのか。
階段を下りる複数の足音が聞こえた。アメデオも振り返る。クリスは重い頭を動かした。
「な、なんだ!」
「全員、持っているものを床に置き、手を上げろ」
リチャードはいつもの低い声をさらに低くした。
リチャードの背後から守衛たちが一斉に押し寄せてきて、アメデオたちは手を後ろに回される。
「大丈夫か?」
優しい、優しい声だ。泣きたくなる声だ。どうにかなってしまいそうな声だ。
「一応、へいき…………」
リチャードは上着でクリスを包むと、そっと抱き上げる。
それからクリスの意識は途絶えた。
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