第34話 新しい日々へ
「教団の改革は進んでる?」
「ああ、少しずつだがな。寝ている間にいろいろなことが起こった。話してもいいか?」
「ぜひ教えてほしい」
「元教祖様は元気になりつつある。アメデオも」
「元」
「そう、元だ。お前の父は教祖の座を降りた。本人が条件にそれを望んだんだ。本人が多少渋ったが、なんの問題もない」
「今は誰が教祖なんだ?」
「今は俺が仮の教祖になっている。ただ称号持ちの家に生まれてすでに名前を刻んでいるから、教祖にはなれない」
「名前を? え、どういうこと?」
リチャードは廊下を一瞥すると、クリスのベッドへ腰掛けた。
ベルトを緩め、スーツを緩める。腰には刺青が刻まれていた。
「『for Christopher』……僕の名前だ」
「一生その人のために生きる証でもある。お前の父はすべてを悟った顔をして、何も言わなかった」
「……そこまで……僕のために…………」
「お前の母親への贖罪でもある。もちろん一番の理由はお前を愛しているからだ。たとえ、誰からの愛がなくなっても、俺はお前を一番に考え、愛すると誓う」
「気づいてたんだね……僕が倒れた理由」
悪魔へ祈りを捧げている最中、意識を手放した。なくなる直前、悪魔はクリスの前に現れ「愛している」と言った。最後の別れの言葉だった。
悪魔は昔愛したクリストファーをずっと探していた。亡くなっても認められず、面影のある人物を探し、手当たり次第にクリストファーに似た男子を愛し、交合の最中に姿を現した。
「悪魔からの最後の別れはあっけなかった。最初は御子に選ばれて暴れ死にたいくらいだったのに、今では寂しくて寂しくてどうしようもないんだ」
「他の神の御子たちも同じようなことを言っていた。愛された者にしか判らない感覚があるのだろうな。一方的な愛だったとしても、当たり前にあったものがなくなれば誰でも胸が締めつけられる。ただ、すべての神の御子たちは解放された。これからは自由の身だ」
「普通に授業も受けられる?」
「その件だが、予備生はやはり普通とは違い遠い存在だ。今戻っても変に特別扱いされて苦しいだけだぞ。大学部へ行ってから皆と同じ生活に戻ればいい。ターヴィにもそう言ってある」
「ターヴィも戻ってくるのか?」
「彼は学園に好きな人がいるからな。なるべく一緒にいさせてやりたい。本人も大学から戻る気でいる」
「他の御子たちは?」
「全員が全員、勉強が好きな人ばかりではない。お金を受け取って自由に余生を過ごしたいという人が圧倒的だ。あまり仲良くなかったようだが、戻ってきたらターヴィとも接してあげてほしい」
「うん。僕も仲良くしてみたい。他の生徒は? ウィルは?」
「生徒たちは教祖がいなくなり、動揺している生徒もいる。ウィルは飄々としながらお前の心配ばかりしている。退院したらウィルと会えばいい」
「僕が寝ている間、大変だったんだな。何もできずにもどかしくなるよ」
「こっちはお前の意識が戻るか冷や冷やしていたんだぞ。元気になってよかった」
「まだ入院していないとだめ?」
「お前は意固地で言い出したら聞かない性格だと医師には伝えてある。精密検査をして異常が見つからなければ、退院できる」
「よし」
クリスはガッツポーズを決めた。
「退院したら何がしたい?」
「本当に悪魔が僕から離れたのか知りたい。その後、墓の前で御子たちにお疲れ様って伝えるよ。なんだかあっけなくて、それは僕が寝ていたせいもあるけどさ」
済ました顔でそう告げた。リチャードには伝わっている。悪魔と会話できる方法は一つしかない。
卒業式の一週間前、学園の大聖堂横に墓石が建ち、彩り豊かな花が植えられた。
結局、クリストファーの遺骨は見つからなかったが、悪魔は新たな御子を生み出すことはしなかった。
悪魔が側にいない寂しさが心を蝕み、クリスはしばらく立ち直れないでいた。交合をしても影が変わることもないし、リチャードが取り憑かれることもない。
新教祖には、サイラスが座についた。彼は教祖の弟であり、叔父と知ったときは驚愕したが、守ろうとしてくれた優しさを考えると納得できる。
クリスはエマの元へ会いにきた。大学部へ行ってからもエマには会える。悪魔から解放された今は、もっと会える時間が増えるだろう。
「久しぶりに乗ったら?」
「びっ……くりした……」
アーサーはしてやったり顔で肩を揺らしている。
「エマ、元気だったかあ?」
アーサーが声をかけるが、エマは反応を見せない。
「結局、俺には一切懐かなかったな」
「エマは誰にも懐かないよ」
「リチャード様以外は?」
「リチャードには懐いてるっていうより、忠誠を誓ってるって感じかな」
手からベリーを渡すと、エマは残さず全部食べた。
「なんだかあっけなく、怒濤に過ぎていったよなあ」
「僕なんて寝ていていつも通り過ごしていただけだ。サイラスが教祖になってるし、あっという間だ」
「そうそう、ウィリアムさんから聞いたんだけど、今日リチャード様が戻ってくるって」
「本当に?」
顔がにやけそうになり、口をもごもごさせる。
リチャードとはしばらく会っていない。彼もまた本部で忙しく回っていて、身体に刺青を刻んだ話が教団中に回り、相手が相手なだけに従者たちは絶句しているという話だ。神の御子にすらなりきれなかったただの生徒の名を刻むなど、今までもなかった。
おかげでクリスはやってくる教団の連中から目をつけられ、本当は神の御子だったのではないか、という疑惑を持たれてしまった。だが今となっては確認のしようがない。
守衛所へ行くと、ロビーには人が集まっていた。
マルコスはクリスに気づき、手招きをして奥の部屋へ案内する。
「ターヴィに会えました?」
「ええ、お元気そうでした。むしろここにいるときよりもふっくらとし、大事に扱われるのは嘘ではないと信じられました。教団の方々はお帰りになられましたので、リチャード様とゆっくり過ごすことができますよ」
あなた方のことはよく知っています、と言われているようで、いやに恥ずかしかった。
ノックをすると中から低い声が聞こえてくる。
クリスは扉を開けた。
「リチャード……」
「側にいてやれなくてすまなかった。少し痩せたな」
「そうか? 自分では変わってない気がするけど」
「もっと食べろ」
リチャードは甘いミルクティーを淹れ、棚から砂糖がたっぷりとついたカップケーキを出した。
「引っ越しの準備は進んでいるか?」
「それは大丈夫。ほとんどダンボールに詰めて向こうへ送ったから。……ケーキ甘過ぎない? 砂糖まみれだし、蟻にたかられそう」
「苦手だったか?」
「いや、美味しいよ。病院ではケーキなんて出なかったし。そっちはどう? 本部は忙しい?」
「サイラスがやりたい放題でな。ある意味大変だ。今までの掟を一つ一つ見直し、変えていこうと動いている。ただの健全な宗教団体になればいいがな」
「きっとなるよ。リチャードは学園に残る?」
「なんだ、寂しいのか?」
「そりゃあ……寂しいよ」
「学園のルールも変えていく方針だ。まずは大学卒業までここから出られないルールを変える。卒業生全員が教団のために尽くすなんておかしいからな。そのために俺もここへ仕事がある」
「エマはどうなる? エマと離れたくない」
「俺よりもエマか? つれないな」
「そんなことないって!」
「牧場ももっと広くしようかと考えている。生徒たちにとって生き物と触れ合うのはいい機会だ」
「それは大賛成。エマももっと広々としたところで走ってほしいし。…………なに?」
「いや…………。大きくなったなと。初めて文字を読めるようになったときも、初めて嫌いなものを克服できるようになったときも、ずっと側にいたかった」
隣に座り直すと、リチャードからはコーヒーの匂いがした。
「むしろこれからが知らないこともたくさん経験するんだよ。初めての大学部だし、勉強もついていくのに精いっぱいになりそう」
「今、一番やりたいことはなんだ?」
「犠牲になった人たちを弔いたい。きっと一生かけても終わりがないと思う。犠牲になったカイや、今までの御子たちのために、祈るしかできないから。それと、せめてここにいる間は墓守も担当したいんだ」
「祈りは残された者の心を救うためのものでもある。悪魔に愛されたお前の祈りはきっと誰かの救いになるさ。墓守は……そうだな、誰かがしなければならない。教団へ話を持っていこう」
神の御子、だからではない。これまでの犠牲は血の繋がりがある父親が起こしてきた問題でもある。クリスはそれが許せなかった。自分の家族が起こしたことは、やはり少しでも責任を取りたい。そんな気持ちを察してか、リチャードは反対しなかった。
墓守をしながら学園を守れる仕事に就きたい、と頭に浮かんだが、将来を語るにはまだ恥ずかしくて口にできなかった。
自分に自信を持てたとき、誰よりも彼に言おうと誓った。
パブリック・スクール─薔薇の階級と精の儀式─ 不来方しい @kozukatashii
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