子は親の所有物ではない
加賀倉 創作
子は親の所有物ではない
子は親の所有物ではない。
親は、幼い我が子に、夢を持て、などと言う。
子は無邪気に、『サッカー選手になりたい』とか、『ピアニストになりたい』などと言う。
親は、『きっとなれる』とか、『おうえんしてるよ』とか、『がんばってね』などと言う。
だがこれは、親の保身からくる、単なる忖度であり、欺瞞である。
親は子に、『親とは子の味方であり、親はいつも子を応援している』と、一時的に見せかける。
親が己の絶対的味方であると真に受けた純真無垢な子は、何かを夢見て、尖ろうとする。
人ひとりにできることなど、たかが知れているので、尖ろうとすると、その尖り以外の能力は自ずと伸びなくなり、疎かになる。
しょうもない学校の勉強。
しょうもない社会の慣習。
教養や礼儀作法は、人を立派に見せるが、必ずしも本質的な豊かさを保証しない。
そういった事柄を無視して、子が尖り始めると、親は次に、育ち始めた角をやすりで削り取る。
そして親と子は衝突する。
この時多くの場合、『反抗期』などと、主語を『子』として、あたかもその発端や原因が子に帰属するかのような表現がなされる。
反抗期を経て、子は親の思惑通り矯正され、丸くなる。
そうして二十年ほどの歳月を経て……
器用貧乏のような、全般的にそつなくこなすが特筆すべき点の少ない人間が、できあがる。
ロボットの完成だ。
いや、歯車、と呼んだ方がいいかもしれない。
三六〇度、全方向に、均一なギザギザが伸びる、歯車。
歯車は、社会において、非常に優秀な働きをする。
仕事をそつなくこなせば、歯車はその働きを褒められる。
社会という工場を回し、また回される、歯車。
そうして、歯車となった者は、歯車である喜びを噛み締め、また新たに歯車を生み出す。
✴︎✴︎✴︎
何かを批判することは、簡単だ。
ここで一つ立ち止まって、私自身はどうなんだ、と考えてみる。
私は、ひょっとすると……
社会という工場のどの部分にも適合しない、歪な歯車なのかもしれない。
歯車として、小さすぎるのか大きすぎるのか、歯の数が少なすぎるのか多すぎるのか、はたまた歯がすり減ってしまって何者とも噛み合わなくなり、道なき道を転がり続けるただの車輪なのか……
私には、わからない。
子は親の所有物ではない 加賀倉 創作 @sousakukagakura
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