マトリョーシカのいた季節
浅雪 ささめ
マトリョーシカのいた季節
久しぶりに会った幼馴染がマトリョーシカになっていた。
高校のときに付き合って、卒業の二か月前に音信不通になった彼女。卒業式にも来ることはなく、なんとなく送った『中華でも食べに行こう』を最後に、既読がつくこともなくなった。
学級委員だった鈴木が集まろうと声をかけ、高校卒業から六年ぶりの同窓会。彼女は来てくれるだろうか。まあ来ないだろうな。でも来てくれたら嬉しいな。なんて考えて自転車を漕ぎながら二十分ほど。集合場所にはすでに何人か集まっていたが、その中に彼女の姿はなかった。
「忙しい中、集まってくれてありがとう」
乾杯の合図とともに、肉を焼く音に混じって、昔話があちこちから聞こえる。ここの焼肉店に来たのも、スポーツ祭りの打ち上げ以来だった。
コートを脱いで席を立つ。幹事の鈴木に声をかけようとして、女子のかたまりの片隅。小さいペットボトルサイズのマトリョーシカが席にいることに気がついた。ちょこんと可愛らしいマトリョーシカだ。
「これは?」
その隣の席に座っていた相川さんは、なんでそんなことを聞くんだという顔で不思議そうに
「林田ちゃんだよ」
とキムチを食べながらいつものトーンで答えた。あまりにもいつもの雰囲気で言うので困惑しながらも、そっか……と通り過ぎて鈴木に話しかけた。
「最近元気? 企画してくれてありがとうな」
「おう! 芳田も来てくれてありがとうな」
お前こそ最近どうなんだよ、元気ないなと心配されたのでまあぼちぼちだよと答えてマトリョーシカの話題を振ってみた。
「それよりあかりって」
「ああ、林田さん? 何だお前、まだ未練あるのか」
鈴木とは中学以来の仲で、よくあかりのことも相談したものだ。
「ああいや、えっと」
「大丈夫だって。後で二人でどっか消えても文句ないからさ」
なんて笑いながら、鈴木でさえも普通にいるものとして会話するので、さらに混乱した。
「それよりさ……」
その後も中学、高校の時を思い出すバカ話をしながら肉を食べていると、すっかりマトリョーシカのことを忘れていた。笑うときにあごを触る癖も、話し方も。鈴木は中学から変わらないな、そう思った。
思い出したのは、会計も終わってみんなが外に出始めた頃。みんなが二次会に行くかどうか話し合っている中、ぽつんと残されたマトリョーシカを見たときだった。
それを見たときに、私を拾ってと、あかりの声が聞こえた気がした。そのままマトリョーシカを抱えこんで、
「今日はここで帰るわ、また呼んでな」
と鈴木に一言声をかけた。
「芳田おらんくなるのか」
残念そうに見つめる友人を置いて、ペダルを強めに踏み込んだ。かばんの中にマトリョーシカが入ってると思うと、星がいつもよりきれいに見えた。
冷えきった手で玄関を開け、マトリョーシカをテーブルに置く。ため息からは白い息がこぼれた。あぐらをかいて、マトリョーシカをじっと見つめる。化粧をして少し大人びた雰囲気ではあるが、間違いなくあかりの顔だった。
「うーむむ」
とりあえず指でつついてみた。コツン、コドコドと音がして、
「わっ!」
「ん!?」
「あはは、驚きすぎ」
一人暮らしだというのにあかりの声が響く。マトリョーシカが笑っているように見えた。俺が固まってると、
「あはは。ちょっと、気まずいね」
なんていうもんだから。驚かせ方も、昔のあかりを思わせて、息が詰まった。
「マトリョーシカになっても可愛いね」
「何言ってんの」
「いやさ、なんでそんな形してんのかなって。なんていうか、ホラーだったよ、少し。なにしてたのさ、今まで」
メッセージを送っても既読がつかずにいたから、完全に嫌われたんだと思っていた。それでも今目の前にいるという事実がとてつもなく嬉しかった。
あかりは、あー、とためらいがちに
「まあね、いろいろあって……」
と言葉を濁した。今まで秘密にすることなんてなかったのに。道端で見つけたハート形の水たまりも、写真付きであったよ! と教えてくれるほどに。いつもその日あったことを嬉しそうにビックリマークをつけて話してくれていた。
だからこそ、今はこれ以上は踏み込まないでほしい。そう訴えている気がして。
「なんかいろいろ聞きたいことはあるけどさ。まずはなんで同窓会にいたの?」
それだけ聞くことにした。
「芳田くんに、会いたくて。って言ったら?」
「んー、素直に嬉しいな。とは思うけど」
「けど?」
「やっぱり信じられないかな。ずっと連絡も取れなかったから」
「そりゃそうだよね。でも会いたかったのはホントだけど」
どこまでほんとか分からない。学生時代もそうやってよくからかわれたものだから。
チラとスマホを見ると二十三時をまわっていた。相川さんから林田ちゃんをよろしくね、なんてメッセージが絵文字つきで来ていたが、あかりのほうを一瞥してスマホを閉じた。
「もうこんな時間だし、俺は寝ようかなと思うんだけど、あかりは?」
「じゃあ私も寝ようかな」
マトリョーシカでも眠ることがあるのか。喋ることもあるなら寝ることもできるか。そんなことを考える。俺が考えても仕方のないことではあるがしょうがない。少しもマトリョーシカのことが頭から離れてくれないのだ。不思議さから目をそらすために、アルマジロのように布団を頭までかぶった。
「なにしてんの」
あかりのケラケラした笑い声が響いてからしばらくして。自分の鼓動の音だけが布団の中で響く。あかりはもう寝ただろうか。
さて、言うまでもなくあかりの寝顔はとても可愛い。マトリョーシカになってもその可愛さは変わらないのだろう。チラと布団をめくって布団の外を確認してみる。更衣室を覗くような背徳感が少し気持ちよかった。
「バレてるよ?」
鋭いあかりの声が飛んできて、また布団にうずくまった。今度は少し時間を空けて覗く。そして何してんのとツッコまれる。そんなことを繰り返しているうちに夢の中に落ちていく。おやすみ、そう小さく聞こえて心地よかった。
ふと、目が覚める。突然のことで体がリラックスできていないのだろうか。スマホを見ると午前三時。テーブルの方を見ると確かに寝ているのが確認できた。
「そういえば骨壷みたいな役割って言ってたけど……」
マトリョーシカの中に小さいのがいなかったらマトリョーシカと言えないのではないか。そんな興味本位で中を覗いてみることにした。見てはいけないものを見るようなドキドキは、初めてブラを外したあの日に似ていた。恐る恐る、起こさないようにゆっくりと手を近づける。
カポと外すと、中からは一回り幼いマトリョーシカが出てきた。中の小さいマトリョーシカもあかりの顔をしていた。つまりは二つの同じ顔が並んでいる。しかし違うところは小さいマトリョーシカは起きているという点だった。
「あらら」
「えーと……?」
俺が何を話したらいいか困惑していると、
「芳田くん? あー」
と、なにか納得したようにこちらを見るあかり。肩まで切られた髪形に白いパジャマみたいな服装。俺の知らない彼女の姿だった。
「久しぶりだね」
「あかり……?」
「そうだよ、と言っても二十歳のときだから芳田くんとは会ってない頃かな」
小中高と同じ学校だったあかりだが、大学は違った。そもそもあかりが大学に行ったのかすら知らない。お互いの将来の話は何回かしたけども、はっきりとはしていなかった。
「そのマフラー……」
さっきのあかりにはなかった部分に目が留まる。俺がクリスマスにあげたものにそっくりだった。あたたかそうな服装に身を包むあかり。
「これ? 使い心地良くてずっと使ってたんだよ」
「そうなんだ。あげた時はまだ高二だったっけ。あれから随分経った、ね」
「うん、そうだね」
あの時の記憶を思いかえす。雪の降りそうな十二月半ばのことだった。クリスマスに何をプレゼントしようか、鈴木にも相談して。
「そんなん俺に聞かれても分からんわ」
なんて返ってきたから少し落ち込んだ。
「まあ、だよな」
だよなってひどくね? って笑いながらも鈴木は答えてくれた。
「相川さんとかにさ、そっと聞いてもらったらいいんじゃない? 仲いいしさ」
「そうしてみるわ」
その日に聞くのはなぜか恥ずかしくて、次の日に相川さんに聞いてみた。
「林田ちゃんかあ。いつも寒そうにしてるしマフラーとか手袋とかいいんじゃない」
鈴木よりも遥かに頼りになる答えをもらえた。手は握ればあたたかくしてあげられるからマフラーかな、そんな風に思ったのを覚えている。
店員の人がプレゼント用ですか? と聞いてきたけど、肯定するのは恥ずかしくて。自分用ですと言ってそのまま巻いて家に帰った。帰宅したあと鏡を見てみる。笑ってしまうほど似合っていなかった。そして丁寧にラッピングをしてあかりを想った。
ドキドキしながら迎えたクリスマス当日。その一日中遊んだ帰り道。
「手編みはムリだけど……」
そう言って渡すと、
「ううん、すごくうれしいよ」
ありがとう、そう言って巻いた赤いマフラー。チェック柄がよく似合っていた。
目の前のマトリョーシカを見ると、そんなマフラーの記憶が悲喜こもごもと蘇ってきた。まだつけてくれていることが、単純に嬉しかった。
「芳田くんはさ、大学行って、もう仕事してるの? どんな感じ? 新しい彼女とか出会いとか」
「あんまりかな」
「そうなんだ」
「まあでも大学でサークルには入ったんだ。すぐやめちゃったけど」
「何入ったの?」
「高校と同じだよ」
「柔道だっけ、すごいね続けてるんだ」
「大したことじゃないよ、半年くらいしかやらなかったし」
「そっかあ」
話していると昔の雰囲気を思い出して気まずいのも段々なくなって。時折あははと笑いながら小刻みに揺れるマトリョーシカ。髪を撫でるように抑えて落ち着かせる。木の感触がひんやりと伝わってきた。
「私はね、芳田くんといたいからここにいるんだよね」
「うん、さっきも言ってたね」
「マトリョーシカは年輪を刻むように過去を刻んでるの」
おばあちゃんが教えてくれたとあかりは言う。
「マトリョーシカはね、一個一個の人形がお互いに寄り添っているんだって。過去があって今がある、みたいな。一つでも欠けたらバランスを悪くしてしまうって。だから今までの過去、全てがかけがえのないものなんだよ。私にとって」
一呼吸おいてあかりが言う。
「芳田くんには私の過去を知ってほしい」
言葉に詰まった。さっきは気になった好奇心で開けたけども、過去を覗くとなるとやはり、怖い。何も知らずに生きていけたらそれが一番かもしれない。
「開けてくれる、かな?」
「うん。分かった」
あかりの願いなど、断れるはずもなかった。
ためらいながらも彼女の過去を遡る。次にマトリョーシカを開けると、あかりは高校の制服に身を包んでいた。膝下長めのスカートに緑のリボン。
「ごめんね、芳田くん」
「あかり……」
「急にいなくなってびっくりしたでしょ」
あははと笑うあかり。意外にも軽い口調で言うものだからあっけにとられた。
「なんで、何も言わずにいなくなったのさ」
「そのほうが芳田くんに嫌いになってくれるかなって」
「嫌われたのかなとは思ったけど、嫌いにはなれないよ」
あの時は困惑のほうが強かった。そう返すとありがと、とあかりは言って、
「学校に行かなくなったのは、ちょっと倒れちゃってさ」
と話しだした。一瞬だけ部屋の空気がすうと冷えた気がして、エアコンの温度を一度上げた。リモコンをテーブルにおいて
「病気?」
と聞き返す。小さい頃から少し学校も休みがちだったのを思い出した。
「そう。で、まあ今まではそんなに、なんともなかったんだけど」
「うん」
「そのままもう動けなくなって」
なんだかちょっと買い物に行ってくるみたいな雰囲気でいうものだから、一瞬何を言われたか理解ができなかった。死んだのか。あかりが。
「ちょっと待って」
目をつぶって、いったん深呼吸をして涙を抑える。もう大丈夫。そう自分に言い聞かせた。
「泣かないんだね」
「そりゃ泣きたいよ。でも、約束したから」
小さい頃にした約束を思い出す。あの頃はあかりの方が泣き虫だった。
「私のうちは死んだら骨はマトリョーシカに入れるのが伝統だったから、それのとおりに私も入れられたんだと思う」
「それでなんか、こう、意識が戻ったって感じか」
「そういうこと」
なんでかはわかんないけどと笑う彼女。それにね、と小さい声であかりが言う。
「別に芳田くんが嫌いになったわけじゃないんだ」
「だったらいっそのことフッてくれたほうが楽だっかもしれないし」
そう返すとごめんね、と言いつつ、
「別れを切り出すにはちょっと勇気が足りなくてさ」
とあかりは申し訳無さそうに言う。
「もっと一緒にいたかったよ」
「一緒にいてもどうしようもなくて。病気が段々と重くなっていってるのが分かってたから……」
「辛いときこそそばにいたかった」
「ベタかもしれないけど、迷惑かけたくなかったから」
「俺は迷惑だなんて思わないよ」
「うん、知ってる。だから……」
「これは私の問題」
あかりのほうを見る。さっきよりも強い目をしているように見えた。
「そんなこと……」
俺の言葉を遮るようにあかりは続けて話す。
「だからね、つまりは……」
あかりがしゃべりだすのを待った。
「自分を責めないでって言いたくて」
これ以上高校生のあかりを見ると泣いてしまいそうで、勢いよくマトリョーシカを開けた。また少し幼い顔の、さっきよりも元気な顔。真ん中にくまが描かれたTシャツを見るのも懐かしい。
「あ、まーくん!」
「あかり……」
揃えられた短髪に「まーくん」呼び。小学生のあかりだった。中学生の時にはもうまさやくんって呼ばれてたし、高校では芳田くんだった。だんだん距離が離れていくように感じるのが嫌で、高校生になっても俺はずっとあかりと呼んでいた。
「まーくん、大きくなったねえ」
放課後いつものように公園でブランコをしたり家でお菓子を食べたりしていた日々を思い出す。
そうしてまた、彼女の過去をさかのぼっていった。ときには小学二年生。またときには幼稚園児の記憶。懐かしさと共に、もう一緒に笑えないことが悲しくてたまらなかった。
これで全部。テーブルに並べられた数人のマトリョーシカを見て、ふうと息を吐いた。
そして一つずつ、マトリョーシカを戻していく。段々と大人びていく彼女。もう一度高校生のあかりと目が合う。
「実はね、小学生の時にはもう好きだったんだよ。芳田くんのこと」
「そうだったの?」
その時はまだ、ただの友達としか見てなかった。俺があかりを意識するようになったのは中学二年の頃。鈴木と下校しているときに
「まだ付き合ってなかったんか」
と言われてからだった。まだ付き合うということすら理解できていなかったし、仲がいいとしか考えていなかった。
それに、この関係性が途切れるのが嫌だった。
「私のこと友達としか見られてないんだなって分かってたからさ。高校で少しの間でも付き合えてよかったよ」
その言葉を聞いて、やっと自分の中で一区切りつけられた気がした。
ゆっくりと最後まで戻し終えると、窓から朝日が差し込んできた。
思ったより時間は経っていないようだった。マトリョーシカを抱え込み、布団に潜る。記憶の中でなく、あかりの隣でもっと一緒にいたかった。
「可愛いね」
何言ってんのという声は聞こえないまま眠りに落ちた。
目が覚めて十三時。喋らないマトリョーシカを箱に入れ、押し入れの奥にしまう。その時、ホコリ被ったアルバムを見つけた。めくると、ほとんどの写真に一緒にあかりが写っている。
まだ隣にあかりがいる気がして涙は止まらなかった。
マトリョーシカのいた季節 浅雪 ささめ @knife
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