05 秋に慣らす鍵盤

「フン族騎兵を攻撃したヴァンダルの集団が壊滅したようです」


 ソロモンは早速に状況をベリサリウスに報告する。

 ちょうどヨハネスからの伝令が来て、王弟アマタス撃破の報を伝えた。

 ベリサリウスは鷹揚にうなずき、「では次だ」とうしろに目を向けた。

 正面。

 左翼。

 右翼は海のため、次なるヴァンダルの攻撃は、背面と知れた。

 ちょうど、おめき声が聞こえた。


「来たか」


「……にしては、動きが鈍くないか」


 秘書官プロコピオスの疑問に答える前に、ソロモンが馬を駆った。

 百数えるより早くソロモンが戻る。

 驚きの表情を浮かべて。


「奴ら、葬式をしています」


「何だと」


 ヴァンダル王ゲリメルは、ようやくにしてベリサリウス本隊の背後に着いた。ところが、その時、王弟アマタスと甥ギバムンドを討ち取られたことを知る。


「アマタス! ギバムンド!」


 ゲリメルは、東ローマのウリアリス隊八百を退けたにもかかわらず、そのウリアリスの発言から弟と甥の死を知らされる。

 ここでゲリメルがとむらい合戦だと意気を上げれば、この戦い、勝てたのかもしれない。

 だが信じがたいことに、弔いのみをり行い出した。

 それはもしかしたらヴァンダルとしての一族への礼儀だったのかもしれない。

 ともあれ、この機会を逃すベリサリウスではなく、彼は兵に集合を命じ、その上で突撃を敢行した。


「おのれ、ローマ人どもめ!」


 ゲリメルは逃げ、アド・デキムムの戦いは、東ローマの勝利に終わった。



 水オルガンヒュドラウリスが聞こえる。

 九月十五日、ベリサリウスはカルタゴに入城し、カルタゴの市民から歓呼の声で迎えられた。

 彼は形式上、ヴァンダル王の玉座に座り、かつてゲリメルに供されていた宮廷料理を賞味したが、それよりもソロモンの演奏の方が、よほど心楽しませた。


「カルタゴの秋。秋に鳴らす鍵盤か」


「いつになく詩人ではないか、ベリサリウス」


「……笑うなよ、プロコピオス」


 ベリサリウスがカルタゴの城壁に目を向けているのに気づき、プロコピオスは酔いを覚ました。


「明日にも修復を始めよう」


「頼む。ゲリメルはまだどこかに潜んで何かを策している」


 アド・デキムムの戦いに敗れ、ゲリメルは逃げた。

 べリサリウスはカルタゴを押さえる方が大事と判断し、追わなかった。

 これが正嫡の王なら話はちがうが、ゲリメルは飽くまで簒奪者。

 ヴァンダルとしても、簒奪者にそう多く従うことはないだろう。


「しかし、サルディニアから王弟ザノンが戻って来る」


 アド・デキムムの戦いは、ザノンがいれば、またちがった展開になったかもしれない。

 そのザノンと、ヴァンダルの精兵五千が、ゲリメルの下へ。

 つまりは、ヴァンダル戦争はまだ終わらない。


「……いや」


 水オルガンヒュドラウリスの音が高らかに響いた。

 ソロモンが鍵盤を激しく鳴らしたからだ。

 そうかと思えば、今度はゆるやかに奏でられ、からりとした秋のカルタゴに響くそれは、べリサリウスの憂いを払った。


「今は勝利を祝おう。ソロモンにも、あとで酒なり食事なり、馳走してやろう」


 緩があってこそ、急にそなえらえる。

 べリサリウスはそれを知る名将であり、彼はこのあと、トリカマルムの地でふたたびゲリメルと戦い、勝利する。

 そして臣下として最高の栄誉である凱旋式を挙行することになるのだが、それはまた別の話である。


【了】

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秋に鳴らす鍵盤 ~べリサリウス戦記~ アド・デキムムの戦い 四谷軒 @gyro

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