04 アド・デキムム

 ベリサリウスが予測した隘路あいろは、アド・デキムムといい、カルタゴ南方、十マイルにある。

 ゲリメルはここに兵を伏せていた。

 正確に言うと、弟であるアマタスにヴァンダル軍一万一千のうち半数を任せ、アド・デキムムからカルタゴへと向かう隘路に伏せていた。


「アマタスは東ローマ帝国軍がこの隘路に来たら、正面に立て。足止めするのだ」


 ゲリメルはさらに、甥のギバムンドに兵二千を預け、東ローマ帝国軍左翼に回り込むよう命じた。


東ローマは海沿いに、海を右手に進んでいる。南から、北へ。その左側――陸側から、強襲をかける」


 べリサリウスは、紡錘形の陣を組んで進軍している。

 その正面を王弟アマタスに受けさせ、停滞したところを、陸側――べリサリウスの軍の左側から、痛撃を食らわせる。


「そして最後に、このゲリメルみずから、彼奴めの後背から忍び寄り、奇襲する!」


 正面、左側と攻めかかり、動揺したところを、背後から襲いかかる。

 作戦としては、悪くないものだった。

 成功すれば、正面、左側、背面と、三方向から東ローマ帝国軍を殲滅することができる。

 海上の東ローマ艦隊が気になるところだが、それにしたところで、いつサルディニアからヴァンダル艦隊が戻るか予断を許さない状況にある。

 迂闊に援護はできないであろう。


「とにかく速戦だ。速戦で東ローマを討つ。討ったら、トリポリだ」


 ゲリメルには焦りがあった。

 それは、国盗りによる不安定さの克服もあるが、何よりヴァンダルの蛮族としてのアイデンティティの喪失である。

 後世に蛮行ヴァンダリズムという言葉を残すまでになるヴァンダル族の蛮性は、実は消えつつある。

 初代ヴァンダル王・ガイセリックがローマを劫掠ごうりゃくし、略奪と破壊の限りを尽くしたのが嘘のように。


あの頃ローマ劫掠に奪い取った、黄金作りの水オルガンヒュドラリウスを奏でて楽しむとか、われらヴァンダルの蛮性はどこへいった?」


 先王ヒルデリックは、それをかつての皇帝ネロの愛用のものだと言い、みずからも愛しその鍵盤を鳴らすというていたらくだった。

 だからゲリメルは王位を奪った。そんな奴がヴァンダルの王を名乗るな、と。

 そして今、ユスティニアヌスからヒルデリックの復位を要求されたため、ゲリメルはヒルデリックを殺した。


「ふざけるなよ、文弱なローマ人ども。ヴァンダルは貴様らとはちがう!」


 強がりは、弱みを隠したいがゆえか。

 蛮族と称する割には、技巧を尽くした戦術で、ゲリメルはベリサリウスに挑んだ。



 ヴァンダル、出現。

 その一報を受けたベリサリウスは、先陣を務める分隊長、ヨハネスに突撃を命じた。

 何と、みずから先陣に駆けつけ、直接に命じた。

 ……こういう軽口と共に。


「ヨハネス、けいに任せた輜重しちょうのパンのように、一度焼きで済ますなよ、二度も三度も焼いてやれ!」


「なっ……」


 これはヨハネスが燃料を、パンを二度焼きせずに一度焼きにしていたことをふうしている。この一度焼きのせいでパンがかびにやられたことが、実はベリサリウスの遠征の最初の困難であった。


「じゃあけ!」


 威勢よくヨハネスの背中を叩くと、ヨハネスも負けじと減らず口を叩いた。


「上等だ! 奴らを焼き尽くしてくれる! 閣下、このままカルタゴに攻め入っても、かまわないんだろう?」


「ああ」


 ベリサリウスはうなずいた。

 そしてヴァンダル王弟アマタスに向かって突撃してゆくヨハネスの背中を見て、「これでよし」とつぶやいて馬首を返した。


「ご苦労様です」


 気がついたらソロモンが来ていて、ごく自然に馬を並べる。

 護衛のつもりらしい。

 その気づかいにくすっと笑いながら、ソロモンの背中をたたいた。

 今度は、軽く。

 こういう配慮ができるところが、ベリサリウスの名将たる所以ゆえんである。



「洋上の艦隊に知らせよ! われ、会敵す!」


 一時的にベリサリウスが不在となった本陣では、プロコピオスが代理となって、命令を下していた。

 このように配下の将兵が自分で考え、動けるところが、ベリサリウス軍の強みであった。

 そしてその強みは、ヴァンダルの次なる攻撃にも、十二分に発揮されることになる。

 ちょうどこの時、ベリサリウス軍の正面で、東ローマのヨハネスとヴァンダル王弟アマタスが激戦を繰り広げている時、ヴァンダル王ゲリメルは甥のギバムンドに攻撃を命じた。


「やれ、ギバムンド! 予はこれからベリサリウスの背後に向かう! せいぜい奴らの左翼を……き乱してやれ!」


「御意」


 王弟たるザノンやアマタスもそうだが、このギバムンドも含めて、ゲリメルが王位を奪ったからこそ、今の地位があることをわきまえている。

 わきまえているからこそ、その恩と──これからも共に栄光を味わうために、剣を取るのだ。

 ギバムンドはヴァンダルの軍旗を高らかに掲げさせた。


くぞ! われらヴァンダルの恐ろしさ、今こそ見せつけてやれ!」


 ギバムンドはみずから先頭に立って、ヴァンダル騎兵二千を率いて、ベリサリウス軍左翼に向かった。

 見ると、そのベリサリウス軍左翼集団は、およそ六百ほどだ。

 ギバムンドの兵は二千であり、三倍はある。


「勝てる! ゲリメル王を待つまでもなく、このギバムンドの攻撃で勝敗を決してやる!」


 この時のギバムンドの判断を、一概におごりということはできない。

 兵数の差は絶対であり、通常の相手ならそれは至当だった。

 だが惜しいことに、ベリサリウスはこれを期して左翼に配置していたのはフン族騎兵だった。


 フン族──その昔、アッティラという英雄に率いられ、ヨーロッパを席巻し、ヴァンダルやゴートといったゲルマン民族を追った、勇猛な民族である。

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