03 ゲリメル

 ユスティニアヌスは、何も無策で遠征を企図したわけではない。


「まずは……ヴァンダルの新王ゲリメルの支配に不満を持つ者がいるはず」


 簒奪による王位には、当然、反発を招く。

 ユスティニアヌスは注意深く諜報をさせた結果、トリポリに不穏の動きがあることを察した。


「そそのかせ」


 案の定、トリポリでヴァンダルに対する叛乱が発生し、ゲリメルは早速、窮地に立たされた。


「よし。では次」


 ユスティニアヌスはイタリア半島の支配者、東ゴートの女王アマラスンタとのよしみを通じた。

 通じることにより、シチリア島の港の使用許可を得た。


「これで、海路はもらった」


 東ローマ帝国は過去、ヴァンダル王国海軍に手痛い敗北を食らったことがある。

 だが今回、東ゴートという、ヴァンダルに匹敵する部族を味方にした。いかにヴァンダルとはいえ、東ローマと東ゴートとの双方を相手にすることは避けたい。そうおいそれと海軍を動かせないであろう。

 そして、これは僥倖なのだが、ヴァンダル王国内において、叛乱が起こっていた。

 サルディニアで。

 これを制するためにゲリメルは、弟のザノンに五千の兵と、五百の船を与えた。

 結果、ヴァンダル海軍は主力を割かれてしまい、東ローマ帝国艦隊を防ぐどころではなくなる。


「これでよかろう。あとはべリサリウス将軍に、シチリアへ行き、それからアフリカにおもむいてもらおう」


 これがユスティニアヌスの策略のである。

 彼は、対ヴァンダルの戦争を終えたあとを見すえていた。

 アフリカを制したあとの、次なる侵略、否、奪還の地――イタリアを。


「シチリアにて、東ゴートのことをよく見ておくことだ、べリサリウス将軍」


 べリサリウスは若い。

 まだ二十五歳だ。

 であれば、ヴァンダルを討ったあとに、そのまま東ゴート征伐を命じることになるであろう。


「アマラスンタ女王には悪いが、今回のよしみ、利用させてもらう」


 ユスティニアヌスは人の悪い笑みを浮かべる。

 貧農からのし上がった皇帝だけあって、彼は悪辣であった。



 アフリカ、ヴァダ岬。

 ヴァンダルの王都カルタゴを北に望むこの岬に、ベリサリウス率いる艦隊はいた。

 時に、五三三年九月。

 秋まであと少しというところだが、秋霜烈日たる雰囲気がただようアフリカ北岸に、ベリサリウスは兵と共に上陸した。


「このまま艦隊は並走せよ」


 ベリサリウスは、艦隊を哨戒に用い、かつ、ヴァンダル海軍が戻った際への盾とした。


「略奪を禁じる」


 この時点で、トリポリは東ローマ帝国の別働隊が制圧している。

 ユスティニアヌス帝は、アフリカを属州として統治下に置くつもりである。そのため、不要な衝突は避けるべきである。

 また、ベリサリウスのこれからの遠征においても、地元の協力は不可欠。

 結果、ベリサリウスらは「ヴァンダルからの解放者」として迎え入れられ、カルタゴへと順調に兵を進めて行った。



「東ローマの奴らがヴァダ岬に現れただと?」


 ヴァンダルの王都カルタゴ。

 玉座のゲリメルは、一気に立ち上がった。

  東ローマ帝国が動いたことは知っていた。

 だが、そのベリサリウスの兵は、たかだが一万五千。

 一方で、ヴァンダルの精兵は三万。

 倍する兵力であり、仮にアフリカに至ったとしても、勝負にならないと思っていた。


「それがいつの間にやら、トリポリの離反。気がついたら東ゴートが東ローマに肩入れ。そこへ来て、サルディニアの叛乱」


 出来過ぎていると思わなくもないが、トリポリは東ローマの使嗾しそうであろうが、サルディニアについては、たしかにおのれの失点だと思う。

 だからサルディニアには、王弟であるザノンを向かわせた。五千の兵を預けたし、自慢のヴァンダル海軍も出した。


「……だというのに、くそっ!」


 しかしゲリメルとて国盗りの梟雄である。僥倖に利してこその戦いだというのは、わきまえている。

 そして文字通り、、サルディニアの叛乱は、すぐに鎮圧された。


「ザノンを戻すか。それとも、上陸したばかりのを狙って討つか」


 ゲリメルは岐路に立たされていた。

 このままカルタゴにおいて待って、迎え撃つか。

 それともカルタゴを発って、出鼻を挫くか。



「……決戦の準備を」


 ベリサリウスの命を受け、秘書であるプロコピオスが文書を書き、宦官ソロモンはその書状を軍の各部署へ指示を渡す。

 ソロモンは忠実に、分隊長のヨハネスやウリアリス、フン族騎兵やフルール族騎兵らの隊長に文書を手渡し、細かい質疑応答にも応じている。

 プロコピオスは、その様子を見ながら、ベリサリウスに問うた。


「……なぜ、決戦と?」


 ベリサリウスはカルタゴへの地図を眺めながら答えた。


「ゲリメルは新王だ。それも、


「そういうことか」


 ベリサリウスはこう言いたいのだ。

 ゲリメルは実力で王位を奪った。

 であるならば、そのを示さねばならぬ。


「簒奪とは難儀なものだな、こうして選択肢をせばめられる」


 そう言いながらも、ベリサリウスは決戦地点について、見当をつけていた。


「ここだ。隘路あいろになっている。ヴァンダルは今、サルディニアに兵をいている。この隘路を使えば、包囲殲滅できる」


「調べてまいります」


 ソロモンが馬にまたがる。

 ベリサリウスが「頼む」と言うと、ソロモンは含羞はにかみながら笑った。


「前から思っていたが、ベリサリウス」


「何だ」


「あの宦官は、卿の戦場でのか」


「そうだ」


 何の恥ずかしげもなく、ベリサリウスは言い放つ。

 しかも、「卿もあれソロモン水オルガンヒュドラウリスを聞いてみろ。惚れるぞ」と言い出す。


「やれやれ」


 プロコピオスは「戦史」のほかに、「秘史」という書物を密かに書いていた。

 皇帝や皇后の悪口をも遠慮なく書いたそれは、プロコピオスの本音を書きつらねたものだ。


「さすがには、書かないでおこう」


 それぐらいに礼儀は、わきまえているプロコピオスだった。

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