02 ヴァンダル戦争

 ヴァンダルとは、ゲルマン民族大移動の中、北方からあらわれた民族である。

 ヴァンダルはライン川を渡って、イベリア半島に到達し、さらにアフリカ北岸、カルタゴにまで至った。

 ヴァンダルは海軍を形成し、ローマを劫掠ごうりゃくしたこともあり、この時の略奪は凄まじく、蛮行ヴァンダリズムという言葉が生まれたほどだ。

 このヴァンダルの王国は、東ローマ帝国のユスティニアヌス一世の時代において、カルタゴを中心とするアフリカ北岸部やシチリア、サルディニア、コルシカ、さらにバレアレス諸島まで版図を広げている。

 ただ、当時のヴァンダル王ヒルデリックは親ローマであり、ユスティニアヌスも友好関係を築いていた。これは東ローマ帝国がササン朝ペルシアと戦争状態であったことも影響している。

 問題はヒルデリックがヴァンダルの王位を簒奪されたことにより生じる。

 西暦五三〇年、ゲリメルという王族がヒルデリックを監禁し、王位を簒奪してしまったのだ。


「ヴァンダルはすぐに、ヒルデリックを王位に復すように」


 ユスティニアヌスとしてはササン朝ペルシアと戦争中であり、東でのペルシアとの争いの後背の、西のヴァンダルが親ローマでなくなってしまうのはうまくない。

 だがゲリメルとしては、せっかく手に入れた王位だ。


「拒否する。ヴァンダルはヴァンダルのやり方がある。奪ったものは、おれのものだ」


 いかにも蛮族らしい直截的ちょくせつてきに、ユスティニアヌスは怒り心頭である。

 同時に、これを機会にローマ帝国の西方領土の回復を図るのも、悪くないと思った。


「ゲリメルを膺懲ようちょうする。早急にペルシアとの和議を目指せ」


 折りしも、ササン朝ペルシアの王カワード一世が没し、新王ホスロー一世が登極したこともあり、ササン朝ペルシアは東ローマ帝国との和睦に応じた。



「べリサリウス将軍をヴァンダルへの遠征軍の司令官に任ずる」


 その勅命が出された時、べリサリウスは自邸で宦官ソロモンの奏でる水オルガンヒュドラウリスの調べに耳を傾けていた。

 勅命を届けに来たプロコピオス(「戦史」の著者)の持つ書状に気づくと、音もなく近づいて、それを渡してくれと、手を差し出した。


「…………」


 書状を見るために、おもてを伏せたべリサリウスは、何を思っているのか。

 プロコピオスには、何となくわかるような気がした。

 勅命によると、べリサリウスに与えた兵力は、ローマ歩兵一万、同盟部族フォエデラティ(ローマからの援助の見返りとして兵を出す部族)の騎兵五千の、合計一万五千しかなかった。

 これはべリサリウスが個人的に雇っているローマ騎兵と同盟部族騎兵合わせて三千と、フン族騎兵四百と、ヘルール族の弓騎兵六百が、すでに含まれている人数である。


「なお遠征には五百隻の船団を用意し、それは九十二隻の戦艦デュロモイに守らしめる、か」


 いつの間にやら、水オルガンヒュドラウリスの演奏はんでいた。

 あるいは、ソロモンが気を遣ったのかもしれない。


「そうだ、べリサリウス。一万五千の兵しか与えられなかった。それで、あのヴァンダルとというのだ」


 プロコピオスは憤慨していた。

 聞くところによると、ヴァンダル王国は、五万人からなる兵を有している。さらに召集をかければ、それは十六万人に達するという。


「そのヴァンダルと一万五千でと。正気の沙汰ではない」


「……そうかな」


 二十五歳の若きベリサリウスは、肩をすくめた。

 皇帝は、確かに難しいことを言ってきている。

 だが、あのユスティニアヌスが、そもそも無謀な勅命を発するだろうか。


「あの方は計算高い。さらに、皇后テオドラ陛下もひかえている」


「あの踊り子か」


 プロコピオスは、テオドラが嫌いだった。

 ベリサリウスは、先のニカの乱でのテオドラのユスティニアヌスへの直言に感じ入ったのであろうが、甘い。


「……それに、皇帝陛下とて、人の言葉をれるお方と感銘を深めたかもしれぬが、それも甘い、甘いぞ。換言すれば、逆にどんな奴の言葉でも、聞いてしまうおそれがあるぞ」


「プロコピオス」


 ベリサリウスは、プロコピオスの発言を止めた。

 これ以上は、不敬にあたろう。

 ベリサリウスは、目でそう言った。

 ソロモンが心得たように、水オルガンヒュドラウリスの鍵盤を鳴らす。


「こいつ……」


 プロコピオスは舌打ちしながらも、感心した。

 さすが、ベリサリウスのお気に入りの宦官だけあって、ソロモンは気が利く。

 ササン朝ペルシアとの戦争時に知り合い、仕えさせることにしたと聞くが、なにごとにもがない。


「……まあいいか、ベリサリウス、君には勝てる要素が見えているんだね?」


幾許いくばくかは」


「では聞こうか」


 プロコピオスは身を乗り出した。

 実は、彼はベリサリウスの秘書官と法律顧問を拝命していた。

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