ロズウェルの銀翼

左藤 郷音

第1話 白獣

白銀の翼は、格納庫の中央で一頭の獣のように横たわっていた。全長12メートル、全幅25メートル、その冷ややかに輝くフォルムはどこまでも研ぎ澄まされ、あたかも時代の先端を切り拓かんとする意思を宿しているかのようであった。まるで精密な彫刻品のように無駄のない洗練されたデザインは、見る者を圧倒し、何か神聖な儀式の場に立ち会っているかのような錯覚を抱かせた。長らく冷たい戦場に身を置き、人の狂気を見つめ続けてきたユーフェイトですら、その翼の優美さに一瞬、息を呑むほどであった。


鋲のひとつひとつが、板の継ぎ目のわずかな隙間までも、あたかも何か崇高な目的のために存在しているかのように、ひたすらに研ぎ澄まされていた。その鋭利な美しさは、今まさに新たな時代を象徴し、アメリカという国家と、それが歩もうとしている未来の暗示に他ならなかった。翼の持つ静けさと重々しさが、全てを物語りそこには、ただの機械を超えた何か、時代そのものが宿っているようであった。


その機体、実験機「XY-100」は、戦時中に開発が開始された高速爆撃機であり、ノースロップ社のYB-35に対する一種の保険として設計された代物である。試験飛行においては、搭載されたターボジェットエンジンによって時速780キロメートルという驚異的な速度を達成したものの、爆撃機としての実用性、すなわち搭載量の不足が指摘され、計画は頓挫していた。しかしながら、その2機のみ製造された試作機は、後に新型エンジンに換装され、速度実験機としての役割を担うこととなったのだった。


その機体は今、ここでテスト飛行に供される日を待ちながら、格納庫の静寂の中に沈黙している。まるで、機会を待ち続けるようにその白獣は不気味な存在感を放っているのであった。


その静けさを破るかのように、庁舎の階段から一人の男が姿を現した。マイケル少尉である。彼はゆっくりと足を運びながら、ユーフェイトに向けて微笑みを浮かべた。「おや、ユーフェイト情報士官。もう戻られたかと思っていましたが」


ユーフェイトはその言葉に肩をすくめた。「いや、前の任務は片付いた。しかし、上層部が7月の最終試験が終わるまではここに残るよう指示してきたものでな。私にとっては全く愉快でない命令だが」


彼の視線は再び機体に向けられ、その眼差しにはどこか嫌悪感が漂っていた。「この機体はまるで悲劇の象徴のようだ。最新鋭の兵器というものがどうにも気に入らん。まるで金でできた無駄に豪華な装飾品のようだ」


それを聞いたマイケル少尉は微笑んだ。「私は、むしろ銃も機体も金で作るべきだと考えていますよ。金の武器は実戦では役に立たないかもしれませんが、その抑止力は絶大です」


ユーフェイトは鼻で笑い、その発想に首を振った。「若い者の考えは理解できんよ。それで、テストパイロットは決まったのか?」


マイケル少佐は頷きながら答えた。「第4実験飛行隊からエリック中尉が選ばれました。彼は実力はあるのですが、いつも調子のいいことを言うので少々不安です」


「エリック中尉… あのフライト前に必ず神に祈るという男か。空軍はどうしてあんな男をテストパイロットに選んだんだ?」


「さあ、理由は私にもわかりません。ですが、ノースロップの技師たちは、この機体の操縦はそれほど難しくないと言っています。問題はないでしょう」


ユーフェイトは興味を示さぬ様子で軽く頷いた。「その楽観が問題だとは思うがね。まあ、技術の話は技術屋の間でするものだ。私はそろそろお暇するよ」


そう言い残すと、ユーフェイトはゆっくりと格納庫を後にした。彼の足取りは重く、心中には複雑な思いが渦巻いていた。「なぜ私にここに留まるよう命じたのか?実験は航空隊だけでできるはずだ。それにもかかわらず、情報部の私がここにいる理由は何なのだ?」


彼は歩みを進めながら、ふと遠くの滑走路へと目をやった。訓練飛行中の戦闘機がいくつか小さく空に舞い、点のように浮かんでいるのが見える。それはまるで、次の戦争を予感させるかのような不気味な光景であった。


「ナチスが崩壊し、次に我々が立ち向かうべきはソ連の共産主義だ。アメリカ国内にも既にソ連のスパイが潜んでいるという噂がある。私の任務は、国外の防諜と国内の情報保全だが、これもまたその一環か…」そう考えると、彼は自らの思考を打ち切った。「いや、こんなこと一介の情報員が気にすべきではないか…」


彼はそう結論づけ、滞在先のホテルへと向かった。


ホテルの部屋に戻ると、彼は部屋の静けさに安堵した。簡素な机、整えられたベッド、そして窓から差し込む夜の街灯の光が、彼の疲れた身体を優しく包み込んだ。この部屋に滞在して既に一ヶ月半が過ぎていたが、今ではどこか心地よささえ感じるほどだった。


ユーフェイトは棚からウイスキーのボトルを取り出し、一杯のグラスに注いだ。その黄金色の液体に街灯の光が反射し、静かな輝きを放っていた。彼はその光景をじっと見つめ、ゆっくりと口に含んだ。ウイスキーの苦味が舌に広がり、彼の体内に少しずつ染み込んでいくようだった。


夜の静寂は深まり、時計の秒針が刻むわずかな音のみが部屋に響いていた。それは、何か大きな変化が近づいていることを静かに告げているようでもあった。


だが、ユーフェイトはその未来を気にすることなく、静かに目を閉じた。彼はこの静かな夜の中で、次第に疲れた体を休めていった。


しかし、アメリカ全土を巻き込む事件の幕が、死神の手によって静かに上がろうとしていたのだった……。

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