第26話 閑話 門番
オーシャニアの海は、いつも静かで穏やかだった。
それはまるで、クロニーサ姫の優美さと調和するかのような平穏で、彼女が存在するだけで海そのものが彼女を称えるかのようだった。
私は、クロニーサ姫に仕えるただの門番で、彼女の近くに立つことはほとんど無い。
しかし、門の外で日々立ち続け、見上げる城のバルコニーに現れる彼女の姿を見つめるたび、心の奥底で何かが震えるのを感じていた。
彼女は、この世界で見た中でも最も美しい存在だった。
長く流れるような紫色の髪が、波打つようにゆらめくその姿は、まるで海そのものが彼女の髪に宿っているかのよう。
透き通るような白い肌、そして鮮やかな緑色の目は、見る者すべてを魅了し、触れることのできない神聖さを感じさせる。
その美しさは、誰もが遠巻きにしか見つめることができないほどで、私はただ彼女を見守ることしかできなかった。
しかし、それでも構わなかった。
私はただクロニーサ姫が無事で、笑顔でいられることを願い、忠実に門を守り続けていたのだ。
だが、最近オーシャニアの様子が変わってきた。
誰もが感じていた。
最初は小さな異変だった。
海流の流れが少しずつ狂い始め、定期的に漂着するはずの魚介類が減り始めた。
漁師たちはそれを不思議がり、私たち兵士も警戒を強めていたが、特に大きな問題には発展しないだろうと信じていた。だが、それが間違いだった。
突然、ある日、轟音と共にオーシャニアの一部が爆発したのだ。
それは信じがたい光景だった。
青い海が一瞬にして暗く染まり、海底から噴き出す泡と残骸が広がり、近くにいた民たちは一瞬で消え去った。
爆発の中心には何があったのか誰も分からなかったが、それが偶然の出来事ではないことは明らかだった。
「何が起きたんだ…?」
と私は震える声で呟いた。
その日以来、オーシャニアは変わってしまった。
かつての美しい珊瑚の街並みは荒廃し、町のあちこちに残骸や死体が散らばっていた。
毎日、爆発が起こるわけではなかったが、次にいつ何が起きるのか分からない恐怖が常に街を覆っていた。
人々の笑顔は消え、代わりに怯えた顔が街を行き交っていた。
「このままじゃ、私たちのオーシャニアは終わってしまうのか…?」
と誰もが心の中で囁いた。
そんな中、唯一人々に希望を与えられる存在がいた。
それが、クロニーサ姫だ。
姫は爆発が起きた日から一度も表に出ることなく、城に閉じこもっていたが、皆が彼女の美しさと知恵を信じ、どこかで姫が何か解決策を見つけてくれると期待していた。
そんなある日、私は門の前でいつものように立っていると、城の大扉が開き、クロニーサ姫が現れた。
驚いたことに、彼女はまっすぐに私たち門番の方へと歩み寄ってきたのだ。
その美しい姿が近づいてくる度に、私は心臓が高鳴り、息を飲むしかなかった。
彼女がこんなにも近くに来るなんて、それだけで頭が真っ白になりそうだった。
「ダングロス」
突然、私の名が呼ばれた。
驚いて顔を上げると、クロニーサ姫が私をじっと見つめていた。
「はい…姫様…!」
と慌てて答える。
何かしらの命令が下されるのだと直感したが、言葉が出てこない。
「私が調査に出る。爆発の原因を探り、この国を救うために、今すぐに出発する」
と彼女は毅然とした声で言い放った。
「え…姫様、そんな無茶な!」
私は慌てて彼女を止めようとしたが、彼女の表情には決意が満ちていた。
「誰かがやらなければならないのです。私が行く以外に道はない。もう誰かが犠牲になるのは見たくないのです」
その言葉には、私だけでなく他の兵士たちも黙るしかなかった。
クロニーサ姫がどれだけ深くこの国を愛し、民を思っているかが、痛いほど伝わってきたのだ。
「ですが、姫様!危険すぎます!私たちが行きますので、どうか姫様はご無事で…」
と必死に言い募ったが、クロニーサ姫は首を振った。
「私が行かなければなりません。これは私の責任です。それに、私には少し心当たりがあります。爆発の原因となるものは、私の力でしか探り出せないかもしれません」
その言葉を聞いて、私は彼女が何か重大な事実を知っているのだと悟った。
だが、彼女はそれを言葉にすることなく、ただ静かに私たちに命令を下した。
「私に逆らうことは許されません。ダングロス、あなたは私を護衛してくれるわね?」
彼女の言葉に逆らうことなどできるはずがない。
私はただ一言「はい、姫様」と答えるしかなかった。
出発の日、城の前には数人の兵士と民が集まっていた。
彼らは姫の出発を見送りながらも、不安そうな表情を隠せなかった。
クロニーサ姫はそれに気づいてか、柔らかく微笑みながら
「安心なさい、必ず戻ってきます」
と優しく声をかけた。
その言葉に、皆が少しだけ救われたような気がした。
しかし、私の心はそれでも晴れなかった。
姫が危険な調査に出るという事実は、私を不安でいっぱいにさせていたのだ。
彼女が無事に戻ってくる保証など、どこにもない。
それでも、彼女に背を向けるわけにはいかなかった。
船に乗り込む彼女の背中を見送りながら、私は固く拳を握りしめ、心の中で誓った。
「俺は…どんなことがあっても姫を守る。絶対に無事に帰らせるんだ」
と。
クロニーサ姫が出発するその日、海はいつもと違う不穏な波を立てていたが、彼女の美しい姿は、そのすべてを黙らせるかのように輝いていた。
オーシャニアを襲う謎の爆撃、その原因を突き止めるために、クロニーサ姫と数人の精鋭兵士たちは深海へと向かっていた。
海流の異常、そして時折起こる爆発は、彼女の故郷を蝕んでいた。
クロニーサ姫は、美しい姿でありながらも鋭い洞察力を持つリーダーとして、兵士たちを率いていた。
「姫様、ここから西に約5キロの地点で、さらに異常な海流が確認されています。あそこに何かがあるかもしれません」
一人の兵士、ダングロスが報告した。
「異常な海流…。それが何かを運んでいるのかもしれないわね。急ぎましょう、皆。注意深く進むのよ」
クロニーサ姫は毅然と指示を出し、冷静な判断力で彼らを導いた。
周囲は深い青に包まれ、闇に近いほどの静寂が漂っていた。
しかし、兵士たちは姫の存在に勇気をもらい、まっすぐに進んでいく。
誰もが彼女のためなら命を投げ出す覚悟を持っていた。
「姫様、もしあのダンジョンが原因であれば、どうされるおつもりですか?」
ダングロスが、不安げに問いかけた。
「爆発の原因がダンジョンであれば、まずはそのダンジョンを封鎖し、二度とこの海域に害を及ぼさないようにするしかないわ。私たちにはそれしかできない。でも、それが危険な存在であれば、私は命を懸けてもオーシャニアを守る覚悟よ」
彼女の言葉に、兵士たちの決意もまた固まった。
やがて、異常な海流の中心にたどり着いた。
そこには、巨大な裂け目があり、その内部には蠢くような奇妙な光が見えた。
「これは…ダンジョンか? 姫様、どうやらここが爆発の原因のようです」
ダングロスは周囲を見渡し、驚愕とともに言葉を発した。
「間違いないわ。このダンジョンが何かを外に放っているのよ。私たちはその真実を突き止めなければならないわ」
クロニーサ姫は、その鋭い眼差しをダンジョン内部へと向け、慎重に進むよう命令した。
彼らがダンジョンの中へ入ると、奇妙な生物たちが蠢いているのが見えた。
だが、それ以上に目を引いたのは、無数の巨大な黒い塊が部屋の中央に整然と並んでいる光景だった。
それは、まるで何かの巣のようでもあり、不気味な静寂に包まれていた。
「これは…何だ?」
兵士の一人が震える声で呟いた。
「これは流れてくる爆撃の魔物よね…? これ全部?いや、まさか…」
クロニーサ姫は、その黒い塊を見て呟いた。
その時、遠くから足音が聞こえてきた。
巨大なタコのような魔物が姿を現し、クロニーサ姫たちを見据えていた。
「これは驚いたな。こんな美しいお客様が来るとは思わなかったぜ」
その声に、兵士たちは警戒を強めた。
「あなたがこのダンジョンのマスターね。オーシャニアを爆撃しているのは、あなたのせいでしょう!」
クロニーサ姫は冷静に言い放ったが、その瞳には怒りが宿っていた。
「俺? いやいや、ちょっと待てよ。俺はただの…いや、まぁ、そうだな、間違いではないが」
その男、ナイナイムは笑いながら答えたが、その態度に兵士たちは激昂した。
「ふざけるな! 貴様のせいで、オーシャニアの人々がどれだけ苦しんでいると思っているんだ!」
ダングロスが剣を抜き、ナイナイムに詰め寄った。
「待て、待て。俺が何をしたっていうんだ? 確かにキングクライムボムは俺のダンジョンから流れ出たが、あれは俺が意図してやったわけじゃねぇんだよ。ただ…まぁ、結果的には爆発を引き起こしちまったかもしれないが」
ナイナイムは言い訳を続けたが、その言葉にクロニーサ姫の怒りは抑えられなかった。
「もう話し合いの余地はない。あなたを討ち、このダンジョンを破壊してオーシャニアを守るわ!」
クロニーサ姫は決断を下し、兵士たちも戦闘態勢に入った。
ナイナイムは慌てて防御態勢を取り、キングクライムボムを守るために動き始めた。
彼の体からは触手が伸び、周囲の兵士たちを翻弄しようとする。
しかし、クロニーサ姫の指揮の下、兵士たちは見事な連携を見せ、ナイナイムを追い詰めていった。
「姫様、こいつを討ち取れば爆発は止まるはずです!」
ダングロスは力強く叫んだ。
「急ぎましょう! このままではまたオーシャニアに被害が出るわ!」
クロニーサ姫は、魔法の光を放ち、ナイナイムの防御を崩そうとする。
「くっそ…追い詰められちまったか。でも、俺だってこのままやられるわけにはいかねぇよ!さあ、お前たちに俺の本気を見せてやる!」
ナイナイムは得意げな顔をしながら、手を掲げた。
「やめなさい、これ以上無駄な抵抗はしない方が身のためよ」
クロニーサ姫が冷静に忠告するが、ナイナイムは全く聞く耳を持たなかった。
「ふっ、無駄な抵抗だと? 俺を甘く見るなよ! 行くぜ、必殺技! ファイヤーストーム!!」
ナイナイムが叫ぶと、手元に出た小さな火の玉。
しかし、彼はここが海底であることをすっかり忘れていた。
火の玉はジュッという音を立てて即座に消え、煙だけがぽこぽこと水中に漂った。
「え? なんだ、あれ?」
兵士たちは困惑し、互いに顔を見合わせた。
「ちょっと待て! 水中だからか! そうか、なら別の技だ!」
ナイナイムは焦りを隠しつつ、再び手を掲げた。
「次こそは行くぜ! マグナショットォォォ!!」
彼は叫びながら拳を突き出したが、拳の周りに何かが飛び出す気配は全く無かった。ただ、少し手が痺れた程度だった。
「……なんだ何かの攻撃なのか?」
ダングロスが心配そうに言った。
「いや、ポーズだけじゃないか…?」
別の兵士が呟いた。
「くそっ、どうしてだ! 次はこれだ! フレイムソードォォォ!!!」
ナイナイムが渾身の力を込めて叫ぶ。
手元に出現するはずの炎の剣は、もちろん海水に阻まれてチリリと一瞬だけ光るだけで、何も起こらなかった。
「はぁ…もういい加減にして!」
クロニーサ姫が呆れ顔で言った。
「ちょっと待て! まだだ、まだ終わってない! 次こそ本気だ!」
ナイナイムは汗を浮かべながら必死で策を練り、最後の望みをかけた。
「こいつはどうだ!? サンダーブレイク!!!」
彼は両手を天に掲げ、雷を呼び起こそうとした。
だが、もちろん水中では雷が発生するはずもなく、彼の身体にただちょっとした静電気が走るだけだった。
「うわっ! 痛っ!」
ナイナイムがピリピリと痺れ、びくんと跳ねる。
まるで誰かに軽く電気ショックを受けたような姿に、兵士たちも思わず吹き出した。
「何やってるんだ…」
ダングロスは真剣に戦いながらも、思わず苦笑してしまった。
「こ、これは…その…水中だから、だよ! 普通ならもっと凄いんだ! これでも昔は結構名の知れた勇者だったんだぞ!」
ナイナイムは言い訳をしつつ、無理に自分を正当化しようとした。
「その昔っていつのことよ?」
クロニーサ姫が冷たく尋ねる。
「くっ…ま、まあいいさ! 俺にはキングクライムボムがいる! これを使えばお前たちを一網打尽にできるんだ!」
ナイナイムは焦りながらも、ついにキングクライムボムに目を向けた。
ナイナイムが指を弾くと、キングクライムボムの一匹が膨張し始めた。
彼は得意げな顔をしながら言った。
「見たか! これが俺の切り札だ! 一発で全員終わりだ!」
ナイナイムは誇らしげに叫んだが、彼のコントロールを完全に失ったキングクライムボムが予想以上に膨張し、近くのキングクライムボムたちを次々に巻き込んで誘爆させてしまった。
「待て、待て! そんなに爆発するなよ!」
ナイナイムは焦って止めようとするが、時すでに遅し。
「バカな…これは俺の予定じゃ…!!せめて一匹は確保しておかなければっ!」
ナイナイムが叫んだ瞬間、轟音が響き渡り、巨大な爆発が起こった。
海中に爆風が広がり、ナイナイムのダンジョン全体が揺れた。
クロニーサ姫たちは瞬時に避難を試みたが、衝撃波は海中を貫き、彼らを襲った。
「姫様、すぐに退避を!」
ダングロスが必死に叫び、クロニーサ姫を守るためにその身を盾にする。
しかし、ナイナイムが引き起こしたキングクライムボムの誘爆は、予想をはるかに超える規模で広がり始めていた。
「こんな…こんなはずじゃない…!」
クロニーサ姫は信じられないという表情で、次々と爆発するクライムボムを見つめていた。
彼女はオーシャニアの調査隊の一員として、正義と誇りを持ってこのダンジョンの脅威に立ち向かっていたが、その努力は全て無に帰そうとしていた。
他のクライムボムたちが次々に誘爆させた結果、海底の大爆発は連鎖的に広がっていった。
その衝撃波は海底の岩盤を揺るがし、さらに海中の流れを変え、遥か遠くオーシャニアにまで届いた。
オーシャニアは豊かな自然と共存してきた、美しく誇り高い都市だった。
色とりどりの珊瑚に囲まれ、海底の宝石のような光景を誇るその場所が、静かに海の中で暮らす人魚や魚人たちの楽園だった。
爆撃により崩壊は目立ったがまだまだ美しさの残る都市だった。
「なんだ、この震動は!?」
「水が、ひどい濁りだ!」
オーシャニアの住民たちは突然の異変に動揺し、混乱が広がっていく。
美しい町並みを揺らす異常な振動と、濁った水流に住民たちは次々と家から飛び出した。
「助けてくれ!」
誰かが叫ぶ声が響く。
家々の間を走り抜ける人々、必死に子供を抱えて逃げる母親、しかし、どれも無駄な努力だった。
「姫様、これは…」
ダングロスは信じられないという表情で、遠くから迫りくる巨大な水流を目にした。
それはまるで地獄の門が開かれたかのように、禁域全体を飲み込もうとするかのようだった。
「オーシャニアが…滅んでしまう…」
クロニーサ姫は震える声で呟く。
彼女はすぐに行動を起こすべきだと理解していたが、目の前で広がる光景に、ただ唖然と立ち尽くしていた。
「姫様、どこですか…!?」
ダングロスが必死に姫の姿を探し続けるが、周囲は瓦礫と濁流で視界が遮られていた。
目の前には巨大な岩が崩れ落ち、彼の行く手を阻む。
「ダングロス…ごめんなさい…私は…ここまでよ」
クロニーサ姫の声がどこからか聞こえた。
しかし、彼女の姿は見えず、ただ周囲の破壊された風景が広がっているだけだった。
「そんな…姫様!」
ダングロスは叫びながら、瓦礫を掻き分けて姫を探そうとしたが、次の瞬間、さらに大きな波が彼を押し流した。
その瞬間、クロニーサ姫は自らの使命を果たすために、最後の決断をしていた。
彼女は自分自身が巻き込まれることを覚悟し、ナイナイムとそのダンジョンの破壊を試みようとしていた。
「これで…終わりにしてみせる…」
クロニーサ姫は静かに呟き、ナイナイムのダンジョンへと力を集中させたが、その瞬間、さらに大きな爆発が襲い、周囲は完全に崩壊していった。
そして全ては海の藻屑となった。
巨大な水流がオーシャニアの都市全体に襲いかかると、まるで都市そのものが砕け散るかのように、建物は次々と崩壊し、瓦礫と化していく。
立派な宮殿や、商店街、居住区のあらゆる建物が、次々と波に飲まれて沈んでいった。
「逃げろ、逃げるんだ!」
人々は叫び、兵士たちは市民に向かって指示を出した。
必死でその場を離れようとするが、爆発の余波で生まれた津波と瓦礫により、逃げ場はなくなっていた。
「こんなことが…一瞬で…!」
絶望が人々を支配した。
美しい海底都市オーシャニアは、完全に消え去った。
色とりどりの珊瑚、きらめく真珠の街並みは瓦礫と化し、静寂が広がる海底には、かつての栄光の痕跡すら残されていなかった。
オーシャニアという美しい都市は、もはや存在しない。
オーシャニアの滅亡は、海底全域に深い衝撃を与えた。
かつては繁栄していた都市の跡地には、ただ静かな沈黙が広がり、その住民たちは皆、海の底深くに消えていった。
外道の道も本能故 モロモロ @mondaru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。外道の道も本能故の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます