柘榴

遠部右喬

第1話

 空が高い。さっぱりと青く澄んだ空と、オーガンジーのように薄く柔らかそうな雲が風に流れるさまに、秋を実感する。

 今年も庭の柘榴が実を付けた。最近は碌に手入れなどしてやってないのに、それでもちゃんと実を結んでくれる。私の、この時期の楽しみ。


 手を伸ばし、目の前のそれを一つもいでみる。


 厚い果皮に入った亀裂はまだ僅かで、完熟とは言い難い。もっとぱっくりと割れたものの方が甘くて美味しいと分かってはいるけど、若い実にはまた違った味わいがあるし、熟しきってないだって、それはそれで舌を楽しませてくれるものだ。

 外皮に走る裂け目に指をこじ入れて剥いてみると、ぎっしりと詰まった艶やかな紅色の粒が姿を現す。

 少し潰れてしまった粒から果汁が指へと伝う。地面に零してしまうのが勿体なくて、ちょっとはしたないけど、急いで舐め取る。


 口の中に広がる爽やかな香りの果汁は、甘酸っぱくて、味が濃い。今年の実も上出来だ。渋みが少し多目に感じられるのは、やっぱり、まだ少し未熟ってこと。けど、それすらも良いアクセントになって……ふふ、なんだか、赤ワインの感想みたい。でも断然、ワインよりこっちが好きだな。

 堪らず、ふっくらと丸い実に口を寄せ、宝石のようにきらきらと輝く粒の集合体を歯でこそぐ。


 口の中でプチプチと潰れる瑞々しい粒――そうそう、一粒一粒に種があるから、ちょっと食べ辛いんだよね。でも、美味しいんだよなあ。


 行儀悪く、口の中で一纏めにした種とカスを土の上に吐き出し、もう一口。薄皮が口に入ってしまい、その食感につい、眉間に皺が寄る。果実の内側は所々が薄皮で仕切られているから、ちゃんと剥かないとこうなる……少し苛立ちながら、薄皮を剥いで投げ捨て、また実を齧る。それを繰り返す。

 ふと目線を落とすと、ブラウスのあちこちに赤い染みが付いているのに気付く。

 ああ、やってしまった。絶対落ちないよね、これ。もう、捨てるしかないかな。苦笑いして、果汁でべたべたになった口元を、ブラウスの肩口で拭う。


 地面には私の食べ散らかした柘榴の外皮や食べかすが散り、そこらに転がしておいたシャベルの柄にも、種が付いてしまっていた。まさに、自分が蒔いた種だ。ちょっとうんざりしながら指で払いのけて、シャベルを手に取る。

 今年こそは、ちゃんと手入れしてあげようと決めていたんだよね。本当に久しぶりだもの……シャベルを土に突き立てて、縁にかけた片足に体重を乗せる。固い土を解すように、柘榴の周りを、根を傷付けないように少しずつ、優しく掘り進める。


 うん、そろそろいいかな。


 次は、肥料。お父さんを穴に転がす。ああ、いけない、包丁はちゃんと抜いておかなきゃ。突き刺したままだった包丁を、お父さんの背中から引っこ抜く。

 よかった、血が吹き出したらどうしようって思ったけど、ちょっと垂れて来ただけで済んだ。心臓が止まってるせいかな。それとも、沢山刺したから血抜きが済んでるって事かしら。まあ、ブラウスにはとっくに赤黒い染みが付いてるから、今更なんだけど。

 包丁にこびりついた血の一部はもう乾き始めていて、それが指の隙間からぱらぱらと欠片になって零れる。いつまでも持ってるのも邪魔だし、取り敢えず其の辺にでも刺しておこう。後で忘れず回収しなきゃ。

 包丁を地面に突き立て、再びシャベルを手に取り、お父さんに土をかけていく。


 こつん。

 

 小さな何かがシャベルに当たった。

 土塊から転がる、白く硬そうなモノ……これは、お母さんの骨? それとも、従妹の茉莉ちゃん? それとも、それとも……。

 少し疲れてきて、屈めていた腰を伸ばすように背を反らすと、深緑色の葉の間から、すっかり熟したお母さんの大きく割れた顔がちらちらと見えた。あっちの枝ではおじいちゃんの頭が、裂け目から真っ赤な粒を覗かせている。折角の食べ頃を、どうやって食べようかな。サラダにしようかな、それともヨーグルトに混ぜようか。そうだ、サングリアに入れてもいいかも。あれ? 日向君が居ない……ああ、さっき食べたのがそうだったっけ。


 再び土をかける作業に戻り、やがて、穴に横たわったお父さんはすっかり見えなくなった。達成感に顔が綻ぶ。

 次の秋は、お父さんも忘れず収穫しなくちゃね。


 来年の柘榴は、屹度、もっと美味しいだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

柘榴 遠部右喬 @SnowChildA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ