第10話 直人の脱出
シャワーヘッドの鞭に全ては懸かっている。
根本の水道からシャワーヘッドとホースを外した。滴る水が服にかかるが、気にしている場合ではない。
引っ越した際に自分たちで付け替えた経験が生きている。付け外しに道具が必要ないことを知らないと、外そうとは思いつかなかったかもしれない。
加那が出て行ってから少なくとも五分は経っている。自宅の風呂場は僕を閉じ込める牢と化した。一刻も早く脱出しなければ、加那が何をしでかすかわからない。
細く開いた引き戸から顔の左半分を何とか出した。片目でよく見ると、引き戸に突っ張り棒が噛ませてあることがわかる。あの棒を外さないと、引き戸がこれ以上開かない。
僕が前の家から持ってきて使っていなかった突っ張り棒だ。さっさと捨てておけば良かったと嘆くが後の祭りである。
引き戸のレールに目をやると、突っ張り棒の向こうにレールの欠けがある。戸板を外すには、一番奥まで戸を押さなければならない。当然、突っ張り棒が邪魔でそれは叶わない。
顔を引っ込め、熱気が抜けきらない風呂場で肩をぐるぐると回す。望みは薄いがやるしかない。右手に持っていたホース付きのシャワーヘッドを左手に持ち替え、引き戸の外に出した。ホースの逆端は右手に持っている。
狙いを定めることもできないので、当てずっぽうでシャワーヘッドを突っ張り棒に向かって放った。ガンッと引き戸にぶつかり、床に落ちた。大外れ。
敷金、という言葉が脳の右から左に流れていったが、考えない。
ジングルベルが鳴り響く聖なるクリスマスイブの夜になぜ僕がこんなことをしているのか、話は約一時間遡る。
◇
加那と二人で作ったローストビーフを食べて、美味しいと言い合い、シャンパングラスを小さくぶつける。
武光邸に招かれてから一週間後のクリスマスイブ。あれから、僕なりに抵抗する方法を考えてみた。武光を直接論破することは無理だ。なぜなら、彼が頼っているものは確実な証拠ではない。財力に任せて、失敗した際の責任を全て自分が被る方針で動いている。仮に武光と責任を分け合う者がいたならば、武光の根拠は薄弱で、このままだとあなたにも被害が及びますよ、と説得できた。だが今回はそうした人物がいない。嶋田という男もあの場にはいたが、明らかに武光の協力者だ。
せめてスターフィッシュ・セカンダリーと武光の情報を警察に漏洩させられればいいのだが、加那が僕を見張っている。
加那は武光に雇われた殺し屋。受け取ったフライトのチケットも二人分、つまり加那を連れていけとの指示だ。僕を監視し、現地では護衛する。一般人目線の語り部を作るためには、そうした意味でも僕が適任だったわけだ。守りやすく、裏切りにくい。
爆発の現地に行かないことは選べる。目撃者にならないことで抵抗できる。だが、用意されている語り部が僕一人である保証なんてどこにもない。というか、十中八九他にもいるだろう。仲間に引き込むと武光は言ったが、僕一人が役目を放棄したくらいで頓挫するほど、重要な仲間であるわけがない。
つまり、行っても行かなくても計画に支障はない。そして武光が言う通り、その後訪れる事態に僕は責任を感じずにはいられないだろう。この上なく嫌な責任だ。
常識的な意見として、遣いが存在しないことも充分考えられる。だがそうなると、ベテルギウスの増光現象について記憶と記録が消えていることに説明がつかない。ちなみに、病院で検査を受けた僕の脳に異常はなかった。他に説得力のある仮説があれば、武光のくだらない妄想なのだから忘れよう、とも言えたのだが。
希望的観測として、スターフィッシュ・セカンダリーはとっくの昔に故障していて核爆発は起きないとか、武光はスターフィッシュ・セカンダリーでない人工天体を追跡していて、計画は初めから成立していなかったとかいう可能性もある。そう思わせたり、誤情報を握らせたりすることも考えた。考えはしたが、加那の監視をくぐり抜けて用意でき、武光や黒草を出し抜いて計画を諦めさせるほどの偽情報に思い至れなかった。
相手は何年も準備と調査を積み重ねてきた上での最後の一週間。それに対して僕は唐突に聞かされ、巻き込まれたばかりの一週間。簡単に思いつく突破口なんて潰されているに決まっている。
結局名案は思い付かず、早めの夕食を済ませた後、加那と二人でフライトに乗ることにしていた。
「直人君、元気ないね」
テーブルを挟んで加那が言った。
「そりゃあね。この後、武光さんが上手くやれば一つの都市が機能を停止するんだ。たくさんの人が死ぬかもしれない。最悪、他国から核攻撃を受けたと見なして核戦争に発展しかねない」
「日本は大丈夫じゃないかな。核兵器持っていないし。武光さんの屋敷なら核シェルターくらいありそうだから匿ってもらおうよ」
「ああ、ありそう」
無理矢理笑ってみた。あの大きな敷地を思えば、地下にそれくらいの設備があっても不思議じゃない。
「でも、僕たちに関係ないとしても、人が死ぬ」
「関係ない人だから、関係ないじゃない」
「最悪、人類が滅ぶよ」
「そうかな。そんなに簡単に滅ぶとは思わないけど。今までだって滅んでいないし」
ホモ・サピエンスは滅んでいない。でも、ネアンデルタール人は滅んだ。他の原人たちも滅んだ。人類と呼ばれる種族が一つしかないこと、それは、他の種族が全て滅んだことを示している。
絶滅は、この地球上で決して珍しいことではない。
「加那は、それを悲しいことだと思わないのか」
「それを悲しいと思うなら、こんなバイトはしないよ」
加那はローストビーフの切り分け用ナイフを取って、クルクルと手の中で回した。手の動きが止まると、一切れ、牛肉が薄く切られていた。
「私にとって大切なのは直人君で、他の人はどうでもいいの。どっちかって言うと嫌いだし。大学の友達とか、村上先輩とか、少し特別な人はいるけど、他は死んでくれて構わない。皆、そんなものでしょ。じゃないと、人の死を毎日みたいにニュースで伝えないよね。どうでもいいと思っているから、現実の人の死が娯楽になるんじゃないかな」
「娯楽。そっか、娯楽。そうかもしれない」
大きな事件、凄惨な事件。それには加害者と被害者がいて、人生を狂わされたり、強制的に閉じられたりした人がいる。それが大きく報じられるのは、その情報を民衆が求めているから。そこに、娯楽に通じる思いが無いと言ったら嘘になる。
じゃあ僕は、どうしてこんなに苦しいんだ。
「直人君は違うの?」
加那が心配そうな顔で覗き込んでくる。
「僕は」
核爆発の直下の国に知り合いはいない。誰が死のうと名前もわからない。大勢死ねば冥福を祈るくらいはするかもしれないが、具体的な顔は一つも思いつかない。
悲しくなんかない。怖いんだ。
「助けたいわけじゃない。助けたい相手はいない。止めたい相手しかいない」
武光圭。あの逞しい老人を、格上の男を止めたい。
一つ、冴えないやり方なら思いついている。
「どうして止めたいの」
加那は両手を膝に乗せ、真っすぐ僕と向き合った。監視役としての役目を果たされたら、僕はどうなるかわからない。でも、僕にできることは他に残されていなかった。成功する望みがどれだけあるのか、自信なんて欠片も無い。
「怖いんだ。何かできたんじゃないかって責められるのが怖い。他でもない、未来の僕に罵られるのが嫌なんだよ」
黙っていれば、僕が武光の計画を知っていたことなんて誰も知らないままにできる。加那だって責めないし、口外しないだろう。でも僕だけは、一生この記憶を引きずってその後の世界を生きなければならない。
僕はテーブルを立ち、通学用の鞄に隠していた箱を取り出した。
「加那、右手を出して」
加那も察し、右手を伸ばした。
「メリークリスマス。加那のことを考えて選んだ。加那に似合うと思って、これにした」
シンプルな銀の細いチェーンを象ったブレスレットを、加那の右手に巻き付ける。
加那の手を取ったまま跪いて、僕の顔とブレスレット、加那の顔を一直線上に並ばせる。
「加那、僕の味方になってほしい。武光さんを止めるために、裏切って、こっちについてほしい」
僕が何をするにしても、加那に監視された状態では上手くいかない。心情的にも、加那を欺く後ろめたさは必ず障害になる。最低限、加那を味方につけないと僕は動けない。
加那は呆気に取られて目を丸くしていた。一瞬して、顔が赤くなり、真顔になり、はにかむように笑った。
「そういうことなら早く言ってくれればよかったのに。言ったでしょ、私にとって大切なのは直人君で、他の人はどうでもいいの。武光さんの計画が直人君を悩ませるなら、私がどっちにつくかなんて、最初から決まっているよ」
「加那……」
右手のブレスレットをじっと見ながら、加那はにっこりと笑みを浮かべた。
「それじゃあ、何からしようかな。とりあえず、直人君はお風呂でも入って気持ちを切り替えてきなよ。言ってなかったけど、結構顔酷いよ」
「マジか」
この一週間ずっと悩んでいた。昨日も禄に眠れていない。薄っすらとした眠気はたしかにある。
「はいはい、時間が無いからさっさと入ってきて。頭がシャンとしていてくれなきゃ。着替えも用意しておくから」
毟り取られるように服を奪われ、押し込まれるように風呂に放り込まれた。この古いマンションの風呂は引き戸式で、戸が風呂の外側に付いている。
僕は蛇口を捻り、なかなかお湯にならない冷たいシャワーを湯船に逃がして思う。
加那は嘘をついているときの顔ではなかった。というか、彼女はほとんど嘘をつかない。必要があるときは完全に無表情になるタイプだ。人形のように静かな表情をしているときは、嘘をついているか、隠し事をしているか、何も考えていないとき。喜怒哀楽の表情が見えるときは、だいたい間違いなくその感情のまま表出する。
だから、加那は本気で僕の味方になってくれた。そう信じていいと思う。
壁に手を着いて、大きく息を吐いた。こんなにあっさり了承してくれると思っていなかった。最悪、さっきの瞬間加那に殺される可能性だってあったわけで、自分で思う以上に緊張していたらしい。
加那が言うように、もっと早く助けを求めていればよかった。一週間あれば選択肢が広がっていたに違いない。でも、今だって時間切れじゃない。現時刻は午後五時。武光から貰ったチケットから考えて、スターフィッシュ・セカンダリーの起爆は日本時間で日付が変わる前後だと推測している。きっとまだ、できることはある。
「よし、気合入れるぞ」
熱くなったシャワーを顔面から浴びた。一人じゃない。その事実が僕を奮い立たせる。
「着替え置いておくね」
風呂場の外から加那の声がした。
「ありがとう。すぐに出るから」
「いや、ゆっくりでいいよ」
ガタリ、と聴き慣れない音が聴こえた。
「加那?」
「危ないから、直人君は来ないでね」
「え?」
嫌な予感がして扉に飛びついた。戸は十五センチほど開いて止まった。隙間から覗くと加那の笑顔と目が合った。
「武光さんを殺せばいいんだよね。ちょっと行って来るから、待っていて」
加那は手をひらひらと振って、意気揚々と脱衣所を出て行った。僕は戸をガタつかせるが、何かが上手く嵌まっているのか、これ以上開かない。
「加那、待て。そういうことじゃなくて、もっと穏便に……」
「行ってきまーす」
玄関のドアが閉じる音が聴こえた。
シャワーを止めて耳を澄ます。しん、とした家からは人の気配がない。
あいつ、本気で僕を閉じ込めて出て行きやがった。
力任せに戸を引くがやっぱり開かない。戸自体を押して外そうとしてみるが外れない。引き戸は金属製。擦りガラスにも金属の格子がついていて、僕が体当たりても簡単には壊れそうには思えなかった。それより先に僕の体がきっと壊れる。
「落ち着け、加那は何をする」
さっき、武光を殺すと言っていなかったか。たしかにそれで計画は止まるかもしれないけど、そうならない場合もある。全て実行者に指示済みで、武光を殺しても計画が自動的に進む場合だ。もしそうなら、武光を生かしたまま制圧し、中止の指示を出させないといけない。安直に殺していいのか。そもそも、殺す必要はないのではないか。
何より、加那一人を危険な場に送り込んでしまった。黒草も殺し屋だと言っていたし、あそこは武光の居城だ。僕が武光なら、護衛の一人や二人はつける。
お湯を浴びたばかりなのに冷や汗が出てきた。
まずい、加那を止めないと!
できる限り戸を開いて外を見る。僕の着替えとバスタオル、そして五百ミリリットルペットボトルの水が用意してあった。このまま風呂から出られないと、裸なので体温を失う。タオルと着替えは本当にありがたい。水分もあるし、脱水症状で死ぬこともない。加那の気遣いは感じるけれど、そこで発揮してほしくなかった。
兎にも角にも手を伸ばしてタオルを手に入れ、体を拭く。着替えも入手し、風呂場の中で着替えるという珍しい経験をした。
水を一口飲む。他に何か残していないかと目を凝らすと、着替えの下に紙きれが落ちていた。濡らさないように気をつけて拾う。
——どうなっても直人君のせいじゃないよ。
見慣れた筆跡のメッセージが残されていた。額に手を当て、壁にもたれてしばらく呻く。
「だから、そんなところで気遣いを発揮するなよ」
人を殺すくせに、僕にはこんなに優しくするのか。でも本当の優しさは、僕とちゃんと話し合ってわかりあうことだ。
加那がもっと器用に付き合えるようになるまで、絶対に離してやらないと今、心に決めた。
「忘れているみたいだけど、僕は加那の彼氏なんだよ」
好きな子が自分の為に危ない目に遭っている。そんなの、じっとしていられるわけがない。
脱出しよう。何とかして。
◇
シャワーヘッドの形状を利用して、引き戸を邪魔している突っ張り棒に引っ掛け、外そうと試みる。五十回ほど投げて、突っ張り棒に当たるようにはなってきた。しかし、引っ掛からない。そもそも僕は右利きで、左手で投げるこの方法はコントロールが効かない。
一旦ホースとシャワーヘッドを回収し、不自然な姿勢のために痛くなった全身の筋肉を解す。
意外と脚が疲れる。中腰を維持するだけでも辛い。着替えは用意されたものの、汗が流れてきたせいで既に次の着替えが欲しくなってきた。水が美味しい。
だいたいに、ホースの長さがギリギリなのだ。届いても、突っ張り棒の端に届く程度。突っ張り棒と壁の間に収まってくれることが理想で、そこから突っ張り棒ごと引き出して脱出したい。
そのためにはホースを延長できると楽になる。使えるものは幸いあった。バスタオルだ。カランから水を出し、バスタオルを濡らす。ホースに結び付けることで即席の鞭を延長できた。
「よっし」
休憩も終わった。左手と左目を外に出し、長くなったシャワーヘッドの鞭を放る。延長した分自由度が上がり、一発で思惑通りシャワーヘッドは突っ張り棒と壁の間に落ちて止まった。おお、と思わず歓声を上げた瞬間、ホースからバスタオルの結び目が抜けた。
三秒、手元に残ったバスタオルと絶妙な位置に収まったシャワーヘッドを交互に見た。
「待ってくれ」
天井を仰いだ。たしかにホースは中空だから変形するし、強い結び目を作れる部分もない。抜けやすいことはわかっていた。でも、一回で抜けるか?
ひょっとして、僕は手先が不器用なのかもしれない。
手を伸ばす。ホースに届きさえすればあとは引くだけ。ゴール、いや、スタートは近い。
だが、手が届かない。ギリギリで、あと少しだけ届かない。無理な体勢でまた脚が痛くなってきたので手を引っ込めた。滑らないように気をつけながら、風呂場内で体操とストレッチをする。
腕は意外と平気だ。投げたり伸ばしたりしても休める。問題は脚だ。辛い体勢を続けているため、脚が限界に達したらその都度腕を引っ込めて休まないといけない。加那を追いかけることを考えると、一秒でも惜しむ状況なのに。そういえば、武光邸までは距離がある。当然加那は車で移動する。じゃあ僕は何で追いかけるんだ。
追いかける足が無いのでは?
ん、足?
……足って、手より長いな。
◇
風呂場を脱出した僕はスマートフォンを探した。
手の代わりに足を延ばし、ホースを足の指で摘まんで引く作戦は成功した。風呂場の外に転がり出たときは解放感に目が眩んだが、のんびりしていられない。加那を追いかける手段が無い状況は変わらないのだ。
ダイニングテーブルに置かれていた自分のスマートフォンを起動しようとするが、画面が暗いまま、うんともすんとも言わない。
おかしい。充分に充電していた。破損している様子もない。閃き、カバーを外すと、起こっていることは明らかだった。
「バッテリー……」
バッテリーパックが無かった。これでは動きようがない。この家には固定電話もない。
僕の頭に選択肢が浮かぶ。
一、 バッテリーを探す。
二、 スマートフォンを諦める。
「二だな」
理由は明快で、加那がバッテリーを持ち去っていた場合、探す時間全てが無駄になる。スマートフォンを使えても、足を持っている人に連絡が早く取れるにすぎない。直接行った方がマシだった。
僕は二人で共有している抽斗から自転車の鍵を取り出した。これは持ち去られていない。
加那が買った赤いママチャリに跨り、暗くなった住宅街を疾走する。風呂場に閉じ込められたときはまだ薄明るかった。経過した時間を思い知らされるようで鳩尾が痛い。風呂場からの脱出に伴う疲労で膝に力が入らなくなっているが、構わず飛ばした。
夜はまだ浅く、そして今日はクリスマスイブだった。すれ違うカップル、家族連れ、独り身を呪う同性で集まったグループ。誰もが変わらぬ明日を当たり前に期待し、今日という特別な日を精一杯楽しんでいる。
唐突に、そういうことなのだとわかった。地球の裏側で誰が死んでも気にしない。でも、ここにいる彼らが笑っていられる日は、笑えない日よりもずっといい。辛いことも大変なこともあるけど、笑おうと思えば笑える、そんな当たり前の明日を維持するために僕たちはレジを打ったりラーメンを作ったりする。
何が宇宙進出だ。遣いだの、記録消去だの、それがどうした。この日常よりも重要なのかよ。
論理が吹き飛んでいたって構うか。武光だって独自の価値観を財力で無理やり遂行しているにすぎない。だったら僕だって同じようにさせてもらう。何万年だって宇宙人にいいようにされていればいい。人類を守る理由なんて、そのくらいで充分なんだ。
やがて着いた、通い慣れたアパートの駐輪場に乱暴に停め、階段を駆け上がった。普段はノックを欠かさないが、今日ばかりは無礼を許してもらおう。
ノック無しでドアを勢いよく開いた。
「村上、先輩……助けて、くだ、さい」
息が荒く、途切れ途切れになった僕の言葉に、何かの本を読んでいた先輩が顔を上げた。
「何があった」
効きすぎているくらい暖められた部屋に、僕は膝をついて座り込んだ。
村上先輩は滅多に乗らないがビッグスクーターを持っている。安アパートに住んでいるので信じがたいが、実は結構お金持ちなのだ。
村上先輩はいつも通り、この人の周りだけ時間が遅いような雰囲気を纏っていて、僕は自分の心が鎮まるのを感じた。
「話は道中で。連れて行って欲しい場所があります」
先輩は目を細め、何も言わず立ち上がった。僕の意を一瞬で察してくれたようで、コートとスクーターの鍵を取り上げた。息が苦しくて、内心でお礼を言うにとどまってしまった。
「どこに行けばいい」
……どこ?
武光邸は、どこ。道案内をできるかと言われると、できない。遠いし、一度しか行っていない。僕は道路に詳しくもない。
だが閃いた。僕が黒草に連行された際、スマートフォンに位置情報を記録しながら向かっていた。ナイスだ、僕。
僕はポケットからスマートフォンを抜き、何度目かの天井を仰いだ。
「ジーザス!」
クリスマス風に嘆いてみたが、これはまずい。バッテリーパックが無いのだった。僕を追いかけて来させないために、加那が先回りしていた。そんな細かい所まで気がつくなんて、できた女だなあ。
「よくわからないが、とりあえず何があったか話してみろ」
「はい」
僕はしょぼくれて、狭い玄関に座り込んだ。
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