第13話 エピローグ

「灰山さん、明けましておめでとうございます」

「おめでとうございます」

 いつもの喫煙所で村上先輩とたむろしていたら、灰山さんが現れた。

「おめでとう。今年もよろしく」

 灰山さんはいつもの煙草に火を点ける。

「そうか、学生も冬休みが終わる時期か」

 今年の年始は稀に見る大雪で、あちこちで事故が起きていた。立ち往生や横転事故も発生し、僕は加那の怪我もあったため、家からほとんど出ずに大雪をやり過ごした。

「灰山さんは帰省されたのですか」

「いや、道が込みそうだったからしていない。普通に雑煮を作って食べた。結果的には正解だったな。北陸じゃ、近年稀に見る積雪になったそうだよ。お前らは帰ったの?」

 先輩と顔を合わせ、微妙に笑った。先輩は苦笑いとともに歯切れ悪く言う。

「年末に帰ったと言いますか、何と言いますか。俺には養父がいたのですが、亡くなったみたいなんです」

「それはご愁傷様、と言えばいいのかな。亡くなったみたい、とは微妙な言い方だけど」

「二人目の養親で、母は他界し、産みの父は行方知れずです」

「待って、君、どういう家庭環境なの」

「家庭はとっくに無くなりました。別に不幸だったとは思っていません」

 灰山さんは、はあ、とため息をついてしまった。そのリアクションに懐かしくなる。僕も最初に聞いたときは意味がわからなかったものだ。

「俺も成人した身なので、もう養親が増えることもないでしょう」

「婿養子ってこともあるんじゃないの」

「ああ、たしかに。俺が結婚ですか」

 自嘲するように先輩が笑った。あまり見たことがない顔で、新鮮な気分になる。

「人生、何が起こるかわからないよ」

 灰山さんはいつものように髪をかき上げた。去年の年末に見たときは根本が黒かったが、今は綺麗に茶色に染まっている。

 先輩は僕に目配せし、僕は頷いた。灰山さんには、事の顛末を話そうと僕らは決めていた。

「そうですね。ついこの前、その養父に関して信じられないようなことがありました」

 そう前置きし、先輩は僕たちが出会った騒動を灰山さんに話した。先輩の一族と親しくて、親を亡くした先輩の一人目の養親になってくれた人の話。人類の危機を何度も助けてくれた宇宙人の遣いで、地球人の記憶をいじりながら生活していた人。それを良く思わない二人目の養親が、アメリカが残した実験兵器を復活させ、宇宙人の存在を明るみにしようとしたこと。

 そして僕が、その宇宙人の遣い自身であるという事実まで。

「映画か小説の話?」

「それが、現実なんです」

「ふうん。でも、陰山君にだって、今までの人生があるでしょう。君の話が本当なら、五年以上前の記憶はどうなっているの」

「遣いとしての記憶を取り戻すまで、適当に補完されているのだと思います」

 灰山さんは僕を見遣るが、僕だって答えられない。一応、記憶はあるのだが、それが真実なのか、僕にはわからないのだ。

 実家だと思っている場所に行ったら、全然違う人の家だった、という可能性もある。相手に迷惑だし、特に不便も感じていないので確かめていない。

 ただまあ、親からの連絡というものが皆無なのは、多分そういうことだ。

「ベテルギウスの超新星爆発を私が知らないのも、彼の記録消去の結果ってわけか」

「そういうことです」

 灰山さんは鼻で笑った。僕も笑ってしまった。凄いことが起きたのですが、全員忘れてしまった。そう言ってしまえば何でもありになる。

 あの出来事に関しては、もう、覚えている人はほとんどいない。インターネット上からもみるみる情報が消されていき、今では探し出す方が困難なくらいだ。

「でもさ、今日も平和だよ。君の二人目の養親は失敗したんだね。土台、無理な話なんだ。長期運用を前提とした造りの惑星探査機だって、半世紀も宇宙空間で稼働すればあちこち不具合が出る。今さらスターフィッシュ計画の残骸を使うなんて、宇宙を甘く見ているよ」

 あの後調べたが、宇宙空間中では真空パックしたように永久保存されるわけではない。プラズマが飛び交い、地上より遥かに強力な放射線に晒され続ける。日向と日陰の温度差も激しく、小隕石が衝突することもある。決して機械に優しい環境ではないのだ。

「失敗してくれて良かったです」

「君の身内に対して申し訳ないが、その通りだ」

 灰山さんは大きく煙を吐き、灰を落とした。口元に嫌らしい笑みが浮かんでいる。

「君の話は興味深いが、辻褄が合わない点がある」

「宇宙人が出てくる話に辻褄を求めますか」

「職業病かな。まあ、聞きなよ。陰山のSNSから、偶然撮影してしまったスターフィッシュ・セカンダリーの写真を消したのは誰なのかなって」

 僕には意味がわからなかったが、先輩は目を見開いて、煙草が口から落ちそうになっていた。

「ベテルギウスの増光が記録消去された理由は、あまりに大規模な出来事で、遣いの存在が明るみになる可能性があったから。増光自体、陰山が引き起こしたことでもあるし、記録消去とセットの事象であったとも考えられる。消された殺人の記録は、陰山が望んだから、遣いの機能が暴発した。そうだったね」

「はい」

 先輩は何かを諦めたのか、気まずげな表情で電子タバコに火を点けた。

「経緯は違うが、どれも陰山の意思が起こしている。それらと比べ、スターフィッシュ・セカンダリーの写真がSNSから削除されたことは少し毛色が異なる。

 武光って言ったっけ、そのお金持ちの養父は陰山が撮影したことを覚えていたよね。ということは、記録消去は働いていない可能性が高い。ならば勝手に画像は消えない。遣いでない誰かがSNSと陰山のスマートフォンから消したんだ。誰だろうねえ」

 ようやく僕にも話がわかった。

 記録消去の対象になったなら、記憶ごと消える。僕の写真については誰も忘れていなかった。遣いとしてではなく、別の理由で消えたのだ。

 灰山さんは煙草を指示棒のように振って続ける。

「一応、筋が通らないことはないよ。村上が消してしまえばいい。村上の話によれば、私と二人、ベテルギウスが増光した翌日、この場所で陰山のスマートフォンを見ている瞬間がある。そのときに消せばいい」

「参ったな。流石です」

「そうだったんですか。どうしてそんなことを」

 口ごもる先輩に代わって、灰山さんが言う。

「面倒だったからでしょ。養父の計画をある程度察知していたから、スターフィッシュ・セカンダリーの写真が陰山の身に危険を及ぼすと知っていた。でも、村上は面倒臭がりだから、それを黙ったまま、最小限の動作で陰山を守ったんだよ。クリスマスのことも、陰山から直接頼まれてようやく腰を上げたっぽいよね。まあ、どうでもいいよ。どうせフィクションなんだから」

「一応、現実なんですがね」

「こだわるなあ。でも君の話が本当なら、私に話しちゃ駄目じゃないの。遣いのこと、秘密にしなきゃいけないでしょう」

 先輩は頭を掻き、そわそわと煙を吸った。鋭いところを突かれている。僕はその理由を知っているが、もう少し笑いを堪えてあげることにした。

 僕は腰を上げ、二人分の紫煙が立ち昇る狭い喫煙所を後にする。

「それは、例外があります」

「例外?」

 耳だけは、背後に集中する。先輩の表情を想像すると愉快だった。

「信用できる人と、秘密を共有する人です。前者は言わずもがな。後者について、私の祖先は、一族をかけて遣いの友人であり続けることを約束しました。つまり、家族は秘密を共有することになります」

「家族?」

「後から言うのはアンフェアでしょう」

「ああ、そう。……え? それは、ええと、参ったね」

 灰山さんの声は、まるで同い年の女の子のように戸惑っていた。


 アメリカ、ネバダ州。

 砂漠の真ん中を、僕たちはバギーで走っていた。何の目印もないが、障害物もほとんど無いので、運転席の黒草はスマートフォンを見ながら運転している。

 スターフィッシュ・セカンダリーに向けて武光は飛び立ったが、その後核爆発は起きなかった。僕が与えた傷のせいなのか、灰山さんが言うように故障していたのか、もっと別のどこかで計画が破綻していたのか、真実はわからない。

 武光邸から帰還したのち、嶋田から先輩へ大量の資料と一通の手紙が届いた。日本の警察からは前々から睨まれていたため、武光を打ち出した後はアメリカまで空路を強行突破したのだという。これからは悠々自適に暮らすつもりだ、とも書かれていた。

 同梱されていたのは、武光と集めた遣いに関する情報の全てだった。武光は先輩が遣いであると疑うと同時に、自分が失敗した場合、跡を継がせる相手として考えていたらしい。土壇場になって先輩は敵に回ったのだが、生前の武光の言いつけ通り、資料は先輩に送ることにしたのだそうだ。

 相棒を失った嶋田にとって、遣いを巡る活動は終わった。さらに先輩も、「お前にやる」と僕に資料を押し付けてきたので、仕方なく引き取った。

 冬休みの間、加那が怪我をしていて出掛けることもできなかったので二人で内容を検めた。そして、わかったことと決めたことがある。

「着きましたよ」

 黒草はバギーを停め、僕たちは砂漠に降り立った。顔に当たっていた風がなくなると、本当に暑い。

 武光と嶋田が遺した資料によると、スターフィッシュ・セカンダリー以外にも、遣いが記録を消しながら、物品が残ってしまった災厄があった。武光のように悪用される危険が拭えず、しかも人間社会は存在を忘れているため、それらをどうすることもできなくなっている。

 だから、僕と加那はそれらを処分することにした。

「入口は?」

「こちらです」

 武光は革の手袋を嵌めて砂を払った。そこから大きな金属製の扉が姿を現した。

「バギーからバールを取って来て貰えますか?」

「わかりました」

 黒草は砂を払い、僕はバギーの後部座席から三人分の荷物とバールを取り上げた。

「ありがとうございます」

 黒草が金属扉にバールを引っ掛けると、錆びた音と共に開いた。中は、下に向かって真っ暗な階段が延びている。

「本当にありましたね」

「これでも、真面目に調べたので。アメリカでの調査は勝手がわかりませんでしたが、学生時代、真面目に英語を勉強しておいて助かりましたよ」

 黒草はおどけながらヘッドランプを装着した。僕と加那も同じように着ける。

 この地下三百メートルには、五年前にばら撒かれた人造熱病ウィルスのサンプルが封印されている。資料には黒草の連絡先も記載されていて、僕は先輩をスポンサーにし、黒草を巻き込むことにした。記録消去のことを話す相手は最小限にしたいし、他の相手には頼めなかった。そもそも信じてもらえまい。

「さてさて、中はどうなっているのやら」

 僕はバックパックを背負い直す。念のため、様々な装備を入れている。

「直人君は私が絶対守るからね。レディーファーストで進むから」

「レディーファーストってそういう意味だっけ」

 女性を敬って男が道を譲るものでは。

「元を辿れば、男性を守るために女性が先に危険を冒すことだよ」

「本当に?」

「本当に。だからこれで合っているの」

 加那はずんずんと階段を降り始めた。僕はその後ろに、最後に黒草がついてくる。

「ああ、これだけやってようやく一件か。降りたくなってきますね」

 黒草の愚痴る声が場を和ませる。ここに来るまで一年かかった。

「降りるって、地下に?」

「仕事を」

「逃すわけないでしょう」

「ですよね」

「黒草さん、気づいています? 日本では今日から新年ですよ」

 アメリカはクリスマスの方が賑やかで、今日はごく普通の日という感じだった。

「そうですね。それで?」

 加那がくるりと振り向いた。僕と目が合い、にやりと笑う。

「「請けましておめでとうございます」」

 特大の溜息が聞こえた。

「ああ、俺もアメリカでのんびり暮らしてえなあ。ええ、ええ、稼がせてもらいますとも貧乏人ですから。今年もよろしくお願いします」

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スターフィッシュ・セカンダリー 佐伯僚佑 @SaeQ

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