スターフィッシュ・セカンダリー

佐伯僚佑

第1話 直人の恋人

 彼女はカタログの外からやってきた。

 手を繋いで見た夜空には、数えられる程度の星が瞬いていた。僕が昔住んでいた場所では人工の明かりがごく僅かで、夜になれば無数の星が見えたものだった。この街にいると、星はずいぶん貴重なものに思えてくる。

「夜空で一番明るいものは当然、月だ。次に明るいのが火星。金星や水星は位置的に太陽に近いから、夜明けや日没付近でしか見られない。木星と土星までいくと、見つけるのがちょっと大変だね。ここまでは衛星や惑星と呼ばれる星で、自分では光らない。太陽の光を反射しているだけなんだ。太陽みたいに自分が光る星は恒星といって、夜空の星のほぼ全部は恒星なんだよ」

「太陽って一つじゃないの?」

 僕の彼女、宮本加那の疑問は、僕にとっては常識でも、世間一般では当たり前の疑問だろう。星がどうして光っているのかなんて、日常生活では考えない。実は核融合で光っているんだ、と驚くべき真実を語っても、ふうん、という暖簾に腕押しなリアクションが返ってくることがせいぜいだ。

「太陽は一つだよ。恒星の一つなんだ。英語で言うとわかりやすいかも。恒星はスター。サンはスターの一つ。惑星はプラネット」

 加那は星に興味なんてないかもしれない。ただ、僕の好きなものを知ってほしかった。好きなものを教え合って、少しずつお互いを知っていって、そんな風に時間を共有したいのだ。

 ある日、僕は趣味の天体観測で知らない天体を見つけた。天体観測では、実は地球の周りを飛んでいる人工物が多く見つかる。長時間露光してシャッターを切ると、人工衛星の反射光が綺麗に弧を描いて写る。

 そんな風にして見つけた光。時刻と方角の情報を基に、僕はカタログから該当の人工衛星を探したが、これぞ、というものを見つけることはできなかった。

 とはいえ、不自然というほどではない。ロケットから分離したパーツや停止した人工衛星などのスペースデブリ、各国のスパイ衛星など、軌道が公表されていない人工天体なんて無数にある。

 大学の天体観測サークルの部室に行くと谷口先輩がいたので、それを話してみた。大したリアクションは得られなかったが、僕がSNSに投稿した画像は申し訳程度に見てくれた。

 まあ、さほど仲良くない後輩から天体観測あるあるを聞かされても、その程度しか反応できないだろう。それで僕も不満はない。

 何となく、僕にとって特別な日になった気がしただけだ。僕しか知らないものに出会えた。その素敵な事実だけで、もっと現実に目を凝らそうという気になれる。

 そして、それからきっかり一週間後、僕は加那と出会った。大学二年の後期が始まったばかりの昼休み、学部の友人と二人で食堂の順番待ちの列に並んでいると、すぐ後ろに並んでいた女子二人組の片方が僕の連れの知り合いで、お互いを見つけて話し込み始めたのだ。手持ち無沙汰になった僕と、同じように話し相手を失った加那は目が合った。

 第一印象は、綺麗な子だ、ということと、何をそんなに驚いているのか、ということだった。盛り上がっている話なんてそっちのけで僕の顔をまじまじと見つめ、顎に手を当てて僕に顔を寄せてきた。セミロングの髪に、化粧気が薄い肌、それでもわかる大きな目。服装はジーンズにパーカーという野暮ったさ。背が高く、目線がほとんど僕と変わらない。

「なんでしょうか」

 顔が整った女の子が至近距離で覗き込んでくるので、わずかに上半身を反らしながら聞いた。目の毒、というよりは薬だが、さすがに臆する。

 その子はしげしげといった様子で僕の全身を眺めて言った。

「あ、すいません。連絡先を教えてもらえませんか。あなたのことが気になります」

 僕の連れも加那の連れも話を止め、あんぐりと口を開けて視線を集めた。僕は言われるがまま、「あ、はい」と間抜けな声を出すことしかできなかった。これはどういう意味だろう、と思う間もなく、連れたちが騒ぎ始めた。どうして直人なんかだとか、あんた男に興味あったんだねだとか。

 どうにも僕たちは互いの連れから酷い言われようだったらしいのだが、僕はそれどころではなかった。加那はスマートフォンを抜いて、早く教えろと暗に急かしてくる。気づいたときには、僕の端末に彼女の連絡先が保存されていた。

 その後流れで昼食を共にしたのだが、加那はずっと僕に視線を送ってきて、僕も無視するわけにいかず、ずっと目を合わせることになった。昼休みが終わる頃には彼女のことを忘れられなくなっていたし、加那が僕の部屋に泊まるようになるまで半月もかからなかった。

 一体どうして僕のことを気に入ってくれたのか問うと、匂いが好きだから、と真面目な顔で言われ、どう喜べばいいのか困ってしまった。それに嘘はないらしく、加那は隙があれば僕に鼻をくっつけて抱きついてきた。匂いが好きだという感覚は正直理解できないし、服の洗剤か柔軟剤の匂いなのではと思いもするけれど、抱きつかれればそんなことはどうでもよかった。僕も抱きしめ返すだけである。

 流れ星に願いを込めた覚えはないが、僕には、カタログに載っていない天体を見つけたことが吉兆だったのだと思えてならない。

「そんな経緯だったから、加那は宇宙からの贈り物みたいでさ。……それはちょっと幼稚かな」

 そんな先月のことを思い返して感極まり、浮かれた僕はつい臭いことを言ってしまった。そしてすぐに後悔した。将来、まだ付き合いが続いていることを願うが、もしも加那が覚えていたら、からかわれるに決まっている。

「素敵な言い回しだけど、残念ながら私は生身の女だよ。親も兄妹もいるし、汚い部分もたくさんある」

 気持ち悪い、と言われなかったことに安堵した。気を遣ってくれたのかもしれない。

「でも、星からの贈り物だと言うなら、直人君の方が、私にとっては神様からの贈り物みたいに思えるんだけどね」

「大袈裟だよ」

 僕の冴えない人生において、そんな風に喩えられたことがあっただろうか。覚えている限り、宇宙バカや、宇宙オタク程度が精々だったと思う。

 神様からの贈り物、だなんて。

 加那は首を振った。

「私は、自分が他人に恋愛感情を抱けるなんて思っていなかったの。一生、縁がないと思っていた。友達にはなれる。チームメイトだってなれる。同居も、うん、我慢すればなんとかなったかな。でも、恋愛感情だけは無理だった。直人君に会うまで、こんな風に男の子と手を繋げる自分を想像できなかった」

 僕の左手を握る加那の右手に、少しだけ力が込められた。それが嬉しくて握り返す。

「今だから聞けるけど、加那、一目惚れだったでしょ」

「うん。さすがにわかるよね」

 照れたように笑う加那は本当に可愛い。唇から見える八重歯が個人的にはチャームポイント。こんな子が僕のことを好きで、望んで近くにいてくれる。冗談抜きで、今が僕の黄金期かもしれない。

「必死だったよ。引かれるかもしれないとは思ったけど、あのまま別れたら二度と会えないかもしれなかったし、なんとしても連絡先を教えてもらわなきゃと思って。強引だったね」

 お恥ずかしい、と顔を伏せるが、全然恥ずかしくなんかない。その即断即決の行動力は見習うべきだし、僕に決定的に足りないものだ。

「いや、あれくらいしてくれないと、僕からは動けなかったと思う。加那から来てくれて、本当に嬉しかったよ」

 連絡先を交換した日の夜からメッセージをやり取りした。鈍い僕でも、さすがに自分に気があるようだと察することができ、あとはスムーズなものだった。

「自分で言うのも何だけど、加那には僕よりいい男がたくさん言い寄って来そうなのに、どうして僕だったの。卑屈になっているわけじゃなくてさ、普通に疑問」

 加那は、僕と繋いでいる右手を顔の前に上げた。僕の左手の甲が上を向く。

「こうすることができる相手だから」

 そう言って、加那は僕の手に唇をつけた。軽く、一秒にも満たない間、濡れた感触が僕の手に伝う。

「他の人なら無理だよ」

 子供のような顔で笑って腕を組んできた。相変わらず僕にその意味も感覚もわからないが、どうでもよくなって、幸せだけを感じることにした。

 僕はスマートフォンを取り出して、星座図のアプリを起動した。カメラを向けた方角にある星座や天体の名前を表示してくれる、ミニチュアプラネタリウムのようなものだ。

「太陽以外の恒星で、夜空で一番明るいのはシリウス」

 僕たちは身を寄せて小さな画面を覗き込む。加那の髪からいい匂いが漂ってきた。

「夏の大三角、スバル、オリオン座に北斗七星。あ、そうだ、天の川って見たことあるかな」

「天の川って、織姫と彦星のあれだよね。実在するの?」

「あるよ。本当は、探すまでもなく巨大なものなんだ。でも、明かりが多い街中だと見えない。暗い星の集まりなんだよ」

「そうなんだね」

「旅行に行こうよ。流星群に合わせて星空が綺麗なところに行ってさ、天の川を背景に流れ星を探そう」

 画面から加那の顔に目を移すと、加那の目が潤んでいた。慌てたように顔を背け、目元を拭っているのがわかった。

「どうしたの」

 僕は、何か傷つけるようなことを言ってしまっただろうか。流星群が壊滅的につまらなさそうだっただろうか。それなら、アパートのベランダからお酒片手に眺めるのだって悪くないと思う。

「ごめんね。こんなに幸せでいいのかなって思って」

 一瞬、言葉に詰まった。僕も毎日のように思っていることだったから。他人から見れば自明でも、自分のことは案外わからない。多分、天の川みたいに、巨大だけど、はっきり見るのは難しいものなのだろう。

「いいに決まっている」

 即断即決は苦手とするところだけれど、考えるまでもないことはある。迷わず言い切るべきときも、ある。今回は少し迷ってしまった。加那のためにも精進しよう。

「まだまだ、もっと楽しいことをしようよ。加那のこと、もっと幸せにしたい。それと、僕のことも、できれば幸せにしてほしい」

 加那の顔をこちらに向けさせ、指で涙を拭いた。見つめ合った僕らはゆっくりと近づき、世界は昼間のように明るくなった。

 ……昼間のように?

 今は夜だぞ。

 顔を上げると、光は天から降り注いでいた。満月よりも遥かに強力な光を放つ星が、大学があるこの街全体を、街灯なんていらないくらいに煌々と照らし出していた。俄かに騒々しくなり、辺りのアパートから住人が顔を出し始める。

 咄嗟にスマートフォンのカメラを向けてシャッターを切った。何枚か撮って、時刻を確認する。夜の十一時十三分。

 ヘリコプターや航空機のエンジン音は無い。光源も動かない。人工的な灯りではない。

 心当たりは一つだけある。宇宙バカで良かった。

「ベテルギウスが、超新星爆発をしたんだ」

 ひゃっほう、と声を上げて思わず飛び上がってしまった。

 加那は気味の悪いものを見る目で、空の超新星を睨みつけていた。

 この子には昼よりも夜の方が似合うな、と場違いな考えが頭をよぎった。


    ◇


 約二分間観測された、ベテルギウスという名の恒星の爆発的な増光現象は、アジアを中心に各地で撮影され、写真や動画がインターネットに上げられた。テレビ局は物理学者を招き、昨夜の現象について質問している。コメンテーターや視聴者のうち、どれほどが理解できているのだろう。

 加那もその一人で、コーヒーを片手に、口をへの字にして専門家の解説を聞いている。

「直人君は物理学科だったよね。意味わかる?」

 僕は待っていましたとばかりに振り向いた。

「わかるよ。昨日見たあれは、超新星爆発だ。それ以外に、あれだけの光量を発する自然現象は存在しない。間違いないよ」

「ちょうし……?」

「超新星爆発。簡単に言うと、太陽のように自分で光る天体が、死ぬときに起こす大爆発のことだ。正確には太陽の何倍か重い星だけど。前々からベテルギウスという星はもうすぐ寿命だと言われていたんだよ。いやあ、僕が生きているうちに爆発してほしいとは思っていたけど、その歴史的瞬間に立ち会えるなんて、ラッキー、いや、最高だな」

 ついつい自分の得意分野の話題で早口になってしまう。わかっているけど止められない。

「だけど、想定とは全然違う様子の爆発だったんだ。理論予測では、一度爆発したら、数日から一か月くらいはかなり眩しく光るはずなんだよね。でも、実際はたったの二分で光は元に戻った。今も世界中の天文台が観測しているはずだけど、増光したことが嘘みたいに大人しくしているらしいよ。そもそも、ベテルギウスが爆発するまで、まだ数万年はかかるというのが、天文物理学界の常識だったし」

「そうは言っても、爆発しちゃったじゃん」

「そう、それなんだ。何かあるんだ。人類がまだ知らない何かが」

 科学は、理論と実測の違いによってブレイクスルーを起こす。そこに未知の原理や法則があるからだ。間違いなく、今回の観測結果は天文物理学の革命を招く。

「どこかの天文台がベテルギウスにレンズを向けていたらいいのだけどね。何せたったの二分間だから、報せを受けて望遠鏡を向けてもきっと間に合っていない」

 なおも喧々諤々と何かを言っているテレビを切って、僕たちは家を出た。今日は同じ時刻から講義があるので、一緒に行く。

 スマートフォンが震えた。天体観測サークルのグループチャットは昨夜から大賑わいで、インターネットに現れる情報を正誤の区別なく流してくる。

「昨日の爆発は、ただの予兆かもしれない。次が本命で、それはもっとすごいかも」

 超新星爆発が二段階で進むという話は聞いたことがないが、何せ現代社会で、これほど間近の超新星爆発を観測できるのは初めてだ。何が起こってもおかしくない。

「夜が明るいと、体がおかしくなりそう」

「大丈夫だよ。あんなに明るい時間は長く続かないから。せいぜい、満月が一つ増えるくらい明るくなるだけだよ」

「そっか。良かった。夜が明るいと不便だからね」

 加那のセミロングの黒髪が風に揺れる。

「不便? 明るい方が、道がよく見えて便利じゃない?」

「見えすぎると困るものって、あるでしょ」

 悪戯っぽく笑う顔を見て、そんなものかと納得してしまった。正しくは、人目を気にせず抱き寄せたくなった気持ちを抑えるために脳を使っていたので話が続けられなかった。

「そういうことも、あるかもね」

 なんとか言葉を捻りだして、マンションの敷地を踏み出した。


     ◇


 理学部A棟を出るとき、僕は決まった出口から出るようにしている。廊下を薄暗い方向に進み、アルミ製のドアに近づくと、馴染みのある声が聞こえてきた。

「それでいうと、昨夜ベテルギウスが超新星爆発を起こしたのは、充分あり得たことだったのでしょうか」

 村上先輩の声だった。タイミングがいい。

「どうだろうな。私は専門じゃないから」

「灰山さんって、宇宙物理学の人ですよね。専門でしょう」

 ドアを開く。思った通り、そこにいたのは村上先輩と灰山さんだった。

「違うよ。それは天文物理か宇宙論の奴らの領域だ。私は、もっと近い宇宙が専門なんだ。太陽とか地球とか、火星とか。まあでも、聞いた話じゃ、超新星爆発が起こるとは、全く予想されていなかったみたいだぞ」

 ここは屋外の喫煙所に隣接した出口だ。空調がないにも拘わらず、喫煙者たちは根気強く煙草を吸いに来る。そしてこの二人は、喫煙者がどんどん減る世相に負けず喫煙を常習する、ここの常連だった。

 先輩と灰山さんがこちらに目を遣り、灰山さんは無言で手を挙げた。先輩は「おう、直人」と短く声を掛けてくれる。

「こんにちは。面白い話をしていますね」

 僕と村上先輩は灰山さん、と親しみを込めて呼んでいるが、この人は特任助教授だ。本名は灰山里奈。正確な年齢は知らないが、僕の十歳くらい上の立派な大人の女性である。

 僕は煙草を吸わないが、この二人が頻繁に出没するので、この出口を使う習慣になっている。

「どういう話をしていたんですか」

「ええと、陰山は物理学科だったな。ベテルギウスの中にはまだまだ水素やヘリウムがあったことがわかっている。それはつまり、燃料があるってことなんだが、燃料があるうちは、星は死なない。増光現象は超新星爆発ではなかったんじゃないか、という話だ」

 灰山さんは僕こと、物理学科二年生、陰山直人のレベルに合わせ、眠そうな目で煙を吐きながら解説してくれた。

「超新星爆発が起これば星は粉々に砕け散る。その後も安定して光ることはできない。今もベテルギウスの光は見えているのだから、砕け散ったとは思えない」

「たしかにそうですね」

 専門外と言いつつ、気にはしているようだ。物理学を生業とする人で、今回の事件を無視できる人はさすがにいない。

「灰山さん、僕、増光現象のとき外にいたんですよ。すっごい眩しかったです」

「そうか。私はちょうど風呂に入っていて見られなかったんだ。非常にもったいない。どんな色だった」

「色? 白、ですかね。そういえば、何色と言うのがふさわしいんだろう」

 スマートフォンを抜いて写真を探す。SNS上には山ほど写真が上がっているだろうが、ちょっと自慢したかった。

「灰山さん、色がどうしたんですか」

 フォルダを漁る僕を横目に、村上先輩と灰山さんは話す。

「大したことじゃないんだが、色、つまり光の周波数だな、それによって物理的な性質を明らかにしていくのが天文学の基本だから」

 先輩がふんふんと頷くのは見えたが、僕には灰山さんが言うことの半分くらいしかわからなかった。

「ありました、これです」

 意外に時間がかかったが、写真を見つけられた。先輩が受け取り、灰山さんと二人で覗き込む。

「白いな」

「白ですね」

 二人同時に答えを出した。

「これだけじゃあな」

 灰山さんが肩をすくめる。先輩はまだ写真を見ている。

「駄目ですか」

「天文望遠鏡が必要とされるのは、それだけの理由があるからだよ。昨今のカメラは優秀だが、用途が違う。光を周波数分解したり、時間的な変化を調べたりな。そもそも可視光だけでは足りないのが実際だ。超新星爆発なら、できることならX線やガンマ線で見た情報が欲しい。ま、携帯カメラに求めることではないがな。ただ、少なくとも赤じゃなかった」

「赤だと何か違うんですか?」

 灰山さんは頷き、非喫煙者の僕を気遣って下向きに煙を吐いた。

「スターフィッシュって知っているか」

 先輩が僕の前にスマートフォンを差し出した。受け取ってポケットにしまう。その間、おぼろげな受験生時代の記憶を掘り起こした。

「ヒトデでしたっけ」

 先輩はニヤリと笑った。

「あの細長い体の、空を飛ぶ未確認生物ですね」

 なんだそれ。

「陰山が正解。村上が言っているのはスカイフィッシュだ。お前の歳でどうして知っている。流行った時代、生まれる結構前だろ。スターフィッシュというのは、直訳するとヒトデ。星型の魚だから、スターフィッシュ」

 先輩はボケを考えていたらしい。どうりで僕よりも答えるのが遅れたわけだ。

「あれ、魚なんですか」

 ふと気になってしまった。

「ウニの仲間だ」

 先輩が即答で返す。

「え、ウニってカニの仲間じゃないんですか」

「ウニがカニに見えるのか?」

「言われてみれば、たしかに。でも、どっちもミソ食べるでしょ」

「ウニのミソは卵巣で、カニのミソは肝臓だ」

「肝臓だったんですか、あれ」

 先輩と話していると発見が尽きない。カニのフォアグラという新商品が頭に浮かんだ。

「ヒトデは直接関係なくてな、スターフィッシュ計画という、ロケットを打ち上げる実験があったんだ」

 灰山さんの言葉に、はた、と僕と先輩の目が合い、意識を海産物から大宇宙に戻す。

「ヒトデ計画、ですか」

 直訳してみたが、間抜けに聞こえる。浅瀬でチャプチャプしていそうだ。

「衛星軌道で核爆弾を起爆する実験だよ」

 灰山さんが言い終わった途端、頭痛がして目を歪めてしまった。先輩も目が険しくなっている。

 浅瀬で水遊びなんてとんでもない。そんなことをしたら何が起こるんだ。

 先輩が珍しく言い淀んだ。何度か口を開けては閉じ、目線が彷徨う。

「何ですか、それ」

「スターフィッシュ・プライム実験。米ソ冷戦時代、アメリカが行った核兵器実験の一つだ。衛星軌道で核爆発が起こったとき、地球にどんな影響を及ぼすのか、実際にやって調べたんだ」

「それは、許されることなんですか」

「今なら絶対に許されないな」

 人工衛星が周回する軌道で核爆発を起こす。近くを飛んでいる衛星は蒸発してしまうのではないだろうか。そうでなくても、太陽光発電パネルやセンサーが焼けついたっておかしくない。

「陰山は電磁気学を履修しているだろ。核爆弾は大量のプラズマを生み出す。それは電流も発生させて、電流は磁場を生み出す。高高度で発生した超強力な磁場は地表に届き、金属内に強制的に電流を生み出す。中学校でも習う電磁誘導という現象を超大規模で発生させるようなものだ。

 実験はハワイ上空で行われた。その結果、通信障害が起こり、ニュージーランドでオーロラまで観測された。人工衛星は三分の一が故障。その後数十年、地球磁気圏に影響が残ったと言われている。つまり、当時の科学者も驚くような被害と影響だったわけだ。

 今ほど近代化が進んでいない社会で、かつ太平洋上での爆発でその被害だったわけだから、爆弾の規模にもよるが、現代の都市部上空で同じことをやったら送電網、通信網が死んでインフラが停止する。さらに、電子機器が軒並み壊れる。特に人工衛星はとんでもない被害になるな。悪ければ何百、何千人も死ぬ大人災になる。そんなことを、当時、ソ連と絶賛競争中だったアメリカは行ったんだ。それがスターフィッシュ・プライム」

 頭痛が収まってきた。ここ日本に暮らしていると核兵器と聞くだけで嫌悪感を抱くが、例に漏れず、なかなかに悪辣な実験だったようだ。とはいえ、そこで科学の進歩があったであろうことは否めない。失敗と反省で人類は進んでいく。

「ヒトデ実験がどうしたんですか。今回の増光現象と何の関係があると」

 先輩が電子タバコを消した。加熱器をしまう。

「地球の上層大気圏で核爆発を起こせば、今回のようなことになると思ったんだ。だが、外れだな。スターフィッシュ・プライムでは、巨大な火球が発生し、オーロラで空が赤く染まったと言われている。今回のような白じゃない。通信障害一つ起きていないことを思えば、最初から明らかなことだったが」

「灰山さんは、ベテルギウスと同じ方角で起きた、超新星爆発とは別の現象だと予想している、ということですね」

「まあな。だっておかしいだろう。タイミングも、元の明るさに戻ったことも。超新星爆発だとしたら、爆弾が大爆発した後、本体が無傷だった、みたいな話だぞ。ベテルギウスの真後ろに別の星があって、それが超新星爆発を起こしたとか、多分そういうことだよ」

「真後ろにあったら見えないんじゃないですか」

 先輩の直感はもっともだが、僕はそれに反論することができた。

「重力レンズという現象があります。恒星クラスの質量があれば光は曲がるし、実際に観測もされています」

 質量が重い物体の向こう側が見える現象、それが重力レンズだ。普段は気づきにくいが、実は太陽だって周辺の光を曲げている。

 灰山さんが我が意を得たりと僕に人差し指を振った。

「あれがどういう理屈で光ったのか、私にはわからないが、専門の連中がすぐにそれらしい仮説を立てるさ。私たちはそれを見て、正しそうだとか無理筋だとか、好きに言えばいい。専門外の特権だね」

 灰山さんは煙草をもみ消した。背をもたれていた外壁から離れ、髪をかき上げる。怠そうな目でするその仕草は妙に色っぽい。

「今後の発表に期待ってことで。それじゃ、私は専門に戻る」

 そう言って、灰山さんは仕事に戻っていった。

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スターフィッシュ・セカンダリー 佐伯僚佑 @SaeQ

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