第2話 黒草の副業

 お星様に思いを馳せて、だなんて、幼稚園児でもあるまいに。

 俺は一枚の画像を思い返した。やけに明るい星の画像。たしかに天体ショーとしては派手だし驚いたが、それで俺たちの生活に影響があったわけではない。俺のように甲斐甲斐しく働く社会人にとっては、テレビ特番や、好きなブランドがセールになった程度の非日常感だ。

 昨日、突然一つの星がとんでもなく明るく輝いた。そのとき俺は仕事が一区切りついた直後で、多めに酒を呑んで夜道を帰っていた。酔っていたせいで頭が鈍くなったと言い訳しておくが、最初に連想したことはサーチライトだった。警察に追い詰められた犯人が、サーチライトで照らされ、大勢の警官とパトカーに囲まれている様子。

 ああ、俺も遂にお縄か、と諦め半分、冗談半分な気持ちで顔を上げると、光源はたった一つ、それもお星様だった。

「飲み過ぎたな」

 これは夢か。俺はきっと居酒屋で居眠りしてしまった。早く起きないと終電を逃してしまう。

 パンパンと顔を叩くと、鈍い痛みが頬に流れた。あまり夢らしくない。どっちとも判断できないでいると、周辺の民家やアパートの窓から、続々と人が顔を出し始めた。玄関から飛び出てくる人もいる。そこでようやく、夢ではないと確信した。

 じゃあ、あれは何だ。周りから「UFOだ」という声が聞こえた。なるほど、あれがかの有名な。宇宙人なんてまるきり信じていなかったが、SF小説は学生時代に少し読んだ。なんということだ、地球外生命体との接触が、今日この日に始まってしまうのか。趣味程度に持っている株を、売るかどうか悩みどころ。

 酔っていたこともあって知らず小躍りしていたが、百秒くらいで光は弱まり、俺も気持ちが落ち着いた。二度目の発光がないとわかると急速に気持ちは冷め、俺はお祭り騒ぎになっている周辺住民から逃げるように帰宅した。

翌朝のニュースで物理学者が、「ベ」で始まる、なんとかという星が死に際に爆発した可能性が高いと言っていた。門外漢なのでさっぱりだが、わかったこともある。

 宇宙人は来なかった。

 がっかりしたような、これまでと同じ日常が続くことに安心したような。世界の変化に晒されてダメージを負うのは、いつだって社会の底辺に生きる人間だ。副業で探偵をやっている俺だって、不景気は大敵なわけで、どちらかと言えば安心した。

 まあ、本業の方は、比較的景気に左右されない、安定したハイリスクハイリターンな職業なのだけれど。怖いのは不景気よりも老いと病気。

 さて、このくらいでは大人の生活は止まらない。俺は新しい依頼を請けに、ある富豪の家に赴いた。安居酒屋で知り合ったお金持ちにどういうわけか気に入られ、たびたび依頼を寄越してもらえるようになった。つまり常連、上客である。

 彼自身もある程度の情報網を持っているようで、初めて屋敷に呼ばれたとき、既に俺の素性を暴かれていた。探偵を探偵する、お抱えの探偵がいるらしい。

 ならばそいつに依頼をすればいいのにとも思ったのだが、理由はすぐにわかった。依頼の量が多い。一人や二人のお抱え探偵では到底まかない切れない仕事量なのだ。俺には俺に合った仕事が振られてくるが、おそらく、コンピュータに強いハッカーや、色落とし専門のハニートラッパー、政府関係に強い記者など、多様な調査員を囲っていると思われる。俺が見ているものは氷山の一角にすぎない。

 そのお金持ち、武光圭たけみつけいは、御年六二歳ながら、背筋が伸び、眼光鋭く、強靭な足腰で毎朝十キロ走っているハイパー爺さんだ。今日も今日とて、世界にその触手を伸ばして何かを企んでいる。

「黒草、呼び立てて済まないな」

「いえいえ、上客のお呼びとあらばいつでも来ますよ」

 俺が通されたのはジムスペースで、武光は洒落たトレーニングウェアでベンチプレスを上げていた。執事の男が紅茶を淹れてくれて、俺は汗の匂いがしない清潔なトレーニングルームでティータイムを味わわせていただく。

 一セット終わったらしく、黒草は汗を拭きながら起き上がり、水を口に含んだ。さすがに二百キロを上げているわけではないだろうと思って重りを数えたが、途中で寒気がしてやめた。俺より筋力あるぞ、この人。

「このアカウントの持ち主を探してほしい」

 武光が指を振ると、執事がタブレット端末を俺に差し出した。画面にはSNSに投稿された一枚の画像。

「これ、なんとかって星が爆発したときの写真ですか」

「ほう、わかるか。さすがだな」

 武光は鼻の高い顔をタオルで拭いた。父親がアメリカ人だと聞いている。武光自身も色白で背が高い。

「偶然そのとき外にいて、丁度目撃したものですから」

 酒のせいで記憶は曖昧だが、簡単には忘れられない出来事だった。

「ベテルギウスだ」

「ベ、ベテ?」

「ベテルギウス」

「ベテンギア……いえ、いいです。後で練習します」

 耳慣れない。そういえば、SF小説を読まなくなった理由は、カタカナの固有名詞が苦手だからだった。英語はともかく、ギリシャ語やロシア語になると全く頭に入って来ない。

 気を取り直してタブレットの画面を見る。

「どうしてこの写真を? 言っちゃなんですが、このときの写真は山ほど出回っているでしょう」

 俺も職業柄、いくつかのSNSにアカウントを持っている。基本的に見るだけだが、悪用するには悪くないツールだ。

「写真は問題じゃない。そのアカウントの持ち主を見つけろ。そして素性を暴け」

「……承知しました」

 素性を暴いてどうするのか知らないが、俺がいま触れることではない。この依頼主の真意なんて、考えてもわからないことはわかっている。

 執事と、もはや形式的になった契約書を交わし、俺は帰宅途中から早速動き始めた。昨今のSNSはプライバシーなんてどこ吹く風。投稿する内容やフォローしている相手、メッセージのやり取りを繋いでいけば簡単な素性までわかることも多い。一歩も足を使わずできる、探偵未満の調査だ。案の定、アカウントの持ち主を特定することは容易だった。所要時間はたったの二時間。

「谷口雪雄、M大学の三年生。天体観測サークルの会員、と」

 顔もわかった。眼鏡をかけ、丸っこい顔の地味な、どこにでもいる大学生という感じだ。特徴が無さすぎて覚えにくい。

 これ以上は家にいても仕方ない。天体観測サークルとやらの部室の場所はホームページに載っていた。簡単に顔を拝めるだろう。


     ◇


 それからの二週間、俺はせっせと探偵に勤しんだ。天体観測サークルの部室の前で張り込み、谷口を尾行し、住所を特定した。忍び込んで隠しカメラとマイクを設置する。周辺の人間関係を把握し、親しい数人の住所と名前も特定できた。ついでに谷口の生まれ故郷へ赴き、関係者を装って生家、母校、所属していた部活まで突き止めた。探偵を始めて数年、我ながら上手くなったものだと思う。コツは堂々としていること。必死さを見せると警戒される。別のことのついでに聞いていますよ、という雰囲気と話の運び方をすれば、聞き出せる情報は多い。

 宗教勧誘を受ければ誰しも警戒するが、ついでのように最寄りのコンビニを聞かれれば答えてしまうようなものだ。人間という生き物は、問われると答えたくなってしまう便利な性質を持っている。

 実家の裏取りまで終えた後、俺は谷口のアパートに仕掛けたマイクとカメラを回収した。一度目はピッキングで部屋に入ったが、その際にスペアキーの型が取れたので、二度目以降はほとんどフリーパスである。金庫破りでもしないのであれば、鍵開けの技術は誰でも会得できる。あとは、金を払えば誠意を見せてくれる手先の器用な協力者がいれば、大抵のことは何とかなる。

 その日も協力者に作ってもらった鍵で難なく施錠し、谷口のアパートを後にした。武光は報酬を渋らないので、こちらも使える物品が多い。どんな依頼人も武光のように豪気であれば助かるのだが。

 さて、谷口の素性はあらかたわかった。二一歳。M大学工学部情報科学科の三年生。恋人なし、同居人なし、ペットもなし。実家は遥か遠方の新潟県。天体観測サークルに所属し、だいたい二日に一度は部室に顔を出す。趣味は天体観測と漫画を読むこと。部屋には野球ものの漫画がずらりと並んでいた。

 頻繁に連絡を取り合う友人は三人いる。いずれもサークルのメンバーで、同い年の男ばかり。俺が大学生のときはもう少し異性と交流があったものだが、いつの時代もこういうタイプはいる。

 家族は公務員の母親と、自動車販売営業をしている父親。姉が一人いて、大阪で働いている。

 帰宅し、回収したカメラのデータを確認しながら考える。この目立たない大学生を、武光はなぜ調べさせたのだろう。経歴も人間関係も、ありふれた大学生としか思えない。

 武光の依頼は、ほとんどがこうなる。調べたものの、何が琴線に触れたのか最後までわからない人物ばかり調査を依頼される。数少ない例外も、理由を推測できるだけで確証を得られたことはない。探偵とは依頼をこなせばよいものだし、武光は俺の仕事に満足しているから何度も依頼しているはずなので、調査自体に問題はないと思う。それでも釈然としないものは釈然としない。

 武光の邸宅に電話すると、執事が取った。調査が終わったと伝えると、明日来るように言われた。

 お金持ちはせっかちだな、とごちて、報告書を急いでまとめていく。


     ◇


 翌日、武光に報告書を渡して説明すると、報酬と一緒に次の依頼が下された。景気のいいことで。

「谷口雪雄についてはわかった。お前がそう言うのであれば、問題はないのだろう」

「あなたが懸念していることがわからないので、あくまで私の見解ということになりますが」

 ほんの少しの皮肉を混ぜておく。武光は俺の言葉を黙殺した。人生の格が違いすぎて、相手にすらしてもらえない。突っかかった自分が子供みたいで自嘲が零れた。俺ももう四十歳に手がかかるというのに。

「黒草、お前、SNSはやっているか」

「ええ、まあ。仕事に役立つことも多いですし」

「谷口雪雄のアカウントを見てみろ」

 言われるがまま、スマートフォンを抜いて操作する。どうでもいいことだが、武光は全く時代に置いていかれていない。今も動画配信サイトで筋トレ指南の動画を見ながらダンベルを上げ下げしている。

「見ましたが、これがどうしましたか」

「依頼したとき見せた写真を覚えているか」

「そりゃあ、もちろん。ベテ、ベテ、ベ……あの星が爆発したときの画像ですよね」

 言う練習をしていなかったことがバレた。何だっけ、ベテルギアソリッド?

「探してみろ」

 意図がわからず、谷口の投稿を遡っていく。長くても一か月と少し以内の投稿のはずだ。スクロールしていくとすぐに見つかった。

「あれ。画像が見られませんね」

 問題の投稿は、他人の投稿を参照したものだった。そして、参照元が画像を削除したらしく、今は『画像が表示できません』となっている。

「元になった投稿は別にある。次は、そちらのアカウントの持ち主を調べてくれ」

「承知しました」

 小さな手掛かりが得られた気がした。もちろんおくびにも出さずその場は辞去したが、帰り道、頭の中で釣り針を垂らすような感覚が俺を昂らせた。なぞなぞの、考える方針が見えたときのような、もう一捻りしたらパズルのピースが嵌まる予感。

 電車に揺られ、外の景色が飛んでいく。武光について重要なことは、谷口雪雄ではなかった。あの日、星の爆発を見た者を調べている? それは数が多すぎる。ならば、写真に収めた者を調べている? 一体何百人いるのか。さすがの武光でも、それだけの人数を調べようと思ったら調査員がどれだけいても足りまい。

 そもそも、初めから投稿元のアカウントを調べればよかったのに、なぜ引用した谷口から調べさせたのか。

 何か、まだ俺が気づいていない理由があるのだ。それがきっと、武光が本当に調べていることに繋がっている。そしてこれは確信寄りの直感だが、武光は俺にその理由を隠している。いつか全容がわかる日が来るのだろうか。

 ユビキタス社会(こんな言葉を使っている時点で、俺は既に時代に取り残されそうになっている)の恩恵は、電車内でも仕事ができることだ。休む間もない。谷口が参照した画像を投稿したアカウントへ飛ぶ。アカウント名『meatburger0123210』。肉バーガー。

 ううむ、食の好みは合いそうだが、個人名には繋がりそうにない。

投稿は、天体観測についてばかりだった。夜空の写真がずらりと並び、俺には理解できない単語が並んでいる。

 文体から、なんとなく男である気がした。わかるのはそれだけだ。誕生日も、住所に繋がる情報も載っていない。谷口雪雄は一日何件も、多い日は十件以上投稿していたが、このアカウントは非常に静かだ。数日に一回投稿しているかどうか。

「困ったな」

 相互にフォローしているアカウントも、同好の士というのか、同じく天体観測趣味のアカウントばかりだし、現実で誰かと会っている様子もない。SNSから個人情報が漏れたり特定されたりということは頻繁にあるが、当然、使用者が注意深く運用すれば身元は隠せる。

 自宅の最寄り駅で降りて、ぶらぶらと歩きながら打てる手を考えた。武光から受け取った現金をATMに突っ込むころには溜息と共に答えが出ていた。

あまりやりたくないが、これも仕事だ。仕方ない。

 一時間後、俺は女になった。嘘だ。比喩だ。

 新しくツイッターのアカウントを作る。適当に三十人ほどフォローし、一年くらい使っているような雰囲気を醸し出す。さらに、インターネット上に無限に溢れている写真から、無個性に可愛い女子のものを拝借、自分のアイコンとした。

 言うまでもなく、肉バーガーを釣り上げるための餌である。

 実際に会う必要はない。やり取りをして、住所や勤務先などの情報を引き出せればいい。経験上、男のアカウントに女性を名乗るアカウントからダイレクトメッセージが飛べば、高確率でやり取りできる。あとは礼儀正しく、機械的にならないように、そして相手の男を喜ばせながら会話を続ける。

 若い頃の自分はもっとクールな人間だったと思う。この歳になって「この前上げていらっしゃった写真、とっても格好良かったです♡」と真面目な顔で文面を作っていると知ったら泣くだろう。

 何事も慣れと諦めが肝心だ。副業で探偵を始めると決めたときから、俺は少しずつ色々なものを諦めている。諦めるたびに生きるのが楽になっていくのだから、きっとプライドと生きやすさは反比例するのだろう。

 さて、肉バーガーが男と仮定して、どんな男だろう。年齢によって気に入られる文面は違う。話題の選び方、距離感、その他諸々。

 一般的な社会人が向いていなくてこんな仕事をしているのに、一般的な人間の感性を推測して事に当たることが増えてしまったのだから、まったく、人生はままならない。

 どうせ正確なことはわからないので、谷口と同年代だと思うことにした。フォロワーが少ないアカウントは、大抵が顔見知り間でのやり取りに終始する。きっと大きく外しはしない。

『初めまして。どれもとても素敵な写真ですね。何の望遠鏡を使っていますか?』

 無難すぎるだろうか。これで釣れるだろうか。俺は送信ボタンを気楽に押した。

 数日後。

 消沈した。

 朝起きてスマートフォンの通知を確認することが習慣になっているが、「肉バーガー」からの返信はない。完全なる無視だ。たまに投稿はしているため、メッセージを確認しているはずなのだが、リアクションの気配すらない。作戦を切り替えたものか、悩む。

 断るならはっきり断ってほしいな。

 字面だけ見れば考えていることが女子高生のようで空しくなった。気合を入れてベッドから飛び出し、朝食を作ることにする。

 女性と偽って接触する作戦はどうも上手くなさそうだ。何度かアカウントを変えたり、文面を変えたりしても全く釣られない。

こいつ、本当は女なのでは? ……充分あり得るな。

男を装った女、SNS上ではそれも可能だ。女だとわかると、分別なく声を掛ける男はいる。そういった手合いを避けたいタイプなら、男を装うこともあるだろう。

一度考えが至ると、後悔が襲ってきた。これまでの調査対象にそうした人物がいなかったとはいえ、俺自身が性別を偽っているのに相手は正直だと考えたのは迂闊すぎる。何のために若い女性向けの雑誌を買って流行の言葉遣いを勉強したのか。部屋に積んである雑誌の山、どうするんだよ。化粧のテクニックに無駄に詳しくなってしまったぞ。付録のポーチはネットで売るか。

「肉バーガー」の投稿は徹底して天体観測についてのみで、コンビニや飲食店の一軒も出てこない。身元がバレると困る事情でも抱えているかのようだ。一度、知り合いに夜空の写真から撮影位置を特定できないか聞いてみたが、正確な時刻とカメラが向いている正確な方角がわかってようやく都市を特定できる程度の可能性だと返された。実質、不可能。

こうなると、手掛かりは本格的に谷口雪雄だけとなってしまう。

 もっと魅力的な女を目指すか、魅力的な探偵を目指して体を使うか、三十代後半男の悩める夜は更けていく。

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