第11話 直人と遣い
アパートで僕の話を聞いた先輩は、僕を乗せて迷うことなくビッグスクーターを走らせた。道中、背中にしがみつく僕に叫ぶように言う。
「俺は武光圭の養子だ」
「はあ?」
「五年くらい前になるか。身寄りがなくなった俺を養子にし、大学に行かせてくれた。歳が離れているからじいさんと呼んでいる。それにしても、色々やっていると思っていたが、まさか核爆弾の乗っ取りなんてことを企んでいたとはな」
「養子って、本当なんですか」
十二月の夜は寒くて、先輩の背中にしがみついているだけでも大変だったし、その最中に会話するのはもっと大変だった。
「縁と言ったそうだな、じいさんは。直人と俺が知り合いなのは偶然じゃない。直人が目撃者として適任であることはたしかだが、宮本と、さらに自分の養子と親しい者であったという縁に、言ってしまえば運命を感じたんだ。俺を養子にしたときもそうだった。養子の話を持ち掛けられたことが切っ掛けだが、当時仕事の関係で俺の名前が挙がっていたから迎え入れたらしい。
何の仕事だよと思っていたが、ようやくわかった。遣いが存在する証拠を探していた過程だったんだな。とにかく、あのじいさんは縁を重視する。祖父から教わったエディックの話。引き継いだその調査結果。そして発見できたスターフィッシュ・セカンダリー。ふん、運が良かったというか、持っているというか、縁に導かれていると思っても仕方なさそうな話だ」
部屋を出る前、先輩は遣いやスターフィッシュ・セカンダリーの話をすぐに受け入れた。信じるかどうかは別だが、僕を助けることにそれ以上の根拠はいらない、とも言ってくれた。
「持っている、ですか。たしかに、武光さんのおじいさんがエディックの開発に携わっていなかったら、そもそも遣いの存在に気付かなかったでしょうね。そういう意味では、完全に自力で辿り着いたわけではないのか」
「こんなこと、どんな天才でも0から思いつくわけがない。だが一方で、必然とも言える。何十億って人が、祖先も含めればそれこそ何兆って人生がある。偶然が重なって、重なりに重なって、僅かな気付きを積み重ねて、遣いの存在に確信を得る人間が現れた。それはそれで、確率的に当たり前に起こることなのだろう」
先輩は、そうつまらなさそうに言った。自分の、養父とはいえ父親が大それたことを考えていると聞かされても、それが信じられないような存在を前提に行動していると聞いても、先輩は普段通りの調子だった。頼もしいのだが、あまりに取り乱さないので、実は養父ではないのではと疑いさえした。
だから、素直にそう言ってみたが、先輩は、
「俺が落ち着いているって? 驚いているように見えないなら、お前の真似をしているせいだな」
とはぐらかすばかりだった。
「僕はさっきから大騒ぎしっぱなしですよ」
「俺は直人ほど、人類のことを想っていないだけさ」
「僕は普通です」
「なら、その普通を大事にしろ」
◇
武光邸とその敷地内は煌々と照らされていた。前回来たときは気づかなかったが、野球場のようなライトが外周にあり、平坦な敷地から影をなくしている。村上先輩は正門のテンキー鍵をあっさりと開錠し、僕を後ろに乗せたビッグスクーターを走らせる。体は冷えていたが、心拍は上がっていて、速度を落とせばあっという間に体温が上がりそうだった。
「この照明が点いているってことは、侵入者対策が起動しているってことだ。車は見えなかったが、宮本はもう到着している」
「セキュリティの一環ですか」
「単純に照明として使う場合もあるけどな」
屋敷の玄関までビッグスクーターは辿り着いた。玄関ホールは無人で、嶋田が立っていることもなかった。先輩は迷わず歩き、前回僕が通されたホワイトボードがある部屋とは違う方向のドアを開ける。その先は左右に延びる通路だった。
「この屋敷は二階建て、コの字型になっている。今は「コ」の短い辺のちょうど真ん中。内側に中庭を望む通路があって、外側に部屋が並んでいる形だ。直人が前回通された部屋はここから見て右側だが、多分、今は左にいる。いつもの場所だ」
僕たちは左に廊下を進み、さらに曲がる。先輩は迷うことなく一室のドアを開けた。そこには金属製の物体がずらりと並んでいたため一瞬驚いたが、よく見たら広いトレーニングルームだった。奥半分にずらりと器材が並び、手前半分はマットが敷かれた広い空間になっている。冷蔵庫やベンチ、数脚の椅子もあった。
その椅子に、武光圭が座っていた。
「よう、じいさん」
先輩は気負った様子もなく話しかけた。
「やはり、お前が来たか」
突然訪問した村上先輩を見ても、武光は動じているように見えなかった。
「陰山直人から聞いたか。それとも最初から知っていたのか」
「半分は直人から聞いた。半分は元から知っていた」
「そうか。それで、どうする。私を止めるか」
先輩は構えた雰囲気もなく、ベンチに座った。僕もなんとなく続いて座る。
「どうするんだ、直人」
「え?」
「お前が来たがったんだろ」
先輩と武光の関係のせいで、うっかり忘れかけていた。これは僕が始めた裏切りだ。そういえば、これからどうするんだ。たしか、加那を止めに来たような。あれ?
「ええっと、宮本加那が来ませんでしたか」
「来た。君たちが来る直前にな。物騒な様子だったから、今は黒草が相手をしている。外で遊んでいるんじゃないか」
そのとき、パアンと乾いた音が響いた。
「噂をすれば、だ。君の彼女はナイフを持たせたら一級品だが、黒草は銃を持っているし、経験と懐の深さが違う。適当にあしらえる。猪突猛進というか、迷わないというか。宮本加那には思慮深さが足りない」
カチンと来たが、言い返せない。直感と行動が直結しているところは加那の長所でもあるけれど、搦め手を取られると弱いタイプでもある。二人でボードゲームをすると、大抵僕が勝つ。
前向きに考えよう。僕だけでは黒草にねじ伏せられるだけだった。加那が作ってくれたこの時間で武光を止める。
「スターフィッシュ・セカンダリーの再起動を止めてください」
「断る」
予想通り、にべもない。だがこっちは若い男が二人。相手は六十歳を過ぎた高齢者。説得が難しければ手っ取り早く制圧する。
だが僕は武闘派ではないし、先輩だって運動が得意なタイプではない。正直、戦力的には不安だ。だがその前に、僕は攻めるべきポイントを見つけていた。伊達に一週間考えていたわけではない。
「聞きたいのですが、どうやってスターフィッシュ・セカンダリーを起爆するつもりですか。低高度とはいっても、宇宙空間を周回する物体です。簡単に接触できるものではありません。もちろん、当時打ち上げたロケットのバッテリーは切れていて、無線通信もできません。仮にミサイルで撃ち落としたって、それは核爆発を誘爆することにはならない。放射性物質が宇宙空間に少し撒かれる程度です。本当は、起爆できないのではないですか」
遣いがいるかどうかよりも、飛行中の天体に接触する難しさを突こうと思っていた。宇宙空間ならば、最低でも高度三百キロ以上を飛んでいる。そんな上空を高速で移動する物体に、どうしたら手を出せるというのか。
「ふむ。この際だ、教えておいてやろう」
武光の余裕は崩れない。
「戦闘機に小型のロケットを抱えさせる。実質、ミサイルだな。そのロケットには私が乗る。戦闘機で大気圏の最上層まで飛び、ロケットを射出する。この方法なら、巨大なロケットやその射場がなくても宇宙空間に到達できるというわけだ」
「戦闘機から発射? 二段階で打ち出すっていうのか」
先輩が呟いた。武光は頷く。
「日本では宇宙への打ち上げと言えばロケットしかないが、海外では珍しくもない。あとは自動操縦で軌道を合わせて、スターフィッシュ・セカンダリーに直接取りつく。祖父が持ち出し、隠し持っていた設計図もある。軌道上で回路を直結させ、爆縮レンズに通電させれば臨界だ。構造を知っていればできる」
心臓がざわついた。
「それ、あなたも爆発に巻き込まれて死にますよ」
「構わない。人類の未来のためなら」
月に人を送り込んだのは約五十年前。それ以降、有人月面探査は行われていない。それは、搭乗者の安全と帰還を保証することが高コストだからだ。技術的には、宇宙に人を送り込むことは難しくない。今回のように短時間で、しかも地上への帰還を諦めているとしたら。
できる。理論的には。
「でも、それに巻き込まれる人たちはどうなるんですか。あなたの勝手に付き合わされて死ぬ人だって出るかもしれないんですよ」
「そういうものだろう、現実は。お前は誰も殺さずに生きてきたのか。お前が何かを食べた分、貧困に喘ぐ者は飢え死ぬ。先進国が買い占めている食料を分配すれば世界から餓死者はいなくなる。ここ日本で、恵まれた国に生きている分際で、自分が加害者であるという自覚を失うな。誰もかれも、自分の都合で人を殺して生きているんだ。そして、他人の都合で殺される」
認めたくない。そう思った瞬間、腕を強く引っ張られた。先輩が僕の腕を引いてトレーニングマシンの後ろに引き込む。
「どうしたんですか」
「黒草ってのはあいつか」
先輩の視線を追うと、部屋の入口に黒草が立っていた。コートはなく、ジャケットの片袖が無くなっている。頬には擦り傷があり、髪も乱れていた。その右手には無骨な拳銃が握られている。
武光はゆらりと立ち上がった。
「宮本加那はどうした」
「次の侵入者が来たと聞いて、撒いてきました。しばらくは来られないと思います」
黒草の声には疲労が感じられる。
「やあ、陰山君。君の彼女は凄い子だよ、本当に。差し向けてきた君も厄介だけどね。それで、奥の君は誰かな」
「私の養子だ」
「ああ、彼が。陰山君と知り合いだったんですか」
黒草は何気ない動作で拳銃をこちらに向けた。
「どっちを殺しますか。どっちも?」
「陰山直人は殺していい」
僕たちと黒草の間にはトレーニング機器が並んでおり、屈んでいれば射線は通っていないように見える。だが、近寄られれば終わりだ。
先輩が僕を指で突つき、半身を乗り出した。銃の前に体を半分晒す。
「そんな簡単に人を殺すなよ」
先輩は武光と黒草から見えない位置で指を動かす。その指は武光の方向を指していた。目を向けると、武光の向こうに金属製のドアがある。あそこに逃げ込めと? どうしたって体が露わになる瞬間が生まれてしまう。
「老後の楽しみにしては、大袈裟すぎるんじゃないか」
先輩はいつも通りの声を出す。その声を聞きながら、僕も落ち着いてきた。ここで粘っていてもいずれ撃たれる。武光は迷わない。黒草にいたっては殺し屋だ。見逃してはもらえないだろう。
ならば、動くしかない。走り出て武光を突き飛ばし、銃の盾にしながら扉の中に入れば逃げられるはずだ。不思議と恐怖はなかった。
先輩は歩み出て、完全に銃の前に姿を晒した。こんなときでも先輩は冷静で、心から尊敬する。
「君の後輩の彼女だって人殺しだぞ」
黒草と先輩は正面から立った。睨み合うというより、目を合わせているだけといった落ち着きようだ。
「らしいですね。ここに来る道中で聞きました」
「俺が言うのもなんだが、もっと怖がったり、拒否反応を示したりした方がいいぞ。まともな人間に見られたいならな」
黒草が踏み出す音が聞こえた。今はまだ、先輩が盾になってくれている。決意を固めて息を吸った。
「自分がまともだと思っている人間ほど、危ないものはないと思いませんか」
先輩の会話に紛れて僕は飛び出した。後に先輩が続いてくれることを信じて。武光の姿が近くなり、両手を突き出す。
ガツン、と衝撃があり、気づくと僕は尻もちをついて座り込んでいた。左顔面がジンジンと痛い。
「ガードがなっていないぞ、若者よ」
武光はファイティングポーズを取って僕を見下ろしていた。殴られたことすらわからなかった。
「黒草、殺せ」
へたりこんだ僕は視線を黒草に向けることがやっとだった。乾いた破裂音が、トレーニングルームに響いた。
視界が暗い。耳には発砲音が残響している。僕は死んだのか。痛みがなかなかやってこない。
と思ったら、目を閉じていただけだった。
そろりそろりと目を開けると、記憶にある通りの位置に男たちがいた。武光、黒草、村上先輩。その全員が僕に、いや僕の手前の物体に視線を向けて立ち尽くしていた。
赤みがかった真鍮のような色をした尖った物体が、僕の胸の前で浮いていた。何にも支えられず、微動だにせず、空中に静止している。
画像を見たことがある。銃弾だ。銃弾が浮いている。
「何だこれ」
黒草が呟いた。次の瞬間、黒草の体が後ろに弾き飛ばされるように宙を舞い、トレーニングルームの外、廊下の窓ガラスを突き破って中庭に転がった。
誰も触れていないのに、人が飛んだ。
僕が呆気に取られる中、抑えた笑い声が聞こえた。
「そうか。やっぱりそうか」
武光だった。堪え切れないといった様子で体を震わせている。
「思った通り、お前が遣いだな、息子よ」
僕と違い、先輩の目には意志が宿っていた。武光を見返した瞬間、銃弾が床に落ちて高い音を立てた。
「思った通り、それが俺を引き取った本当の理由だな、じいさん」
「貴様らに邪魔はさせん」
武光の笑みが消えた。身を翻し、僕たちが入ろうとした扉の向こうに消えた。なおも立てない僕を飛び越して、先輩が遅れて扉に手をかけるが、鍵がかかっているのか開かない。
「この先は、多分地下だ」
行くぞ、と先輩はトレーニングルームを飛び出した。慌てて立ち上がりついていく。
「コの字の反対側に、同じように地下への入口があるはずだ」
「さっきの扉、力尽くで開けられないんですか」
先輩、遣いなんですよね、と言いかけて止めた。断定していいのか、先輩は遣いとして扱われたいのか、わからなかった。
「そんな便利なものじゃない」
先輩はそれだけ言い、僕もそれ以上問わなかった。
走りながら先輩は言う。
「じいさんは遣い探しを何年も前から行っていた。記録消去の痕跡を探す方法は、よく思いついたと褒めてもいい。他にも何通りか試しているはずだ。じいさんのさらにじいさんは今よりずっと貧弱なコンピュータしかない時代に手掛かりを得ているのだからな。世界で見れば、他にも独自の方法で遣いの正体に迫っている者たちはいる。そいつらが情報を交換し、蓄積し、そして今、じいさんは遣いの本体まで辿り着いた。俺は記録消去の中心地にいる人物として、ずっと前から目を付けられていたんだ。そして手元に置いて監視するため、養子にした。地球人の努力は、もう喉元まで迫っている」
武光が僕と黒草に見せた、記録消去が伝播する同心円を思い出した。遣いは僕たちが住む街にいる。言い切った根拠の一つは、先輩という心当たりがあったからか。
「それでも、じいさんがやろうとしていることは止めなければならない。遣いを出し抜くのはいい。その日はいずれ来る。だが、そのために多くの人間を犠牲にすることは間違っている。そうだろ、直人」
そのためにここに来た。先輩の正体には驚いたが、目的は変わらない。
「その通りです」
武光には煙に巻かれ、黒草が現れたことで話は中断してしまったが、僕は地球人の技術発展だの宇宙進出だのということよりも、街ですれ違う人たちの、当たり前の明日を選ぶと決めた。そのために、殴られようが撃たれようが、やれることをやる。
「じいさんの車が無いんだ。前に来たときは玄関近くのでかい駐車場に停めていた。今日は見当たらない。地下に新しく駐車場ができたってことだ。地下に空間があるということは、そこに戦闘機もある可能性が高い。じいさん言っていただろ、乗り込むのは自分だ、と。ここから戦闘機を飛ばして、スターフィッシュ・セカンダリーまで行く気だ」
「ここから⁉」
「やけに整地されているし照明だらけだと思っていたがさっきの話で理解した。この敷地が滑走路なんだ」
「戦闘機って買えるんですか」
「知らん。部品を買って組み立てたんじゃないか。屋敷の他にも建屋があったろ。あれが工場だったとかな」
先輩は通路を進み、コの字の反対に来た。
前回通された、ホワイトボードがある部屋に先輩は入った。今は外のほうが明るく、ホワイトボードに書かれていた調査記録は消され、代わりに赤い字で「Good Luck(頑張れ)」と走り書きされていた。窓から見える外の景色は余りに平坦で、たしかにここから飛行機だって飛び立てそうだ。
部屋から部屋へ、先輩はドアを開けていく。隣はダイニングキッチンだった。その隣は食糧庫。その隅にある扉に既視感があった。
「ここだ」
先ほど武光が入っていった扉と同じデザインの金属製。こちらには鍵がかかっていない。不用心だと感じたが、あと数時間で自分の命ごと終わる計画ならば、最早どうでもいいことなのだろう。
扉の奥は下への急な階段で、僕たちは反響する足音を響かせて降りていく。
階段は長くなかった。三階分ほど降りた先に広大な倉庫のような空間があり、先輩が予測した通り、大きなミサイルを腹に抱えた一機の飛行機が格納されていた。そして、その機首の方向から明かりが差している。顔を向けると、スロープが上に延び、地上への口が四角く開いていた。
飛行機の傍には武光が立っていて、ぴったりした青い服を着ている最中だった。
「俺がじいさんの気を引く。直人は隙を見て近づき、取り押さえろ」
「わかりました」
先輩が、黒草の銃の前に出たときと同じように悠然とした足取りで階段から出て行った。僕は逆に身を隠す。
「宇宙服じゃなくていいのか」
まるで普通の親子のように、先輩は気安く声を掛けた。武光も予想していたようで、動じない。本当の親子ではないが、どことなく雰囲気が似ている。
「これはインナーだ。飛行中に着る」
「それほど広そうには見えないが」
「宇宙服ほど耐久性を気にしていないから、服の可動性は宇宙服より高い。それに、中で着られることは確かめてある。練習済みだ」
「そうか」
顔を半分だけ出した。先輩は地上への開口部と逆の方向に、武光から距離を取って回り込んでいく。僕は慎重に足音を殺して、物陰を伝いながら、武光を挟んで先輩の逆に向かって歩を進めた。僕が飛び掛かるとき、武光からは逆光になる。先輩がくれた有利な位置。先輩は遣いなのか、そうであるなら、銃弾を止め、黒草を吹き飛ばしたような芸当で武光を拘束できないのか、確かめられなかったが、今は先輩を信じて従う。
「時間がかかったじゃないか。扉一つ破れなかったか」
「鍵がかかっていれば当然だ」
「遣いの、記録消去目的以外の超常物理現象には制限があると推測している。簡単に言えば、一度使うとしばらく使えない。スターフィッシュ・セカンダリーを押し出した件以外にも、我々が見つけただけで二件、大規模な超常物理現象と思われる痕跡を発見した。それらの間隔は、最低でも二十年。直近では五年前に起こっている。私がこのタイミングで動いたことに意味はある。今は充電期間で大したことはできない。違うか」
「さあな」
「否定はしないのだな」
先輩はあろうことか、武光から目を離して足元を探った。鉄パイプのようなものを探し出し、握りをたしかめる。
「嘘は苦手なんだ。遣いは存在する。地球から見て宇宙、遥かに進んだ文明から送り込まれた遣いで間違いない。よくわかったものだ」
「人の口に戸は立てられない。遣いと、その事実を知った者もまた然り」
「なるほど、そういうことか」
物陰を選んで進みながら、僕もなるほどと思っていた。遣いは自分のことを誰かに話したのだ。歴史の中でそれは語り継がれ、広まったり薄まったりしながら、武光のように遣いの正体を求める者の元へと流れ着いた。
「お前が話したのではないか」
「俺じゃない。遣いは複数いる。誰かが喋ったのだろう」
「責めないのか」
「……気持ちはわかるからな」
先輩のほとんど真反対まで来た。これ以上先は身を隠す物が無い。機体の近くを駆け抜けて武光に飛び掛かるまで十秒はかからないだろう。五秒で行けるか。
「遣いは何万年も、人間に混ざって生きてきた。愛着だって湧く。本心を、身の上を、隠すことなく話したいときだってある」
駆け出した。一直線に武光を目指す。外から差す光で僕の姿が照らされる。幸い、武光は飛行機の翼がつくる影の中にいて、伸びる僕の影に気付く位置ではない。あと約五メートル。拳を振り上げたとき、武光が振り返った。目と口には余裕すらあって、上げた足が僕の腹に突き刺さった。
「直人!」
先輩の声が聞こえたが、どっちから聞こえたのかわからなかった。滅茶苦茶に回転し、息ができずにもがく。転がり続けているのか、眩暈なのかすら判別できない。
ようやく視界が安定すると、武光は拳銃片手に僕の様子を窺っていた。
「黒草が持っていて私が銃を持っていないわけがないだろう。二人で来たところで相手にならん。ああ、それと、コックピットからは丸見えだったそうだぞ。無線で実況してくれたよ」
僕は少しだけ開けられた目でコックピットを見た。パイロットが見えて舌打ちしたくなる。
嶋田。そこにいたのか。僕の移動はずっと見られていた。
「次はどうする。お前自身が喧嘩をするか。力を使えないとはいえ、遣いを倒せるなんて光栄極まる」
おそらく、先輩は遣いとしての力を使えない。銃弾を止められたのに、さっきの蹴り一つ止められないのはおかしい。武光が言う通り、制限があるのだ。
「老人のくせに、いい動きだ」
「トレーニングは欠かさなかった。戦闘機の加速に耐え、宇宙空間で活動するためにな。もやしのような大学生などに負けるか」
そこは負けろよ、高齢者。
わかっている。筋力ではない。僕には迷いがあった。武光は迷いなく僕を蹴り飛ばした。覚悟の有無、それが差だ。
息が吸えなくて頭がくらくらする。気持ちは焦って気が遠くなる。霞む意識の中、逆光の中に悪魔のような天使を見た。
加那が、肩で息をしながら左手に黒い刃のナイフを持って立っていた。白いダウンジャケットを脱ぎ捨て、薄いピンクのニットと深緑のロングスカートが露わになる。ローストビーフを一緒に食べたのが、ずいぶん昔に思えた。
立ち昇る殺気が見えるようだった。無表情の中、見開かれた両目が爛々と輝いて武光を睨んでいる。
「見つけた」
「宮本加那か」
武光が銃を上げ、即座に引き金を引いた。加那は斜めに走り、スロープが弾痕でえぐれる。武光は飛行機から離れ、数発続けて撃った。傍目に見ても雑な撃ち方で、武光が決してプロフェッショナルではないことに今さら気づく。
二人の距離が一気に縮まる。黒い刃が喉元を狙うが体を反って躱される。また一発発砲。加那は止まらない。転がるように身を翻し、再び、今度は武光の脚を狙って突く。そのとき、武光が跳んだ。ナイフは空を斬り、武光の飛び回し蹴りが加那の側頭部向けて突っ込んだ。
僕に見えたことが奇跡だと思う。加那はガードしようと右手を上げかけた。そして、顔を強ばらせ、手を止めた。そこに光っているのは、僕があげたブレスレット。
加那の頭が蹴り飛ばされ、ナイフが宙を舞った。倒れ、立ち上がろうとしたところに銃声が響く。加那の体が弾かれて再び倒れた。寝ている僕の眼前にナイフが突き刺さり、加那の姿が見えなくなった。
武光もまた、激しく息をしていた。見てわかるほどふらつき、先輩に銃口を向ける。
「どうだ、私を止めてみろ。いつまでも貴様らに操られる人類じゃないんだ。今日、この日を境に、遣いは白日の下に暴かれる。世界はスターフィッシュ・セカンダリーを思い出し、忘れていた理由を探す。今の人類は強い。必ず貴様らに辿り着くぞ。私がやることを黙って見ていろ。それとも、ここでお前を殺してやろうか。私ごときに殺せる相手だとは思わないが」
僅かに息を吸えた。先輩の顔は見えない。加那の様子も見えない。見えるのは地面に突き立てられたナイフと武光だけ。
武光の荒い息が聞こえる。やがて、ふう、と声が聞こえた。
「どうして今さら来た。お前は我々の計画の一部を知っていただろう。邪魔をするなら、もっと前に動けたはずだ」
「そうだな。核爆弾を搭載しているとは知らなかったが、何かの人工天体を探していることや、それを後ろ暗い事情でやっていることは知っていた。どうして今になって動いたかといえば、直人が助けを求めてきたからだ。大事な後輩が、必死になって家に来たんだよ。だからだ。なあ、じいさん、知り合いが死んだら悲しいよな。人類が滅ぶとしたら困るよな。そういう危機なら誰だって行動する。でも、直人は違ったんだ。家族や恋人や友達と、クリスマスを祝おうとしているその辺の人たちのためにあんたを裏切るって言うんだ。笑っちまうだろ。そんなの、この世で一番どうでもいい関係の人間たちなのに」
先輩の言葉に、少し心に余裕ができた。知り合いでもない、でも同じ街に住む人たち。先輩は彼らをどうでもいいと思っていたのか。人間よりも、土とか植物とか宇宙とかを愛する先輩らしい。
「人間の命は等しくない。俺にとって大切なのは、知り合いか、自分の生活が困るほど大勢の命をまとめたものだ。だから、あんたの計画を止めなかった。俺の生活には関係なさそうだったから。でも、今は直人が関わってしまったからな」
息ができるようになってきた。顔を動かすと、武光と先輩はほんの数メートルで向かい合っている。銃を外しようがない距離だ。
「なるほど。最初から食いついて記録消去をしてくれたら、お前が遣いだとわかったのだがな」
「罠だったのかよ」
「仕掛けが無駄になってしまった」
「ちゃんと養子を愛せよ。そういや、俺からも聞きたい。どうして遣いの存在を公にしたいんだ。見つけたい好奇心は理解できる。だが、自分だけが知る秘密にしておいて利益を得ることだってできただろう。仮に人類の技術がこれから飛躍したって、あんたが生きているうちに宇宙進出が爆発的に進むわけでもない。誰の、何のための行動だ」
初めて、武光が言葉に詰まったように感じた。動じぬ巨岩が、揺れる。
「嶋田はもうすぐ死ぬ。癌だ。私たちはそういう歳になった。考えるんだよ。これまで金儲けと自分の身内のことばかり考えてきた。私が死んだとして、果たして未来の世代に何を遺せたのか。禄でもないものばかり遺したんじゃないかってな。今を真剣に生きるのは大切なことだ。だが、私たちはもう先が長くないし、使える金もある。百年後の子孫のためにできることがあるんじゃないかと、そう、思うんだよ」
「それで考えた結果、未来に遺すものが核爆発とは最悪だな」
「お前に言われたくはない。それに私が遺す物は、人類の自由な技術だ。お前たちが奪ってきた時間は取り戻せないが、未来は変えられる。人類を解放することで、私は次の世紀に報いることにした」
僕は動けるようになっていた。肘をついて体を起こす。先輩には悪いが、もう、遣いだの守るべき日常だの、どうでもよくなっていた。加那が撃たれた。撃った相手がそこにいる。やり返してやらないと気が済まない。
「じいさん、あんたは何もわかっていない。遣いが消してきたものは、たしかに進歩の種でもある」
先輩の声が、どこか遠くで聞こえた。
「だがそれだけじゃない。遣いたちは、人類存亡の危機を救ってきた。戦争と技術革新はときに表裏になっているからな。遣いがいなければ、人類は今のように存在できなかった」
「傲慢だな。貴様らがいなくても人類は自力で生き延びたさ」
「それは……」
先輩はなぜか小さく笑った。
「そうかもしれないな。被害は大きいかもしれないが、きっと何とかなったのだろう」
「過ちを認めるのか」
「別に。言っただろ。じいさん、あんたは何もわかっていない」
摂取できなかった分の酸素を補充しようと心臓がうるさく鳴る。
「俺をその銃で殺すことはできる。なぜなら、俺は遣いではないからだ」
僕は目前に刺さっているナイフに手を伸ばした。
「遣いは直人。陰山直人だ」
「何だと」
痛みを無視して武光に走り込む。嶋田から見えていたのか、武光は即座に銃を向けてきた。
発砲される。
銃弾は僕の胸の手前で止まり、見えない手がはたいたように横に撥ねた。
動きが止まった武光に向かい、ナイフごと体当たりする。
——私ごときに殺せる相手だとは思わないが。
そうか、殺すことだけはできないのか。
妙に腑に落ちながら、武光が眼前に迫った。
「直人君」
轟音の中に自分の名前が聞こえた気がして、僕は意識が戻った。
呻きながら、なんとか体を起こすと、傍で加那が膝をついて立っていた。その後ろに、戦闘機が大きなエンジン音と共にスロープを登っていくのが見えた。僕は血が付いたナイフを握っていることに気付き、ため息と共にコンクリートの上に置いた。
武光に一撃喰らわせることはできたが、その後再び蹴り倒された。村上先輩もパンチ一発で気絶した。思った通り僕たちは弱かった。
武光と嶋田を乗せた飛行機は地上に出て、ひと際大きな音がした後、急激に静かになった。耳と腹がまだ震えている気がしたが、加那の腕が真っ赤になっていることに気付いて気持ちが切り替わった。ふらつきながら近寄って確認する。銃弾は加那の右上腕を掠ったらしく、肉がえぐれていた。
「腕に当たったのか。他は?」
「他に怪我はしていないよ」
「そっか。生きていてくれてよかった」
コートを脱いで、加那の傷に押し当てた。加那が痛みに顔を歪める。
「ごめん。でも、血を止めないと」
「わかっている。大丈夫」
地面にペタリと座り込んだまま、格納庫の開口部から夜空を見上げた。僕たちは負けた。武光を説得することも、力尽くで止めることもできなかった。気を抜いたらまた気を失ってしまいそうな脱力感が体を覆っている。
「加那や先輩にも付き合ってもらったのに、止められなかった」
「仕方ないよ」
「悔しいな」
「ごめんね。私が殺せていたら止められたのに」
「仕方ないよ。黒草さんに殺されなかっただけでも凄いことだ」
僕たちは、仕方がない、仕方がないと慰め合った。風呂場に閉じ込められたことは謝られなかったけれど、もうどうでもよかった。
無力感が身に染みて、涙が滲んだ。憎らしいほど星が綺麗な夜で、一つくらい爆発させてやりたくなってくる。
「ああ、そういうことか」
「何が」
「ベテルギウスの増光現象がどうして起きたのかわかった。加那に見せたかったんだ。僕が好きなものを、僕が心躍るものを、加那と共有したかったんだ」
なんということはない。遣いの力が無意識に暴発したのだ。他でもない僕の望みに従って。
「ベテルギウスって?」
「百万年くらいしたら死ぬ星だって言われている」
僕は生きていられるかもしれない。どうやら遣いらしいので。
「ゾーコー現象って何?」
「ええと、僕は忘れたけど、物凄く光ったんだろ」
「そんなことあったんだね。私も知らない」
何と返せばいいのか少し悩んで、合点がいった。
記録消去は距離に応じて、効果を発するまで時間がかかる。僕が遣いならば、その影響を真っ先に受けるのは、中心地である僕に違いない。ようやく周囲にも顕著に影響が出始めたのだ。
自分の力で忘れてしまっては、とんだ欠陥機能だが。そもそも、遣いだと言われてもその自覚がない。村上先輩が何か知っている風なので、後で聞いてみよう。
「寒くない?」
「寒い。でも、気つけには丁度いいよ」
影が差した。飛行機が出て行ったスロープを降りてくる人影がある。
「おい、どうなった」
黒草だった。足を軽く引きずっている。吹っ飛んだ際に痛めたのかもしれない。
「武光さんと嶋田さんは飛び立ちました。僕たちの負けです」
「そうかそうか」
加那が無事な左手でナイフを拾ったが、黒草は手を振った。
「やめろ。もう喧嘩する理由もない。俺は武光さんたちが飛び立つまでの警護を依頼されただけだし、お前らも俺を殺したところで得るものは無いだろう」
僕たちをスルーして、先輩の頬を軽く叩いた。先輩が呻いて体を動かし始める。
「俺は武光さんとの契約を終えた。もう依頼が来ることもないし、ここには誰も帰って来ない。自分の家に帰って、食い物とか買い込んで武光さんの計画が成功した後に備えるよ。宮本、お前もこれから気をつけろよ。殺した相手の記録が消えるなんてラッキー、もう起こらないぞ」
「何言ってんの」
加那の無表情に、黒草は力の抜けた顔で考えた。
「なるほど、そうか」
黒草は内ポケットから手帳を出し、捲り出した。メモがあるらしく、目でなぞって、頷いた。
「よし、まだ記録が残っているな。そもそも陰山君を調査する切っ掛けになったのは、別の人物の調査からだったんだ。俺も武光さんも記憶を消されていたが、違和感には気付けた。武光さんが追っていたのは、スターフィッシュ・セカンダリーの写真だったんだ。陰山君が投稿し、その記録無き人物が拡散しようとしたんだろう。武光さんはスターフィッシュ・セカンダリーが軍や警察に知られることを恐れていたからな。反応した人物を殺して、アカウントも消そうとした。陰山君のアカウントからは既に写真が削除されていたから、拡散する意図なしと判断され、優先順位が次になった。そして、殺しを依頼されたのが、宮本加那、おそらくお前なんだ」
「私?」
「お前が武光さんに雇われていたのは、そういう仕事のためだろ。どうしてその殺しが記録消去されたのか、知る術はないけどな」
武光はそんな理由で人を殺していたのか。人間でないらしい僕が言うのも変だが、大した人でなしである。
想像するのは自由だ。僕は、加那からその殺人を告白されたのではないだろうか。または、偶然目撃してしまったかもしれない。そうなったとき僕はどう考えるか、手に取るように想像できる。
庇ったに違いない。
意図せずベテルギウスを明るく見せてしまったことと同じように、僕の遣いとしての力が無意識に働いて、加那の行為が露見しないように隠蔽したのだろう。
黒草は格納庫の片隅にあった車を調べ始めた。
「良かった、良かった。俺の車は無傷みたいだ。弾が当たっていたら修理が面倒だったんだよ。それじゃ」
もうお前らに会いませんように、と言って黒草の車はスロープを通って出て行った。
黒草が言うことを信じれば、加那は僕の、比較的近しい人を殺したことになる。だがまあ、それほど重要な人ではなかったと想像する。村上先輩くらい大切な人を殺していたなら、加那でもきっと許せないし、記録も消そうと望まなかったはずだ。
僕たちは神じゃない。誰か生かすこともあれば、殺すこともある。逆もまた然り、生きていれば殺すこともあるだろう。人類が滅ぶわけでもあるまいし、加那を責めても生き返るわけではない。
「僕たちも帰ろう」
村上先輩が意識を取り戻した。むっくりと起き上がっている。目の焦点がまだ遠い。
「直人君、コート汚してごめんね」
「いいよ。加那の体の方が大事だから」
「帰ったら、クリスマスプレゼントあげるね」
「そういえば、僕が渡しただけだったか」
「コートだから、丁度良かった」
はっと疲れた笑いが零れた。
「加那って本当に気が利くよね」
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